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 森の奥にひっそりと佇む小屋に住んでいたのは、ひとりの娘だった。
 まだ、うら若い女。長い銀髪の乙女。
 ちょうど、きっかりと十と八年、この小屋に暮らしていた。
 そして、きっかりと十と八年のその日、はじめて家を訪う者がいた。
 しかも、ふたりも!
 それだけで、珍事中の珍事だった。
 だが、娘にとっては、珍しいだけではすまなかった。

「おまえが魔女か」
 挨拶もなく入ってきた真っ黒な姿をした男は、椅子の上で唖然とする娘に言った。
「面倒な説明はせん。呪いを解け」
「……は?」
 顔のほとんどを髪で覆った娘は、首を傾げた。
 そんな娘を黒い瞳が睨みつけて、もう一度、ハスキーだが通りの良い声で言った。
「聞こえなかったのか。この国にかけられた呪いを解けと言ったんだ」
「は?」
 娘は傾げた頭を、更に傾けた。肩に頭がつきそうなくらいに。
 だが、長い髪が邪魔で、そんなようすさえ見分けがつかない。無造作に伸ばしっぱなしの銀色の髪が流れて、辛うじて見えていた口元さえも覆い隠した。
「殿下、いくらなんでもその言い方では。仮にも、相手は御婦人ですし」
 後ろからもうひとりが、嗜めるように言った。
「だが、魔女だ」
 きっぱりと、殿下と呼ばれた者は言った。
「あの鬱陶しい呪いをかけた魔女の仲間だろう。対する礼など持ちあわせてなどおらん。これ以上、図に乗らせてたまるか」
 憎々しげに言い捨てる様子は、怒っているようだった。いや、間違いなく怒っている。だが、何故、この男が怒っているのか、娘には分からなかった。
 はじめて会う人間に怒られるようなことをした覚えは、彼女にはなかった。
 娘は、ええと、と言う間に考えてから、ひとつ確認した。
「王子さま、なんですか?」
 すると、そうです、と本人ではなく、背後の金髪の人物が答えた。
「ルーファス・アルネスト・エスタリオ・ド・マジェストリア殿下であらせられます。私は、側近のカミーユ・ラスティス・ド・ガレサンドロと申します。どうぞ、お見知りおきを」
 名前の最後につくマジェストリアは、この国の名でもある。つまり、この国の王子さま。
 側近は、傍に仕える人。
 魔女の娘はそう理解した。
「あ、どうも、はじめまして」
 柔らかな声の落ち着いた紹介に、娘は、ばさり、と髪の音をさせて頭をさげた。
「シュリです」
「挨拶などどうでもいい」
 ルーファス王子は苛立った声で答えた。
「おまえが魔女ならば、あの呪いをなんとかしろ。出来ねば、この場で成敗してやる。選べ」
「成敗? ええと、成敗ってお手討ちってことですかっ!?」
 ひぃ、と娘ははじめて怯えの声をあげた。
「なんでですかっ!」
「呪いひとつ解けない魔女など役に立たんどころか、害になるだけだ」
「害って、私、なにもしてないですよっ!」
「今はなにもしなくとも、いずれはするかもしれん。ならば、今のうちに成敗した方が世の為だ」
「そんな無茶苦茶なっ!」
 ぴい、と髪の簾の奥から抗議した。
 なにがなんだか、相変わらず、シュリにはさっぱりわからなかった。ただ、わかるのは、己の命が危険に曝されているということだけだ。
「大体、いきなり人ん家に来てなんですかっ、あなた方はっ! 成敗するって!」
「やかましい。出来るのか、出来ないのか、はっきり答えろ」
 その手は、しっかりと腰にさげた剣の柄にかかっている。
「殿下、ここで彼女を脅してもなんの解決になりませんよ」
 カミーユと名乗る側近は、声だけで押しとどめた。だが、
「止めるな。いい加減、腹にも据えかねる。このくらいしても罰は当らん」
「それはそうですが、だからと言って、彼女に八つ当たりする道理はないです」
「肯定したあっ!」
 いやああああああっ、とシュリは甲高い絶叫をあげた。
「殺されるうっ! 私なんにもしてないのにぃっ! しかも、八つ当たりだしぃっ!」
「やかましいっ! 静かにしろっ!」
 黒い鞘から剣が半分、その刀身を覗かせた。
「殿下、駄目ですって。国中探して、やっと見付けた魔女なんですから。これを殺したら、次はいつ見付かるかわかりませんよ」
「役立たずならば、いなくとも同じだろう」
「いやああああああっ! 人殺しぃっ! 呪ってやるぅっ!」
「ほら、呪ってやるとか言っていますし、一応は、力があるってことでしょう。話をしてみるだけでもなさったらどうですか。御成敗なさるのは、それからでもよろしいでしょう」
「やっぱり殺す気なんだあっ! この人たちやだあっ! 誰か助けてぇっ!」
 銀髪を振り乱し、座っていた椅子を蹴立てて、魔女の娘は部屋の壁に張り付いた。
 しかし、部屋が狭い為にそうしたところで男たちからは、ほんの五歩ぶんほど遠くなったにすぎない。そして、隣室に通じる扉と外に通じる扉からも五歩分、遠くなった。
 シュリの背にあるのは、木で出来た壁だけ。肝心の男たちとの間を隔てるものはなにもない。
 かえって逃げ場を失った娘は、泣きながら泣き声を上げた。
「ひどいっ! こんなのあんまりだあっ! いくらなんでも酷すぎるぅっ! 王子さまのくせに、なにもしてない、武器もなんにも持たない人間を殺す気だあっ!」
「びいびい泣くなっ! 黙れ、魔女っ! 鬱陶しいっ!」
「うええええええん! 助けてえ、誰かあっ!」
 更にあがる獣の咆哮を思わせる怒鳴り声に、シュリはそのまま震えながら泣き出した。ずるずると壁に沿って銀の髪が下に滑り落ち、ついには床に毛玉のようなって蹲った。
「ああ、ほらほら、そんなに怒鳴ったら、余計に怖がりますよ」
「だったら、おまえがなんとかしろっ!」
「しょうがないですねえ」
 カミーユは薄い笑みを浮かべて、前に出た。
「魔女のお嬢さん、そんなに泣かないで下さい。王子も本気でおっしゃっているわけではないのです」
 柔らかな物腰と言葉遣い。
 だが、それすらも、娘を脅かすものでしかなかった。
「いやあっ! それ以上、近付かないでえっ!」
 願い虚しく、こつ、と古い床板を白く優美な線を描く靴の踵が叩いた。
「ただ、呪いを解くために必死なのです。これも一重に民の為を思ってなさっての事です。これでも本当は、民思いの心優しい方なのですよ」
「いやあっ、傍に寄らないでぇっ! 怖いようっ! お師匠さまあっ! 助けてえっ!」
 しかし、泣けど叫べど家の扉が開く事はない。その間に、床板が二歩ぶん鳴った。
「大丈夫です。落ち着いて下さい。誰もあなたを傷つけやしませんよ」
「そんなの嘘だあっ! 用がすんだら殺すつもりなんだあっ! ぎたぎたに切り刻まれて、魚の餌にされるうっ! それで捕った魚を食べる気なんだあっ! いやあああああっ、食ぁべらぁれるうぅっ! バターまみれになって、ソテーされるんだあっ! 鬼畜ぅっ! 人でなしぃっ!」
「紛らわしい言い方するなっ!」
 こらえきれず、ルーファス王子は怒鳴りつけた。
「おや、そうなんで?」、と振り返って側近はのんびりと答える。
 殺気むんむんの、ぎらり、とした視線が向けられた。
「貴様、なにが言いたい?」
「いや、バターを塗るというのも、なかなか変態じみていて、貴方ならばやりかねないと」
「貴様、俺を愚ろうする気かっ!?」
 聞く者によっては、陰険漫才。
 だが、怯える娘の前では、泣き声をいっそう大きくしただけだ。
「怒鳴らないで下さい。ああ、大丈夫です。そんな事はしやしませんよ。そんな女体にバターを塗りたくって、舐め回すようなそんな破廉恥な犬みたいな真似を、王子とあろう方がする筈がないじゃないですか」
「なんだ、その棒読みは! 貴様、わざと言っているだろう! というより、その話から離れろっ!」
「いやああああっ! 変態ぃいいいいっ! 食われるうっ!!」
 床に這い蹲りながらあうあう泣く声に引き摺られ、銀の髪は床を掃くモップ状態だ。
「ああ、それでは、折角の奇麗な色の御髪が傷んでしまいますよ」
 傍らに屈み、そのひと房を手に取る。
 ささくれ立った一本が、目に留まった。
「あ、枝毛」
 しかも、昆虫の足のように、一本から何本にも分かれていた。

 いやああああああああああっ!

 また、悲鳴をあげ、シュリはじたばたと四つん這いで逃げようとした。
 ふむ?
 意に介さず、カミーユはそのまま動かなかった。
 手にした銀の髪の一房が、ぴん、と張った。

 ひぃいいいいいん!

「逃げ場はありませんよ。大人しくして下さい」
 あくまで丁寧な言葉遣いながらも、髪を掴む手を離さない。それどころか、ぎゅう、と強い力が籠められた。
「取りあえず、話を聞いて下さいませんか」
「いやだあああっ! 聞いたら殺されるうっ! 口封じされるうっ!」
「そんなことしやしませんって」
 四つん這いになって逃げるシュリの肩が掴まれた。そして、あっという間に仰向けになっていた。

 ぎゃあああっ!!

「大人しく言うことを聞いて下さらないから」
 あられもない悲鳴をあげる魔女の娘を組み敷きながら、金髪の若者は美しく微笑んだ。
「ね、大人しくして下さい、お嬢さん」
 ひと目見ただけで昏倒するものまでいると言われる破壊力抜群の微笑みが、たったひとりの娘に注がれた。そして、手袋を嵌めたままの指先で、そっ、と娘の頬を撫でながら、涙で張り付いている髪を払った。
「おやおや、本当にこれは、」
 と、言いながら、娘の顔に己の顔をより近付けた。
 眼前に迫る美貌を前に、縁を赤く染めた常緑樹の葉の色を持つ瞳が、ひときわ大きく見開かれ、
「ひっ……」
 そして、閉じた。
 がくり、と頭も横に倒れる。
「あれ?」
 ぺちぺちと、指先で娘の頬を叩くが反応はなかった。
「気を失いました」
 カミーユは立ち上がり、主たる男に報告した。
「からかいがすぎましたかね?」
「まあ、いい」、といつの間にか、部屋の椅子に腰を落ち着かせていた王子は答えた。
「取り敢えず、静かになっただけましだ」
 ふん、とひとつ鼻も鳴らされる。
「どうしましょうか、この娘。このまま転がしておくのはよくないでしょう」
 その問いには、わずかに考える間があった。
「そうだな……連れていくか」
「宮殿へですか?」
「俺も務めがある。場所がどこであろうと、話の内容に変わるものでもなかろう」
「それはそうですが」
「このままでは、埒があかん。どんな手を使おうと呪いは解かせる。それを知らしめる為にも効果はあるだろう」
「そうでしょうが、」、と従者は、銀の髪を広げて床に転がる魔女の娘を見下す。
「貴方が脅さなければ、もっと早く話がついたと思うんですが?」
 いじわるを含めて言えば、「そんな事は知らん」、と不機嫌そうな答えがある。
「まあ、良いですが。面白そうですし」
 その答えに、からかうような太い笑みが向けられた。
「言っておくが、手は出すなよ。一応、それでも魔女だからな。呪われるぞ」
「魔女は惚れっぽい、ですか」
 それは、そそっかしい、と同義語であったりする。
 だから、魔女は恐ろしいのだ、と人は言う。
 おそらく、彼等の目の前にいる魔女も例に洩れることはないだろう。
「呪う以前に、どうにもならない事はあなたも御存知でしょう」
 出そうになる言葉を飲み込んで、カミーユはにっこりと、主に人の悪い笑顔を返した。

 一生に一度あるかないかの、最悪の出会い。
 そして、最悪の形で、シュリという名の魔女の娘は、きっかりと十と八年住み続けた己が家に別れを告げた。
 挨拶もなく。知らない内に。




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