妖精族。
 多種多様な者たちが暮らすこの世界で、最も古くから存在する種族のひとつであり、最も美しいと言われる種族だった。
 他の種族にくらべて身が軽く、気品に溢れ、知性に優れる。また、やむなく戦いはしても、基本的には争いを好まない種族でもあった。
 しかし、既にその純粋なる血をもつ者はいないとされている。すくなくとも、この大陸には。
 大昔には、多くの妖精族が暮らしていたと言う。だが、他種族が数を増やし、力をつけるにつれ、その数を減らしていった。
 妖精族は、欲や野心などとはかけ離れたところに住む、清らかさを好むとてもデリケートな種族だった。そして、その美しさゆえに、他の種族が台頭してくるに従って欲望に曝されるようになった。
 主に性的な意味合いで。
 その為、攫われたり、罠にかけられたり、難癖をつけられては連れていかれたりしたのが、いなくなった大きな原因だ。
 そもそも妖精族には、他者を疑うという意識に欠けたところがあった。悪意というものが分からない、というべきか。だから、簡単に罠にもかかるし、悪意に対しても抵抗する意志が希薄だった。
 しかし、同じことが続けば、嫌が応でも気付きもする。
 そこで、誰にも見付からないように隠れて住んだりもしたが、無駄だった。どこからか嗅ぎつけてきた者たちに同様のことがなされた。
 妖精族としても対策を練り、ほかの種族との共生を考えた時期もあった。だが、その時期ぶん、一族の数を無駄に減らしただけだった。
 捕まった妖精族は、そのまま慰み者になったり、奴隷として高値で取り引きされた。
 共生は無理と悟った妖精族の王は、ある日、一族みなを引き連れてセルリア大陸を去った。
 どこへ行ったかはわからない。
 誰も知らないし、わからなかった。
 突然、その姿を消したのである。
 一部では集団自殺ではないか、と言われた。絶望して。
 というのも、大挙していなくなったとすれば、おそらく海に漕ぎ出たと思われたから。
 ただでさえ危険の多い海には、陸上以上に化物がいる。
 何艘もの船をひと呑みにできる巨大魚とか、クラーケンとか。
 近海ならまだしも、大陸が見えなくなるほど遠くなれば出る、という話だ。
 無謀にも冒険に出て、辛うじて生き残った僅かな者がそう証言している。
 だから、海に出ること、イコール、自殺、と言われる。
 その真偽のほどは別にしても。
 だが、去る以前に、好むと好まざるに関係なく、他種族と交わった妖精族だけは取り残された。しかし、それにしても、純粋な血を持つ妖精族が生きていくには、向かない環境に変わっていた。
 妖精族の言葉で言う、穢れがはびこっていたのである。
 それからもますます悪化していく環境に、生き残っていた者もすぐに弱り、命を落とした。
 その中で、ごく僅かの、ほんの少しの、とても運が良かったり、或いは、環境にも順応することできた他種族との混血だけが生き残った。
 純粋な妖精族ほどではないが、血を継いだだけあって、その子孫たちも並の者にくらべれば、充分に美しい容姿を有していた。
 だから、過酷な環境の中でも、細々とその血は残されている。
 長い時のなかで、いまはシャボン玉の膜ほどにその血は薄くなってしまったが、時々、たまに、その血を色濃く受け継ぐ者がいる。
 生き残った者の中には、逆に並みの者よりも恵まれた環境に置かれた者もいたからだ。
 その容姿や性質から、深い愛情を受けた者。
 豪商、時の有力者、或いは、王侯貴族の心を逆に虜にした者がいた。
 相思相愛。
 実は、これが妖精族にとってのキーワードになるというのが、最近、某学者の研究論文で発表されている。
 幼い頃から精神的に満たされ、与えられる愛情に対して応えようとしている者ほど、妖精族の血の特徴が外見的にも濃く出ている。そして、それは、子に受け継がれもする。先の尖った耳の形とともに。
 尖った耳は、美男美女の印。一種のステータス。
 珍しいから、余計に稀少価値もあがる。
 お陰で、我が子をやたらと甘やかす勘違いした親もでて、一時、世間の苦笑を誘ったりもした。
 しかし、それにしても、精神性など見えるものなどいないから、当てにはならない、という形で概ね決着がついたようである。
 さて。
 そんな妖精族の血を受け継いだ娘が、ここにもひとり。
 正真正銘の尖った耳。
 とは言え、そんな裏話を本人はまったくあずかり知らぬことであったりする。
 なにせ、引き篭もりの魔女だから。
 耳の形が丸かろうが、出っ張っていようが、気にはしないだろう。
 知らないから。
 弁明すれば、シュリは、決して頭が悪いわけではない。
 物心ついた頃から師匠に叩き込まれてきた魔法の呪文や、数えきれないほどの魔方陣をすべて記憶している。
 行儀作法など必要なことは、すべて身につけ、そこら辺の町娘や、分野によっては、貴族令嬢以上に教養がありもする。中には、まったく、というものもあるにはあるが。
 だが、なによりシュリは、考えることを知っていた。
 彼女の師匠は、それはそれは厳しく、掌中の玉を磨くように彼女を仕込んでいた。
 ただ、そういうことが他者に伝わりにくいのは、シュリが世間知らずなせいだ。そして、そそっかしい性格もその要因になっているかもしれない……たぶん。
 そんなわけで、時間はかかりはしたが、カミーユの姿を見たときから、シュリもここが天国ではないことに気がついた。
 そして、風呂に入れられている時に、親切で優しいキルディバランド夫人――マウリアさんにはじめて問いを発したのだ。
「あのう、つかぬことをおうかがいしますが、ここは一体、どこでしょうか?」
 途端、夫人の顔が引き攣ったのは、言うまでもないだろう。
 それで、ようやく、彼女も気を失っている間にマジェストリア国の王宮に連れてこられたことを知った。
 本来ならば、ここでひとつぐらいは怒りもしてよいのだろう。もう一度、泣いてもよいかもしれない。勝手に、見知らぬ場所へ連れて来られたのだから。
 これは、拉致だ。誘拐だ。立派な犯罪だ。
 だが、シュリは答えを聞いて、首を傾げただけだった。
 この辺りの反応が、妖精族の血と世間知らずのダブル効果といえる。
 気持ちまでマッシロ!
 どこぞの漂白剤のキャッチコピーになりそうなほどに。
 お陰で、罪を問おうなどという考えも浮かばなかった。
 あのう、とシュリは、おそるおそる、夫人にふたつ目の質問をした。
「わたしは、なぜ、ここにいるんでしょうか?」
 それは、まさにキルディバランド夫人が、銀髪に埋もれた耳の形に気付いた瞬間でもあった。
 当然、夫人が答えを知るわけもない。しかし、どんな誤解がうまれたかは想像に難くないだろう。
 それから大急ぎで入浴を終え、髪を乾かし、彼女の身支度を整えるよう侍女達に命じてのち、夫人はそそくさと部屋を出ていった。「すぐにもどる」、とシュリに言い置いて。
 こういう場合の『すぐ』は、どれぐらいの時間を指すのだろう。
 およそ一時間ぐらいは待っただろうか。だが、夫人はもどっては来なかった。
 はじめの内は、シュリもこれまで着たこともない綺麗なドレスを与えられてはしゃぎもしたが、いつまでもそうしていられるわけでもない。
 知らぬ場所にひとり放置され、一向にもどってこない夫人に心細さを感じはじめた。
 そわそわと落ち着かず、部屋の中をうろついて興味ないままに物を眺めたり、触ったことがばれない程度に指先でつついてみたりして時間をつぶした。
 そして、窓の外を眺めたとき、行きすぎる者の姿が目に入った。
 いくつもの穴のあいた麦わら帽子をかぶり、ベージュ色のだぶだぶのズボンを履いて、首にてぬぐいをかけている。手には籠をひとつ。急ぐでもない足取りで、バラの花が咲く植え込みのむこうを歩いていた。
 恰好からして庭師のようだ。
 銀の髪の裏側で、眼を真ん丸に瞠る。
 すぐに、窓を開け、続くテラスに出た。そして、シュリは身も軽く、庭師のあとを追った。
 庭師はのんびり歩いていたため、すぐに追い付くことができた。
「あのっ、とつぜんすみません!」
 シュリは、うしろから声をかけた。
「ひょっとして、キロスさんをご存知ではないですか」
 滅多に人と交わることのない娘にしては、思いきった行為だろう。しかも、後を追いかけてまで訊くなど、よほどのことだ。
 しかし、そんなことを知らない庭師は、ゆっくりと振り返った。

 きゅうん。

 シュリの胸が高鳴った。




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