109




 呪文はなくとも、思いきり寝て食べて湯浴みをして、ルーファスは復活した。
 多少、磯臭さが染みついてしまったようなのは、気のせいだ。
 風邪ひとつ引いた様子もないところなど、やはり、身体が丈夫にできている。
 一夜明けて、なんとか人間に戻ったその主に、カミーユは昨日の件も含めて報告を行った。
 昨日、たくさんの猫に埋もれていた時のボロキレ同然の有り様には、流石にどうしようかと思ったものだったが、その場に王子と知る者はなく、いち被害者として扱うことで事なきを得た。
 一部で土左衛門と勘違いした向きもあったようだが、問題ない。
 それよりも、自国の王子のあんな情けない姿を、民に晒すわけにもいくまい。
 なにがあったかは、傍にいたはずのシュリに訊ねても首をかしげるばかりで不明のままだが、一応は見られるまでに回復したので、よしとする。
 長いテーブルで向かいあい、届いたばかりのアーサーからの報告書を要約して読み上げる。
「そんなわけで、表向きはレディン姫が長旅による体調不良を起こしたとして、昨夜の歓迎晩餐会は延期になったそうです。姫の体調が戻るのを待って、改めて行う予定ではありますが、当の姫のお加減がいつよくなるかは不明なので、こちら側としては静観する方向で、組まれていた予定をすべて白紙に戻したそうです」
 ルーファスはうなずきもしない。
 まったく興味なし。
 おそらく、この主が王宮に戻った途端、レディン姫は復調するだろう予想にたがうことはないだろうが、まずあり得ないということだ。
 思わず、くすり、と笑い声を洩らせば、「なんだ」、とすぐに聞き咎められた。
「いえ、想像していたよりも、ずっと可愛らしい方だと思いまして」
「可愛い? トカゲ族だぞ」
「恋しい方に会えなかった辛さと尻尾を切ってしまったショックで、涙で枕を濡らすとは可愛らしいではないですか。いかにも大切に育てられた姫君らしい」
 自分ではあり得ない話だ。
 だからこそ、嫉みも、軽べつもできる。
 実際は、どうでもいいけれど。
 いちいち心など動かしていれば身がもたない、が本音だ。
 ハッ!
 嘲笑する声が答えた。
「ならば、尚更、我が王家の気風に馴染めるものではなかろう。もし、本気で次期王妃にするつもりあれば、今ごろ他国の王女だろうがかまわず母上に叩き起こされ、その程度のことなど忘れるほどの泣きをみさせられているところだ」
「ああ、そういうこともあったでしょうね」
 冗談にならないから、恐ろしい。
 布団をひっぺがす『おかん』のようなビストリアの姿が、易々と想像できてしまうところがなんとも。
「御存知なくとも、懐柔策をとったことがレディン姫にとっても幸いだったということでしょう。それとは別に、姫君に同情する者もいたようですが」
「ほう、物好きもいたものだな。だれだ」
「キルディバランド夫人の御令嬢だそうです。夫人の補佐としてついていたそうですが、姫君にいたく同情したらしく、お好きな果実を届けたり、フラシュカの花も王妃のお許しを得て持っていったそうですよ。トカゲ族の侍女にもそのあたりは受け入れられたようで、呼ぶ以前の入室を許したとか。キルディバランド夫人もその様子に、令嬢に任せることにしたようです」
「娘ということは、まだ若いのだろう? トカゲ族を見た目だけでも恐れそうなものだが」
「それが、まったくだそうです。なんでも、落ちた姫の尻尾をそのまま拾って、平気で王宮内を運び歩いたそうですよ。どう処分すべきか迷ってのことだったそうですが、それを見たほかの者たちの方が、怖じ気づいたとか」
「落ちた尾をそのまま? 豪胆というか、変わった娘だな」
 目の前の流石に驚いた表情に、カミーユは笑った。
「なんでもこどもの頃から兄弟のいたずらで、そういったものには慣れているそうです。刃を振り回すものではないから恐ろしくもなんともない、とアーサーにも答えたそうです」
「直接、訊いたのか」
「そのようですね。あちらの様子を出来るだけ詳しく知らせるよう頼んでおきましたから、当事者に聞くのがいちばんよいと判断したのでしょう」
 ふうん、とルーファスはすこしは関心をもったように言った。
「アーサーにそんな芸当ができるとはな」
「彼は優秀ですよ」、とカミーユは答える。
「貴族の御令嬢方にもそこそこ人気がありますしね」
「そうなのか」
「ええ。御存知ないでしょうが、舞踏会で女性たちに囲まれておりますよ。容貌も整っていますし、人当たりもそれなりに良いですしね。伯爵家の長男で務めが危険のない文官であって、地位にも不足はないでしょう。その上、いまだ独身ですから」
「そういうものか。そう言えば、おまえが今の地位に推したのだったな」
「はい」
「人事については、役立つのであれば、好きなだけ登用してかまわん。ただし、邪魔だと判断すれば、即、切り捨てる」
「そういうことは、彼の取り巻きの御令嬢たちに言って差し上げてください」
 優秀さは裏切る可能性と紙一重。立ち回りも上手いとなれば警戒もする、ということなのだろう。
 ルーファスの身内に対する基準は、関係のない者以上に厳しい。
 警戒心の強さの表れとも言えるが、上に立つ者としての我侭さ加減とも言えるだろう。
 そうそう望ましい人材がいるわけでもないのだから。
 心の声は、『勝手なことばっかり抜かしやがるな、こんちくしょう』、だ。
 カミーユとしては、早いところ彼女の代わりとなる者を見つけたいところなのだが、それが余計に難しくしている。
「まあ、アーサーならば大丈夫でしょう。適度に野心は持ち合わせているようですが、己の分も弁えていると感じられますし」
「ならばいいが。ところで、こちらの状況は」
「あなたが寝ている間に、大体の目処はつきましたよ」
 そう答えると、嫌そうな表情が浮かんだ。
「具体的には、どうなった」
「思ったよりも被害が軽かったことが幸いでした。まだ、調査は途中ですが、建物の倒壊はなく、浸水被害のみで、その七割は漁港と漁師小屋、魚市場、漁船などの住居以外の施設でした。残り三割が住居や宿などでしたが、仮の宿を街中で賄える程度の人数でした。家の被害状況はそれぞれに異なりますが、再び、住める状態になるまで一ヶ月を目処に、宿にはそれぞれ支払いをすませております。それに被害を受けた民の当面の生活資金を含めた見舞い金を、一時的に殿下の資産より立て替えさせていただきましたが、シュリさまより頂いた宝石の売却金額を差し引いた全額を領主のノルドワイズ伯爵の負担とし、後日、返金請求することになりました。代わりに、本年度の納税額を一割減とすることを、すでに了承させております」
「一割減か……すこし、多いのではないか? せいぜい五分減ぐらいだろう。フラベスはなんだかんだ言っても、保養に来る貴族が落としていく分での収入が多い。それに、シュリの宝石とはなんだ?」
「御存知ないので?」
「知らん」
 その答えに、カミーユはかくかくしかじかとシュリが大蛸に貰ったという宝石の説明をした。
 途端、ルーファスの眉間の太い皺と、こめかみに青筋が立ち、大きな舌打ちがあった。
「あんの蛸野郎がっ! どうせ、その宝石もどこかの船を襲って奪ったものだろうが!」
「だとしても、証拠もないわけですから、シュリさまのものですよ。そのシュリさまの希望もあって、いちばんちいさな宝石をひとつ頂くことになりました。本日午後にでも、宝石商と値段交渉をする予定になっております」
「だったら、尚更、減税額は見直すべきだろう。本来ならば、ノルドワイズが全額負担すべきものを減らしてやってるんだ」
「確かにそれが正当でしょうが、もともとは起きなかったはずの災禍ですし、伯爵にひとつ貸しも作っておこうかと思いまして」
「貸し? なんのために」
「はい。ノルドワイズ伯爵は社交上で横の繋がりが多い方ですから、今後、役に立つかと。シュリさまを迎え入れるにしても、どうしてもうるさく言う者もいるでしょうから、今のうち根回しは必要かと」
 レディン姫を退けられたとしても、また別に良い条件をもつ相手をルーファスに勧めようとする愚か者が出てくるだろう。
 国益のためと言いながら、個人の利益のために。
 手を変え品を変え、手練手管に舌先三寸を使って。
 そして、それらの者たちがひとたびシュリを知れば、同様の誘いを働きかけるに違いない。
 シュリの母親のフェリスティアの時と同じように。
 或いは、不埒な思いから己のものとしたがるか。
 どちらにしろ、それらを抑えておく必要がある。
 しかし、そうするためには牽引者も必要だが、数も必要だ。
 己の意見が少数派であると、目に見えてわからせてやる必要がある。
 そういうくだらないことを考える輩は己がいちばん大事な者と相場がきまっているから、体制が味方しないとわかれば、端から手を出すまい。
 力任せに叩き潰すのは簡単だが、後始末の手間を思えば、最初からなにもないにこしたことはない。
「……わかった」
 ちっ!
 また、舌打ちひとつに、しぶしぶの返事。
「本日、伯爵が挨拶に訪われることになっておりますので、接見の上、手続きをお願いします。こちらが減税を認める書類になっております」
 ずい、と昨夜の内に作った書類を差し出せば、受け取るのも嫌々の様子で、すぐに脇に追いやられた。
「シュリは。どうしている」
「シュリさまは、午前中は、お披露目のためのドレス製作のための採寸を行う予定になっております。また、午後からはダイアナ嬢に必要な所作と言葉遣いの練習をするようお願いしてあります」
「他の連中は」
「マーカスはジュリアスの家に赴き、テレンスの研究の手伝いをすることになっています。エンリオ・アバルジャーニーはグロリア・エステベスと共に披露目のための料理の食材探しを行うそうで、」
「と、待て。グロリアというのは、シュリの護衛だろうが。なんで、エンリオ・アバルジャーニーにつかせる」
「助手が必要だそうです。特に問題はないのでよいかと」
「問題あるだろう。シュリの護衛はどうする」
「貴方がいるでしょう。伯爵との接見以外にはすることがないですから。復旧作業に関する、駐屯の者たちへの引き継ぎ等は、いなかった貴方にはわからないでしょうし、たまには静かにしていてください」
 そう言って、にんまりと笑って言ってやる。
「シュリさまのドレスを選んでみるのも、一興かもしれません」
 誰かが言った。
『男が女の服を選ぶのは、それを脱がしてみたいと思う時』、と。
 一瞬、むっとした沈黙があった。
「ん……まあ、いいか」
 気まずそうに視線がそらされた。
 その表情に、カミーユは、また笑みを濃くした。
 本当に、最近のルーファスの態度はわかりやすくて、笑える。




 ≪ back  index  next ≫ 



inserted by FC2 system