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 おおおおおおおお!

 マーカスは驚嘆の声をあげた。
「すごい! ここまで再生できるもんなんですか!?」
 ここはテレンスの研究室。
 手伝ってこい、とカミーユからの命令でやってきたのはいいが、最初、あまりの狭さと乱雑さに、大丈夫か、と不安にもなった。
 こんなところで、いったいなんの研究をしているというのか、なにができるというのか。
 だが、本人から説明を受けて研究成果を見せられては、そんな疑問も吹っ飛んだ。
「これって新品の半分まで魔力の含有量が戻ったってことですよね! まさか、こんなことができるなんて!」
 まさに画期的。天才的。
 マーカスにとって魔硝石は完全な消耗品でしかなかった。
 それが、今、見事に覆された。
 目の前にある、魔力測定計の針の数値を感嘆たる思いで見つめた。
 四角い魔力測定計はそこら辺でも手に入れられる一般的なものだが、その真ん中の台座に収まっているのは、薄茶色と見慣れない色をした加工済み魔硝石だ。
「実は、昨日までこの十分の一ぐらいしかなかったんです。それが、昨夕、魔女殿がわざわざ寄ってくださって教えてくださった意見をさっそく試したところ、瞬く間にこれだけの進歩がみられました。本当に驚きました。我が目を疑いましたよ。お陰で、昨夜は興奮して少々寝不足で……いや、しかし、わたしひとりでは、到底なしえられなかったことです。本当に、魔女さまには感謝してもしきれません」
 隣に立った功労者が、照れ臭そうに頭を掻き掻き、答えた。
 マーカスよりも随分と年上だが、遠慮深い控えめな態度に好感がもてる。
 研究一筋できたらしい、彼と共通する匂いが感じられるところも。
「どこをどう変えたんですか? 昨日の今日で、そう簡単に変えられるものもないでしょう」
 出入り口近くに立つ当の祝福の魔女に向かってマーカスは訊ねた。
「べつに大したことではない」、と影と変わらない存在感のなさで、魔女は答えた。
「粉末を練るのに、水ではなく大将の作ったスープを使ったらどうか、と言っただけだ」
「え、大将って、エンリオさん?」
 問い返せば、ええ、とテレンスが笑顔でうなずいた。
「昨日、広場でみなに振る舞われていたでしょう。あれを頂いて使ったら、この通りです。いや、盲点でしたよ。思い出してみれば、なにかを食べながら研究することも多く、たまにひっくり返したりもしましたから、たぶん、それが逆に成功に結びついたんでしょうねぇ」
 ああ、わかる、わかる。
 同じような経験のあるマーカスも、苦笑しながらうなずいた。
「特に大将のつくる料理は、使った素材が生きているからね。素材の精根と大将の精魂がこめられているから、それが石にも含まれるし、精霊が好むものにもなる」
「えっと、どういうことなんでしょうか?」
 魔女の説明は、わかるような、わからないような。
 首をかしげもって隣を見れば、テレンスもあまり理解できていない表情だ。
「スープに使われているのは、みな元は生き物だったろう、動物であれ、植物であれ。生きていた頃に蓄えられたその力は、スープの中に形を変えても残る。口にした者の活力とも魂の糧ともなる。大将はそれを巧く残す技術をもっている」
「ええと、その力が空になった魔硝石に魔力を宿らせるわけですか? 力とは、魔力のことですか?」
「宿るのではなく、蓄えると言った方がいい。力は、力だ。命をもつもの……人や動物、草木だけでなく、精霊も日常的に発している力だ。おまえ達の言うところの生命力や精神力、わずかだが、魔力も含まれる。目には見えないが、その辺を漂っている。おまえ達が魔硝石と呼んでいる石は、石の中で最も力を吸収して蓄えやすい性質がある。そして、長い時をかけて、密度の濃い力を蓄える。それを精霊が魔力に変え、それによって道具が作用し、おまえたちが使っているわけだ。これはそのかわりにスープに溶け込んだ力を人の手によって混ぜ込むことによって、力が自然に蓄えられたものと似た状態にしているわけだ」
「つまり、魔硝石も元はなんの変哲もない石ころとも変わらないが、その性質からそこら辺にある力を吸収して特別な石として変化。そして、精霊が寄ってくることによって、石に蓄えられた力を魔力に変えるということですか」
「そういうことだね」
 祝福の魔女はマーカスの答えにうなずいた。
 では、とテレンスから質問がある。
「今の話ですと、使い切ったこれまでの魔硝石も、放っておけばその内にまた魔力を戻すということになりますが」
「そうだね。だが、自然のものは何十年何百年とかけて徐々に蓄えるものだから、すぐに使えるようになるわけではないよ。それに、石も形を変えるから、そのまま使えるというわけではないだろう」
 なるほど!
 期せずして、男ふたりの相づちが重なった。
「魔硝石も無尽蔵にあるわけではないということですね。だとすると、この研究はより意義深いものと言えます。テレンスさん、すごいや!」
 マーカスは興奮した様子で声をあげた。
「となると、スープはできるだけ沢山の材料を使ったものの方がいいってことかな? それも、逐一、正確に計量しないと同じものが作れないわけだし……」
「それは私にはわからないな。それらは、おまえたちが考えることだろう」
 黒い帽子が前に傾き、女の顔を隠した。
「ただし、忘れるんじゃないよ。今、必要なのは、魔力が蓄積された魔硝石ではなく、力をその場で素早く吸収して、溜めておくことができる魔硝石だよ。それがなければ、今回の計画はすべてなかったものになるよ」
「そうだ! そうだった!」
 軽い破裂音がマーカスが叫ぶ声と重なった。
 気がつけば女の姿はなく、一匹の黒猫が部屋を出ていくところだった。
「どこへ行くんですかっ!? まだ、聞きたいことがっ!!」
「そうですよ! まだ教えていただかなければならないことがっ!!」
 テレンスも叫ぶ。
 だが、
「ちょっと遠出をしてくる。一週間ほど戻らないから、他にわからないことがあれば、シュリに訊くといい」
「シュリさんにって、ちょっと待って下さいよ!」
 止めるのも聞かず、黒い尻尾が素早く部屋を出ていくのを見送るしかなかった。
「行っちゃった……ああっ! 折角、色々と教えて貰えるチャンスだと思ったのに!」

 ああああああああああ。

 ふたりの溜め息とも叫び声ともつかない声が、息もぴったりに重なった。
「ということは、魔硝石自体が魔力を精製しているわけではないって事か。だとすると、根本から考え直さなければ」
 テレンスは言った。
「とすると、石に刻んだ魔方陣は? あれはどういう役目になるんでしょうか。というか、そもそも役に立っているんでしょうか」
 マーカスも言った。

 はあああああああああぁ。

 頭を抱え、髪をかき乱しながら吐き出す深い息も、十点満点のシンクロ率だ。
 しばしの沈黙のあと、まず、テレンスが、さて、と言った。
「どこからはじめましょうか」
 案外、切り替えが早い。
 まあ、失敗には慣れているから。
「ええと、じゃあ、まず改良すべき点を全部あげて、リストにしましょうか」
 手伝いとは言え、マーカスも研究者のひとりだ。
 ここで置いていかれるわけにはいかない。
 そうですね、とテレンスは指先で頬を掻いて言った。
「私はずっと、ひとりで研究してきたものですから、他の方のやり方というのを知らないのですよ。良い機会といったら変ですが、もし、よろしければ、正式な魔法師である方の研究手順というのを教えていただけないでしょうか」
 年齢も研究者としても優秀だろう男に腰も低く頼まれて、思わず申し訳ないような、照れ臭いような。
「僕もあんまりきっちりとしていない方ですけれど、それでもよければ」
「お願いします」
 男ふたりの狭い研究室。
 むさいけれど、それでも妙に和やかだ。

 ふたりは居間に場所を移して話し合いをつづけ、結果、長いリストができあがった。
 項目数は予想していたよりも多くなかったが、解決策や付随する新たな疑問などを書き加えたせいで、長くなった。
 あちこち余白にむかって引き伸ばして書いた矢印のせいで、かえって見にくくなっているかもしれない。 しかし、リストのおかげで具体的にしなければならないことの整理できたし、ふたりの共通認識もできた。
 そこまで終えたところで、いったん休憩を取ることにした。
 冷えたキュラムのジュースを飲みながら、マーカスはテレンスに疑問をぶつけてみた。
「テレンスさんは、魔法師になろうとは思わなかったんですか? そうしたら、もっと早くこの研究も日の目を見ていたかもしれない」
 はは、と力のない笑いが答えた。
「とんでもない。私がマーカスさんぐらいの年の頃は、大したことは知りませんでした。魔力はまあ……少しはあるそうですが、正式に計ったことはありません」
「そうなんですか? じゃあ、その後、誰かに師事して?」
「師事というほどのものもなかったですよ。近所の偏屈爺さんに魔法に関する本を借りたのが切っ掛けで、こんな風になってしまいました」
「じゃあ、独学でここまで? 凄いですね」
「いや、大したことじゃありません。長年かけただけ知恵はある、というだけです」
「王宮の採用試験を受けようと思ったことは?」
「いやいや、私には貴族の伝手もなにもありませんでしたから。それに、魔法師は、必要ならば危険なところにもいかなければならないでしょう? 私にはとても、とても。家に篭ってひとつの研究に打ち込むぐらいにしか能がありませんから……マーカスさんのような才があれば、別だったんでしょうが」
「そんな……テレンスさんほどの才はないですよ。僕にはこんな発想力はありませんよ」
 研究者に必要な才能は、発想力と想像力。
 そして、研究を完成させるため努力しつづけられるだけの熱意と根気だ。
 テレンスには、それらすべてが備わっていたということだ。
「いや、たまたまです」
 男の低姿勢に変わるところはなかった。
 人によっては、同じことばを言われれば嫌みに聞こえるだろうが、テレンスからはそれがなかった。
 勿体ない、とマーカスは内心で思う。
 こんな才能があるなら、もっと早く世に出ていてもおかしくないし、もっと胸を張ればいいのに、と思った。
 もし、これが自分だったら、自慢しまくりだ。
「なぜ、この研究をはじめたんですか」
 そう訊ねると、いやあ、と頭を掻きながらの答えがあった。
 照れ隠しにどこか掻くのが、この男の癖らしい。
「いや、単に勿体なくてね。それも私が言ったのではなくて、亡くなった私の母親が口癖のように、いつもそう言っていたんですよ。『高い金を払って、数ヶ月したら捨てるしかないなんて、勿体ない』ってね。それが、最初です」
「ああ」
「なぜ、この大きさじゃなきゃいけないんだってことも、言っていました。『多少、暗くたってかまわないから、この半分の大きさでふたつ灯がともせるようにならないか』、って」
 マーカスは笑った。
「その大きさが加工できる限界ですから、しょうがないですよね」
「ええ。それは、私もこの研究をはじめて、すぐにわかりました。最初は粉末にするにも苦労しましたよ」
 テレンスも笑って、ふ、とその表情を消した。
「まあ、うちも貧しかったですから、母も『少しでも』という気持ちがあったんでしょう。父は漁師で、母は陶器を売って、四人の子を育てなければならなかったわけですから、大変だったと思います。両親ともに賑やかな性格をしていましたから、苦労なんてこどもの前ではおくびにも出しませんでしたが」
「良いご両親だったんですね」
「まあ、よくある普通の家庭ですよ。マーカスさんのご両親は?」
「ああ、まあ、うちも普通です。母は口喧しくて、父は頑固な」
「そうですか。ご健在で?」
「はい。一家揃って身体が丈夫なのが取り柄で。病気も風邪ひくぐらいです」
「ああ、それがなによりです。健康がいちばんですからね」
 にこにことした笑顔が向けられた。
「私なんかは、四人兄弟の末っ子で、身体つきもこの通りで、父の仕事を継ぐには向かないだろうって言われていましてね。せいぜい魚を売るぐらいしかできないだろうって思われたみたいです。けれど、魚を売るにしても、簡単な字の読み書きや計算ぐらいはできなきゃいけないだろうって、近所の老人がこどもたちを集めて教える塾に通わせてもらいました」
「その先生が、そのさっき言っていた?」
「ああ、そうです。その偏屈爺さんです。教え方はあまり上手い方ではありませんでした。いつも仏頂面で笑ったところなんて、だれも見たことがないって人でした。ただ、とても物知りらしいってのは、ありました。授業の途中になんだかよくわからない小難しい話を聞かせられて、みな、首をひねったりね。先生は若い頃、魔法師だったらしいという話でした。だから、私は聞いてみたんですよ。使い切った魔硝石を捨てずにすむようにできないのかって。そうしたら、」
「そうしたら?」
 彼の答えを待つ雰囲気に問い返せば、軽い笑い声がたった。
「そうしたら、いきなり分厚い専門書を渡されて、『これを読めばわかるかもしれない』ですよ。まだ、やっと、いろはが読めるようになったこどもにそれはないでしょう? しかも、『かもしれない』ですから」
「答えられず、困ってのことだったんでしょうね」
 こどもの質問に答えられず、渋面で本を渡す老人を想像してマーカスも笑った。
「でも、それが切っ掛けということは、読んだんですか?」
「ええ、結局。最初は押し付けられたものの、『こんなもの読めるわけがない』と思っていたんですが、『読むまで貸しておいてやる』と言われて。母にも話をしたら、『読んでわかったら、かあちゃんにもどうしてなのか説明してくれ』って笑われましてねえ。それから毎日、先生のところへ通っては意味のわからない単語を聞きもって、数年かけて読破しました。そして、気がつけば、私の中には魔法に関する基礎知識が叩き込まれていました。先生は、ほぼ読み終えた頃に亡くなられて、本を返すどころか、ほかの蔵書ぜんぶを含めた、全財産を私に残してくれました。ほかに家族もいない人でしたから。この家もそうです」
「ああ……」
「先生が亡くなったあとの生活費と研究費を稼ぐための塾も、引き継ぎましてね。その合間の研究でしたから、殿下が資金援助してくださるまで、ずっとカツカツの暮らしでしたし、思うように研究も進まなくてね。本当に、殿下やカミーユさまには感謝しています」
 風化して丸みを帯びた石を思わせる、どこかぎこちない微笑みをテレンスは浮かべた。
「この年になって、先生の気持ちも少しはわかるようになりました。自分のもつ知識をどうにかしてわずかでも残したいと思ったんじゃないですかねえ。まあ、渡された方としては、それが良かったのか悪かったのか悩むところではありますが……感謝していますよ。なんだかんだ言いながら、こういう生き方を許してくれた家族にも。女房やこどもたちにも随分と苦労をかけました。心残りと言えば、両親が生きているうちに完成させてみせてやりたかったんですが……まあ、仕方ないですね」
 不思議と魅力ある人だ、とマーカスはその顔を見て思う。
「おそらく、向いていたんでしょうね。先生はそれを見抜いて、テレンスさんにすべてを託したかったんでしょう。ご両親もそれがわかっておられたんじゃないでしょうか……僕が言っても、説得力はないでしょうけれど」
 晩年に弟子を得て、内心、喜びながらもそれを素直に表すことができなかっただろう老人を、マーカスはしみじみと思った。
 そして、息子の先行きを心配しながらも許した両親は、どんな気持ちだったのか。
 魔法の使えないこの国で魔法師としてやっていくには、才能以上に運が必要だ。
 マーカスは、王宮を職場とする魔法師になれた時点で、一生分の運を使い果たしたように感じている。
 しかし、それにしても、研究ひと筋にやれるわけではなく、研究の予算確保のために、同僚との熾烈な争いがあるが、それでも目の前にいるこの男よりも恵まれているに違いない。
 だが、マーカスはテレンスがうらやましく感じた。
 強さなどからは程遠い、如何にも気弱そうな外貌ではあるが、瞳には理知の光を宿し、皺には過去の経験をしっかりと己がものにしてきたらしい、よく練られた人柄が滲みでている。
 こんな風に年を取りたい、と思った。
「先生のお名前は? なんという方ですか?」
「ニルス先生です。ニルス・アダレスク先生です」
 残念ながら、聞いたことのない名前だ。
「よかったら、最初に私が読んだというその本をお見せしましょう」
 返事するまでもなく、年季の入った黒い皮表紙の分厚い本が手渡された。
 手にしただけで、ほこりっぽい匂いが鼻をついた。
 何度もめくられただろうページは黄ばみ、縁もぼろぼろ。
 いくつも修繕した痕がみられる。
 破らないように慎重にページを繰って、流し読みをした。
 マーカスの記憶にはない本だが、内容がうまくまとめられていて魔法の基礎知識を得るにはよさそうだった。
 そして、裏表紙まできて閉じようとした時、ひとつのマークが目に入った。
「え?」
 慌てて、表紙に戻り、すっかりすり切れた表面を指先で撫でた。
 微かな痕跡を指先で読み取り、間違いないことを確信する。
 そこあったのは、ユニコーンの浮き彫り。
 ロスタ国の紋章だった。




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