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 マーカスはシュリに黙って首を竦めてみせて、ひとりで部屋をでていった。
 取り残されたシュリはその場に立ったまま、ルーファスを見た。
 ルーファスはあっちの方向を見たままだ。
 そして、話があると言いながら、黙ったままだった。
 あちらになにかあるのか、とルーファスの視線の先を辿ったが、火の入っていない暖炉に到着した。
 暖炉がどうしたのか、と思っていると、ふいに、「体調は」、と訊かれた。
「悪くないです」
「……風邪は?」
「だいじょうぶです」
 午前中にも会っていて平気だとわかっているはずなのに、今更のように訊ねる意味がよくわからない。
 だが、シュリの心配をしてくれているようだ。
 顔を見ただけでは、そんな風には思えないが。
 と、そこでシュリは気がついた。
 炎でできた赤い鳥が、ルーファスの身に付けているシャツの襟と肩の間でもぞもぞと動いていた。
 ちっちゃな炎の精霊だ。
 興味深く見守っていると、鳥の形をしていてもまだ雛のようで、身体よりも細い羽根を上下に動かしてはいるが、飛ぶこともできないらしい。
 精霊はふつう成体の形ばかりなので、こういうのは珍しい。
 子犬が出た時もそうだったが、ルーファスの魔力からは幼いものが生まれ出づるようだ。
 なぜだろう、と不思議に思う。
 雛鳥は頭をルーファスの耳に囁きかけるように伸ばして、弱々しくも必死でなにかを訴えているようだった。
 その様子が、とても可愛かった。
 しかし、ルーファスの気性を考えると、この雛の精霊もすぐに還ってしまいそうな気がする。
 それが可哀想な気がした。
「あの、いいですか?」
「なんだ」
「えと、ちょっと動かないでくださいね」
 シュリは大きな書斎机の向こうに回り込むと、ルーファスの肩にいる雛鳥を両手でそっと掬うようにして自分の手に移動させた。
 ぱっ、と細かい火の粉が散った。
 雛鳥がバランスを崩し、シュリの手の中で両羽根を広げてへたり込んでいた。
 だが、足下が覚束なくも一生懸命に立ち上がろうとする。
 そんな様子も可愛らしい。
 シュリは、体温とは違う温かさをもつ雛鳥を両手で包んで微笑んだ。
「なんだ?」
「ちょっと待って下さい。いま、見せてあげます」
 シュリは答えて、まじないの呪文を唱えた。
「わが目、とおの目、比翼の目。くぐる目、沈む目、針の目、疾く目。十種、百種、千種、種々のもの我が目なりて、術なき術も露とす。目と目のあいだ、幽き姿、狭間よりあらわせ」
 ふっ、と雛鳥を包んだ手に息を吹きかけ、開く。
 すると、肩越しに見ていたルーファスの表情が、驚きに変わった。
「鳥の雛? いったい、どこから現れた」
「火の精霊です。一時的に見えるようにしました」
「精霊? これが?」
「はい」
「その、熱くはないのか。燃えているぞ?」
「熱くはないです。本物の火ではないので。燃えているように見えるのは、まだうまく力を制御できないからです。そのうち普通の鳥と見た目は変わらないようになります」
 雛鳥は訝しげに見るルーファスに向かい、声なき声で鳴いた。
「なにか伝えたいことがあるみたいです」
「なんと言っているんだ」
「わたしではわかりません。師匠ならわかるんでしょうけれど……」
「……そうなのか」
「でも、もう少し育てば、仕草などでわかるようになると思います」
「育つのか?」
「はい。まだ、雛鳥の形ですし。どんな鳥になるかわかりませんけれど。大きくなったら、呪文がなくても、人にも見えるようになると思います」
 ふうん、とルーファスは様子をうかがうように、指先を雛に近づけた。
 ちいさな嘴が、指先をつついた。
「熱くないな」
 嘴でつつかせながら、ふ、とルーファスの表情が緩んだ。
「不思議だな。おまえは、普段からこういうものが見えているのか」
「……はい」
 手の中で火の粉が散った。
 雛鳥がおおきく身震いをしたからだ。
 途端、身体がひとまわり大きくなった。
 ルーファスから、魔力をわずかばかり吸い取って食事にしたらしい。
「えっと、」
 シュリは、どうしようかと考えた。
 見る限り、雛鳥はルーファスになついているらしい。
 ルーファスもまんざらではないようだ。
 面白そうに指先をつつかせて遊んでいる。
「あの、この子、私が預かってもいいですか?」
「どうするんだ」
「精霊たちに頼んで、育ててもらおうかと思います」
 ううん?
 ルーファスの顔が考える表情に変わった。
「ここで飼えないか」
「飼う? 自分で育てたいのですか?」
 それには、ん、と短く肯定する答えがあった。
 ううん?
 今度はシュリが考える番だった。
 雛鳥とルーファスを見比べる。
 雛鳥が、こんどはシュリに向かって鳴く仕草をみせた。
 嫌がっている様子はなかった。
 むしろ、傍にいたいらしい。
 雛鳥に視線を向けるルーファスは……とても、優しい表情をしていた。
 これまで見たことのないほどに。
「えっと……」
 なぜだかシュリの方が狼狽えてしまい、目をそらした。
「無理か?」
 囁くように問う声は、低く柔らかい。
 シュリをうかがうように見上げる視線を感じて、頬が熱くなるのを感じた。
「えっと、無理ではないと思います……ただ、とても難しいと思います。いまは一時的におまじないで見えるようにしているので、それがなくても見えるようになるまで、もうちょっと時間がかかるかと思います」
「どうすればいい」
「名前をつけてあげてください、この子だけの。それでふたりの間に特別な絆ができます。見えない間も、育つのに必要なだけの魔力が、自然に貴方から供給されるようになります。大きくなったら、供給しなくても自然と周囲にある魔力を取りこめるようになりますが、それまでは、常に魔力が吸い取られる状態なので、飼い主に負担がかかることになります。どれだけ魔力を削られることになるかは、なってみないとわかりません。ひょっとすると、相当な負担になるかもしれません。多分、これまで人間で飼った人はいないと思うので、予想がつきません」
 デロリアンの場合は充分に育っているから、シュリと魔力の交換はない。
 ただ、集中すれば、なんとなく『元気でいるな』とどこかで感じるぐらいのものだ。
 だが、ルーファスの場合は、雛である上に常に身近に存在することにもなり、より強い絆をもつことになるだろう。
 その弊害がどう出るかが予想がつかない。
「それは困るな。しかし、」
 ルーファスは、つんつん指を突き続ける雛鳥と離れがたい表情をしていた。
「育てばどうなる」
「うまく育ったら、名付け親に対して従順な使い魔として命には服従し、出来ることはなんでもするようになります。けれど、途中の躾けによっては、名付け親以外の人間にとって持て余す性格になる可能性もあります。でも、一度結んだ絆は名付け親が死ぬまで切れることがないので、そうなったとしても手放したりすることはできませんし、還す……殺すことも魔法を使う以外では無理なので、実質、不可能です」
「さっき言っていた、精霊に育てさせるとどうなる」
「野生に育つ動物とそう変わらないです。知性は、普通の動物よりも高い場合が多いです。でも、精霊としての自我が強いので、飼い主として名付けるためには、精霊の意志が重要になってきます。精霊が嫌がった時には、無理やりにはききません。場合によっては、失敗する可能性もあります」
「成長するまでにどれぐらいかかる」
「その精霊ごとに違います。数日で成体になるものもいれば、何十年もかかる場合もあります。そこも普通の動物とは違います」
 シュリは掌の上の雛鳥を見た。
 こうした短い間にも、羽毛が伸びて、身体がひとまわり大きくなっている。
 このぶんだと、案外、成長するのは早いかもしれない。
 ルーファスから質問がやんだ。
 考えているようだ。
 シュリは待った。
 すると、しばらくして、よし、と決心する声があった。
「飼うことにする。おまえの名は、『キール』だ」
 ひときわ大きく雛鳥から火の粉が舞った。
 キールと名を受けた雛鳥は、誇らしそうに両羽根を横に広げて胸を張った。

 ぼっ!!

 ちいさな嘴が、火の玉を吹いた。
「うわっ!」
 それほど威力ある火球ではなかったが、突然の行動に慌てたルーファスが、椅子から落ちそうになった。
 雛鳥は、はじめて吐いた炎に自分でも驚いたようだ。
 むせる嘴から、ひと筋の黒い煙があがっていた。
「躾けなきゃ……巣も作ってあげないと」
 シュリは呆れながら呟いた。
 火事でも起こしたら、笑えない。
 考えるだけでも、たいへんだ。
 でも、よかった、とも思えた。
 精霊に育てさせる方が楽だが、雛鳥もルーファスもいっしょにいたがっているのがわかったから。
「生まれ出でしものに祝福を」
 雛鳥に囁いて、微笑んだ。




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