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 ルーファスは、『お父さん』になった。
 女性とあんなことやこんなことをした揚げ句、ある日、覚えのない女性がやってきて、「おなかに貴方の子が」……ではなく、鳥の。
 シュリの説明だと、急に現れた鳥の雛はルーファスの魔力から生まれ出たものらしい。
 だから、シュリは最初、ルーファスは雛鳥の『お母さん』だと言った。
 しかし、未婚の身で、しかも、男で、いきなり『お母さん』はないだろう。
 百歩譲って、せめて、『お父さん』だ。
 だから、自分が『お父さん』をやるから、シュリが『お母さん』として世話を手伝ってくれと言いくるめた。
 シュリは頚を傾げつつも、最終的には承知した。
 細やかでもシュリと個人的関わりをもつ理由ができたことは、ルーファスにとって幸運。
 それに、雛鳥は頼りなくも、彼の興味をひいた。
 まだ貧相な羽根に熱くない炎をまとわりつかせ、火の粉を振りまく鳥など、これまで見たこともない。
 すぐにフェニックスの名が思い浮かんだが、幻獣とされているものだから確証もない。
 ともあれ、成長すればどんな姿になるか想像もつかず、愉しみだ。
 雛鳥は、『キール』と名付けて飼うことにした。
 そして。
「なんで、この部屋こんなに暑いんですか。なんですか、この火鉢は。とうとう体感温度までとち狂ったんですか、貴方は」
 夕刻、部屋に入ってくるなりのカミーユの舌の切れ味は、いつも通りだ。
「なんで炭火なんぞ焚いてるんですか。寒ければ、外にでてすこし運動でもすればいいじゃないですか。それとも、そう見えないだけで、風邪でもひいたんですか?」
「そうじゃない。鳥を飼うことにしたんだ」
「鳥? どこにいるんですか」
「そこだ。その火鉢の中」
「は?」
「火の精霊だそうだ。いまは見えないが、育てば、魔力のないおまえでも見えるようになるそうだぞ。よかったな」
「なにがいいんですか」
 火鉢はシュリに言われて用意させた。
 火の精霊だけあって、火が傍にあった方がいいらしい。
 雛は、炭火の上が気に入ったようだ。
 おとなしく蹲っていると、シュリは言った。
 ルーファスと離れていても問題がないそうだ。
「肩にのせておいてもかまいませんけれど、まだ姿が見えませんから色々と不都合でしょう。キールも、まだ飛べませんし、落ちたら探すのにもひと苦労です。名付け親とは離れていても自動的に魔力が供給される状態にありますが、火の傍にあればほかの火の精霊が寄ってきて、すこしは面倒を見てくれますから安心です」
 というわけで、雛が成長するまで、炭火は絶やさず焚くこととなった。
 確かに暑いが、我慢できないほどではない。
 それに、シュリが機嫌よく積極的に協力してくれるのが嬉しい。
 大っ嫌いと言われた影響がないようで安心した。
 別にどうでもいいと思われているのかもしれないが、まあ、それは考えないことにする。
 人生、前向きに。
 ひとり落ち込んでいても、なんの益もない。
 だが、室温の高さとは逆向きに、側近の視線は凍てつく冷たさだ。
「とうとうそこまでご乱心あそばされましたか。以前から、その兆候はありましたが」
「貴様……不敬罪ということばを知っているのか」
「事実でしょう。だれが見ても火鉢にはなにもいないし、暑い季節に部屋で火を焚く愚か者としか、」

 ぼっ!!

 突然、火鉢からちいさな火球がカミーユに向かって放たれた。
 火球は届く以前に消えてなくなったが、ひゃッ、と珍しくもカミーユの口から高い悲鳴があがった。
「なんですか、いまのはっ!」
 珍しくも泡を食った様子の側近に、ルーファスは笑い声をあげた。
 これを見られただけでも、飼った甲斐があったというものだ。
「おまえが飼い主である俺の悪口を言うから、腹を立てたらしい」
 愛いやつだ。
「……それ、本気で言っていますか」
「本気だ」
 カミーユの口元は、ヘの字に曲がっていた。
 ルーファスの口元は緩んで仕方がない。
「それよりも、報告があるのだろう」
 水を向ければ、軽く咳払いがあって、いつものポーカーフェイスが戻ってきた。
「ええ、まず、使用済みの魔硝石の現状ある分だけは、すぐに粉末に加工するよう命を出しておきました。完成形どういう形であれ、必要な工程になるには違いないですから。あと、焼く為の窯も急いで作らせるよう指示も出しておきました」
「うまく完成まで漕ぎ着ければいいが……これは、マーカス達に任せるしかないか」
「そうですね。あと、シュリさまの宝石はけっこうな額がつきましたよ。現時点で算出されている必要額の三分の二は賄えることになるかと思います。ノルドワイズ伯爵も得をしましたね」
「それを聞けば、あのビア樽のような腹を揺らして机の上で踊りだしそうだな。あの狸おやじ、こんなものを寄越しやがった」
 引き出しにしまっていた封筒を、カミーユに放って寄越した。
 封筒の中には一枚のカード。
「晩餐会の招待状……明後日夕刻ですか」
「招くだけのつもりではないだろう。宛名を見てみろ」
「ルーファス・アルネスト・エスタリオ王太子殿下並びにクラディオン国王女殿下ですか。これはお気の早いことだ」
「非公式でも、とっとと自分と仲間内に披露しておけという催促だ。しかし、行けば、シュリの存在が早々に公になり都合が悪い。しかし、断れば、クラディオンの王女など端からいないのではないか、といらぬ疑いを触れ回りかねないな。他の貴族たちで真に受ける者がいれば、後々、面倒だ。披露目に支障をもたらしかねない」
「いつか、こういうこともあろうかとは思っていましたけれどね」
 カミーユは苦く笑った。
「大方、レディン姫に対して歓迎の意を示す王妃さまのご様子に、どう立ち回るか決めかねているのでしょう。けれど、お断りになられるのでしょう?」
「ああ、着せていくドレスもないしな」
「向こうも断られるのを前提でしょうね。シャスマールの手前、こちらが、ただ断るだけにはいかないとわかっているのでしょう。どういう形であれ、今のうちにシュリさまと繋ぎをつけられれば、という腹もあるでしょうね。先んじて会っただけでも仲間内には良い顔ができますし、あわよくば、これを機会に取り入りもしておこうというところでしょう」
「そんなところだろうな。しかし、どうしたものかな」
「そうですね、明日、茶会を開きますか、伯爵夫人だけを呼んで。その時に、シュリさまにもすこしの間、ご同席願えばよいでしょう。身綺麗にして座っていただくだけで夫人も納得するでしょうし、シュリさまにとっても、人前に出る軽い練習になるでしょうから」
「それだけでなんとかなるか」
「要はシュリさまの存在がはっきりすればいいわけですから。こちらの都合で時間を切り上げる事が可能な分だけ、まだましでしょう。女性相手の方がまだ御しやすいでしょうから、伯爵へは夫人から取りなさせる形で」
「そううまくいくかな。余計な女のおしゃべりでより混乱しなければよいがな」
「なにをおっしゃいますか。男もそう変わらないものでしょう。スケベ心が働かない分だけ判定は厳しくもなりますが、女性を味方にすることができれば、表立たなくともすべての局面をひっくり返すだけの力は持ちえておりますよ」
「……女は恐ろしいな」
「刃を交えない戦場においては、いついかなる時も女性を多く味方につけた者の方が有利ですよ。ほとんどの男性が、それをご存知ありませんが」
 その場合、最も強者のひとりであろう女の笑みを、ルーファスは見て見ぬふりをした。
「まあ、結果さえだせればそれでいい。ああ、それから、テレンスを呼んだ。ここに詰めさせて研究に専念させる」
「ああ、その方がいいですね。あそこは狭いですし、こちらもいちいち行く手間が省けます。しかし、ここに来る前に少し見ましたが、かなりの荷物ですね。ほとんどが書物のようですが」
「それは、また別だ。蔵書の中にクラディオンで写本されたロスタの魔法書が、かなり混じっているらしい。マーカスが見つけて、アイシグが確認することになった。必要あれば、タトルを呼ぶことになるかもしれん」
「クラディオンの? まさか、」
 ひくり、とカミーユの肩が揺れた。
「テレンスはクラディオンとは関係ない。それらの本を譲った元の持ち主が、クラディオンの者だったようだ。それも壊滅よりもずっと以前から、ここで街のこどもに読み書きなどを教えていた者だそうだ」
 その説明すれば、溜め息が答えた。
 それは、がっかりしたもののようであり、安堵にも聞こえた。
「ひょっとしたら、その男、クラディオンの間諜だったのかもしれないな」
 マーカスはそうは思わなかったようだが、その可能性が高いとルーファスは思う。
 間接魔法について調べようとしていたのかもしれないが、こういう形で関わろうとは、死んだ本人も思ってもみなかったに違いない。
「それは、それは……瓢箪から駒というか、ダイアナ嬢を連れてきて正解でしたね。しかし、そうすると、シュリさまにお行儀を教えていただく暇がなくなりますね」
「蔵書の調査に関しては急ぐものではあるまい。シュリの方を優先させるよう調整させろ」
「では、そのように伝えましょう。私も復旧の方の引き継ぎもほとんど済ませましたし、すこしはお相手させていただく時間もあるでしょう……と、マーカスは引き続きテレンス氏の助手を勤めてもらうことにして……そう言えば、エンリオ・アバルジャーニーとグロリア・エステベスはどうしました? 今日は一度もみかけていませんが」
 それには、ルーファスも少し思い出す時間が必要だった。
「そう言えば、食材の調達に出掛けるとか言っていたぞ」
「市場はもう閉まっている時間ですが……変ですね。なにもないと良いのですが」
「さあな。だが、あいつらだったら危険もよけて通るだろうな」
 嘲るルーファスの前で、カミーユは吐息ひとつ。
「そうでしょうが、エンリオ・アバルジャーニーは兎も角、グロリアは護衛の仕事を放って、どこへ行ったんでしょうね?」




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