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「ジュリアスさんのお父さんなんですか」
「魔女さまのお弟子さんですか」
 騒動のおかげでろくすっぽ挨拶もできなかったシュリを、マーカスは改めて引き合せて紹介した。
「はじめまして」
「よろしくお願いします」
 何故かシュリは若干、不思議そうな雰囲気で、テレンスは腰を低くして挨拶を交わした。
 そこへ、荷物を抱えた息子が登場。
 今日はカミーユの傍を離れて、父親の引っ越しの手伝いだ。
「父さん、これはどこへ置いたらいい?」
「ああ、それはそっちのテーブルに並べて……ああ、それが終わったら、あとは自分でやるから。おまえも自分の務めがあるんだろ?」
「大丈夫だよ。今日はお父さんの手伝いをしなさいってカミーユさまからも言われているんだ。大体、ここへも休暇ってことで来てるんだし。僕のことは気にしなくていいよ」
「でも、休暇なら尚更こんなことをしなくてもいいよ。家でゆっくりしたらどうだい? 母さんだっているんだし、まだ、姉さんたちにも会ってないだろ」
「あとでね。それに、家も、今はゆっくりするどころじゃないよ。父さんの部屋が空くなんて機会、この先あるかどうかもわからないって、母さんたちが張り切って大掃除している最中だから」
「ああ、そうなのか。でも……」
「僕のことは、父さんは気にしないで、自分の仕事をしていて。そのためにここに来たんだから。家には、これがすんだら帰るよ。あ、その本はこっち。そっち箱の中身は、あちらの隅に並べて」
 ジュリアスは答えると、てきぱきと物を運ぶ召使いたちに指示を出す。
 その様子を、マーカスは感心しながら眺めた。
 彼は、ジュリアスのことは顔を知っている程度で、会話のひとつもかわしたこともなかったが、流石、カミーユの傍付きの従者だけあると思った。
 マーカスよりも年下だと思うがしっかりしているし、有能なのだろう。
 随分と見た目もいいし、親孝行なところなど性格も良い。
 敢えて彼に足りないところとあげれば、家格ぐらいなものだろう。
 ふ、と気が付けば、シュリもジュリアスの方を見ていた。
 髪に隠れて表情は見えないが、雰囲気からして、興味津々といった様子だ。
 彼みたいな男に、女の子たちは自然と魅かれるのかもしれない。
 そう思うと、すこしだけ落ち込んだ。
「それで、聞きたいことってなんですか?」
 引っ越し最中であっても、彼らも仕事をしなくてはいけない。しかも、急ぎで。
 まだ片付かない広い部屋の隅っこに置いたテーブルをマーカスとテレンスと共に囲んだシュリに問われ、まず、マーカスが答えることにした。
「色々あるけれど、まず基本的なところから聞きたいんだ。僕たちは『使用済み状態ですぐに力を蓄えられる再生した魔硝石を作れ』って殿下からの命令は受けたけれど、その用途とか理由までは聞かされていない。それに、昨日、シュリさんのお師匠さんから聞いた話から、僕たちが魔硝石の性質や、魔方陣の仕組みや精霊との関係とか、根本的なところから考え違いをしていた事に気付いたんだ。研究を完成させるには、それらのことを一から知る必要がある。それを教えて欲しいんだ。まず、なぜ空の状態のものが必要か、から。使い切った魔硝石では駄目なのかい?」
「ええと、それだと力の吸収に時間がかかるからです。魔硝石そのものの力の吸収力はすごく遅いです。もう一度同じだけの量の力を蓄えようとすると、何年も何十年もかかります。場合によっては、何百年も。それを瞬時に行えるぐらいの吸収力があるものに、石の性質を変える必要があるということです。そのためには、やっぱり、なんらかの手を加える必要があるということです」
 マーカスとテレンスは、それぞれ自分のノートにシュリの説明を書きつけた。
「それには、魔方陣を書き換えるだけではいけないんでしょうか。私は、既存の魔方陣に上書きできる余裕がないので、それを消すためにも一度、粉末にしているわけなんですが」
 テレンスが尋ねた。
「ええと、実際に石を見て話した方が良いと思うんですけれど、ありますか?」
「ちょっとお待ちを。ええと、これでいいかな?」
 テーブルの上に、白とベージュがかったものとふたつの魔硝石が並べられた。
 マーカスは、石に隠された魔方陣を浮き上がらせた。
「色がついている方が、私が作ったものです」
 テレンスの説明にシュリはうなずくと、白い方の魔硝石を指さして言った。
「これの場合は、一定量の力を放出するように組まれた魔方陣です。基本的な陣なので、わたしにも理解できます。多分、魔硝石自体、力は蓄えても、自力で出す性質にはないからです。あっても弱い」
「ああ、金属に触れることで力が放出される性質だからね」
 魔硝石を使うどの器具にも魔硝石の台座の周囲に小さな金属の突起がついていて、それをスイッチで石と接触させたり離したりすることで、点けたり消したりが可能になる仕組みだ。
 その後の魔力の顕現の仕方は、それぞれの機器の仕組みで表されることになる。
「自然のままの魔硝石は個々の力の放出量が一定ではないので、それを安定させるための魔方陣が必要なわけです」
 シュリの指先がベージュ色の方へ向かった。
「それで、こっちのクラレンスさんの魔方陣なんですが……」
「ああ、いまとなっては自分の推論が間違っていたことも、この方陣は間違っていることも理解していますよ。気にしないで下さい」
 疑問を含んだシュリの沈黙に答えるようにしてテレンスが言った。
「この方陣は、簡単に言えば、従来の作用に加え、石の活性化を促すことを主な目的としたものです。もともとの私の推論では、魔硝石自体が魔力を発生させる性質をもつものだと思っていたわけです。そう考えるに至った経緯は省きますが、粉末にした理由には、もとの魔方陣を消す以外にも、粉末状態にした時に、ほんの微量ですが力の回復がみられたからです。しかし、その力は魔力ではなく、原因もはっきりとはわかりませんが、力の元となる食べ物かすなどの異物が混じったせいとも、表面積が増えることによって、周囲にある力を吸収しやすくなったからだったとも考えられるんでしょうね」
 自分の打ち立てた推論が間違っていたことを知った時ほど、研究者を情けなくさせることはない。
 下手すれば、再起不能だ。
 背を丸くした男の姿に、マーカスは眉尻を落とした。
 複雑な構成をみせる魔方陣は、マーカスでも読み解くのが難しい代物だ。
 これを考えるだけでも、随分と時間をかけたと思う。
 だからこそ潰れず、立ち直って欲しいと思う。
「つまり、魔硝石を活性化させることで魔力を再び発生させようとしたわけですね」
「そうです。でも、魔女さまの話では、まったくの見当違いだったわけです」
 はは、と力ない笑いがこぼれた。
「でも、この方陣は方陣で、別の使い道がありそうです。けっして無駄ではないと思います」
 マーカスは男を慰めた。
「そうですね」、とシュリも答えた。
「わたしの知識がないのでこれは理解できませんけれど、この状態で精霊たちが寄ってきて興味深そうにしていますから、目的通りの効き目が出ると思います」
「ここにも精霊がいるの?」
 すこし驚いてマーカスが問えば、
「さっきから、周りに集まってきています」
「私にはなにも見えませんが……あなたには、それが見えるのですか?」
 テレンスも不思議そうに問う。
 こっくりと、シュリは頭を縦に振った。
「その、精霊にとって魔方陣はどういうものなんですか?」
 その質問に、銀髪が傾げられた。
「どういう……ええと、たぶん、おもちゃみたいなものだと思います」
「玩具?」
「ボタンがあると押したくなりますよね。それでなにかが動いたりして、それが精霊にとっては面白いみたいです。それで、人が喜んだり驚いたりすると、もっと愉しいし、嬉しがっています。そんな感じです」
「はあ」
「だから、魔方陣があると『なんだろう』って寄ってくるんです。でも、あんまり複雑なものだと、精霊たちもどうしたら良いかわからないし、わかってその通りにしても変化がないと、その内、飽きてどこかへ行ってしまいます」

 ――こどもかっ!?

 マーカスは頭を抱えたくなった。
「確認したいんだけれど、魔硝石の蓄えている力はそのままだと作用しないんだよね? 精霊が魔力に変えるから使えているって聞いたけれど、精霊たちはそういうことをわかってやっているわけ?」
「さあ、どうなんでしょうか? その辺のことはわたしにはわかりません」
 シュリは首を傾げた。
「精霊がちょっと魔硝石に触れるだけで、蓄えられている力は魔力に変わります。それをあの子たちが意識して行っているかどうかまでは、わたしにもわかりません」
「じゃあ、じゃあ、魔硝石じゃなくて普通に書かれている魔方陣は? 転移用方陣とかはどう作用しているわけ!?」
「あれは、以前に話した通り、魔法と魔術の両方の理を使って構成されています。あれから、私なりに考えてみたんですが、どちらも精霊に働き掛けていることに変わりはありませんが、大きな違いがあると思います。精霊には色んな種類がいますが、魔女の使う魔法やわたしのおまじないは、いつも精霊の種類を特定してお願いする形です。水の精霊だけとか、風の精霊だけとか。ある程度、どの精霊がどういうことが得意かわかっているので間違いなく作動するのですが、それ以上のことはできませんし、させません。それによって、調和が崩れるかもしれないからです。対して、マーカスさんたちが使う魔術は、精霊を指定していません。『誰でもいいからお願い』しています。だから、色んな精霊たちが集まって方陣の内容が理解できれば、その通りの現象が起きます。でも、あんまり内容が複雑すぎると、精霊たちもどうしたらいいのかわからないし、精霊の性質にそぐわないことをしてみたり、それぞれ好き勝手に作用させたりもしますから、うまくいかない場合も多いみたいです」
「なんてことだ!」
 テレンスが呻いた。
 マーカスも右に同じ。
「それが本当なら、これまで魔方陣で出来ていたことは、みな、偶然の産物ってことじゃないですか!」
「つまり、なに? 精霊たちが力を合わせてできることもあれば、混乱してうまく作動しないこともあるってこと?」
 ふたりのことばにシュリは、ううん、と曖昧にうなずいた。
「そういうこともあると思います。でも、人の使う魔術も昔から研究を続けてきたことで、確実に作用することがわかっているものもあるわけですから。このテレンスさんの方陣は、その典型だと思います」
「ちょっと、待って下さい! 試してみます!」
 テレンスがおもむろに立ち上がると、まだ設置のすんでいない研究道具の中からひとつ手にして戻ってきた。
 魔力量測定装置だ。
 テレンスは自分の作った再生した魔硝石を手に取ると、装置に嵌めた。
「……なんてことだ。あれから、いちども使用していないというのに……」
 呆然とつぶやいた。
「蓄積量が、昨日見た時よりも減っていますね」
 マーカスもはっきりと動いた目盛に訝しむ。
「これはテレンスさんの魔方陣が少なからず作用したってこと? それとも、他の原因があって?」
「魔方陣が原因だと思います」
 シュリのうなずきに、マーカスは自分の頭を掻き乱した。
「えっと、つまり、これを単純に考えると、『一定量の魔力を放出する』上に『石の性質の活性化』が加えられたっていう内容は、指示としては矛盾していることになるよね。精霊に、『定めた量の力を送り出しながら、精いっぱい頑張れ』、と言っているのと同じだから。石に頑張れっていうのも変だけれど。でも、もともとの魔硝石の性質から、金属が接触していないことには力の放出はない筈だ。なのに、蓄積された魔力量が減っている。これってどういうこと?」
 彼の質問に、長い銀髪が揺れた。
「精霊たちが『石をがんばらせてる』んだと思います。たぶん、土の精霊ががんばって石の寿命を縮めてるんじゃないかと」
「は?」
「普通、石にもよりますけれど、そう簡単に砕けたりしませんよね。でも、たぶん、普通よりも早く砕けると思います。『がんばった』お陰で」

 あああああああああっ!

 テレンスが大きな叫び声をあげた。
「耐久性に欠けるはそのせいだったのかっ!」
「じゃあ、どうして魔力が減ってるの? 石が『がんばって壊れよう』としても魔力が放出されるわけではないよね!? 金属が接触していないんだから!」
「それも『がんばって』いるんだと思います。金属がくっついていると『放出されやすい』というだけで、この状態でも、人が気付かない程度に放出もされているってことなんだと思います、呼吸するみたいに。力を吸収する量の方が放出する量を上回っているので気付かないだけで、それを『無理にがんばって一定量の力を放出』させているから、余計に石も砕けやすくなるんだと思います」
「つまり、老朽化? 石にそんな言い方は変か、風化? 摩耗? ……いや、でも、そういうこと?」
 シュリからもたらされた回答に、マーカスも呆然とした。
「それを精霊がやっているって?」
 王宮の庭がジャングル化したのは、つい、先日のこと。
 あれは、精霊たちがシュリを慰めるために住み慣れた森に似せようとしたから、という理由は記憶に新しい。
 あっという間に木々は育ち、季節に関係なく花が咲き、実がなった。
 それと同じことがこの魔硝石にも起ったと考えれば、辻褄があう。
 だが、そう理解しても認められるかと言えば、話は別。
「わけわからん……っていうか、どうすりゃいいんだ?」
 精霊という要素など、これまで考慮したこともない。
 というか、ぜんぜん、まったく、有り得ない。
 しかし、事実としてこれだけ深く関わっているとなると、それでどうやって、今まで魔法を成立させてこれたのか不思議でならない。
 これまで彼は、彼らはなにをどうやって研究してきたというのか。これから、なにをどう考えてゆけばいいのか。
 地道に培ってきたものが、無駄な意味のないものだったようにも感じる。
 頭の中がぐるぐるして、眩暈も起きる。
「なんてことだ……私は長年かけて、なにを研究してきたというんだ……」
 テレンスも半分魂が抜けかかったような表情で呟く。
 だが、他人の心配をしているどころではない。
「あの、お茶にしませんかっ! すこし休みましょう! ねっ!」
 急に焦った様子で提案するシュリの言葉も、右の耳から左の耳へと通り抜ける。
 ろくに返事もできなかった。
 目に見えない精霊の存在ひとつで、すべてが覆された。
 およそ、半生ぶんほども。
 この上なく打ちのめされたマーカスは、テーブルの上に突っ伏しながら、たっぷりと挫折感を味わった。




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