126




 暗殺されかかったわりには、涼しい顔をしたルーファスとカミーユからのマーカスへの指示は、魔法による屋敷の警備の強化だ。
 ルーファスは別にしても、特にシュリの身にも危害が及ぶ可能性もあるという話。
 誘拐も、それ以上も有り得るとまで言った。
 だから、基本警備だけでは心許ない。
 かといって、警護に砦から兵を寄越させるには完全に信用がならないから、マーカスだけでなんとかしろ、と命じられた。
 その口調からは、はっきり口にしなかったものの、犯人が誰か、ある程度わかっているらしい雰囲気が察せられた。
 そこまで堂々とルーファスを狙ってくるとは、何者なのか?
 随分と命知らずだ。
 あの、暗殺というには度を越した、なんなんだと思う矢数から言っても。
 普通、もっと密やかに、地味にこそこそやるものだろう。
 あそこまで派手に、やる気満々という遣り方は必死なのか、それとも、また別の意図があってのものか。
 が、『好奇心は猫をも殺す』。
 わざわざ首を突っ込んで、方向転換できないどころか巻き込まれても困る。
 こういう時は黙って言いつけに従うべし、が宮仕えのルールというものだ。
 ルーファス、アンド、カミーユコンビからの依頼なら、尚更。
 そういうわけで、マーカスは研究を中断して、作業に取り掛かることになった。

 指示が簡単であっても、現場の作業は、大抵、それに反比例するものだ。
 一口に警備強化と言っても、これが案外に手間だったりする。
 ここマジェストリアでは特に。
 合計三十六個。
 これが、今回、マーカスが交換しなければならない魔硝石の数だ。
「結構、面倒だよな……」
 テストやらなんやら、以降滞在中のメンテナンスはマーカスに委ねられることになる。
 これも人数がいれば手分けしてできるのだが、今いる魔法師は彼ひとりだけだから、彼がやるしかない。
 なんだかんだ言って、セキュリティ内容はトップシークレットだから。
 それに、命令だから、という以上に、もし、ここでルーファスになにかあれば、守りきれなかったという理由で、間違いなくマーカスは処罰リストの上位に入る立場だ。
 そうならないよう、我が身の為にも手を抜くことなくきっちりと務めを果たすべきだ。
 だが、つい、溜め息を吐いてしまうのは、まあ……仕方のないことだ。
 埃まみれになったマーカスが必要な魔硝石を用意できたのは、それから約一時間半後のこと。
 それらを交換するために、敷地内に仕掛けられた魔硝石の収められたボックスを訪ね歩く。
 位置は、保管庫にあった地図を見ながら。
「ふうん、やっぱり、流石にきちんと管理はされているんだな」
 常に誰かが滞在しているわけではないが、常駐する数人の召使いたちの手によって、盗難防止のための最小限の設備が維持されている。
 防犯用の魔硝石は使用魔力量こそ多くはないが、常に使用されている状態にあるから、定期的な交換が必要だ。
「と、これ切れかかってるな。一応、交換しておこう。これを嵌めて……よし」
 地面や壁に隠されるように置かれた収納ボックスを見つけては、順番に設置と点検を行う。
 指さし確認も怠らず。
 いや、指さし確認はいつものマーカスの癖にはない。
 が、せずにいられなかった。
 そぞろになりがちな気を取り直させるためにも。
 しかし、そんな努力も、ボックスの蓋を閉めた途端、ふっつりと途切れる。
 我慢しきれずマーカスは、後ろにある屋敷の方を振り向いた。
 そして、並ぶ窓のひとつを眺める。
 ダイアナの仕事部屋の窓。
 ひと目でも姿が見られないだろうか。
 あわよくば、彼に気が付いて外に出てきてくれないだろうか。
 気付かなくても、気晴らしとか。
 でも、そうなったら、なんて声をかけようか。
 今朝、会ったばかりなのに、『元気?』というのも変だ。
『こんにちは』、だとよそよそしい。
『偶然だね』、は、わざとらしい。
 なんて言えばいいんだろう?
 実は、フランツという男がどんなやつなのか知りたくて堪らない。
 本当にダイアナを好きなのか、大事にしているのか、騙されているんじゃないか、とか心配で仕方がない。
 もっと、彼女のことが知りたい。
 その切っ掛けが欲しい。ああ、でも……
 だが、マーカスが振り向いた時、窓の向こうにはダイアナの影ひとつ見当たらなかった。
 どこかに行ってしまったか、部屋にはいないようだ。
 空回りしただけの気持ちを持て余したまま、マーカスはがっかりしながら、すこしだけ、ほっとした。
 そして、ちょっとした自己嫌悪にうな垂れもした。
 と、その時だ。

 みーん、みーん、みーん、みーん、みーん、みー……

 またもや防犯ベルの音だ。
 本日、二回目。
 この音は、門からのもの。
 早速、何者かが侵入か!?
 マーカスは門へと急いだ。


 なぜ、彼の主は御身を大事に考えてくれないのだろうか?
 どうしたら、もっと、御身を大事にしてくれるようになるのか?
 昨日からこの疑問で、ジュリアスの頭の中はいっぱいだ。
 シュリからクラディオン開放の話を聞いてすぐに、ジュリアスはカミーユの元へと急いだ。
 そして、嫌な予感は当たった。
 彼の主は、ルーファスの供をすることを当たり前に認めた。
 穢れた毒の海の中だろうと同行する意志を。
 いつものようにあっさりと、それが務めだと言って。
「なにも心配する必要はありませんよ。万が一もありませんが、もしなにかあっても、貴方と貴方の家族の身の振り方については、ちゃんと考えてありますから」
 そんなことを心配しているわけではないのに。
 どうして彼の主はわかってくれないのだろう?

 みーん、みーん、みーん、みーん、みーん、みーん!

 突然、鳴りだしたベルの大音響に、たまらずジュリアスは両耳を手でふさいだ。
「あらあらあらあらあら、まあ、どうしましょう! どうしたらいいの、ジュリアス! なんとかして! 中に入れてちょうだい!」
 原因となった者は鉄柵の向こうでひとりおろおろしながら、やはり、両耳を手で覆っている。
「母さん! まず、音を止めて!」
「わからないわ! ジュリアス、なんとかして!」
「名前を言って!」
「え、なあに!? 音がうるさくて、聞こえないわ!?」
「名前! な、ま、え!」
「名前!? 名前がどうかしたの!? ああ、なんて大きな音かしら、耳がおかしくなりそうよ! なんとかしてちょうだい!」
「だから、名前を言えば止まるんだよ!」
「え、なに!? 早く、なんとかしてちょうだい! 母さん、わからないわ!」
「だから、名前を言って!」
「名前を呼ぶの? ジュリアス!」
「ちがうって!! 自分のな、ま、えっ!」
 ジュリアスの外見は母親似と言われる。
 だが、性格はぜんぜん似ていない。
 時々、どうしようかと思うほど人の話を聞いていない時がある。
 というか、もれなく聞かないように出来ているらしい。
 特に、あわてている時。
 今まさにその状態。
「どうしたんだ!?」
 マーカスが走ってきた。
 救世主登場だ。
 彼らの様子を見て説明するまでもなく、なにが起きたかすぐに察したようだ。
 早口で唱えた名前と解除コードだろう呪文で、やっと、ベルの音は止まった。
「すみません。母が名乗らなかったので、門が閉まってしまいました」
 マーカスに言い訳すれば、あら、と彼の母親はようやくなにが悪かったのか察したようだった。
「名乗ればいいの? 自分の名前?」
「そうだよ。フルネームでね。門をくぐる時は、名乗ってからでないと門が閉まって、さっきみたいに音が鳴るって説明したろ?」
「あらあ、そうだったの! ごめんなさいねぇ。母さんなにも知らないから、なにが起きたか、びっくりしちゃったわ!」
 王家の別荘を訪れるという事だけで、浮かれて聞いていなかったらしい。
 母らしい、よくあることだ。
「取りあえず、普通に名乗っていただけますか? そうすれば、門は開きますから」
 マーカスの説明にジュリアスの母は、「わかったわ」、とうなずくと、
「ちょっと、緊張しちゃうわね。ディータ・モルド!」
 名乗れば、鉄柵でできた門は、がらがらと音をたてて上に引き上げられた。
「ほんと! 鳴らなかったわ! すごいわねぇ! どうなってるのかしら!」
 はしゃぐ母親に、ジュリアスは溜め息で答えた。
「ええと、ジュリアスくんのお母さん?」
 マーカスの不思議そうな問いに、ジュリアスは頷いた。
「はい、お手数をおかけしました。母です。カミーユさまに呼ばれて、滞在中、こちらの手伝いをさせていただくことになりました。母さん、こちら、マーカスさん。王宮勤めの魔法師で、父さんの手伝いもしてくれている」
「ああ、そうなんだ。マーカス・ミルンです。はじめまして」
「まあ、本物の魔法使いさんね! すてき! 本物の魔法使いさんに会うのは、はじめてだわ! ディータ・モルドです。はじめまして。主人と息子がお世話になっています」
「ああ、いえ、こちらこそ。えっと、お怪我はなかったですか?」
「ご親切に、おかげさまで。でも、急に目の前で落ちてきたものだから、とてもびっくりして心臓が止まりそうだったわ」
 にこにこと答えるジュリアスの母親を見下ろすマーカスの表情は、意外そうにも戸惑っているようにも見える。
「ああ、と……それで、さっき、この門を出る時も名乗らないと、同じようにベルが鳴るように変えましたから、注意して下さい。もし、開いていたとしても、黙って通ろうとすれば、柵で串刺しになる可能性もありますから」
 門柵の下部先端は、鈍く尖っている。
 落ち方もギロチン並みの早さだから、間違いなくスプラッタだ。
「まあ、こわい! でも、大丈夫よ。わたし、そんなに早く動けないから」
「なら、いいですが」
「母さん、出る時も入る時も、これからは忘れずに名乗るんだよ。じゃないと、また、さっきみたいなことになるから」
「わかったわ。門を入る時はかならず名乗ること」
「出る時もだよ」
「門を入る時も出る時も、かならず名前を口にすること」
「大きな声でね。ちいさな声だと反応しないから」
「もう、そんなに何度も言わなくたってだいじょうぶよ、こどもじゃないんだから……門を出入りする時は大きな声で名乗ること! これでいい?」
 大袈裟に答えて、何が面白いのかころころと笑い声をたてる母親を、息子は心配の眼差しで見守るしかない。
「ジュリアス」
 しかし、ふいに呼ばれた声に、瞬時に優先事項が切り替わった。
 様子を見に来たのだろうその人を振り返り、頭を下げた。
「カミーユさま、お騒がせして申し訳ありません。母が初めてのことで勝手がわからなかったものですから」
「ああらあ!」
 あがる声と、たたた、と後ろから飛び込む勢いで走ってくる音は同時だった。
「まあまあまあまあ! あなたがカミーユさまでらっしゃるのね! やっと、お会いできたわ! ああ、本当に、なんてお綺麗な方なんでしょう! 話に聞いていた通り! はじめまして。わたし、ジュリアスの母です。主人と息子がいつもお世話になりまして、本当になんとお礼を申し上げていいのか! カミーユさまは、我が家の恩人です。本当にありがとうございます! 是非、一度、会ってお礼を言いたいと思っていたのが、ようやく叶ったわ!」
 彼の母親は、勿体なくも無礼にもその御手を握り、ぶんぶんと上下に振った。
 珍しくもカミーユの目が見開かれるのを見て、ジュリアスは穴があったら入りたい気分になった。
 だが、ジュリアスが謝るより早くカミーユは、優美な仕草で軽く首を横に振ると笑顔を浮かべて言った。
「いいえ、御主人と御子息の働きには、私の方こそお礼を申し上げなくては。それだけでなく、奥様にも急に無理なお願いを聞いていただいて、感謝します」
「とんでもない! このくらいはさせてもらわないと罰が当たってしまうわ! ああ、でも、本当にお綺麗な上に優しくていらっしゃるのね。こんな方に仕えられるなんて、息子も果報者だわ! 息子からの手紙にも、いつもカミーユさまのことばかり書かれているんですよ。カミーユさまがこうおっしゃられた、こんなことをされたとか、そんなことばかりで……」
「母さん!」
 勘弁してくれ!
 ジュリアスは悲鳴に代えて、呼んだ。
「まあ、なによこの子は、急に大声出して……びっくりするじゃない。カミーユさまに失礼でしょ」
「……失礼しました……」
 ジュリアスは、笑いを堪える表情の主に謝りつつ、恨めしげに屈託ない母親を横目で見た。
 こういうところで母親にまったく似ていないのは、幸いだったといってよいものか。
 マーカスが気の毒そうな視線だけを向けて、何も言わずに立ち去ってくれたのが有り難かった。




 ≪ back  index  next ≫ 



inserted by FC2 system