夕食だけは、みんな揃って――が、この屋敷での基本ルール。
忙しかろうが、どんな理由があろうが、兎に角、みんな同じテーブルについて食事をする。
それが、エンリオ・アバルジャーニーが滞在中の関係者たちに課した掟だ。
時間通りに席につかなければ、夕飯を食いっぱぐれることになる。
そんなわけで、時間になれば、ぞろぞろと食堂に人が集まってくる。
あれ?
久し振りに顔を見たグロリアを、シュリは不思議な思いで眺めた。
なにか違う。
雰囲気もそうだし、外見的にも妙にすっきりした感がある。
それに、グロリアだけでなく、食堂の雰囲気も違う。
精霊たちに変わった様子はないが、なんとなくいつもよりも空気がざわついていた。
「さあさ、みなさん席について!」
皿を運んで来た女性はだれだろう?
はじめて見る顔だ。
いや、それよりもグロリアだ。
こういうのを表す言葉はなんというのだったか。
「ええと、グロリアさん」
「はい」
「脱皮しましたか?」
「脱皮?」
間違えてしまったらしい。
グロリアが絶句した。
「シュリさん、それを言うなら、『ひと皮むけた』だわ。ヘビ族じゃないんだから」
斜め向かいに座ったダイアナに訂正を入れられた。
その隣に座るマーカスは口を押さえて笑っている。
「どこか変わったでしょうか」
グロリアに躊躇いがちに問い返された。
「変わったというか、すっきりして身体も引き締まったというのか」
「そうですか。自覚はありませんが……きっと、数日間、エンリオ・アバルジャーニーについて山で狩りをしていたせいでしょう」
山で狩り!
「そんなことしてたんだ」
マーカスが驚いたように言った。
「それで、収穫はあった?」
「はい、熊を二頭と猪一頭、それに山ウズラ十二羽とキジを五羽しとめました」
それは凄い。どうやったんだろう。
「そんなに!?」
とダイアナも驚きの表情を浮かべた。
「おう、おかげで、肉に関しては披露目には充分だ。この姉ちゃん狩りもそうだが、料理の才能あるぞ。獲物の捌き方もなかなかのもんだ。俺様が見込んだだけのことはある」
答えたのは、料理を運んできたエンリオ・アバルジャーニーだ。
「そんな」、と僅かに顔を赤らめて瞳を伏せるグロリアは、それでも心なし嬉しそうだ。
食料はすでに解体されて、一部は魔法で保存処理されたそうだ。
「それよりも、今日の魚料理はジュリアスのおっ母さんが作ったもんだが、絶品だぞ」
エンリオ・アバルジャーニーが大袈裟に両腕を広げた。
「奥さん、あんたこそ天才だ!」
「代々、家に伝わってきたレシピ通りに作っただけよ」
と、皿を運んできた女性は笑顔をみせた。
王子様なジュリアスのお母さん?
シュリはほんの少し驚いた。
「あら、そう言われてみれば、似ているわね」
ダイアナが言った。
「そうですか?」
「目元とかよく似てるわ」
言われてみれば、そうかもしれない。
「ディータ!」
そこへやってきたテレンスさんが、驚きの声をあげた。
「なんで、おまえがここにいるんだっ!?」
「あら、あなた。早く席についてくださいな」
ディータというのが、ジュリアスのお母さんの名前らしい。
でも、質問の返答になっていない。
「お父さん、厨房の人がお休み貰ったから、手伝いに呼んだんだよ」
と、当の息子のジュリアスが答えた。
「おお、あんた果報者だなあ。こんな美味い料理が毎日たべられるなんて!」
「みなさんいっぱい食べてくださいね。おかわりたくさんありますから」
テレンスの背をばしばし叩くエンリオ・アバルジャーニーの横で笑顔が言った。
このお母さんとこのお父さんの間にできたこどもがジュリアス。
親子三人が並ぶ顔を見て、シュリは目を丸くした。
そして、不思議な気持ちになった。
人間の家族をまともに見るのは、これがはじめてだったから。
シュリにとって家族は、知識だけの存在だったから。
「ジュリアスくんも大変だね」
苦笑混じりに言うマーカスの小声に、ダイアナもそうね、と同意した。
「大変ですか?」
シュリにはわからない。
すると、マーカスは、ああ、とばつの悪そうな顔をした。
「……まあ、家族いっしょにいるとなると、どうしても私情が入るから。気持ちの面でいつも通りに働くってのはやりにくそう、ってことだよ」
言いづらそうながら説明してくれたが、それでもよくわからない。
「だから、母さん、ここではそういう余計な話は慎んで」
「そんなことより、あなたもお皿運ぶの手伝ってちょうだい」
しかし、確かに、いつもみたいにジュリアスは王子さまらしくない。
顔を赤くして、ディータに向かってなにやら色々と訴えている。
「まあ、あなた!」
それまで、にこにこはいはいとジュリアスに答えていたディーダが、シュリの前に皿を置くなり、突然、声をあげた。
「なんて頭をしているの! そんなぼさぼさの前髪で、前が見えないでしょう! うっとうしくないの!?」
「はい……ええと……?」
「年ごろの娘さんなんだから、ちゃんとしないと! お嫁に行けないわよ!」
「およめ?」
「そうよ。だらしない格好をしていると、旦那様が見つからなかったり、見つかったとしてもろくでなしだったりするものよ。それでなくても、将来、生んだこどもに良くないわ。今のうちからきちんとしないと! 後からわたしが切ってあげましょう」
はて?
シュリは首を傾けた。
「切るって、髪をですか?」
「そうよ。顔が見えるようにきちんとしなきゃ」
「ええええええええええっ!」
それは、困る。
顔は見られても魔女にはなれるそうだし、便宜上、カミーユたちに言われて出したりもしているが、だからと言って曝して歩くには抵抗がある。
だが、シュリの悲鳴の意味は勘違いをされたようだ。
「心配しなくても大丈夫よ。家族の髪は昔からわたしが切っていた……」
「母さん!」
ジュリアスがより大きく叫んだ。
「母さん、シュリさまにダメだよ、勝手にそんなことしちゃ! 殿下のお怒りに触れるよ!」
「あら、なんで? 顔は見えた方がいいにきまって……」
「俺がどうかしたか」
噂をすれば影。
ルーファスがカミーユと連れ立って入ってきた。
ここは、やはり、本物の王子様らしく、皆、口を閉じて、座っていた者は立って出迎えた。
シュリももたもたと立つ。
そういう作法だそうだ。
「なにかありましたか」
カミーユの問いに、皆すぐに気が緩んだように着席した。
「まあ、ちょっとな」、と口をつぐむジュリアスに代わって、エンリオ・アバルジャーニーが答えた。
「嬢ちゃんが、なんで顔を隠してるかって話で、髪を切った方がいいって意見が出てな」
「必要ない」
ルーファスが即答した。
「まあ、そうだな」
エンリオ・アバルジャーニーもうなずいた。
「それだけで砂糖にたかるアリみたいに人も寄って来かねねぇしな。そういうこった、奥さん」
あら、と小さく声をあげたディータに、カミーユが微笑んだ。
「違和感があるかもしれませんが、そうしているだけの理由があるのですよ」
「そうなんですか? でも、顔を見せた方が目の前が明るくなるでしょう。それだけでも良いと思うのだけれど」
納得しかねる様子のディータを、「母さん」、とジュリアスが軽く小突いた。
「それ以上に障りがあるということだ」
ルーファスが重々しく、だが、怒りをみせることなく口を開いた。
「時を見て髪をあげさせることもするが、今はまだその時ではない。しかし、おまえがその時期を知る必要はない。ここでは必要以上に畏まる必要はないが、余計な詮索はするな」
「屋敷内では、市井での道理や倣いが通用しないことも多いのですよ。それだけは御承知ください」
「ディータ、人様には、ましてや殿下方には、わたしたちが口を出せるようなものではない、複雑な事情が色々あるんだよ。知らない方がいいこともね」
宥めるようなカミーユの言葉に続けて、テレンスが穏やかに言った。
ディータはしぶしぶ、そうね、とうなずいた。
「余計なお節介だったわね。ごめんなさいね」
「いえ、気にしないでください」
シュリは謝罪を受け入れた。
「そもそも常識外の連中ばかりが集まってるしな。慣れないと色々と気になるもんさ」
エンリオ・アバルジャーニーが笑えば、「あなたにだけは言われたくはないですね」、とカミーユ。
「わたしも一緒にされたくはないわ。ね、マーカス」
「ううん、一緒にされたくないっていうか、一緒にされるのもおこがましいっていうか」
ダイアナに促されたマーカスは、申し訳なさそうに首を竦めた。
「おいおい、なんだよ、最近の若いもんは冷てぇなあ。ここは嘘でも、『これに関してなら誰にも負けません』ぐらいの気概を見せるところだろうが」
「最近はそういうのは流行らないんでしょうね」、と文句がましいエンリオ・アバルジャーニーにディータは笑った。
「私たちの感覚では通じないことも多いんでしょうね。ああ、でも、料理が冷めてしまっては駄目なのはいっしょでしょ。さ、皆さん、どうぞ」
勧められて、シュリもフォークを手に突きはじめてからしばらくして、給仕をしながら傍にきたディータが言った。
「でも、やっぱり、髪が邪魔そう。切るのが駄目でも、せめて紐で結うかしたらどう?」
「ディータ!」
「母さん!」
テレンスとジュリアスは叫び、その場の数人は、口の中のものを噴き出しそうになって堪えるのに苦労を要した。
エンリオ・アバルジャーニーが太鼓判をおしただけあって、ディータの魚料理はおいしかった。
しかし、ディータ本人については、シュリにはよくわからない人だ。
悪い人ではないと思うのだが、はっきり良い人と判断しかねる。
何かを言っては、テレンスとジュリアスを困らせていたようだったから。
シュリの髪の話は別にしても。
「元気なお母さんね。家族仲もよさそうだし」
コーヒーを飲みながら、片付けに厨房に引っ込んだディータを指して、ダイアナは苦笑まじりに感想をもらした。
「ジュリアスくんにしてはちょっと意外な気もしたけれど、いっしょにいるのを見ると、『ああ、そうか』って感じ。顔立ちが似てるし、世話焼きなところとか」
「元気とはまた違うけれど、そうだね。思ったことをすぐに口にしちゃうところとか、如何にも『下町のお母さん』って感じの人だよね」
にこにこしながらマーカスも答えた。
おかあさん――そうか、あれがお母さんというものか。
シュリは、食堂に残るふたりのおしゃべりを興味津々に聞いた。
「家の母も似たようなものだわ。むしろ悪いくらい。結婚しろって口喧しいばかりで」
「うちは父の方が、ああしろこうしろってうるさいな」
父とは、お父さんのこと。
お父さんとなってくると、シュリにとっては、お母さん以上にまったくの未知の存在。
イディスハプルの森のハリネズミ族一家や宮殿のエンゾさん一家、ほかにも物々交換でお世話になっているこびと族たちにもお父さんと呼ばれる人がいて、お母さんも含めて『家族』と呼ぶことは、シュリも、当然、知っている。
だが、家族がどういうものかということは知らない。
シュリ自身には縁のないもの、という認識だ。
しかし、それで、どうこうと思ったことはない。
これまで特に興味もなかったし。
シュリには、師匠も精霊たちもいたから。
あと、本当のじゃなかったけれど、樫の木のおかあさんも。
だが、ここに来て、シュリにも人間のお母さんとお父さんがいたらしいと知れば、家族とはどういうものか興味が湧いてきた。
マーカスの話にダイアナは、「そうなの」、と意外そうにうなずいた。
「うん、魔法師になるのも随分反対されたんだ。なりたいって思ってもなれるとは限らないからさ。それよりも、もっと確実な堅実な道を行くべきだって」
「そうね、普通、そう言うと思うわ。うちの親もそう。やることぜんぶ反対されるわ」
「でも、そんなのやってみないとわからないじゃないか。だから、反対押切って試験受けて、養成学校に合格したんだけれど、勘当されたんだ」
「勘当!? そこまで!?」
ダイアナは驚き、マーカスは苦笑を浮かべた。
「うん。でも、宮殿勤めになったところで許してもらえたよ」
「ああ……そうなの。よかったわね。まあ、そうよね。なんだかんだ言っても、お父さんも寂しかったりしたんでしょうね」
「でも、むかつくのは、それだけ反対してたことも忘れて、今じゃ他の人に自慢したりすることだよ。聞いているこっちが恥ずかしくなるぐらい。勘当されたおかげで、どれだけ貧乏な学生生活送ったことか!」
「いいじゃない。今じゃ自慢の息子に格上げされたってことでしょ。その点、うちは駄目ね。認めてくれることなんて、一生ないんじゃないかって思うわ」
溜め息交じりにダイアナは言った。
「あのう、勘当ってどうなるんですか?」
途切れた会話にシュリは割り込むと、マーカスははじめてシュリがいたことに気付いた顔で、ああ、とうなずいた。
「家には帰れないから顔も見ることもなくなるし、連絡もいっさいなくなるって感じかな。生活の援助もなかったし」
シュリは首を傾げた。
「それは、嫌いになるってことですか?」
「嫌いとはちょっと違うかな。それだけ腹を立てているって意思表示って言った方が適当だと思う」
「ときどきとんでもなく嫌いにもなるし、憎くもなるけれどね。でも、大抵、それは一時的なことだわ」
「憎い……ですか?」
横から口を出したダイアナにシュリはますます首を傾げた。
それを見たダイアナは、そう、とシュリに笑いかけた。
「でも、本当は逆だから困るのよ。嫌いになりきれないから」
それも癪に障るのだけれど、と付け加えられた。
「我慢するんですか?」
「我慢っていうか、いつの間にか許しちゃっていたり、諦めたり、かな? 嫌でもいつも顔を見ているわけだから、どこかで折り合いはつけなきゃいけないし」
「でも、嫌なんですよね?」
「そうね。がみがみ言われすぎて、たまにすごく落ち込んだりするわ。まるで、自分がとるに足りない……虫けらかなんかになった気分になって、嫌になるわ」
「それでも、嫌いにならないんですか?」
その質問にはダイアナも首を傾げた。
「ううん、まあ、血の繋がりはどうやったって切れないし。悪いことばかりじゃないから」
「本心では心配しているからってのがわかってるせいだろうね。気持ちをうまく表せなくって、関係をこじらせることの方が多いな。お互いどうしても譲れない部分っていうのはあるし、意地を張って、つい攻撃的になっちゃったり。性格もあるんだろうけれど、謝るのって難しいし」
マーカスも答えた。
「謝るのってむずかしいですか?」
シュリはそう思わない。
思わず聞けば、「難しいよ」、と当たり前の顔で答えられる。
「まったくの他人相手だったら謝ってすませられることも、家族となるとそうはいかなかったりするわね」
ダイアナが言った。
「……ごめんなさい、わからないです……」
人との交流初心者のシュリはしょげた。
他人と家族は、まったく別格らしいということだけは、なんとなくわかった。
が、しかし、どう違うのかがわからない。
「シュリさんは、こどもの頃は、魔女さんと家族みたいにいっしょに暮らしていたのでしょ? 喧嘩したり、腹を立てたりしたことはないの?」
ダイアナに聞かれて、シュリはその頃のことを思い出してみるが、思い当たることはなかった。
「喧嘩しなかったの? いちども?」
「師匠が怒っているところは見たことはありません。よく叱られはしましたけれど」
「シュリさんも怒らなかったの?」
「怒るっていうか……修業で嫌なことをやらされて、泣いたり、喚いたり、我侭も言ったことはありますけれど、それでお師匠さまに叱られることはあっても、腹を立てて酷いことされたり、言われたりすることはありませんでした」
「でも、それでシュリさんが出来なかったり、覚えなかった場合は?」
「大体は、出来るまでほうっておかれました。でなければ、一度、別のことをやらされて、戻ってきたりとか。最終的にはぜんぶできるようになるまで、お師匠さまに修業をつけてもらいました」
シュリは答えた。
「魔女ってよっぽど『出来て』いるのね」
「でなけりゃ、すごく淡泊な性格なんだな」
シュリにとっては普通のことなのだが、ダイアナはとても感心し、マーカスは唸るように言った。
「でも、魔女さんがシュリさんにとっては、家族でしょ」
ダイアナが言った。
「そうなんですか?」
「そうでしょ。血の繋がりはないけれど、同じ家に一緒に暮らして育ててもらったんだから」
ううん?
シュリは首を捻った。
シュリにとって、師匠は師匠だ。
師匠以外の名で呼んだこともない。
確かに育ててもらいはしたが、別に樫の木のお母さんがいたし、死んでしまったけれど、本当のお母さんもいる。
ディーダたちとは違う気がする。
「同じ家に暮らしていたら家族なんでしょうか。じゃあ、今は師匠と離れて暮らしているから、家族じゃなくなったっていうことなんでしょうか」
「いや、そういうわけじゃないと思うよ。離れて暮らしていても、家族は家族だし」
マーカスに否定された。
うううううううん?
シュリはますますわからなくなった。
「こう、目に見えない絆みたいなものがあって……仲間や友達とも違う……なんて説明すればいいのかしら?」
ダイアナは明らかに困っていた。
視線を向けられたマーカスも、ううん、と唸って薄く笑った。
「確かに、こうやって改めて聞かれると答えるのに難しい問題だな」
「そうね。家族は家族、としか答えようがなかったりするわね。でも、こうして考えてみると、不思議だわ」
マーカスやダイアナでさえ不思議なのだから、シュリにとってはもっと不思議だ。
「今はわからなくても、その内、わかるようになるかもしれないわ」
理解できないことにがっかりするシュリにダイアナは言った。
「もし、魔女にならずに結婚して、家族を作ることになったら、嫌でもわかる時が来るわよ」
と言われて、シュリははじめて家族は『作るもの』なのだと知り、困惑するしかなかった。
それから仕事に戻るというマーカスの声に、おしゃべりはお開きになった。
シュリは厨房で片付けを手伝っているグロリアを迎えにいき、部屋へと戻った。
戻る途中、シュリはグロリアにも、家族とはなにか聞いてみた。
「家族ですか? 家族というのは親がいて、子がいて……」
そこまで言いかけたところでグロリアはとても考え込んでしまい、結局、答えを聞けず終いだった。
シュリにとって、『家族関係』はハイレベルすぎる疑問のようだ。