13




 ぴこっ!

「痛いっ!」

 一体、どこから取り出したのか、いつの間にか女の手にはハンマーが握られていた。
 本物のハンマーではない。それよりも数倍おおきいもので、黒い鎚の部分は蛇腹になっているものだ。その中央には、どくろマークがついている。
 通称、魔女育成用ぴこぴこハンマー。
 ぴこっ、と気の抜けた音が、またひとつ鳴り、シュリの頭を小突いた。
「あれほど人の話をちゃんと聞いてから判断しろと教えたのを忘れたのか! どうせ、先走って混乱したあげくに気を失ったのだろう。その臆病とそそっかしい性格をなんとかせんか、この馬鹿弟子がっ!」
「だって」
「だって、じゃない!」

 ぴこぴこぴこぴこぴこぴこぴこぴこぴこぴこ……!

「痛い、痛い、痛い、痛い、師匠、いたいっ!」
「当り前だ。そうでなければ、仕置きにはならん! まったく、身を守る方法も教えたというのに、それすら使わずに攫われるとは! 情けないにもほどがあるっ!」
「だって、あんなん使ったら、相手の人が怪我しちゃうじゃないですかあっ!」

 ぴこぴこぴこぴこぴこぴこぴこぴこぴこぴこぴこぴこ……ぴこッ!

「いたいぃぃぃ」
 ひとしきり小突かれて、シュリは頭を抱えて呻いた。
 その場にいる者は、皆、気の抜けた呆れ顔で様子を眺めているだけだ。  それとも、どこか遠い眼であらぬ方向を見ていたかもしれない。
 兎に角、だれもなにも言わなかった。
 ひとりが、長く深い溜息をついた以外には。
 黒の女は、手にしていたぴこぴこハンマーを、ひょい、と被っていた帽子を脱いで中にしまった。
 大きさからいって帽子の中に入る筈もないのだが、そういう芸当ができるところが魔女なのだろう。
 被り直した帽子には、皺のひとつもできていない。
「これから言うことをよくお聞き」
 髪の毛で隠れてみえないが、おそらく涙目になっているだろう弟子に師匠である女は言った。
「おまえはこの男からよく依頼内容と説明を聞いて、それをうまく纏めなさい」
 断固たる口調だった。
 ええっ、と驚きの声があがった。
「でも、わたし、呪いの解き方なんて教わっていません!」
「だから、怯えるのはやめて、よく話を聞け、と言っている。この男の話だけでなく、必要ならば、他の者たちの声を聞くことだ。よく知り、物事の本質を見極めて、よく考えなさい。どうすれば、この国に暮らす者たちに祝福を与えられるかを考えるんだよ。そうすれば、よい解決策がみつかるだろう。たしかに容易いものではない。が、これまでに教えたことで充分にできるはずだ」
 と、「ちょっと、待て」、とルーファスが険しい表情のまま口を出した。
「今の言い方からでは、おまえならば、容易くできるのではないのか」
「私とても容易くはない。一国の広さにかかるものを片付けるには、相応の方策と準備が必要だ」
 黒の女はあっさりと答えた。
「或いは、性質からいってこの娘のほうが上手くやれる可能性が高い」
「その口調からして、方法を知っているように聞こえるが? 何故、それを教えない」
「ものには手順というものがあるのだよ。知るべきものを知らずしては、根本からの解決は得られないものだ。それは、この娘だけではなく、おまえ達にも言えることだ」
「御託はいい! 早急に解けと言っている!」
 含む幼子に対するような声が、一旦はおさまった獣を呼び起こしたようだ。
 彼にしても、必死なのは変わらない。
 だが、女はそんなことにも頓着せず、顔色ひとつ変えることはなかった。
「早急に、ってどれくらいだ」
「可能なかぎり早くだ」
「だから、期限はいつまでならば許容できる?」
「少なくとも半月以内。遅くとも二十日。それ以上は、待てん」
「へえ……これまで放っておいたくせに。急ぐ理由は?」
「それは話すものではない」
「そう。ふうん、二十日あれば、ぎりぎりなんとかなるかな」
 女は顎に指先を当てて答えた。
「師匠」、とシュリは心細げに呼んだ。
「わたし、自信ないです」
 女はその頭に手を置き、銀色の髪をひと撫でながら、うってかわった聖母の笑みを浮かべた。
「おまえならば、出来るよ。それだけの知恵は授けたのだしね。それに、これを上手く片付ければ、おまえも一人前の魔女になれるかもしれない」
「本当ですか!?」
 ぱっ、とそれまで俯き加減だった顔があげられた。
「本当」
 師匠である女は頷いた。
「『十六では早い。二十では遅い。だから、十八になったその日に出発するんだよ』、とかつて私の師はそう言って、私を送りだした。そして、私はその年に魔女になった。十八になったばかりのおまえがここに連れてこられたのも、縁が働いているにちがいない。それに、人と交わることのなかったおまえにとっても、良い機会になるだろうしね」
「もし、失敗したら?」
「やる前から、そういうことは言うのではないと教えただろう」
「師匠は手伝ってくれないのですか」
「私は別にやることがある」
 見た目はそう変わらない年頃に見えるふたりだが、その差は歴然と感じる不思議があった。
「こら、待て!」
 またもや、ルーファスから待ったがかかった。
 黒の女は手で振り払うような仕草をみせた。
「なんだ、うるさい男だな。そんなことでは女には好かれまい」
「好かれなくて結構だ」
 息子のきっぱりとした答えに、ビストリアがまたよろめいた。
「ああ、やはり」、と呟く絶望を含んだ言葉は、また、綺麗に無視された。
「いま、一人前の魔女になれるかも、とか言ったな! そいつは魔女ではないのか!?」
「ちがうよ」
 あっけらかんとした答えがある。
「この娘はまだ、おまえ達の言う魔女ではないな。言うなれば、まじない師のちょっと上等なやつだね」
「そんなやつに任せられるのか。失敗すれば、間違いなく首をはねるぞ!」
 びくり、と跳ねる弟子の肩を、大丈夫だ、と師匠が叩く。
「魔女だろうとそうでなかろうと、おまえ達が言うところの呪いとやらを片付けさえすれば良いのだろう? だったら、問題はないよ。私達は、人の世のように肩書きをつけてなるものではないからな」
「では、魔女になる者はどう決められるのですか」
 それまで、黙って成り行きを見ていたカミーユが問いを発した。
 魔女である女はゆっくりと、ルーファスの後ろに控えるように佇む男装の麗人に視線を移した。
「魔女はなりたくてなれるものではないからな。いくら、生まれつき持っている魔力が強かろうと、知識があろうと、魔女になれるとは限らない。精霊に選ばれた者だけが魔女になる。そういう意味で言えば、この娘は今のところ、充分に資格はあるということだ」
「そのための経験を、今回で積ませると?」
「この娘が魔女になるならば、おのずとそういう流れになるだろう。ひょっとしたら、ならないかもしれないけれど。それは、私でもわからない」
「それは、逆に言えば、嫌でも魔女になる者もいるってことですか」
「そうなるね」
 にいっ、と艶のある赤い唇の両端が吊り上がって、笑みの形がつくられた。
「だから、あるいは、おまえも魔女になるかもしれないよ」
 え、とシュリが声をあげて首を傾げた。
「まじょ? 女?」
「なんだ、気がついていなかったのか? そういうところが、おまえもまだまだだねえ」
 それには、魔女自身が苦笑する。
「どこからみても女だろう。それに、性格だけ見れば、おまえよりも魔女に向いているかもしれないね」
「それは褒められている気がしませんね。なによりわたしは魔力は持ちあわせておりませんし」
 カミーユは慌てることなく首を竦めた。
「面白い」、と初めてルーファスが笑った。それさえも、獰猛なものではあったが。
「今でも魔女のようなものだがな」
「女は誰でも少なからずそういう要素はあるものだけれどね。魔女に魔力は関係ないしね」
 答えて、黒の女は軽い笑い声をたてた。
「まあ、それでも、一応、保護者の立場上、半月後に様子を見にこよう」
「それは、必ず成功させるという意味で受け取って良いのだな」
「或いは、そちらの気が変わっているかもしれないし」
「それはない」
「どうだかな」
 艶然とした笑みを浮かべた女は弟子である娘に向き直った。
「さて、私はもう行くよ。おまえも辛抱強く頑張りなさい」
 はい、とシュリは頼りなさそうな雰囲気を漂わせながらも頷く。
 それを確認して、また煙が立った。
 煙が消えぬ間に、片足に金のリングをつけた、真っ黒な羽根を持つ小鳥が中から飛び立ち、空に消えていった。
 シュリは、鳥の行く先をいつまでも、ぼうっ、と眺めていた。 
「おい」、とルーファスが呼ぶ、そのひと言があるまで。
 途端、びくっ、と銀の髪が跳ね上がり、背筋が引き攣ったように、ぴん、と伸びた。
 だが、今度こそ逃げることはしなかった。腰はひけていたけれど。
 ぜんまい人形を思わせる硬直したままの不自然な動きで、ルーファスに向き直った。
 かたかたと動く娘の様子に、先程よりもいくぶん声は和らいでいたが、他を圧する威厳はそのままでルーファスは言った。
「目的を達するか期限が来るまではなにもせん。おまえも命が惜しければ、あの魔女の言う通りに俺に協力しろ」
 こくこくこくこく、と首がちぎれんばかりの勢いでシュリは頷いた。
 頷きながら、やっぱり怖い、とシュリは骨身で感じていた。
 師匠にああは言われたものの、やはり、怖いものは怖い。
 髪ひと筋ぶんも気を緩めることなど、できそうになかった。
 はじめてまともに対峙したルーファスは、彼女よりも頭ひとつ分は上背があり、がっしりとした肩幅と太い腕を持っていた。
 あの腕に捕えられれば、逃げるどころか、背骨すら圧し折られかねない。
 髪も瞳も身に着けているものも、彼女の師匠と同じ色を持っていたが、その受ける印象はまったく違う。
 瞳はいつ斬り付けてきてもおかしくないと思わせ、口元は間違いなく人のものであるのに、鋭い牙を隠し持っているように思える。
 餓えたオオカミほどに凶暴さを感じる。
 師匠は、怒ると怖くはあるが、普段はとても優しい。だが、この男は、こうして黙って立っているだけでも竦む怖さを感じる。
 精霊たちの殆どがこの男が怖いらしく、近付こうとしていないのがわかる。
 しかし、その中で纏いつこうとするのは炎の精霊だ。相性がよいらしい。
 炎の精霊は、往々にして気性の激しい者に懐きやすい。この王子もその例にもれないということだろう。
 炎の精霊の存在が、発する気にますます勢いをもたらし、ルーファスの周囲の空気が常に細かい火花が散っているようにも見えた。見ているだけでちりちりと、皮膚を焦がす痛みさえ覚える。
 生理的恐怖だけは、如何ともしがたいものだった。
 だが、やるしかない。
 これを上手くこなせれば、森にある自分の家にも無事に帰れるし、目標としてきた本物の魔女にもなれるのだから。
 そう自分に言い聞かせながら、シュリは、すぐにも逃げ出しそうになる足を抑えていた。
「説明するからついて来い。カミーユ、おまえもだ」
「待ちなさい、ルーファス」
 そこで声をあげたのは、ビストリアだった。
「母に説明する方が先でしょう。この騒ぎはいかがしたこと。その娘は、一体、なんとしたことなのです」
 それには振り返って、慇懃なほどに丁寧な礼がなされた。
「その件につきましては、そこにいるキルディバランドよりお聞き下さい」
 そして、返答を聞く間もなく、「いくぞ」、の声ひとつで、大股の足取りでその場を離れた。
 シュリはカミーユの促しに従って、女王陛下だとは知らないままに慌てて軽くお辞儀をすると、男のあとを追った。
 ビストリアはそれ以上なにも言わず息子たちを見送って、よろける足で椅子に腰かけた。
 彼女自身になにがあったというわけではないが、酷く疲れた気分だった。
 とりあえず、息子なりに抱える問題をなんとかしようとしているらしい、ということだけはわかった。
 それにしても、と溜息をつく。
 先ほどのやりとりの中で聞かれたルーファスの発言。

 ――やはり、ルーファスに跡継ぎを望むのは難しいらしい。

 これは早急に、手を打たなければならない、とまたぞろ疼くような頭痛を感じながら思う。
「王妃さま、大丈夫でございますか」
 キルディバランド夫人から問いかけがある。
「まずは、茶をいれてはくれぬか」
「畏まりました」
 まずは落ち着くことが先決だった。

 キルディバランド夫人もこの事態はよく飲み込めてはいないものの、どうやら彼女が手を貸すまでもなく、王子の第一の目的は達成されたらしい、と悟る。
 しかし、それによって、娘の縁談の口利きはどうなるのか?
 現実主義の女の頭の中には、まずそれが浮かんでいた。
 いずれにせよ、あの娘の世話はひきつづき任されることになるだろうし、伝手が消えたわけではない。それに、ここは落ち着いて、まずは女王陛下の御機嫌をとっておくのも手だろう、と判断する。
 衛兵を部屋のそとに追い払い、茶を淹れる支度を始めた。

 ――さて、それにしても、どうしたものか。

 魔女の娘の説明をするにも、御機嫌を損なわないようどう言葉を選ぶか。
 夫人は手を動かしながらも、頭の中ではせわしなく考えを巡らせていた。

 なにやらいろいろとあったが、なんとか自身の思う方向へ事態が動き出したようだ、とルーファスは満足とはいかないまでも安堵に似た思いを抱いていた。
 王子の身分であっても、否、だからこそ、思い通りにならないことは多い。わずかな前進と大幅な後退を繰返すことは、彼にしても馴染みのものだ。
 後ろからついてくる魔女の小娘がどれほどのものかは、まだ判断がつかないが、あの魔女の口振りからしても彼の要求に応える気ではあるらしい。万が一、小娘がしくじったとしても、ふん縛って人質にして魔女に言う事をきかせる手もある。
 魔女とは言え、怯えっぱなしの小動物に似たこの小娘を捕えるのは容易いだろう。師匠と呼ばれる魔女は手強そうではあったが、なんだかんだと言いながらこの小娘を可愛がっているようではあるし、言うことを聞きもするだろう、と歩きながらも考える。
 それにしても、あの場所で一歩前進がみられたのは、やはり、今は亡き人の導きがあってのことだろうか、と、ふ、と思う。
 ルーファスは、その手の神秘的なことに関しては信じるものではなかったが、彼の人のことを思えば、それも有り得そうな気もした。
 人々から『運命のバラ』とも呼ばれ、神秘的なまでの美しさを宿したあの女性ならば。
 だが、その名を口にすることはない。心の中で呼ぶだけだ。
 誓いの言葉をたがわないように、望みを欠片ももらさないように、口を噤む。
 誰にも、何者にも、彼の行く手をさえぎることを許すつもりはなかった。
 そして、その後ろでは、

 ――やはり、面白くなりそうだ。

 主たちの後ろに付き従いながら、カミーユは人知れずほくそ笑む。
 掛け違えたボタンがはめなおされることはあるのか。
 なにかが変わるのか、それとも、結局、なにも変わらないのか。
 そうであって欲しいと思い、同時にそうでなければよいとも思う。
 だれが、この茶番を終らせるのか。終らせることができるのか。
 すぐ前を歩く銀色の髪の後ろ姿を眺める。
 髪で顔を覆っている以外は、普通の娘に見える。
 怯えの色を隠しきれない背は頼りなく、なにかを秘めているようにはとても見えない。
 だが、現状、この事態の鍵を握るものであるには違いないだろう。
 それにしても、と気になるのは、あの魔女だ。
 どこまでなにを知っているのか?
 この件に介入する気はないようだが、娘を介してなにかを仕掛けてくるかもしれない。
 それとも、魔女もすでに要素として組み込まれているのか?
 見えざるなにものかの手によって。
 だとしても、彼女の立場に変わるところはなかった。
 観客という、第三者としての。
 見ているだけならば、面白い方がよいにきまっている。
 約一ヶ月間。
 その間に、なにが起きるのか。
 わくわくとする胸の内を抑えながら、カミーユは口の端に笑みを浮かべていた。




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