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 注意深く、怖れを悟られないように言葉を選んで口にする。
「ええと、なんというか、常に生死と向きあっているというのか、生きる術の根本を教えて貰ったっていうのか、そういう生活だったんだ」
 ナイスリアクションだ、自分!
 マーカスは己を褒め讚えた。
 王宮勤めをしてきた成果を感じた瞬間でもあった。
 シュリの機嫌もわるくした様子はみられない。それどころか、嬉しそうな声で答えた。
「はい、『人生は生き残った者の方が勝ちだ』、と師匠はいつも言っています。生きていくことはそれだけ大変なことなんだ、って。それを身をもって知らなければ、生きていくのに本当に大切なものがなにかわからない、とも言っていました」
 ある意味、至言ではある。
 が、誰にも通用するものではない。
 すくなくとも、マーカスが同じ状況にあったならば、とうに命数は尽きていただろうと思われた。
 しかし、彼女はそれを乗り越えてきたのである。
 一見、頼りなさそうに見えて、マーカスよりもずっと逞しいに違いなかった。
「でも、そのわりには、シュリさんは、なんというか、とてもそんな育てられ方をしてきたとは思えないよね。上品っていうか、言葉遣いも綺麗だし」
 とても野生児には見えない、という言いまわしは、あえて避けた。
 彼の目の前で茶をすする魔女の娘の様子は、貴族ほどではないが、庶民でも良家の娘ほどには品が良い。
 顔を覆い隠す髪形さえなければ、の話だが。
 それとも、過酷な育ちのせいで、顔に瑕を負ったのだろうか。瑕を隠すために、髪で覆うしかなかったのかもしれない。
 ふと、マーカスはそんなことを思った。
 だとすれば、可哀想な話だ。
 男なら勲章にもなるが、女の子にとって、それはとても辛いことだろう。しかも、年頃の娘となれば尚更に違いない。
「ありがとうございます」、と彼のそんな同情も知らず、すこし恥ずかしそうにシュリは答えた。
「『常に礼節を忘れてはならない』、とも教えられました。常に、自分を生かしてくれるものに感謝の気持ちを忘れないようにしなさいって、いつも言われます。そう思うことが、魔女としての気品に繋がるんだって。そういった気品を保つことも魔女には重要で、そうでなければ、本物の魔女にはなれないんだそうです。だから、行儀作法にも、読み書きを教える時と同じくらい師匠はとても厳しかったです」
「あ、そうなんだ……」
 立派である。
 魔女でなくとも、それはたぶん重要なことなんだろう、とマーカスも思う。
 生きていく上で必要なありとあらゆる事柄を、シュリが身につけてきたのだろうということもわかった。
「はい。でも、師匠のように、いつも堂々とできれば良いんですけれど、なかなかそうもできなくって。ちょっとしたことですぐに狼狽えてしまって、未だに会えば、怒られます」
「そうなの? とても、そうは見えないけれど」
「いえ、まだまだなんです、わたし」
 それは、向上心というものだろうか。
「師匠を見ると、いつも思います。早く師匠みたいになりたいって。師匠みたいな、りっぱな魔女になりたいって思うんです」

 ――鬼に?

 それは、刷り込みと呼ぶのではないだろうか、と浮かぶ疑問をマーカスは奥底に押し込めた。
 たぶん、良いことなんだろう、と考え直す。
 師匠を理想と慕う弟子。弟子にありとあらゆる知識と技術を叩き込む師匠。
 やり方はどうであれ、愛情が感じられる構図だ。良いことに違いない、としつこく自分に言い聞かせる。
 そもそも愛情など、他人が推し量れるものではないのだから。
 『あの女はやめておけ』、と何度も他人から言われ続けているマーカスにはわかる。
 『よけいなお世話だ』、と何度も怒鳴りそうになるところをこらえ、『君にはわからないだろうな』と、穏やかな微笑みを作って答えてきた彼には。
 なんて、健気なんだろう、自分。そして、それは目の前の彼女にも言える筈だ。
 胸の奥が疼くような感じさえある。
 だが、しかし。

 ――自分だったら、逃げる。即、逃げる! 全力で逃げる!!

 マーカスは、心の底からそう思った。自信をもって言えた。
 こんな話をいつまでも聞いてはいられなかった。聞いていたくなかった。
 これ以上、聞けば、彼女が可哀想すぎて泣いてしまうかもしれなかった。
 彼女の尊敬する師匠を否定して、傷つけてしまうかもしれなかった。
 そして、シュリと比較して、己の情なさを痛感してしまうかもしれなかった。
 それよりもなによりも、彼には務めがある。
 彼にこの役目を言い付けた王子の側近、カミーユからの命を果たせなくなりそうだった。
 即ち、呪いについて、できるだけの情報を彼女から引き出して、報告すること。
 その義務を怠れば、どんな仕打ちが待っているかしれなかった。
 カミーユに対しても思うところはあるが、それ以上に彼女の後ろにはルーファスがいる。
 もし、ルーファスの機嫌を損ねるようなことをすれば!
 魔女も恐ろしいが、現実問題として、マーカスにとってはそれも充分に恐ろしい。
 それに、呪いを解くことは、彼にとっても悲願だった。
 間接的な魔法も役には立つが、やはり、直接魔法が使えると使えないとでは雲泥の差がある。せっかく魔力を授かった身としては、もっとこれを有効活用したいと思うのは、自然なことだ。
 兎に角、その目的のために、脳内のマーカスは会話の脱出口を目指してひた走った。
 現実でも荒い息が出そうになったが、それを、ぐっ、とこらえた。
 ようやく、ひと筋の光明を見付け、それに縋る。
「ところで、シュリさんは、これまで魔法を使っても、たらいが落ちてくるなんて経験したことないんだよね?」
 多少、無理があろうとも、強引に話を持っていった。
「はい。今日、はじめて知りました。びっくりしました」
 幸いシュリも素直に頷いた。マーカスは、それに安堵する。
 頭の中の彼は、開いた扉の前で、ぜいぜい息をついていた。
 それをおくびにも出さず、笑顔を顔に張り付かせ、素知らぬ顔で会話を続けた。
「だろうね。ほかの国から来た人も、知っていても、実際に見てびっくりするぐらいだし。でも、そうなるとさ、あれが落ちてくる引鉄になるのって、やっぱり人の魔力を使うかどうかに関係してくるのかな」
「どうでしょう? その可能性はあると思いますけれど、呪文とかに関係あるかも」
「その可能性もあるよね。でも、呪文と言っても、普通の言葉とそう変わらないものだし、魔方陣の方が可能性が高いかな? 直接魔法の場合と間接魔法では、少し形式やらが違うし」
「そうなんですか? どう違うんでしょうか。わたし、魔術のことはよく知らなくて」
「違いか……ええと、そうだな、」
 マーカスは腰のベルトに差してあった魔法用のスティックを抜くと、机の上に出して見せた。
 白い材質のそれは、持ち手はそれなりに太さがあるものの、すんなりとした先細りの形をしている。
 それに、ポケットから取りだした薄い小さな板を柄の部分に当てて、「あらわせ」、と唱える。と、その柄の部分に刻まれていたいくつかの文様が、ぼうっ、と浮かび上がった。
「この文様は魔方陣ですか」
 浮かび上がった六角形に囲まれる文様を見て、シュリは言った。
「そ。魔硝石を加工したものだよ。これで、本来持っている魔力を増幅しているんだ」
「ああ、なるほど。初めてみる文様ですが、わかります。随分と細かいものですけれど、丸と三角と四角の組み合せだけでできているんですね。すこし違いますが、わたしが使うものと基本は同じですね。周囲に書かれている古代文字は、条件付けですか?」
 マーカスは頷く。
「これは、所謂、万能型の魔方陣だよ。炎でも、水でも、光でも、土でも、風でも、平均的に使うことができるようにしてある。魔法を使うにしても、人によって得意、不得意があるだろ? それを補って増幅する仕様にしてある」
 マーカスのいちばん得意な魔法は、水に関連するものだ。光がその次。風と炎と土は苦手であり、正しい手順を経ても、水の魔法の半分以下の威力しかない。それを平均的に補正するためのものだ。この魔方陣の効果により、水や光に関連する魔法の威力は落ちるが、風や炎や土の魔法の威力はそこそこ上がる。
「それで、魔法を使用する時にこれを振って、使う魔法の属性に合わせた簡易な方陣をしめす。呪文は、言葉にすることで威力を増すっていうより、魔法への集中を高めるための自己暗示みたいな感じだね。だいたい魔法を使うにも集中がいるし、すぐに必要だったりするから、なにをするにも簡単な方が良いから」
「へえ、では振りながら描く方陣で、精霊に合図を送っているわけですね。それで近くにいる精霊が力を貸すことになるわけですか」
「そういうことになるのかな? 魔力の癖も生まれつきのものだし、僕ももともとそんなに力があるわけじゃない。魔法具や魔硝石を使ってやっとって感じだよ。もっとも、どんなに潜在能力が高くても、この国にいる限りは直接魔法自体が使えもしないから、直接魔法を知らない者も多い。みな、痛かったり、下手して死んじゃったりするのは嫌だからさ。知っているのは、専門の研究者とか教育を受けた貴族とか。おかげで魔硝石の加工方法や、魔力がない人でも役立つような魔方陣の研究や実用化に関しては、他の国よりも進んでいるんだ。魔硝石を精製して加工する過程自体にも、間接魔法は役立っている」
 彼の説明に、シュリは感心したように、ふうん、と頷いた。
「移動用の魔方陣とかもそうなんですか?」
「そうだね。あれが実用化されているのは我が国だけだな。ほかの国も研究はしているみたいだけれどね」
「よくわからないんですけれど。普通に精霊を扱うのとは違いますよね。何に働き掛けているんですか?」
「ううん、何にっていうと、時間と空間だね」
「時間……時の精霊ですか」
「時の精霊なんてのもいるの?」
「はい。見たことはないですけれど、いるという話です。魔女が唯一、接することのない精霊だって聞きました。空間は、精霊とはまた違いますよね」
「うん。あれは空間としか言い様がないな。時間と空間は密接な関係にあって、操作するにしても、どちらか一方だけというのは、不可能に近い。方法としては、時間と空間を同時に、こう紙を二つ折りにする感じだよ。広げると距離があるものでもこうすれば、くっついて距離がなくなる」
「ああ、それは魔女も同じですね。私はまだ出来ませんけれど、師匠は物を取りだすのに使っています」
 シュリは首を傾げながら答えた。
「へえ、そうなんだ。じゃあ、魔女は、空間と時間を分離できているわけか。それは、なかなか興味深いね。僕らの今ある技術の基本は、ずっと昔に確立したものが基本になっているんだ。移動用方陣もずっと研究を続けてきて、先代王の頃にようやく実用化されたものだよ」
「へえ。マーカスさんは、普段はそういった研究をしているんですか?」
「うん、大体はね。間接魔法でも、取り扱いを間違えると危ないからね。他国にも流出しないように、魔方陣も普段からこうして見えないように隠して加工してある。魔硝石の取り扱いも含めて、すべて国で管理しているんだ。そこの研究員」
 と、またスティックに石の板を近付けて、浮かんでいた魔方陣を消して見せた。
「そうなんですか」
「うん。ルーファス殿下は、その人材育成のための教育機関に出資なさっておいでなんだ。で、僕はそこから引き抜かれてこうして王宮で研究を続けてるんだ。実家は貴族って言っても、ほとんど名前ばかりなんだけれどさ。僕のほかにもそういうのが何人かいる。その恩義があって、たまに無茶も頼まれるけれど、ま、仕方ないよね」
「へえ、じゃあ、優秀な方なんですね」
「優秀ってほどじゃないけれど、ま、そうかな?」
 へへ、と笑ってみせた。
 へえ、とシュリはひとしきり感心したようすで、マーカスのスティックを手に取り、しげしげと眺めてから言った。
「でも、やっぱり、魔方陣とはあまり関係ないかもしれませんねえ」
「そう思う?」
「ええ、なんとなくですが。いつからこうなったかはわかっていないんですか。かけた魔女の名前とか」
「うん、はっきりとは。ロスタ大乱以降とは言われているけれど。魔女も魔女ってだけ。名前までは伝わっていないな」
「ロスタ大乱……ええと、一度、王位簒奪があって、その十数年後に、前王の息子で逃亡していたシュナイゼル王子による王位奪還の為の内乱でしたっけ」
「よく知ってるね、って、魔女のお弟子さんだから、そういう昔の話も詳しいのか」
 マーカスの言葉に、シュリははにかんで答えた。
「師匠から聞いて、さわりだけ知っている程度です。詳しいことはなにも。こういった研究は、その頃から続いているんでしょうか?」
「さあ、どうだろう? そう言えば、いつごろから始まったかは知らないなあ。昔ってだけ」
「では、魔術が使えなくなったから研究を始めた、とも考えられますね。その頃のことがわかるなにか、ありませんか?」
 その問いには、マーカスは、ううん、と唸った。
「六百年以上も前のことだし、その頃のロスタが分裂してマジェストリアができてから三百年以上経つ。そのせいで、その頃の資料もほとんどがなくなったって聞いてる。少しぐらいなら、ここの書庫に残っているかもしれないけれど、うーん、調べてみないとわからないな。そういうことを知るのも必要?」
「はい。だれがどんな目的で行ったものかがわかれば、法の性質や対処方法を見付ける手掛かりになりますし。でも、そうですか……マジェストリア以前から、この地域一帯だけ魔法は使えなかったことになりますね」
「うん、そこが不思議なところなんだよね。ずっと、それは謎にされている」
 マーカスも首を傾げながら同意する。
「最初、ロスタの国の一地方だったここだけが、魔法が使えなかったことになる。ロスタ全域ならば、まだわかるんだけれどね」
「不思議ですね」
「うん。呪いが解ければ、その理由もわかるかもしれないね。一応、書庫を調べるなら、許可をとってあげるよ。ああ、それに、書庫を管理しているタトルじいさんが、なにか知っているかもしれないし。じいさん、さすがに物知りだから」
「そうですか。では、おねがいします」
 うん、とマーカスは快く頷いた。
「でも、きょうはもう夕方だしね。また明日以降にしよう。君も今日のところは、ゆっくりと休むと良いよ」
「はい、ありがとうございます」
 顔は見えずとも、にこにこと笑っている雰囲気の答えがあった。
「あ、そういえばさ」、とマーカスは聞き忘れそうになっていた肝心なことを思い出して言った。
「もし、どこの家からも金だらいがなくなっていなかったとしたら、一体、どこから来た物だと思う?」
 その問いにシュリは、ううん、と首を傾げながら答えた。
「それは、かけられた法の内容を調べてみないことにはわかりませんね」
「そう。君にもわからないんだ」
「はい」
 シュリは頷いたが、なにか言いたそうな雰囲気をマーカスは感じた。
「なに? 思い当たることがあるなら、教えてよ」
「いえ、思い当たるってことでもないんです。ちょっと突拍子もない話ですし。たぶん違っていると思います」
「ふうん?」
 マーカスも首を傾げた。
 魔女の突拍子もないことというのは、どれほど突拍子もないものなのか。
 聞きたいような、聞きたくないような話だ。
 話を打ち切るようにシュリから、唐突に声があった。
「あ、あとひとつお願いして良いですか? 直接は関係ないことなんですけれど」
「ん、なに?」
 問い返せば、シュリは照れ臭そうに俯いて言った。
「え、と、王子さまが出したっていう、純金製の金だらいっていうのを見てみたいんですが」

 ――ああ、アレ……

 思わず、マーカスの視線は遠いものになった。
 脳内に浮かんだアレの放つ光の眩さに、眼も細くなる。
「ああ、アレか。うん、まあ、そうだね、滅多に見れるもんじゃないしね、純金で出来ていておおきいって以外はふつうの金だらいだけれど」
 彼も、遠征先から運ばれてきた時の一回しか見たことがない。
 だが、一度みれば充分な代物だ。
「うん、見せて貰えるよう、許可を取ってみるよ」
「おねがいします。ありがとう」
 弾んだ声に、マーカスは密かに嘆息した。
 話していただけなのに、どっぷりとした疲労を感じていた。
 それは、充実した話し合いを持った時とは、別の感じだ。
 清々しさなど欠片もない。
 脳内でのマーカスは、すっかりとへたりこみ、一歩も歩けない様子だった。
 そして、これから先のことを思い、出そうになるよりおおきな溜息を飲み込んだのだった。




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