19




 リンディアナ妃は、下級の伯爵家の娘であったが、当時、『ロスタのバラ』と呼ばれるほどの比類なき美しさを見初められ、王妃となった。
 しかし、王弟であるイグレス大公が妃に横恋慕をし、『妃を手に入れるついでに』王位を奪った。
 正当な王位継承者である、まだ幼いシュナイゼル王子は、その時、辛くも近習の働きにより逃げ延びたが、妃は囚われの身になった。

「当然、イグレス大公としては、草の根を分けてでもシュナイゼル王子への追っ手をかけるべきものでしょう。ところが、王子は逃げ延びた。そこが歴史学者の中でも意見のわかれるところでしてな。王子の近習が優れていたというのが主説になっておりますが、学者の中には少数ながら、イグレス大公が手を抜いたのではないか、という者もおります。妃を手に入れて有頂天になっていたのではないか、とね」

 捕えられた妃は、そのまま幽閉された。
 というのも、妃はその時、前王との間の第二子であるディル・リィ=ロサ王女を妊っていた為、手を付けることが出来なかったせいだ。
 堕胎させるにも遅く、イグレス大公は王となり、表立っては妃を妻としながら出産を待つことにした。
 そして、それから半年後、ディル・リィ=ロサ王女は無事に出産されたらしい。

 マーカスは問う。
「らしい?」
「なにせ、幽閉されておりましたからな。事実を知っていたのは、身の回りの世話をする数人の侍女と王妃本人ぐらいでしょう」
 タトル氏は答えた。
「そして、王妃は、直後に幽閉されていた塔の窓から飛び降りて自害されたそうです。駆けつけたイグレス大公の目の前で」
 げ、とマーカスは声をあげた。
「自害とは知っていたけれど、飛び降りだったのか」
「赤ちゃんを置いて?」
 シュリも驚いて問う。と、タトル氏は、「いやいや」と長い首をゆっくり横に振った。
「祖父の話ですと、『ディル・リィ=ロサ王女はオオワシに連れ攫られたらしい』と噂されていたそうです。歴史書では、王子の手の者が密かに連れ去ったということになっておりますがな」
 マーカスが鼻で笑った。
「オオワシだって? なんでそんなところにオオワシが来るんだよ。もっとマシな嘘のつきかたがあるだろう」
「変ですか?」
 シュリは訊ねた。
「そりゃあ、変だろう? 餌にするにしたって、わざわざ人間の赤ん坊なんかとらないだろう?」
「本物のオオワシだったらそうですけれど」
 おや、とシュリの発言を聞き咎めたタトル氏から声があった。
「それは、魔女だったら、という話ですかな?」
「ええ。魔女が姿を変えてとか、使い魔だったら有り得るかな、と思って」
「それは面白い」
 シュリの説明に、タトル氏は笑った。
「リンディアナ妃が魔女とつながりがあったという話は伝わっておりませんが、魔女の側にはそういう話が伝わっておりますかな」
「いえ、わたしも聞いたことはないんですけれど、こどもの頃、樹の上から降りられなくなった時、同じ方法で師匠に助けてもらったことがあるので」
「なるほど。であれば、可能性はありますな。大乱で魔女殿が現れた理由にもなる」
 それとは別に、マーカスはとても驚いた表情でシュリを見た。
「姿を変えられるって、それ、本当? どうやって!? シュリさんも出来るの!?」
 急に興奮した様子の質問に、シュリは逆に不思議に感じながら首を傾げた。
「わたしは出来ませんが、魔女になれば出来るみたいですよ。どうやってかは知りませんけれど、師匠はよく鳥や動物に姿を変えて、あちこちへ行きますよ」
 ええーっ、とマーカスから、驚き半分、不満半分の声があがった。
「魔法陣を使うとかじゃなくて?」
「さあ? いつも一瞬ですから。『ぼんっ!』、って」
「ぼん?」
 不思議そうな顔が向けられた。
 シュリは頷いた。
「ええ、『ぼんっ!』、です」
「ぼん……ええ、そうなのか? ええ、でも、どうやったらそんなことが出来るんだろうなあ? そんなことができたら凄いぞ。術式の革命が起きるって言ってもいいな。ええ、知りたいなあ」
 おそらく、それが研究者としての素の顔なのだろう青年は、考え込む表情でぶつぶつと言った。
 タトル氏はその様子に口の中で笑うと、話を続けた。

 どうであれ、王妃が死に、王女もいなくなった事を知ったイグレス大公は激怒した。怒りのために錯乱したと言っても良い状態だった。
 すぐに王女の捜索が開始された。
 ありとあらゆる手が尽くされ、手の及ぶ限り、追っ手が差し向けられた。
 それは、先に逃亡したシュナイゼル王子への比ではなかったと言う。
 しかし、結局は王女は見付からなかった。
 大乱の最中にその姿を現すまでは。

「王女の両親であるファルディナンド王と美しいリンディアナ王妃の国民からの人気は、絶大なものだったと伝わっております。大公としては、その王妃を妻に迎えることで、民の指示を受けようとしたとも言われておりますが、この説では王妃への個人的執着がそうさせたのだろう、というのが理由とされておりますな。生まれたのが女児であったことから、王妃への執着が王女へと移り変わり、あわよくば自分の好みに育て仕立てようとしていたとも」
「そこまでいくと、変態だな」
 一旦はそれた気が戻ってきたらしいマーカスは、呆れ顔で身も蓋もない言い方をする。
「イグレス大公の治政は、かなりの悪政だったと言われている。高い税に取り立ては厳しく、国民は生活するにも困窮したって話だ。役人は腐敗し、盗っ人やら賊がおおっぴらに横行した。だから、シュナイゼル王子が立った時の国民の歓喜は熱狂的なもんだったって、歴史学では教わったな」
「大公の治政においても、前王への反発心から真逆をいったと考えられていますが、端からの目的がちがえば解釈も異なるでしょうな」
「それで、ディル・リィ=ロサ王女はいつ姿をみせたんですか?」
 シュリが最も気になる問いを発すれば、タトル氏は、ふむ、といくぶん勿体ぶったように頷いた。
「それはわかりません。大乱を主に研究する学者でも、そのことについて言及しているものは、わしもお眼にかかったことはないです。この辺りについての詳細は、僅かに現存する歴史書でもはっきりとしないのです。神話めいているとさえ言えます。ただ、イグレス大公が討たれた時点ですぐに乱が治まったわけではなかったんですな。中でも、大公に仕えていた魔法使いディダルによる抵抗は激しく、僅かに伝わるものの中には、『忌まわしき魔法により国を壊滅せんと企む』とありますから、おそらくは禁忌魔法に手を出したのでしょう。どういったものかまでは記されておりませんが、『彼の姫、身命を賭してそれを阻む』……それを止めたのが、ディル・リィ=ロサ王女と伝えられております。しかし、王女もその後、『国中の者が嘆き悲しむ中、死よりも深き眠りにつくこと三日』を経て、奇跡的に生き返られたとされております」
「ええっ、そんな話だったんですか!?」
 シュリは、知らず声をあげていた。
「知らなかったの? 有名な話だよ? 僕たち魔法学研究者の中にも、この時使われた魔法がどんなものだったか、研究している者もいるんだ」
 マーカスの言葉に、シュリはぶんぶんと銀の髪を横に振った。
「知りませんでした。師匠からは、『シュナイゼル王子がイグレス大公を討って王位を奪い返した』ぐらいの内容しか教えられていなかったので。お姫さまのことも殆ど知りませんでした」
「それも大ざっぱだね」
「まあ、師匠ですから。細かいことまでいちいち教える必要もないと思ったのでしょう。必要だったら、自分で調べろぐらいの感覚で。ええ、でも、そうなんですかあ……ディル・リィ=ロサ王女が魔女ってことはないですよね?」
「さて、そんな話は聞いたこともありませんな。しかし、王女の血筋を汲む者の中には、稀に人並外れた魔力を持つ者が現れるという風に言われます。王女自身がそうであったように。当王家のルーファス殿下におかれましても、そうであるのでしょうな」
 タトル氏の答えに、「使えなければ意味ないけれどね」、とマーカスが横からちゃちゃをいれた。
「突然、現れた王女がどうして本物だってわかったんでしょうか。誰も会ったことがなかったんでしょう?」
 シュリは、重ねて質問した。
「確か、王家の紋章入りの腕輪を持っていたとされておりましたな。リンディアナ妃が常に身につけていた物であったとか。受け継いだ容姿もあったでしょうな」
「そうなんですか。ええと、ザムディアック公爵と結婚して、その後は?」
「三人の子に恵まれ、享年五十二歳で亡くなられたと伝わっておりますな」
「じゃあ、魔女とは違いますね。でも、魔術か魔法を使えたってことなんですよね。しかも、禁忌魔法を打ち消すほどの大きな」
「そうですな。歴史書が正しければ。しかし、王女がふたたびおなじような魔法を使ったという記録は残っておりませんな。シュナイゼル王の治政は、それなりに安定したものであったと伝えられています」
 ふうん……?
 色々な考えがシュリの中で目まぐるしく浮かんでは、可能性を組み合わせていく。
「でも、記録にないだけで、呪いをかけたのはディル・リィ=ロサ王女の可能性もあるってことだよな」
 可能性のひとつをマーカスが口にした。
「王女周辺で、ほかに魔法が使えた人はいなかったんですか?」
「いたかもしれませんが、そういった記録もなかったように思います」
「呪いがいつ頃からあったか、そういったことも?」
 シュリの確認にタトル氏は、やれやれ、と苦笑した。
「マーカスくんの鋭い問いにはいつも悩まされるが、シュリさんもそれに負けずとも劣らないですな」
「あ……すみません、つい」
 訊きすぎたことが迷惑をになったらしい。
 気を悪くしていなければよいが、とびくびくしながら、シュリは謝った。
 が、タトル氏は怒ることなく、逆に笑い声をたてた。
「いやいや、お気になさらず。好奇心に富んだ知識の豊かな若い方と話すことは、新しく気付かされることも多く、この年寄りにとってよい刺激になります。だが、答えきれないものもあるのですよ」
「しかし、そうですな」、と付け加えられた。
「わしが知ることにも限りがあります。呪いをかけたのが『誰が、いつ』、ということでしたら残念ながら、『わからない』と答えるしかないでしょうな」
「そうですか……」
 シュリは内心、がっかりした。
 この博識な老人ならば、その人を特定しないまでも、近くまで迫るヒントを知っているかもしれない、とすこし期待していたからだ。
「しかし、わしの気付かないところで、魔女であるシュリさんならば気付くことがあるやもしれません。参考になる本を何冊かお貸ししましょう」
 そう言ったところで、あ、とマーカスが短い声をあげた。
「そういえば、ムスカから伝言あずかってきていたんだ。出来るだけ早く戻ってくれって。二階西側の整理がいつまで経っても終らないから、って」
 それには、タトル氏は、「やれやれ」、と本当に溜息をつくような声を出した。
「あの若者たちは、年寄りを扱き使う意味での刺激はよく与えてくれるようだ」
 如何にもうんざりしたようなその言い方が面白くて、シュリは、くすり、と笑い、マーカスも、あはは、と声に出して笑った。

 その後、渋々といった様子で、足下まで隠れる黒く長い服を頭からかぶったタトル氏とともに、シュリたちは書庫へと戻った。
 タトル氏は話し方がそうであるように歩みも遅く、シュリたちが十分でこれる道を三十分かけて戻った。 だが、その間もシュリたちはあれこれ話を続け、遅さを気にすることもなかった。
 やっと着いた書庫で、タトル氏がおすすめする歴史の本三冊と国の大まかな現状が記された薄い本を一冊、そして、国の地勢図を二冊を借りた。
 タトル氏だけだと本がぜんぶ揃うまでに時間がかかり過ぎると思ったのだろう。先のカウンターにいたふたりが、本を集めるのを手伝ってくれた。
 金髪の男性が、ムスカ。
 眼がねをかけた女性は、ダイアナという名前だと紹介をうけた。
 ふたりはタトル氏の助手であるという。
 シュリが魔女であることを知ると、ふたりはやはり目を丸くして驚き、それでもシュリに、「よろしく」、と笑いかけてくれた。
「晴れた日はあの辺りにいるか、そうでなければ、大体、この書庫におります。なにか訊ねたいことがあれば、いつでもどうぞ」
 タトル氏がそう快く言ってくれたことが嬉しくて、シュリは笑顔で頷いた。
 彼女の『良い人リスト』に、新たに三人の名が加わった。




 ≪ back  index  next ≫ 



inserted by FC2 system