21




 その一時間後。
 なんだかんだ言いながら、気がつけば、夫人はすべてを話してしまっていた。
 王子の結婚の話に、王妃からの頼まれ事。娘や息子の先行きの心配。なにもしない夫への不満。その他、カミーユ・ガレサンドロへの苛立ちなどもすべて。
 たしか、宮殿の生活がどのようなものであるか説明していた筈なのだが、いつのまにか愚痴に変わっていた。
 シュリはそれを止めるでもなく、促すでもなく、意見するでもなかった。ただ、軽く相槌を打ちながら夫人の話を聞いていただけだ。
 我に返った時はすでに遅し。
「お城での生活って大変なんですね。こんなに綺麗で、色々なものがあるのに」
 あらかたの話を聞き終えて、シュリはしみじみとそんな感想を口にした。
 人の口をこうもやすやすと割らせるなんて、なんて恐ろしい子っ!
 さすが魔女になろうというだけのことはある。
 夫人は逆にそんな感想を持つ。
 が、実際のところは単にシュリが聞き上手なだけで、夫人が喋りたくなるほど鬱憤が溜まっていた、というだけの話だ。
 しかし、そんな誤解に気付くことはなく、正す意味さえない。それよりも、
「あの、このことは、みなには」
 言ってくれるな、とこめかみに汗を滲ませて頼めば、
「だいじょうぶです。いま聞いた話はだれにも言いませんよ」
 と、明るい答えが返ってきた。
「よかったら、すこしだけお手伝いしましょう」
「手伝い?」
「はい。要は、必要なお話さえ耳に入ってくればよいのでしょう? 王子さまの想い人がだれであるか、とか、娘さんを気に入ってくれそうな方はいるか、とか。そういうおまじないをしましょう」
「それはそうですが、」
 まじないなど胡散臭い。大丈夫なのか?
 そんな危惧を、夫人は抱いた。
「二、三週間で効力のなくなるものですし、なにも害はないですよ。簡単なものですから、すぐに終ります。お世話になっているお礼として」
 安心させるようにシュリは言った。
「でも、」
「これまで聞きのがしてきた話が耳に入るようになったり、関係する話がされている場所に居合わせる機会が多くなるだけですが、なにも得られず気鬱がつづくよりは良いかと思います。得られた話をどうするかはマウリアさん次第ですが」
「ああ、そういうことですのね」
 つまり、娘の縁談につながるような話を耳にしても、気に入らなければ聞かなかったふりもできる、ということか、とキルディバランド夫人は納得した。
 選択肢が増えると考えてよいかもしれない。
 あとから話を耳にして、悔しがることもなくなる。
「わかりました。そういうことでしたら、お願いしようかしら」
 所詮はまじない。気は心。大して毒にも薬にもなるまい。
 さして当てにもしないつもりで頷けば、「はい」、と嬉しそうな応えが返ってきた。

 まず、部屋の窓のぜんぶが開け放たれた。
 そよ、と部屋の中まで忍び込む風を、キルディバランド夫人は頬で感じた。
「きょうは風がすくないですね」
「これくらい『弱い』風のほうが良いでしょう。髪が乱れることもないですし」
 シュリの言葉遣いの間違いを、夫人はさりげなく訂正した。
「でも、すこし力が足りないかもしれません。こちらに来てくれませんか」
 シュリは気付かなかった様子で言うと、椅子のひとつを持って窓際に夫人を誘った。
 とん、と窓のすぐそばに椅子を置くと、「どうぞ、座ってください」、と言う。
 その位置に腰かければ、後れ毛が靡くのを感じた。
「いらないことまで耳に入ると困るでしょうから、このくらいが良いでしょうね。では、両手の掌を上にむけて膝の上に置いてください」
 夫人は言われるがままにそうした。
「では、始めます」
 夫人と向かい合わせの位置に立った魔女の娘は、すうっ、とひとつ息を吸った。
「言の葉は風の調べに乗り来て舞い散るものなり 調べは心地よく 待ち人のもとへ歓びを届けん 風は我が息吹なり 我が声は歓びなり 我が言の葉にてここに記す 祝福をここに記す。来たれ我が友 代弁者たる我が声に応えよ」
 朗々と、詩のようなことばが紡がれる。
 そして、片手をあげると、吹き入るそよ風の流れの中に指先を浸した。
 ふ、と抜き出した指先に、いったいどこにいたのだろう、細い糸のようなトンボが一匹、つままれていた。
 一センチほどのちいささで、薄く繊細な青みがかった羽根と瑠璃色の尾をもつ、美しいトンボだった。
 シュリはトンボの羽根を傷めないように親指と人さし指でつまんだまま、キルディバランド夫人の左手を取ると、その手首の内側にぺたりとトンボをくっつけた。
「は!?」
 夫人が短い声をあげた時には、手首に入れ墨のような小さなトンボの絵が貼り付けられていた。
 間違いなく先ほどまで娘の手にあったトンボだ。色も同じ。しかし、いまは昔からあったかのように絵となって、夫人の肌に馴染んでいる。
 試しに指先でこすってみたが、消えることはなかった。
「小さいものだし、ここなら目立たなくて気にならないでしょう?」
 当り前の様子でシュリは問いかけた。
「あの、これは?」
 信じられない思いで夫人は、腕にとまったトンボをしげしげと眺めた。
 生来、夫人は虫嫌いであるのだが、そこにあってもちっとも嫌な感じはしなかった。
 むしろ、よくできた宝飾品のようで、愛らしくも感じる。
「それは目印です。風の精霊が良い話を運んできてくれるための。それがある間は、良い話を聞く機会も増えるでしょう」
「消えてしまうもの?」
「ええ、二、三週間もすれば、自然と風に戻っていきます。痕もなにものこりませんよ」
「そうなの」
「はい」
「これが魔法」
「魔法というより、おまじないです」
 はにかむ声が答えた。
 だが、謙遜に聞こえる。
 本当に魔女なのだこの娘は、と不思議な面持ちで、キルディバランド夫人は銀の髪で覆われた顔を眺めた。
 はじめて奇跡を目の当たりにした気持ちだった。
 とても細やかなものではあったが、だからこそか、夢見がちな少女の頃を思い出した気分がした。
「よい話が運ばれてくるとよいですね」
 髪の向こう側から魔女の娘は言った。
「そうね。そうだといいわね」
 夫人は腕のトンボを、そっ、と撫でて、微笑んだ。

*



 キルディバランド夫人に祝福を授けたことは、シュリにとってよい気晴らしになった。
 風の精霊は気鬱を払うのにも適している。
 まじないをした後の夫人の表情からは、かかっていた雲が消え、明るい陽射しが戻っていた。
 良い人が良い顔をしているのは、シュリにとっても嬉しいことだ。
 しかし、他人はともかく、自分の抱える問題もなんとかしなければならない。
 タトル氏から借りた本にあらかた目を通して、マジェストリアの歴史と地理のおおまかなところは把握出来た。
 新しい発見もあった。
 マジェストリアは、ザムディアック公爵の所領を中心としてできた国だった。
 ザムディアック公爵は、大乱までは家名も持たない一兵士だった。出自は謎とされているが、平民か貴族の庶子ではないかと言われている。シュナイゼル王子の王位奪還に際して武功を認められ、ディル・リィ=ロサ王女と貴族の称号と将軍の地位、そして、家名を得た。
 ザムディアック・グリフィン・ド・マジェストリア公爵。
 それが貴族となってからの名であるそうだ。
 本来ならば、マジェストリア公爵と呼ぶべきところだが、個人への敬意もこめて、一般的にザムディアック公爵と呼ばれているようだ。
 そして、その名の通り、家紋もグリフィンの図柄が受け継がれている。
 マーカスがいつも着用している青い上衣の紋章がそれだ。
 対するロスタ王家の紋章は、ユニコーン。
 クラディオン国に変わってからは、紋章もユニコーンと獅子が向かい合う図柄に変わった。
 家紋をみてもわかるように、クラディオン王家もロスタ王家と無関係ではなかった。簡単に言えば、ロスタ王家傍流筋の眷族だ。
 そして、クラディオン王家とマジェストリア王家との間も婚姻関係で繋がっている。
 もとはひとつの国であったのだから当前なのかもしれないが、どうにもごちゃごちゃとした家系図。
 眺めているだけで、シュリは頭痛を感じたものだ。
 さて、問題は、このマジェストリアだ。
 いつから金だらいが落ちてくるようになったかは不明だが、本当に長い間、かかりっぱなしのものらしい。
 解決方法がみつからなかったということもあるが、実際、直接魔法――シュリにとっては魔術だが、が使えなかったからといって、そう不便でもなかったようだ。
 魔硝石と方陣を組み合わせて間接的な魔法を使えるようになってからは、特に。
 間接魔法の発祥については不明だが、歴史書には、すくなくとも六百年以前から基礎となるものはあったようだ。
 それからさらに研究されているとなると、とても長い年月がかけられていることになる。
 現在、特にマジェストリアは、他国と比べても一日の長だけではすまないほど研究が進んでいるらしい。
 まさに、必要は発明の母なり。
 マジェストリア公爵家が中心となって本格的に推進された研究だったが、それが政治的な強みともなったようだ。この技術があったればこそ、独立も可能となった。
 しかし、ルーファス王子は呪いを解こうとしている。
 おそらく、直接魔法が使えるようになれば、間接魔法の技術は停滞、或いは廃れていくことになるだろう。日常的には特に不自由がないまでに発展したそれを否定することになる。
 どこにそうまでして解呪する必要が?
 その答えをシュリはキルディバランド夫人から得た。
 マーカスから聞いた、ルーファス王子がシャスマールの姫と望まぬ婚姻を迫られている件の裏話。
 これは魔硝石をネタにおどされてのようなものであるらしい。
 魔硝石が必要なくなれば、屈する必要はなくなる。
 輸入量を減らせれば、取り引き国を変えることも可能で、或いは、シャスマールとの取り引きを続行するにしても、交渉するための要素になる。
 たとえ、シャスマールがそれに怒って戦になったとしても、現在の技術に直接魔法が使えるとなれば、じゅうぶんに対抗できるものであるらしい。
 また、国内においても、直接魔法が使えるようになることを強く望む一派があり、彼等を取り込むための一石になる。
 ……という尤もらしいそれらの理由はいくつかあるが、おそらくではあるが、ルーファス王子にはほかに好きな女性がいるらしく、そのために結婚はしたくない、ということから端を発しているようだ。
 それがだれかつきとめる役目を夫人は負っているという。
 シュリにはよくわからないが、婚姻ひとつが戦に発展するなど言語道断の話だ。
 できるならば、止めたい。魔女見習いの端くれとして。
 だとしても、人のだした結論に魔女が介入することはご法度でもある。できるとすれば、意見や提案までだ。
 だが、それのせいで、ルーファス王子の望みがかなわなければ本末転倒。
 しかし、それにしても、果たして、呪いと言われているものを解くことが、みなにとって良いことなのだろうか?
 そんな疑問が湧く。
 数百年にわたってかけられてきた呪いとも言えない呪い。
 それがなくなることで、弊害はないのだろうか?

 ――どうすれば、この国に暮らす者たちに祝福を与えられるかを考えるんだよ。

 師匠はそう言った。
 つまり、王子の望みをかなえるだけでは駄目だということだ。
 魔女になるということは、そういうことだ。
 まだ、よく知る必要がありそうだった。

 ――一国の広さにかかるものを片付けるには、相応の方策と準備が必要だ。

 そして、急がなければならない。
 シュリの悩みは、おまじない程度では晴れそうになかった。




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