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「カミーユさんはなぜ、男の服を着てまで王子さまに仕えているのですか?」
 宝物庫から帰る道すがら、それとなく疑問に思ったことをシュリは訊ねてみた。
「貴方はなぜ、魔女に?」
 逆に問い返された。
 何故?
 単純な問いに関らず、シュリは答えに窮した。
「いくら魔女に拾われたからとしても、ほかの生き方も選べたでしょう。たとえば、いま、その髪をあげてすこし着飾るだけで、貴方を妻にしたいと求婚する男もいるでしょう。そして、結婚し、こどもを産み、育てる。そういう生き方もできますよ? そうしたいとは思いませんか?」
「どうなんでしょうか……考えたこともないので、わかりません」
 シュリは素直に答えた。
「ただ、気がついた時には魔女になりたいって思っていました。師匠みたいになりたいって」
「でも、それは、単にほかの生き方を知らなかっただけではないですか? ほかに生きる術を知っていれば、魔女になりたいとは思わなかったかもしれない」
「それもわかりません。現実にはそうならなかったので」
「想像もしなかった? 自分がこれからどういう生き方をするか、したいか、悩みもしなかった?」
 廻廊の真ん中で、ぴたりと足を止めたカミーユが振り返った。
「それは、怠けていたとはいいませんか? 師匠である魔女のいいなりになって、自分で考えることを放棄し、流されるままでいた自分への言い訳では?」
 ちくり、とシュリの心臓に針が立てられた気がした。
「そんなことはありません」
 咄嗟に答えた。だが、尚もカミーユの口が止まることはなかった。
「魔女に育てられ、魔女になることを教えられてきた。そうするのが当然と貴方は受け入れた。ほかに選択肢はあったにも関らず、目をつむって生きてきた。なぜならそうするのが楽だったから。怖かったからというのもあるでしょう。誰かに傷つけられたり、拒絶されるのを怖れていたから。貴方は、貴方を受け入れてくれる安穏な世界から出るのを拒んだ。だから、森にひとりで閉じこもって暮らしていた。だれかに拘束されているわけでもなく、自由にどこへでも行けるにも関らず、居心地の良い世界に浸って、それ以外の世界を知ろうともせずに拒絶していた。違いますか?」
「ちがいます!」
「おや、怒りましたか? 図星をさされて腹が立ちましたか?」
 シュリの顔を覗き込むように奇麗な顔が近づけられた。薄く形の良い唇が、にいっ、とした笑みを作った。
「ちがいます。貴方は魔女がどんなものか知らないからそんなことを言うんです」
 これを腹立ちというのだろうか。
 ただ、目の前に立つ女性からは、悪意というより残酷さを感じた。
 小さい針にも似た刃のような人だ、と思った。
 致命傷を負わせず、痛みを与えるだけに長けているのだろう、と感じた。
「そうですか? では、後学のために、魔女というのはどういうものかお聞かせ願いたいですね」
「魔女は人のためだけに存在するものではないからです」
「ほう?」
「魔女は役目であって、仕事ではありません。この大陸が穢れすぎないよう均衡を保つために存在しています」
「よくわかりませんね。具体的にはどういうことをするのです?」
「ええと、たとえば雨続きで大地が弱っている時に大地の精霊に祝福を与えたり、逆に日照の時には水の精霊に祝福を与えたりします。満月と新月の晩には歌ったりとか」
「……それが人と交わらないこととなんの関係が?」
「人には善意もあれば悪意もあるでしょう。常に均衡を保っているわけではありません。交わりすぎれば、魔女もそれに呑まれる。わたしのような半人前では特に。どちらかに傾きすぎれば、魔女としての役目は務まりませんから。だから、他者とは、必要以上に交わらないようにする必要があるのです」
「そうすることになんの意味があるというのです? それで貴方たち魔女になにが得られるというのですか」
「だから、得られる、得られないの問題ではないのです。そういう役目なのですから」
「わからないな」
 カミーユの顔から笑みが消えていた。
 シュリから身を離すと、戸惑うように首を横に振った。
「人に限らず、清すぎても穢れすぎても生きてはいけないものでしょう。魔女はそれを調整する存在です」
「つまり、魔女は、間接的にでもこの大陸に生きとし生けるものすべてを管理している存在とでも言うのですか。神のような存在であるとでも言うのですか」
 シュリは首を横に振った。
「生きるも死ぬも、何者であれ、魔女がそれに介入することはありません。あなた方が戦を起こそうと、ドラゴンを退治しようとそれは好きにすればいいんです。たとえ魔女自身が迷惑をこうむったとしても、調整するだけです。たとえ人が滅ぼうと、別の種族が滅びても、魔女が動くことはありません。魔女の務めはそうなった後、穢れが増えすぎたり、或いは、滅多にありませんが、清くなりすぎた時に動きます。穢れには祝福で清め、清さには穢れをもってしてその均衡を保つのが役目です。そのために存在しています」
「馬鹿な」
 呟き声が答えた。わずかに滲む怒りを感じた。
「何様のつもりか。あなたのその持てる力で助かる命もあるかもしれないのに、見殺しにするというのか。そうやって我々を、まるで虫けらであるかのように高みから眺め、嘲笑いもするか」
「ちがいます」
「では、魔女とはなんだ? 何故、そんなものが存在する!?」
 はじめて見せた感情の発露。
『なんで魔女はいるの?』
 カミーユの問いにシュリは、嘗て、自分が師匠にした問いが重なって聞こえた。
「わかりません。何故、魔女などというものが存在するのか、どうしてそんな役目が必要なのか、魔女自身にもわからないのです」
 ただ、と師匠の答えそのままに言い添える。
「魔女はなりたくてもなれるものではなく、逆に、なりたくなくてもなってしまうものだそうです」
「ああ、そんなようなことを貴方の師匠も言っておられましたね。貴方も魔女になれるとは限らないわけだ」
 ちくり、とまた針が刺さった。
「そうですね」
 ゆるゆると、目の前の顔から表情が消えていった。
「魔女になれなかったら、貴方はどうされるつもりなのですか」
「わかりません。どうにか生きていく方法を見付けることになると思います」
「或いは、このまま、年老いていっても半人前のままかもしれないでしょう? そうだったらどうしますか。身体が思うように動かなくなり、助けを求めようにも誰ひとりいない。そんな状態になっても魔女になれるかもしれない、と中途半端な希望にしがみつき、そのまま孤独の中で死を迎えるかもしれない」
「そうですね。そうかもしれません」
 シュリ自身、考えたことのない可能性に実感は伴わないまでも、漠然とした暗闇を感じる。
 そうなったら、どうする?

 ――どうするのだろう?

「そういうことは考えたことはありません」
 シュリは答えた。
「考えるべきと思ったことはないですか」
「そうすべきなんでしょうか」
「さあ、貴方の人生ですから。お好きにすればよいかと」
 ちくり、ちくり、とひと言ごとに針先で突かれている気がした。
「そうですね。考えてみます」
 だが、カミーユの言っていることも間違っていないのだろうと感じた。
 カミーユは答えず、くるりとシュリに背を向けると、また歩き出した。
 どうして最初に気付かなかったのか不思議なほど、男性にくらべれば細い肩幅をシュリは見つめた。
 しゃん、と伸ばされた姿勢に、彼女も丸まりかけていた背を正した。
「何故、あなたはそんなことをわたしに言うのですか?」
「お気に障られたのでしたら、御容赦を」
 肩越しに振り返る口元が、笑みの弧を描いていた。
「あなたに、なにかわるいことでもしたでしょうか」
「そうですね。たぶん、していないと思いますよ。よくあることです」
 彼女自身が気分を害することがよくある、という意味なのか、それとも、このような遣取りはよくあるという意味なのか。
 シュリにはわからなかった。
 ただ、カミーユが自分や魔女という存在を快く思っていないことだけは感じた。
 それ以上、会話することなく、彼女たちは部屋へ戻った。




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