24




 カミーユとの会話は、シュリの心に影を作った。
 部屋に戻ってから、引き続きなすべきことをしようとしたが、先ほどの会話が頭の中をよぎっては、集中することができない。
 彼女の言葉で否定すべき点はいくつかあったが、いくつかは受け入れなければならない点もあった。
 しかし、認めたくないのだ。
 魔女になれなかった時のことなど。
 シュリはひとつ吐息をつくと、椅子から立ち上がった。
「すこしお庭を散歩してきます」
「おひとりで大丈夫ですか?」
 キルディバランド夫人が気遣わし気な表情で言った。
「だいじょうぶです。その辺を歩いてくるだけですから」
「あまり遠くに行かれないように。バラ園内でしたら問題ありませんが」
「はい。すぐにもどります」
「それと、カミーユ・ガレサンドロのことは、あまり気にすることはありませんよ」
 え、と見れば、困ったような微笑みが向けられた。
「どうせ、いらぬことを申したのでしょう、あの者は。そういう性質なのです。みな、いちどはあの口にやられる。あの者にとっては戯言のようなものですから、気に病むことはありませんよ」
 すべて見ていたかのような口調だった。
「ありがとうございます」
 シュリは髪に隠れた口元に微笑みを浮かべると、部屋を出た。

 結局、場所を変えても気は晴れはしなかった。
 斜めになった夕暮れ近い陽射しが、最後の明るさと影をもたらす径をシュリは歩いた。
 花をゆっくりと眺めるにはちょうどよい足取りにもかかわらず、その目はただ見ているだけだった。
 と、シュリの前を横切るものがあった。
「水の精?」
 雨でもないのに、上機嫌で宙をくるくると周りながら跳ねていた。
 カエルやアメンボ、魚の形をしたものもいる。それもかなりの数だ。
 特に集まっているほうを見れば、背丈ほどもあるバラの樹の向こうにある丸い光る背に気がついた。
 つぎをあてた麦わら帽子に、ぶかぶかのズボン姿。
「エンゾさん」
 ハリネズミの庭師が、植木にジョウロで水をやっていた。
 やあ、と短い挨拶がある。それに安心して、シュリは近付いた。
「この間は、だいじょうぶだったかい? あの後、いじめられたりしなかったかい?」
「あ、はい、だいじょうぶでした」
「ほんとうに?」
「はい」
「なら、いいけれどさ。王子さま、あの剣幕だったろ? すこし心配してたんだ」
「ありがとう。本当になにもありませんでしたから。わたしにも誤解があったんです」
 シュリが答えたさきから、「とうちゃあん!」、と呼ぶ声があった。
 ちいさな丸い針の塊がみっつ、転がるようにやってきた。
 三人のハリネズミのこどもたちが、手に水の入ったバケツやジョウロを持ってやってくる姿だった。
「とうちゃあん、水、汲んできた」
「くんできた」
「ジョウロにもいれてきたよ」
「ああ、ありがとよ。じゃあ、あっちのバラにその水をやってきてくれないか」
「わかったあ」
「葉っぱに水をかけちゃだめだぞ。周りの土にゆっくりとやるんだ。やりすぎてもだめだぞ」
「わかってるよう」
「ジョウロ貸してえ、ぼくもやるう」
「おまえはそっちをやれよ」
 水を抱えてこどもたちは、争って言われた方角の花壇に水を撒きはじめた。
 丸いちいさな姿がちょこちょこと動き回る姿は、見ているだけで微笑ましくも愛らしい。
「お子さんですか?」
「うん、そう。上の子たちでね」
 こどもたちの手元を心配そうに眺めながら、エンゾは頷いた。
「あいつらもついてきたがるし。単に広いところを走り回りたいってだけなんだろうけれどさ。偶にこうして連れてきては、簡単な仕事をやらせている。危なっかしいところもあるけれど、おいらも、あのくらいから親父の仕事を手伝いはじめたしさ」
 そう言って微笑む表情はハリネズミ族らしい愛らしさはあっても、父親らしさも感じさせた。
「エンゾさんは、その頃から庭師になるって決めてたんですか?」
 ふ、とシュリは質問してみた。
「ん? さあ、どうかなあ? ああやって手伝いしている内に、気がつけばなってたって感じかなあ」
「ほかの仕事をしたいとか思いませんでしたか?」
「そういう時期もあったかなあ? いや、あんまりそういうことも思わなかった気がする」
 ハリネズミの庭師は空になったジョウロに、脇に置いたバケツから水を汲み入れると、隣の花壇へ移動してまた水をやりはじめた。
 シュリも水の精霊たちとついて動く。
 はなれた場所から、繁るバラの葉をかき分けながら、丁寧に水を撒く手元をぼんやりと眺めた。
「本当は、おいらは庭師に向いてないって親父に言われてたんだ。物覚えがわるくて、花の名前ひとつがなかなか覚えられなくてさ。仕事も雑だってよく叱られたもんさ」
 ぽつり、とエンゾは言った。
「ほかの兄弟にもっと向いたやつもいたんだけれど、でも、結局、おいらが後を継いだんだ。ほかにたいして取り柄もなかったしな。まあ、それでも、十年以上もつづけていたら、やっと庭師らしくなってきたって感じだよ。こうして宮殿で働きつづけてもいられるしさ」
 そういって話す声や見せる背からも、真面目な人柄が伺い知れるようだった。
「わたしも師匠に育てられて、こどものころから魔女になりたいって思ってそうしてきたんです。それ以外にどうしたいって考えたことがなかったんです」
「へえ、そうなんだ」
「でも、さっき、ある人に、『魔女になれなかったらどうする気だ』って言われて、ほかにどうしたいとか、どうすべきか考えようとしなかったのは、怠けていたのだろうって言われたんです。師匠に言われるままにしていれば、楽だったからだろうって」
 そう口にしただけでシュリの胸の内に、爛れるような感触があった。
 だが、くすり、と笑い声が答えた。
「そう言ったのって貴族だろう?」
 頷けば、「あの人たちの言いそうなことだな」、とエンゾは軽く笑って言った。
「気にしなさんな。そんなの、ひとそれぞれだろ」
「そうでしょうか」
「うん。先のことを考える余裕なんてなかったろ? その日その日を過すのが精一杯でさ。気がついていたらこうなっていたってだけのことだろ」
「……はい」
「おいらもさ、庭師になれなかったらどうしよう、なんて考えたことなかったよ。兄貴たちは、庭師が嫌だったから考えて、努力もして、別の仕事をしているよ。店をやっているのもいるし、畑を耕しているのもいる。庭師やっているよりも金を稼げて、良い生活できるからとか言ってさ。おいらはそういうことを考えなかったけれど、でも、なんにも努力しなかったわけでもないよ。ちゃんとした庭師になれる努力をした。シュリさんもそうじゃないのかい? 魔女になるために必要なことを覚えたんだろう?」
「はい」
「だったら怠けてたわけじゃないと思うな。ほかに選ぶ気持ちもなかったってことだけだろう」
「でも、わたし、まだ魔女になれるって決まったわけじゃないんです。なりたくて、努力してなれるものではないので」
 すこし哀しくなりながら、シュリは言った。
「そうなんだ。それで不安になっちゃったのか」
 ふたたびジョウロを空にした庭師は、シュリの方を振り返った。
「なれなかったら哀しいだろうけれど、そうなった時、また次にどうするか考えたらいいんじゃないかな? いまは、やれることを一生懸命やれば良いんじゃないのかい」
「でも、ずっと、このままかもしれません。半人前のまま、年取ってなにもできないままかもしれない」
 それには、ううん、とハリネズミも唸った。
「おいらには、魔女ってものがどういうものかわからないけれど、魔女になれなくても、生きてはいけるんだろ?」
「はい、生きていくことなら」
「だったら、いいんじゃないのかなあ。自分さえ納得できれば。もっと金儲けがしたいとか、贅沢したいとか、地位が欲しいとか、人に褒められたいと思ってないんだったら」
「良いんでしょうか」
「おいらはそう思うけれど。そうしているうちに、ほかにやりたいことも見つかるかもしれないだろ」
 そう言って庭師は、水やりをしながらはしゃいでいるこどもたちを眺めた。
「とうちゃあん」、と嬉しそうに呼びかけてくる声にも手を振って応える。
「とうちゃあん、でっかいミミズいたあ。食べていい?」
「ミミズはだめだよ。土を肥やしてくれるから」
「カタツムリはあ?」
「ああ、カタツムリなら良いよ。でも、夕飯が食べられなくなるといけないから、ほどほどになあ」
 成程、ハリネズミ族が庭師に向いているわけである。
 カタツムリを取りあうこどもたちを見ながら、エンゾは言った。
「おいらももうちょっと稼ぎよくして、あいつらにもっと良い服着せてやりたいとか、学をつけさせてやりたいとか思ったりもするけれどさ。その為に無理して別の仕事をしようとは思わないんだ。まあ、どうせ、良い服着てても、すぐに穴だらけにしちゃうってのもあるんだけどさ」
 見れば確かに、こどもたちの履いているズボンにもところどころに穴が空いている。
 と、なにかに驚いたのだろうか、こどもたちのひとりが、急に針を立てて団子のようにくるん、と丸まった。
 また、服に新たな穴が空けられたようだ。
 ほかのこどもたちはそれに笑い、エンゾも眺めながら苦笑を浮かべた。
「おいらはこの仕事が好きだし、あいつらとこうして一緒にいられる時間もある。そりゃあ、金に困ったりする時もあるけれど、なんともならないわけじゃない。家族そろって住む家だってあるし、助けてくれる友達もいる。それよりも、稼ぎがよくても、あいつらの顔を見る暇もなかったり、毎日、イライラしているのは嫌だな。貴族なんかをみているとそう思うよ。あの人たちはおいらのことを、庭師風情が、とか思っているんだろうけれどさ。でも、おいらからみると、あの人たちは金を持っていて、良い生活もしているんだろうけれど、いつも不愉快そうで疲れた顔しているし、おいらよりも不幸そうにみえる」
 円らな瞳を細めるその表情は、ことば通りを表していた。
「そりゃあ心配することはいろいろあるけれど、でも、考え出したらきりがないだろ? だから、いまできることを精一杯して、あとは怪我したり、病気にならないよう気をつけるだけさ。それに、親父が言っていたよ。『他人を測る物差しなんか、どこにもないんだ』って。おいらもそう思う。考え方は、人それぞれさ。だから、シュリさんも他人がどう言おうと、自分が納得して生きていければそれで良いんじゃないかな。魔女になっても、なれなくても、シュリさんはシュリさんだろ?」
「とか言って、おいらもあまり偉そうなことは言えるほどのもんじゃないんだけれどさ」、とエンゾは照れ臭そうに、帽子の縁を掻いた。
 シュリの胸の内に、ぽっ、と灯がともった気がした。
「ありがとうございます。お陰で、気が楽になりました」
「そうかい。そりゃあ良かった。おいらでも、人の役に立ててうれしいよ」
「はい。エンゾさんは、魔法使いみたいです」
 ははは、と軽い笑い声がたった。
「魔女さんにそう言われるんだったら、なかなかのもんだな」
「本当のことですよ。精霊たちもエンゾさんに懐いていますし」
 シュリは微笑んだ。
「そうなのか? おいらには見えないからわからないけれど。植物の精霊とかいるのかい?」
「植物の精というか、年月の経った樹木にやどる樹の精霊がいます。数は少ないですけれど。普通の植物は、土の精霊と呼ばれるものに含まれますね」
「それは残念だな。花の精とか奇麗そうなのに」
「ええ。でも、植物自体が精霊に近いものですから。エンゾさんにはわかるんじゃないですか? きょうは植物たちの機嫌がよさそうだ、とか」
「どうかな? 見た感じで元気かそうでないかはわかるけれど。偶に、もっと陽にあたりたがっているとか、いつもと違う時間に水をやったほうがいいかな、とか感じたりすることはあるけれど」
「ああ、それだと思います」
「ふうん、そうなのかなあ。もっとよくわかるようになれば、もっと、奇麗な花を咲かせたりもできるんだろうけれどな。でも、魔法はこわいから、複雑な気分だな」
「魔法がこわいですか?」
 魔女見習いのシュリは、首を傾げた。
「こわいさ」
 ハリネズミ族の庭師は、ためらうことなく首肯した。
「人以外の種族でそう思っているやつは沢山いるよ。本当はシュリさんも最初、魔女だってきいて、怖かったよ。いまはそう思わないけれどさ」
 聞き捨てならない話だ。
「どの辺がこわいですか?」
「だって、なにされるかわからないじゃないか。突然、炎とかぶっぱなされても、おいらたちにゃあ防げないしさ。針も魔法の前だと役にたたないし。いまはシュリさんは良い人だってわかっているからいいけれど、そうじゃないやつもいるから」
「でも、そんな理由もなく魔法で攻撃してくることなんてないでしょう」
「いや、ほかの国ではあるらしいよ。どれだけ取り締まっても、兎に角、使ってみたいってだけで、あたりかまわず使うような連中がいるんだそうだ。道歩いていて、急に襲われたり、あと、ちょっとしたことで怒って、魔法で攻撃してきたりさ。取り締まりはしているそうだけれど、それでもやったりするんだってさ」
 シュリは絶句した。
「そんな、酷い……なにも関係ない人に。関係あってもそんな風に使うなんて」
「うん。あぶないって言ってた。おいらたちみたいな比較的弱い種族は、特に狙われやすいらしい。ろくろく安心して道も歩いていられないって。その話をしたのって、ほかの国……ブロワーズから移住してきたやつなんだけれど、その点、この国は安全だって言ってたな。なにせ魔法が使えないから。それ理由に移住してくるやつも多いって。人の王以外の種族の国なんかでも良いんだけれど、そうなると、間接的に使う魔法なんてのもないから、それはそれで難渋したりするそうだし」
「ああ、間接魔法ですか。自然と灯が点いたりする」
「うん、この国はそれこそ当り前にあるし、誰でも手に入れられて使えるようになっているけれどさ。ほかはそうじゃないらしい。ブロワーズだと水ひとつ汲むのにも力仕事で、あんなちいさい子だと無理なんだって言ってた。その点、この国は楽だし、住み心地がいいって言ってたよ。王子さまもあんなんだけれど、なんだかんだ言って治安も良いしさ」
 足りなくなったのだろう水をふたたび汲んで戻ってきた息子を見ながら、エンゾは言った。
「この前、シュリさんと会ったあと考えてみたんだ。そういう意味で言えば、おいらたちも魔法の恩恵にあずかっていられるわけだし、金だらいが落ちてくるのを呪いとか言っているけれど、勝手に誰かがそう言い出しただけで、ほんとうは違うんじゃないかって」
 それが、真実にいちばん近いのだろうと、シュリも感じた。




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