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 ――ないしょよ? ないしょの話。ほかの誰にも言ってはダメよ。
 もし、本当に自分ではどうしようもなく困ったことがあったら、黒くてちいさな鳥を探すの。
 黒いけれど、羽根に光があたると虹色にも光ってみえる、ちいさくて綺麗な鳥。
 その鳥に、魔女に会わせてって頼むの。
 すごくすごく困っていて、どうしようもできないから助けてって。
 そうすると、魔女が来て助けてくれるの。
 本当に、どうすることもできないほど困っていたら、そうしたら魔女はお願いをきいてくれるの。
 そういう約束なの。
 むかあしむかし、おばあちゃんのひいおばあちゃんの、そのひいひいおばあちゃんの、とにかくとっても昔に、魔女がしてくれた約束なの。
 この血が続くかぎりは助けてくれるって、そういう約束なの。
 だから、本当に困ったときには、黒いちいさな鳥をみつけて頼むのよ。
 大丈夫。黒いちいさい鳥は、ちゃんとみつかるわ。
 だって、そういう約束だから……

*


 後悔は堅牢だ。
 檻のようにして、その者を閉じこめる。
 普段は忘れていても、思い出した時に捕われ、身動きがとれなくなる。
 だから、後悔しないようにする。
 ある時を境に、ルーファスはそう心に決めた。
 これを別の言い方をすれば、

 何人たりとも、俺の邪魔はさせん!

 とりもなおさず、彼のモットーでもある。
 だから、きょう一日で宮殿の壁のあちこちが穴だらけになったところでかまうことはなかった。
 勢いで、扉も一枚ひっぺがしてぶん投げたが、あれは直してまだ使えるだろう。窓ガラスも二、三枚割れたみたいだが、多少は風通しが良くなって良いだろう。
 補修費用もかかるが、それで食べている職人だっている。
 税金の無駄遣いとも言われるが、増税するほどの理由にならない。逆に、贅沢に走りがちなろくでなし貴族たちを節制させる理由にもできる。
 屋根から崩れ落ちるかもしれないから、柱だけは壊してくれるな、という職人たちの頼みさえ守っているから問題ない。
 迷惑と言うならば、ただ、なにするでもなく、口先ばかりでやいやい言ってくる貴族たちこそ迷惑だと思う。
 連中がいるから、壁により多くの穴があくことになるのだから。
 いっそのこと、王位についたら貴族制度そのものを廃止してやろうかとも考えもしたが、よけいに鬱陶しい話になるし、国も荒れるだろうからしないことにしている。
 ただ、単純明快。

 身分に立場、年齢問わず、邪魔なやつはぶちのめす!!

 とりもなおさず、これが彼のルールだ。
 それでもついてこれた場合には、気に入れば身内とするか、気に入らなければ、より一層ぶちのめすかのどちらかだ。
 いきなり直接殴れば、大怪我を負ったり死んだりもするので、まずは一発、脅しをかけて、それでも逃げなければ、そうする。
 大ざっぱだが王子の身分だからこそできることだろう。でなければ、前科何犯あるか数えきれない。
 正直に言えば、政務のこと以外で、頭を使うことはしたくなかった。
 身内の機嫌をいくら取ったところで益になるどころか、ストレスが溜まるだけだ。
 時間の無駄でもある。
 だから、そういった面をカミーユに任せてある。その点、彼女は立ち回りが上手い。
 ただ、きょうに限っては対応が遅れたか、そこまで手が回らなかったのだろう。
 近日中にはなんとかするに違いない。
 それを掻い潜っても、という根性をみせる者がいれば、ルールに則って考えてやらないでもなかった。
 とはいえ、貴族という身分を持つ者に、そこまで気骨のある者はいない。
 残念なことに。
 壁の穴ひとつあけるだけで、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
 そして、また、わらわらとどこからともなく別の者が湧いて出てくる。
 余計なことばかりを耳に入れてくる。
『一人いたら、三十人いると思え』
 そう言ったのは、彼の側近だったか。
『邪魔だ』、『鬱陶しい』、『退け』。
 その三言をいうのでさえ煩わしくなっている。
 既に末期症状だ。
 夫婦であれば、とっくの昔に家庭内離婚状態か協議しているだろう。しかし、蜜月状態などあった試しがないのだから、それも当然の話だ。
 おまけに、政務で国外に出たら出たで、そこにも、また、同じような輩がいたりする。
 ブレンデス王国で開かれた会議での出来事が、その良い例だ。
 通商会議と呼ぶものではあったが、結局は、マジェストリアの持つ間接魔法の技術をすこしは寄越せ、寄越さぬの話だった。
 大した見返りもなく、誰がこれまで努力し、長年かかって築き上げてきた技術を他国に渡すというのか。
 大陸全体の民のために、と奇麗事を述べたところで、楽して務めを果たしているところをみせたい、あわよくば、それを改良してより強い兵器や防衛力を得たい、或いは、経済の活性化、内需拡大をという各国の思惑が丸見えだ。
 現実、マジェストリアがそうであるように。
 要求に対し、彼が一向に首を縦に振らないことに、嫌みのひとつも言いたくなったのだろう。
 あれは、グランレディアの代表だったか。
 それにしても、言う内容を間違えた。
「マジェストリア王家には、稀に妖精族の血が濃く出るものがおりますからな。またいつ何時、国が傾くか知れたものではない。そうでなくとも、どこかの国のように急にドラゴンが暴れて、すべての技術が失われるようなことがあれば、国に限らず大きな損失となりましょう」
 次の瞬間、机は机の役割を終えていた。
 世の中は、まるでルーファスを怒らせる存在ばかりなのではないかと、穿ちたくもなる。

 否。

 ふ、と目に留まったバラの花が否定をした。
 偶然、風に吹かれて花を微かにそよがせただけなのだが、ルーファスには否定したように見えた。
 何枚も花弁を重ねた、薄い黄金色をもつ大輪のバラは、夜のなかでも淡く光っているかに見える。
 見上げれば、中天近くに満月があった。
 花々はその光を反射してみずからを輝かせ、闇に広く放っているようにも見える。
 あまり苛付くようであれば、月でも見ながら散歩でもしたらどうだ、とのカミーユのアドバイスはあながち的外れでもなかったようだ。
 と、その間に、丸いちいさな青い光をふたつ見付けた。
 猫の眼だ、とわかった瞬間、黒い魔女のことを思い出して、ルーファスはまた嫌な気分を思い出した。
 母親とは違い、彼自身は猫を好きでも嫌いでもなかったが、魔女は嫌いだ。
 あの呪いだかなんだかしれないものを、この国にかけているというだけで、嫌いになる理由としては充分だ。
 しかし、こうして見るかぎり、普通の猫のようだ。縞柄の。
 誰かの飼い猫という様子でもない。おそらく、野良猫だろう。
 猫は、警戒したようすでルーファスを眺め、そして、逃げるように小走りに去っていった。
 彼の母が見ればまた悲鳴をあげるに違いないが、どこから入り込んでくるのかわからないものは、どうしようもない。
 召使いや兵士たちが、心の慰めに餌付けしたりもしていることも知っている。この時間、母はとうに寝室にいるであろうし、目くじらたてるほどのことはあるまい。
 そう判断して、ルーファスは猫を追いかけることもなく、また廻廊を歩きはじめた。
 だが、数歩もいかないうちに、こんどは二匹の猫が、目にもとまらぬ早さで前を横切っていった。
「……やけに多いな」
 それでも、そういうこともあるのか、と思う。
 が、眼で追ったさきに、また走る影があった。
 一匹や二匹ではない。
 眼をこらせば、花壇の影の間を走る姿が幾つも認められた。すくなくとも、二桁の数はいる。
 にゃあお。
 鳴き声もあった。
 そして、みな急ぎ足で、縞柄の猫と同じ方向へとむかっていた。
 流石に、ルーファスも眉をしかめた。
 いくらなんでも多過ぎる。一体なにがあるというのか。
 それはわからないにしても、原因は彼にも想像がつく。
 むかっ腹がたった。
 魔女の信用のならなさに。そして、それに頼らざるを得ない己自身にも。

 ――また、なにをしでかすつもりだ!

 ルーファスは、向ける足の方向をかえると、猫たちのあとを追った。
 そして、バラ園を臨むテラスに佇む、想像していた通りの人物を認めた。
 銀髪の長い髪に月の光を浴びながら立つ、魔女見習いの娘。
 しかし、予想もはずした。
 てっきり、猫を集めてなにかを企てようとしているのかと思っていた。
 だが、猫たちは勝手に集まってきたものらしい。なにをするでもなく、思い思いの場所でそれぞれに腰をおろしたり、蹲っている。ただ、立てた三角の耳は、すべて娘の方へと向けられていた。
 どの猫も、ルーファスが近付いても気にはするが、その場を動こうとしなかった。
 そして、ルーファスも、娘から距離をおいた地点で立ち止まっていた。
 緩やかな高低のある旋律が彼の耳にも届いた。
 冷えるほどではない夜気に溶け込むような微かな声だ。
 娘は歌っていた。
 舞台で聴くような感動を促すものではなかったが、素朴な歌声は耳に馴染む。
 不思議と聴いていたいと思わせた。
 ルーファスは暗がりの中に立ち止まったまま、歌に耳を傾けた。
 異国の言葉か、歌詞の意味はわからない。
 どこの国の言葉か。
 いつの間にか、腹立ちは消えていた。
 代わりに、静かな穏やかさに支配される。
 月が雲に陰った。
 夜の色が濃くなった。
 薄く広がる声は、夜のバラの庭をゆったりと流れていった。
 最後の一音が過ぎても、余韻に浸るように猫たちは動かなかった。そして、ルーファスも動くことはしなかった。
 気を取り直したきっかけは、虫の鳴き声だった。
 ちり、と一匹が鳴いた声に、すぐにほかの虫たちも鳴きはじめた。それが合図だったかのように、猫が動き始めた。身を翻し、散るように去っていった。
 それを見てようやく、ルーファスも歌の間の異常な静けさに気付かされた。
 我に返れば、当の魔女の娘は窓を開け、部屋の中に入ろうとしているところだ。
「待て」
 急いで、ルーファスは声をかけた。
 声を荒立てたつもりはなかったのだが、「ひっ」、と怯える声が応えた。
 また、すこしだけ、むかついた。




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