エンゾとの会話から二日間、シュリは更に国のことについて調べた。
ふたたびタトル氏にも相談し、助手であるダイアナとムスカとも話した。もちろん、マーカスとも。
依然として、誰がどういう理由で金だらいを落すように仕掛けたかはわからなかったが、その仕組みに関するひとつの仮説は成立ちつつあった。
そして、これがけっして呪いではないことも。
あとは仮説を確信に近付けるための裏付けをする必要を感じた。
同時に、解呪方法も考えなければならないだろう。
ためらいはあるが。
現状を見るかぎり、これをどうすべきかはシュリには難しすぎて判断がつかない。
解呪するにしても、しないにしても、どちらにしても良い面と悪い面がある。どちらかが良いなどとは、彼女には言えなかった。
みなに意見を求めたところ、全面賛成のマーカス以外は、表向きは解呪に賛成しながらも、本音としてはどちらでも良いという印象だ。
エンゾの話したとおり、直接に魔術を使うことができる他国では、無法に使用する者たちが頭の痛い問題になっていると聞いた。
「魔法が使える賊だったりすると、魔力をもたない人は抵抗できなかったりするもの。犯行のあと証拠が残らないようにぜんぶ燃やしちゃったりするから、なかなか捕まえられないってきくし。あと、横着して荷物運びに使って、他人の家を壊したりって聞いたわよ。でも、逆に、襲われた時、わたしなんかでも魔法で撃退できるのはいいわね。あと、怪我が治せるのはいいなって思う。手当てが早ければ助かる人もいるかもしれないしね。要は、使い方次第ってところかしらね」
すこしだけ魔力を持っているというダイアナはそう言った。
「世の中、良い人間ばかりじゃないしね。鼻持ちならない貴族連中が魔力を使えるようになったら、ろくなことにならないんじゃないかな。でも、きっと、そういうやつらこそ、使いたがると思うよ。こどもに刃物を持たせるより危険だろうな。むかつくだろうしね。それに、女の子によっては、男の俺より強くなるってのも嫌だな。なんとなくだけれどさ」
ほとんど魔力を持っていないというムスカは、ダイアナに小突かれながらも笑った。
「魔力をもっていたところで使い方を知らねば、持っていないのと同じことですからな。その辺の教育制度をどうするかにもよるでしょう。法の規制もそうだが、いちばん危険なのは、中途半端な知識が横行する状態と思われます。正しい知識がなければ、剣を包丁代わりに使うのと変わらないでしょう。歴史の解釈をみてもわかる通り、わからない部分はそれぞれにとって都合よく解釈したりするものです。学問の場合はそれですむが、魔法はそうはいかないに違いない。それは周囲にとっても危険ではあるが、最も怪我を負いやすいのは当人であることに気付いた時には遅いわけです」
と、もとから魔力に縁のないタトル氏は、そう論じた。
ここは、ルーファス王子の判断に任せるべきなのだろう、とシュリも思う。
だが、当の王子の目的は、望まない婚姻を反古にするためのようだ。逆に言えば、婚姻の話さえなくなれば、解呪の必要はないとも考えられる。
その辺をどう考えているのか?
疑問に思う。
「魔術が使えないことで得する人ってだれなんでしょうか?」
マーカスに訊ねてみた。
「ええ、得する人かあ。僕もその辺のことは明るくないけれど、そうだなあ、やっぱり、魔硝石を産出する国とか業者かなあ? 恩恵を受けるって言い方をすれば、魔力を持つ持たないに関係ないしね」
そういう答えだった。
「魔力を持つ人ってどのくらいいるんでしょうか」
「ううん、そうだなあ。使えるかどうかは別にして、持っているだけならば、十人の内、ふたりから三人ってところかな」
「案外すくないんですね。それでも、解放した方がいいって意見が強いんでしょうか」
「まあ、そうだね。政治をおこなっている貴族は魔力を持つ人がほとんどだから」
「そうなんですか?」
「うん、だいたい八割ぐらいが持っている」
「どうしてそんなに多いんですか?」
「貴族と呼ばれる人のほとんどが、大昔に国を守るために、中心になって戦った人の子孫だからだよ。戦って功績をあげれば、特権も与えられるし、政治にもかかわるようになるだろ? やっぱり、魔法が使えた方が戦うにしても有利だからさ」
「ああ、そういうことなんですか。でも、そうすると、魔力を持たない人たちの意見はどうなるんでしょうか。強くて偉い人たちの為に、弱い人たちが犠牲になるってことになるんじゃないですか?」
「はっきり言うね」
そばかす顔に苦笑が浮かんだ。
「そうはならないと思うよ。まあ、最初のうちは混乱するかもしれないけれど、ルーファス殿下がちゃんとしてくれるんじゃないかな? 魔力を持たないカミーユさんも傍にいるしさ。その辺の意見もちゃんと取り入れると思う。殿下は誤解されやすいけれど、悪い人じゃないよ。なんだかんだ言って、下々のことまで考えてくれているしさ。俺なんか大した家の出じゃないけれど、こうして王宮で働かせてもらえているし。最近までは、もとから身分がないと門をくぐることさえできなかったんだぜ? あの人がいるから、他の国もそう無理を言ってこれないってところがあるんだよね。ちゃんとその辺も考えてくれていると思う。まあ、大変だとは思うけれど、なんとかなるんじゃないかなあ?」
そうマーカスは言った。
王子は頼りにされているのだな、とシュリは思う。
やはり、彼女にとって怖い人に変わりはないけれど。
そばに立っているだけで威圧感があるし、たぶん、嫌われているのだと思う。
カミーユと同様に、なにをした覚えもシュリにはないのだが、仕方ないのかなとも思う。
なにせ、こんなふうに人と交わるなど、彼女にとって生まれてはじめてのようなものだから。正直、どうしてよいのかわからない。言葉ひとつかけるにしても、びくびくものだ。その姿を思い出しただけで、ぶるり、と震えも出る。
だが、そうであっても、この数日間でたくさんの人と会って話して、すこしは人に慣れたところもある。短い時間ならば、逃げ出さずに我慢して、話すことぐらいは出来るだろうと思われた。
その場にほかの人が同席してくれるならば、尚、心強い。マウリアさんとか、マーカスとか。
その時のことを考えるだけで、気が重い。気は重いが、近々、いちど王子と話さなければならないだろう。
すくなくとも、これまでわかったことを報告して意見をきいたほうが良いだろうし、解呪の方法の相談もしなければならない。できれば、一旦、家へ帰らせて貰えるように頼みもしたい。
家のこともあったが、いくつかもってきたい道具もあるし、確かめたいこともあった。
部屋で考えながら、シュリは深い溜息をついた。
気がつけば、部屋にある置き時計の針が夜半近くをさしていた。
きょうは満月だ。
こんなときでも、場所に限らず、魔女の務めは果たすべきだろう。
シュリは椅子から立ち上がると、窓から外に通じるテラスへと出た。
同じ夜でも、森とは明るさが違って見えた。
風があるにもかかわらず、大気の温度も高く感じる。
目の前では、月の光を浴びながら、たくさんのバラの花がそわそわと落ち着かないようすで風に花弁を揺らしていた。
シュリは肺いっぱいに夜気を吸い込むと、今度は細くゆっくりと吐きだした。そして、歌いはじめた。
闇を祝福するための歌。
光の精霊のちからが勝る、満月の夜の魔女の習慣。
闇に加勢することで、ちからの均衡を保つ。
それが、魔女の務めであり、存在意義。
均衡が崩れたらどうなるか?
「おそらくすべてが荒れるだろうね。干ばつになったかと思えば、大雨が降って大洪水になり、山は形を崩しもするだろう。植物は育たなくなり、生き物は病に倒れ、すべての精霊が気が狂ったように暴れ回った揚げ句に自滅していくのだろうな。そして、この地に生は存在しなくなる。そして、魔女はいなくなる。これまで戦が起きるたび、規模はそれぞれ違うが、似た状態になった」
そうシュリの師匠は答えた。
「この世は美しい流れで出来ている。それを知らないほんの僅かな生き物が狂わせもする。ちいさな狂いを眼にしたところで、いちいち気にする必要はない。おおかたの流れが正常であれば、私たちが手を貸すまでもなく、自然と直るものだからね。それでも、流れを大きく乱さないためには、日々の務めを怠らないことが必要なのだよ」
なぜ魔女が存在するのか、シュリにはわからない。
どうして魔女がそんな役目を負うのかも、シュリにはわからない。
だが、月夜にこうしてひとりで歌うのは好きだった。
虫が遠慮して、鳴くのをやめてくれた。
近くに、猫が寄ってきたのに気がついた。
森で歌っている時には、色んな種類の森に暮らす動物たちが集まってきた。高い城壁に囲まれたここでは、猫ぐらいしか来ることができないらしい。
人は闇を厭うが、必ずしもすべての生物に当て嵌まるものではない。実は、気付いていないだけで、人にもそれは必要だ。
怖れは生じても、同時に安らぎもあるのだから。
怖れすらも、人にとっては大事な感情であるのだから。
影がほんの僅か、色を濃くした。
ざわついていたバラが、静かになるのを感じる。そして、そのぶん、蔓を伸ばし、葉を繁らせる。
生き物はみな、夜の安らぎの中で成長をする。
闇の静けさは土の精霊を落ち着かせる。土の精霊が落ち着けば、風や水の精霊も動きをゆるやかにする。それに応じて、ほかの精霊たちも落ち着きを取り戻す。そして、それらに取り巻かれる生き物たちは、気付かない程度ではあるが、その影響を受けているわけだ。
身体に。
精神《こころ》に。
すべてが繋がり、循環しているのをシュリは感じる。
歌い終った時、彼女の心も落ち着きを取り戻していた。
声をかけられるまでは。
「待て」
いつからそこにいたのか。
姿ははっきりしなかったが、声だけでそれが誰かはすぐにわかった。
会って話さなければ、と思っていたその人だ。
しかし、不意をつかれ、つい、反射的にシュリは怯えの声をあげていた。