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 それで、と眉間を指でほぐしながら、カミーユは目の前に立つ青年に質問した。
「なぜ、あなたがそれを伝えるのですか?」
 昨夜はいろいろと考えすぎて寝不足になったための仕草だったのだが、他者には不機嫌そうに見えたらしい。
 そりゃあ、と問われたマーカスは眉をはっきりと八の字にしたまま答えた。
「命令ですから。逆らえませんよ」
「意見はしなかったのですか」
「したところで、あの人が僕ごときの言うことに耳を貸すわけがないじゃないですか」
 己を貶めるでもなく、さらりと事実を口にする。
 それには、カミーユも、そうだな、と納得した。
 彼女にしても、技を駆使した上で主に言うことをきかせられる確率は五割以下だ。それでも、聞いて貰えている方なのだろう。
 それにしても、逃げたな、と思う。
 なんだかんだと文句を言われるのを嫌がって。
「まあ、勝手な方だから」
 溜息をつきながら、カミーユは事実を受け入れた。
 それにしても、思いのほか早い進展だ、と思う。
 運が良ければ、程度でお膳立てしてみたが、うまく行き過ぎた感もある。
 これが裏目にでなければよいが、と危惧も浮かぶ。
 ここでしくじれば状況はさらに悪化することになるだろうが、まあいいか、とも思う。
 そうなったところで諦めるはずもなく、力技でなんとかするだろう。
「それで、いつ戻ってこられると?」
「今日中には戻られるそうです。それまでのことは貴方にまかせると。僕にはこちら側の門のサポートを任されました。なにかあれば、すぐに連絡すると言うことです」
「そうですか」
 連絡しろ、ではなく、連絡する。
 さも当然のように口にされただろう命令を、単に信頼の証と受け取るには、過去の経験が邪魔をする。
「不在の間に、私が滅茶苦茶にしておいたらどうするつもりですかねえ?」
 一度やってみようか、と悪戯心に思わなくもない。
 マーカスが乾いた笑い声をたてた。
「そんなことしたら、この部屋どころか王宮が半壊しますよ。間違いなく半殺しのめにあいます」
「ああ、それは嫌だな」
 冗談にならないところがすごい。
「王子もここのところ、相当、苛立っていましたからね。たまには、気晴らしになっていいんじゃないですか? シュリさんには気の毒ですけれど」
「ああ、そう言えば、彼女の様子はどうでしたか? 怯えて騒いでいたのではないですか」
 それには、青い魔法師の制服を着た青年は、いや、とそばかすの浮く顔を傾げた。
「そういえば、そんな感じではなかったですね。驚いてはいましたけれど、案外、普通に話していましたよ。あれ、いつの間に慣れたのかなあ?」
 ふうん?
 それには、カミーユも意外に思いながら首を捻った。
「なにかありましたかね」
「ですかねえ? シュリさんもずっと調べもので書庫と部屋の往復ぐらいしかしていなかったと思うんですが……まあ、王宮の生活にも慣れて落ち着いたのかもしれませんね」
「殿下の御様子は? なにか変わった様子はありましたか」
「なにかってなんですか。いつも通りです」
 ふうん?
 ということは、ルーファスがまだ気付いてはいないらしい、と察する。
 それもなく、第一段階は通過したらしい。
 人と人が接触して、普通に対話できる関係にまではなったということだ。
 ここで進展するか、すべて裁ち切れとなるかは、本人次第だろう。
 ここでしくじっても、まだやり直す時間はあることだし、その時にはまたすこし手を貸すのもよいだろう、とカミーユは密かに考えた。
「まあ、せいぜい愉しんでこられるとよいですね」
 そして、せいぜい愉しませて欲しい。仕事を押し付けられる駄賃として。
 笑みを浮かべて言えば、なにも知らないマーカスは、はあ、と少々おびえた様子で答えた。

*


 次の日の朝食後、迎えに来たマーカスと共にこのままふたりで出掛けるかと思いきや、転移用の方陣専用の部屋に、ルーファスが馬を連れて待っていたのには驚いた。
 六角形の部屋の真ん中、床一面に掘られた精密な方陣の真ん中で、青鹿毛の馬を撫でながら当り前の顔で立っていた。
「ど、ど、どどどどうして?」
「看視が同行すると言っただろう。それに、転移用方陣は、本来、王族のみが使用できるものだ」
 どもるシュリを前にして、ルーファスは出掛ける気満々の様子で答えた。
「で、ででででで、でもっ! おおおおおお王子さまが看視なんて、そんなおおおお畏れおおい」

 来るな。来てくれるな。

 シュリは、ことばにすることなく必死で願う。
 昨晩のことあって、以前ほどの怖さは感じなくはなっているが、それでもなにかの切っ掛けで爆発するかと思えば、やはり、怖い。
 それよりも、折角、家に帰れるというのに、これでは久し振りに羽根を伸ばすこともできない。
 だが、『空気が読めない』というより、『気遣いがない』ルーファスは答えた。
「気にするな。俺も用事がある。そのついでだ」
「用事?」
 はて?
 前に来た時に忘れ物でもしたか、とシュリが首を傾げれば、
「ドワーフのところへ行くのだろう。俺も頼みたいことがある。ドワーフは、初見の依頼を受けないと聞くが、おまえが一緒ならば聞きもするだろう」
「……ああ、そうですか」
 ドワーフは気難しいことで有名な一族だ。
 相手限らず滅多に心を開かない、そろいもそろって仏頂面がトレードマークのような一族だ。
 だが、ひとたび身内になれば、愛嬌ある性格と誠実な人柄に接することができる。
 困った時には、なんでも力を貸してくれる頼もしさがある。
 森の外れにある山に暮らすドワーフたちに、定期的に野草などでつくった薬を調合して渡したり、道具に加える魔方陣の相談などを受けているシュリは、彼等にすっかり娘のように扱われて、なんどか世話にもなっていた。
 彼等は、穴掘りと鍛冶にかけては、他の種族の追随を許さない腕前をもっている。特に鍛冶師としては、魔力を持たないにも関らず、魔硝石以外の素材であっても、ほんの僅かでも抱えている魔力を最大限に引き出して練り合わせ、素晴らしい魔法具を作ることができる。
 魔法で作られた防御壁を打ち破る剣とか、シュリが作ってもらった、植物に含まれる毒を中和してくれる鎌など。
 ルーファスの用事とは、間違いなくそちら方面のことだろう。
 昨夜、シュリからドワーフの話を聞いて、決めたにちがいない。
 効率的といえば聞こえがいいが、抜け目がないともいう。
 シュリはドワーフにも負けないだろう、己の掘った墓穴という名の深い淵を呆然と眺めた。
「それから、俺のことはルーファスと呼べ。敬称もいらん」
「えっと、でも、」
「王子と知られれば面倒もある」
 きっぱりとした言い様に戸惑いながらマーカスの顔を見れば、「言う通りにして」、と小声で穴の中に放り込まれた。
「えと、では、そのようにします」
 力なく答えれば、王子以外の何者でもない鷹揚な頷きがあった。

 転移用の魔法方陣は、一瞬でシュリたちをイディスハプルの森近くに設置されていた別の方陣へと転移させた。
 本当になにが起きたかわからないぐらいの、あっという間だ。
 着いた場所は、宮殿と同じような方陣以外はなにもない部屋だったが、建物自体が砦であるらしく、兵士たちによって厳重に守られていた。
 時間がなかったので、床の方陣を詳しく見ている暇もなかったのだが、シュリがちらっと見た限りでは、感心するほど緻密で複雑なものだった。彼女でも読み解くのには、それなりに時間が必要と思われた。
 方陣にはところどころ窪みがあって、出発時には、マーカスとマーカスと同じ服を着た三人の男たちがその窪みに白い石を置いていた。
 石は、例の魔硝石だろう。
 おそらく、石にも方陣が施してあるに違いない。
 その置く位置によって、行き先などの条件付けを変えているようだった。
 あとは、四人の魔法師が方陣を取り囲むようにして、そろってスティックを示しての『発動』のひとことで、別の方陣の中に立っていた。
 そして、シュリはいま、ルーファスの馬の上でルーファスの背中を見ている。

 かっぽかっぽかっぽかっぽ……

 規則正しい蹄の音を聞きながら、揺られている。
 馬に乗るのははじめてだったこともあるが、シュリとしてはどうにも落ち着かない。
 怖ければしがみついていろと言われたが、抱きつくのも怖いので、うしろの鞍の縁をしっかりと握っている。
 おかげで数日ぶりに戻ってきた森だというのに、のびのびとした気分にもなかった。どうにも落ち着かない。
「あのう、訊いてもいいですか?」
 広い背に向かって声をかけてみれば、「なんだ」、と振り返ることもなくそっけない返事があった。
「あの魔方陣って、国中にあるんですか?」
「ああ。全部で十二箇所ある。あれを使えば、一日で国中至るところに行くことができる。ほかにも同盟国数カ国については、人は無理だが、物の遣取り程度はできるようにしてある。一方通行のものではあるが」
「人の行き来は無理なんですか?」
「そうだな。距離的なものもあるし、重量があるものを運ぶにはそれなりの魔力を要する。国によっては、それぞれ魔法による障壁も設置されてもいる。それがない国もあるが、標高も含めた正確な座標がわからないことには無理だ」
「標高……土地の高さですか。違っていたらどうなるんですか?」
「どうにもならない。なにも届かないか、妙なところに飛ばされるだけだ。座標は最初の取り決めによって先方から知らされたものをこちらで設定したものだが、一度、ある国に送った書状が届かなかったことがある。原因を調べてみると、いつの間にか土地がすこし隆起していて座標位置がずれた原因によるものだった。同じ場所の床板を引き剥がしてみたところ、半分、地面に埋まった書状が見つかった」
「……すごく微妙なものなんですね」
「そうだ。以来、毎年、座標位置の確認が行われている。よほどの急を要さないものに関しては、昔ながらに人の手を使って送られることが普通だ」
「向こうからこっちには来られないんですか?」
「それが、できたら困るだろう」
「そうなんですか?」
「軍隊が送り込まれたらどうする気だ」
「ああ、ええと」
「もっとも、直接魔法で人ひとりを運ぶだけで相当の魔力が必要だ。また、それだけの力量のある魔法師も限られるようではある」
 やはり、魔術と魔法では、そういったところに大きな違いがあるようだ。
 便利なところもあるが、不便さもある。
 魔法も魔術も万能ではないということか、とシュリは理解した。
 頭上で鳴く鳥の声に、シュリは見上げた。
「あ、おはよう」
 顔見知りのルリビタキが羽ばたいていた。
 挨拶をすれば、返事があった。
 シュリは答えた。
「あ、ううん。きょうは一日だけ戻ってきただけ。また行かなきゃいけないの。ちがう、ちがう。半月ほどして用事がすんだら戻ってくるよ」
「なにを言っている」
 むっ、とした問いが前からあった。
「挨拶したんです」
「誰にだ」
 ルリビタキに、とは思っていないらしい。
「ええと、知り合いの鳥にです」
「鳥と話せるのか」
「ええ、はい」
「……やはり、その辺は魔女か。常識が通じんな」
 己のことは棚に上げて、苦々しげにルーファスは言った。
 ルリビタキがシュリの頭の上にとまって、また鳴いた。
「この人はルーファスさん。いま、この人のところにいて、頼まれ事をしているの。そう」
 大丈夫なのか、と言わんばかりに、ちいさい嘴でこつこつとシュリは頭を突かれた。
「だいじょうぶだよ。うん、師匠にも会えたし、みんなにも心配かけてごめんねって伝えておいて。ありがとうって」
 そう答えると、青い羽根をもつ小鳥は、わかったと飛び立っていった。
 背を向ける男から、不機嫌そうに鼻がひとつ鳴らされた。

 先にドワーフの方の用事をすませることにしたが、薬草を持っていくために、一度、シュリは家に寄った。
 家の扉が閉まっていたことに、シュリは安堵した。
「あれ?」
「どうした」
「いえ、軒下に干していた野草が、」
 なかった。
 ルーファスを外に待たせて、ひょっとして、と家の中に入ってみれば、机の上に取り込まれたものが置いてあった。
 師匠がほんとうに気を利かせて取り込んでおいてくれたらしい。
 見れば、部屋も片付いている。一番、心配した鍋の中身でさえ、綺麗になっていた。
 珍しいこともあるものだ、とシュリは首を傾げた。
 一緒に暮らしていた時は、縦の物を横にするのでさえ面倒臭がっていたというのに。
 きっと、師匠の機嫌がとてもよかったのだろう、と思う。
 そうでなければ、師匠の言いつけで長期間、家を離れることにもなったのだから、このくらいは、と思ったのかもしれない。
 どちらにしろ、シュリにとってはありがたいことだった。
 窓の外に、手持ち無沙汰で待つルーファスの姿がみえた。
「いそがなきゃ」
 シュリは保存庫から調合済みの薬の入った袋と瓶を五つずつ取りだして運搬用の袋に詰めると、急いで外にでた。
「おまたせしました」
「遅い」
 そして、ふたたび騎乗するとドワーフ族の暮らす山に向かった。
 だから、その時、暖炉の上に置かれていた小箱にシュリが気付くことはなかった。




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