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 シュリたちが滝つぼで騒いでいる間、王宮でも一頻り騒ぎが起きていた。
「どどどどどどうしよう! 来ちゃったよ、来ちゃったよ! どうしようっ!」
 顔面蒼白なのは、ドレイファス王。
 たっぷんたっぷんのお腹を揺らして右往左往。ゴマシオ頭も乱れがち。
 そして、妻に縋った。
 いつものように。
「披露宴はまだ先だってのに、どうしてこんなに早くっ!」
「すこし落ち着きなさいませ、陛下」
 答えながらも妻たる王妃は、ぱしっ、と鋭く扇を鳴らした。
「先触れもなく突然に訪れるとは、さすがにトカゲ族は礼儀を弁えぬとみえる」
 あったのは、国境砦よりの伝令。
 すでにシャスマール国レディン姫一行が、マジェストリアに入ったとのこと。
 あと一週間ほどで王宮に到着する予定という。
 婚約を承知したことにいても立ってもいられず、ルーファスに会いに来たらしい。
 披露目の宴席まで滞在し、マジェストリアの仕来りなど知っておきたい云々。
 御託はいろいろあるが、つまるところは、機を見てルーファスとより親密に、あわよくば、既成事実もつくってしまおうという魂胆だろう。

 ――そうはさせじ!

 いまだ、こちらも諦めたわけではない。
 如何なる試練があろうとも、最後まであらがい、諦めないことが肝要。
 それが、数々の戦いを乗り越えてきたビストリアの流儀。
 それに、当のルーファスが抗っているのに、親である彼女が退く理由はない。
 おろおろと狼狽えつづける伴侶に向かってビストリアは言った。
「陛下がお会いになる必要はございません。体調を崩しているとでも言って、お部屋でいつも通り、務めと勉強に励んでいてくださいませ」
 え、とうろうろしていた足が止まった。
「でも、当然、国賓扱いしなきゃいけないでしょう。嫁になるわけだし、会わなくてまずくないかなあ。心証悪くして国に言い付けられたら、ことだよ?」
「ルーファスが目的なのですから、貴方に会わなくともなんの問題にもしませんでしょ。それよりも、また余計な口をきいて、さらに付け入る隙を与える方が問題。貴方は歓迎の宴と披露目の席で二言三言、形ばかりのお声をかけるだけで充分です。レディン姫のことは、万事、私にお任せくださいまし」
 トカゲ族とは言え、所詮は十七才の小娘。
 身体には劣るものの、別に殴り合いをするわけではない。
 機転と強気と根性及び忍耐が勝負の女の戦いにおいては、ビストリアの敵ではないだろう。
「それでいいのかい?」
 気弱な笑みをみせる伴侶に彼女は薄く、不敵に笑ってみせた。
 多少ブランクはあるものの、きらり、と光る内なる名刀の輝きは健在だ。
「ええ、知りたいとおっしゃっているのですから、マジェストリアの流儀および礼儀作法を手取り足取り、しかと御伝授させていただきましょう」
 そして、すぐに出掛けているという息子の代わりに、その側近を呼ぶよう申し付けた。


「それはまた、急なことですね」
 呼ばれてやってきた男装の麗人はレディン姫の来訪の報に、そう驚いた様子もなく言った。
「そういうわけで、ルーファスも式まで一度、二度ほどは顔を会わさねばならぬであろうが、それ以外は極力こちらで留める故、そちもそのつもりで対応するよう心がけよ」
「畏まりました。出来得るかぎり丁重に、穏便に、失礼のないよう、殿下のお傍には近付かれぬようにいたします」
「しかと頼むぞ」
「はい」
 頭を下げるカミーユに、ビストリアは鷹揚にうなずいてみせた。
「して、そちらの状況は如何か。シャスマールを牽制できる程度には進んでおるのか」
「はい、徐々にではありますが進んでおります。必ずや女王陛下にも御満足いただける結果になるかと存じます」
「頼もしいの」
「畏れいります」
「しかし、今回の件が上手く片付いたとしても、またも同じことがないとは限らぬ。王位継承についてもそろそろ考えねばならぬしな。その点に関してはどうであるか」
 それとなく、最大の問題点に触れてみる。と、
「そちらも問題ないかと」
 淀みない返事が返ってきたことに、胸中、驚きを覚えた。
「問題ないとは、どういうことか。具体的に申せ」
 ビストリアは眉をひそめた。
 すると、さて、と美麗な微笑みが向けられる。
「ことば通りに御座います。ルーファス殿下におかれましては、王位を継がれる意志にお変わりなく、またそのための下準備は整いつつございます」
「王に即位するためには、伴侶あってこそというのが我が国の仕来りであるが」
「それも承知しております」
「定めた相手がおるととってよいか」
「はい。しかしながら、お相手の姫君はまだこのことをご存知ではありませぬ故、いまは静かに殿下にお任せして成り行きを見守っているところに御座います」
「姫と申したか」
 令嬢ではなく、姫。
 いずれかの王家の血筋を引くということか。
「はい」
「他種族ではあるまいな」
「多少は他の血も雑ざってはおられますが、人族として数えられる方にございます」
「いずれの姫君か」
「それは、まだ伏せておいたほうが宜しいかと。繊細な問題でも御座いますし、現状、シャスマールにこのことが知られれば、いらぬ騒ぎを引き起こさないとも限りません。それが原因となって上手くいくものもいかないともなれば、殿下のお心の傷にもなりましょうし、外交問題にも発展しましょう」
「国同士の繋がりとしては、如何か。婚姻を機に、侵略を受けるということはあるまいな」
「それについては、なんの問題もございません。多少、騒ぐ者もおりましょうが、双方の益を思えば、納得するのにそう時間はかからないかと」
「なるほど。ほかにこのことを知る者は」
「私と殿下のみにて」
「よもや、形骸を意味するものではあるまいな」
「滅相も。形ばかりの婚姻であれば、シャスマールの姫君であろうと問題はありますまい。殿下がお相手の方を強くお望みになってのことに御座います。御成婚となった暁には、さぞかしお世継ぎも期待できることで御座いましょう」
 ビストリアは扇の影で、ほ、と吐息をついた。
「よもや、あのルーファスが、いつの間に……さほどに美しいのか」
「間違いなく。我が国でも随一の美姫と呼ばれることになりましょう」
「健康であるか」
「はい。心身ともにお健やかな方に御座います。少々、人前にでることには慣れぬ、世に疎くもありますが、性根の素直な方でありますし、いずれは慣れましょう」
「年は」
「娘盛りにて」
「ほう?」
 言うことなし、だ。
 だが、ここまで好条件の相手となれば、裏があるのではないかと疑わしくも感じる。
 そんな姫がいるのならば、とうに候補として上がってきていてもおかしくはない。
 それとも、一度、候補にあがりつつも蹴った相手か? それで思い直した?
 ビストリアは目まぐるしく頭の中で考えながら、カミーユの表情をうかがう。
 目の前に座る息子の側近である麗人は、精巧なまでの笑みを崩そうとはしない。
 本当のことか、はったりか。
 どちらであっても、ここまでできれば、天晴れとも言える。
 すくなくとも、ルーファスが同性愛者でないことが知れただけでも大収穫だ。
 ビストリアは扇を閉じた。
「もし、なんらかの理由で婚姻がなされねばどうなる」
「万が一も御座いませぬでしょうが、その場合の策も講じてあります」
「なるほどの」
 頷きながら、ビストリアはカミーユをじっくりと観察した。
 こうして接見するのは幼かったころ以来だが、なかなかどうして女人にして見どころがある。
 見目もよいし、ルーファスとの年回りもよい。
 最悪、その相手の姫が駄目な場合でも、彼女をルーファスの妻に推しても問題はないだろう。
 ガレサンドロ伯爵自身は権勢欲の強い小物であるが、どこか別の家の養女としてからという手もある。
 どちらにしても、いずれは王妃となる者だ。彼女の後を継ぐ者。
 選択肢は多くあった方が良いし、慎重に選んで間違いはないだろう。
「そちのような者が傍にいるならば、ルーファスも安心であるな」
「勿体なきおことばいたみいります」
「吉報を期待しておるぞ」
「はい、必ずや」
「さがれ」
 カミーユの退出を待って、持っていた扇を鳴らした。

 ――まずは、シャスマールをなんとかせねばな。

 先行きに活路を見出せたいま、気構えもやる気も変わってくる。
 全力を尽くして損はないだろう、と思いもする。

 ――なんとしてでもトカゲ族を退けてみせようぞ!

 鏡に映さないかぎり、己がいまどんな表情を浮かべているか、知る者はいない。
 ただ、言えることは、この場にこの国の王がいたならば、間違いなく震えているだろうということだ。
 高笑いさえしそうな笑みを、ビストリアは顔面一色に湛えていた。
 構図だけ見れば、恋する心だけを抱えてやってくるヒロインの到着を手ぐすねひいて待つ敵役にしか見えない。
 真昼のドラマの定番とも言える。
 それは、悲劇か喜劇か。
 そんなことは、その道を行く者たちにとっては、どうでも良いことだ。
 たとえば観客がいたとして、口にしているのがせんべいだろうが、ポテトチップだろうが、ポップコーンだろうがどれでもいい。
 それくらいの重要性でしかない。
 めざすは、己にとってのハッピーエンドのみ。他人の目にどう映ろうと知ったことではない。
 あの山こえて、谷こえて。荒波さえも、その道標。
 いざ、行かん、幸福への道! この手に掴め、青い鳥!
 それだけだ。
 あの親にして……否、この親にして、あの子あり。
 間違いなく、ルーファスは彼女の血をひいている。




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