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 さて?
 ビストリアとの接見を終え、カミーユも廊下を歩きながら頭を働かせる。
 イレギュラーな出来事が重なったために、すこし整理が必要だった。
 が、そうは言っても、大したことはないか、とすぐに思いなおした。
 レディン姫のことは、女王陛下に任せておけばよいだろう。
 おそらく、ルーファスが知れば怒り狂いはするだろうが、一応は立場を弁えて、公式の場においては最低限の礼儀は尽くすぐらいのことはできるだろう。その間、魔女の娘は部屋から出ないようにしておけばよい。
 問題は、ルーファスとその魔女の娘の関係だが、こればかりは帰ってこないことにはわからない。
 進展しているか、後退しているか、それともなにも変わっていないか。
 できれば、そろそろ気付いて欲しいものだ、と思う。
 その方が面白そうだから。
 探し求めていた姫が目の前にいた事実に、どんな顔をしていることか。
 しかも、魔女に育てられて!
 それを想像しただけで、自然と咽喉が鳴った。と、
「おや、これはカミーユ殿、こんなところで奇遇ですな」、と声をかけられた。
「これはセディアル伯爵、御機嫌よろしゅう」
 なにかと社交界に顔のきく伯爵の顔にカミーユは足を止め、挨拶をした。
「なにやら楽しげなお顔をなさっておいでだが、なにかよいお話でもありましたかな」
 そう言う五十絡みの伯爵の顔はどこか冴えない。動物の髭のように白く横に張り出たもみ上げも、いつもよりもくたびれて見えた。
「いえ、少々、思いだしたことが御座いまして。伯爵は如何ですか。最近はなにやらお忙しいとうかがっておりますが、少々、お疲れになられているのではございませんか」
「いや、それもあるが、そんなことよりももう聞かれているか、シャスマールのレディン姫がこの王宮に向かわれているという話」
 声をかけられたのは、情報収集のためらしい。
 カミーユは内心でほくそ笑んだ。
「これはお耳の早い。ええ、たった今、王妃さまよりじきじきにお聞かせ戴いたところにございます」
「やはり、本当のことであったか」
 伯爵は、なにをせずとも刻まれた眉間の縦じわを濃くした。
「王妃さまはなんと?」
「特別なことはなにも。丁重にお出迎えなされよとの御指示です」
 そう答えれば、はあ、と深々とした溜息が洩らされた。
「やはり、そうするしかないのか。王子はこのことは、すでに御存知かな」
「いえ、今日は公務でお出掛けになられておりますので、まだこのことは。ですが、姫の御到着にはまだ余裕もございますので、本日、お戻りになられ次第、お伝えすることになります」
「そうか」
 はあ、とまた溜息がある。
「いや、あまりこういうことは口にすべきとはわかってはいるのだが、気が重い。めでたき御成婚の相手がトカゲ族というのはいささか、」
「まことに。ここだけの話、王子の御機嫌もすぐれませぬ故、なにかと支障あることは確かです」
 カミーユもわずかに眉をしかめながら、声をひそめた。
「やはり、そうであるか。いや、そうであろうなあ」
「ええ、なんとかならないか、と知恵を絞ってはいるのですが、なかなか」
「シャスマールに対抗できる国といってもかぎられる」
「魔硝石さえ手に入る新たなルートがあればよいのですが」
「ドルーアの資源が豊かという話は聞いてはいるが、いかんせん東セルリアの端の端の国となると、運んでくるだけでも費用がかかりすぎるというのもあるしな」
「そうですね。海路が使えればよいのでしょうが、陸路だけとなると運ぶ量にも限度がございますし」
「頭の痛い問題だな。かといって、このままでも、一時的には収まっても、この先またなにがあるか。殿下の次のお世継ぎのことも考えると頭が痛いばかりだ」
 はあ。
 伯爵の口から、溜息が際限なく洩れる。
「クラディオンが滅ぶことなくいまも残っていれば、こういう事態にならずにすんだかもしれませんね。あの時も仕方なくはあったのでしょうが」
 カミーユは、できるだけさりげなく言った。
 伯爵の顔がますます渋くなった。
「……確かに。そうとも言えるが」
「今更、言ったところで仕方ありませんが」
「いや、まったく」
「しかし、御存知ですか、あの噂」
 カミーユは囁いた。
「はて、どの噂かな?」
「クラディオン王家の血筋の姫が生き残っておられるという噂ですよ」
 伯爵の青い瞳が瞠目した。
「あくまで噂ではありますが」
 重ねて付け加えては、カミーユは、冗談だとばかりに笑ってみせた。
 だが、伯爵に笑みはなかった。
「それは……初耳だな。クラディオン王家の姫というと、もしや、あのお方の?」
「さあ、そこまでは。私もほかの方より聞いた話ですので、どこまで本当かしれませんが」
「しかし、それがもし本当でそうならば、なんとも複雑な心持ちにもなる」
「そうですね。でも、もしそうならば、国の再興は有り得るのでしょうか。もし、ドラゴンの残した毒を取り除く方法さえ見付けることができれば、当面は魔硝石の問題も片付きましょうし……浅薄な考えかもしれませんが」
「そうかもしれないが、しかし、我が国が関るには大義名分が必要だよ。でないと他国が口を出してくるであろう」
「ああ、そうですね。オウガあたりにうるさく言ってこられると、また面倒でしょうし」
「うん。まあ、それこそ、王子の伴侶にでもなられれば、話は違う……」
 とことばの途中で、伯爵の口が止まった。  カミーユは、伯爵に向かって微笑んだ。
「まあ、あくまでも噂ですから、あてになる話ではないでしょう」
 ふむ、とセディアル伯爵も気を取り直したように、形ばかりの笑みを浮かべた。
「では、私も務めがありますので。つまらぬ話にお引き止めして申し訳ございませんでした、伯爵」
 引き留めたのは先方であったが、カミーユはそう言って優美に一礼をした。
「いや、こちらこそ、忙しいのに悪かった。ルーファス殿下にはくれぐれも宜しくと。微力ながら、このセディアル、できるだけお力にならせて戴く所存であると」
「それをお聞きになれば、殿下もさぞかし心強く思われるでしょう。私も出来るだけのことはさせていただいてはいるのですが、なにぶん若輩者ゆえ、伯爵のように経験豊かな方にお力添えいただけることは、大変、有り難く存知ます」
「うむ、もし、なにか困ったことがあれば、いつでも声をかけてくれたまえ」
 若干、胸を張って目上らしさを強調した伯爵の態度に、カミーユは好感触を得たと確信する。
「はい、有難う御座います」
 伯爵の足が動くのを待って、カミーユもふたたび歩きはじめる。
 準備は着々。まずは、外堀から。
 自然と溢れてしまう笑みを隠す。
 社交界でいまの会話がどんな形で流れることになるかはわからないが、そういう話題がすこしでもあることが肝心。
 そして、適確なタイミングが必要だ。保身のためにも。
 具体的に形になった時、毒のようにじわじわと効果をあげもするが、下手な使い方をすれば、身を滅ぼす。
 王宮とはそういう場所だった。

 ――さて、あとは具体的に身の証を立てる方法と、魔硝石を確保する手段か。

 どちらかといえば、前者の方が問題だが、なんとかなるだろうと思う。どうにもならなければ、捏造でもなんでもすればよい。
「お帰りなさい、王妃さまのお話は如何でしたか」
「ああ、ジュリアスただいま。大したことはなかったですよ。それより、お茶を一杯もらえますか」
「畏まりました」
 戻ってきた執務室で、秘書を務める少年の出迎えを受ける。
「そういえば、ジュリアス、ご父君はお元気でらっしゃいますか?」
「あ、はい。お陰様で元気にしております」
 執務机に落ち着いた彼女のもとに茶を運んできた少年は、笑顔をみせた。
「研究の方はいかがですか。順調に進んでますか」
「はい、すこしずつですが。先日、第一段階が成功したと兄と話しておりました。第二段階もまもなく成功するだろうと」
「そう、それはよかった」
 ティーカップを受け取り、茶をひとくち飲む横で、ジュリアスが微笑んで、「本当に」、と言った。
「父がこうして研究を続けていられるのも、わたしがこうしていられるのも、カミーユさまとルーファス殿下がお力添えくださったお陰です。本当に感謝しております」
「感謝するには及びませんよ。ご父君の研究はたいへん立派なものです。それに殿下は出資する価値を見出された。能力がある者を埋もれさせるのは社会の損失であるし、その能力に対し、正当な利益を得られるべきであるというのが、ルーファス殿下のお考えです。それには私も同意見です。同様に、あなたについても、よくやってくれていると思っていますよ」
 そうしてこそ、彼女たちにも益がある。
 たっぷりと果汁を含んだ果実を絞るように。
 金と時を惜しまず樹木を育てあげ、なった果実をぎゅうぎゅうと最後の一滴まで絞り出したその甘い汁で咽喉を潤すのだ。
 非道にも聞こえるが、樹木自らがそれを望んでいるのであれば、なにも問題はない。
 果実をつけずに、立ち枯れするよりない樹だって多くあるのだから。
「そうおっしゃっていただけて、ほんとうに嬉しいです。でも、ほかの誰にも見向きもされずにいた父の研究を認めていただけていなければ、今頃、私たち一家は借金をかかえて路頭に迷っていたことでしょう。本当に感謝しております」
 柔らかそうな金髪を揺らしながら言う少年の姿に、カミーユは微笑んだ。
「では、ご父君に必ず研究を成し遂げていただくことで、その感謝をいただきましょう。よければ、一度、どんな状況か見せていただきたいと思っているのですが、ご父君に伝えてもらえますか?」
 ジュリアスの頬が赤く染まった。
「はい、勿論です! 父も喜ぶでしょう」
「お願いします」
 カミーユは、椅子の背凭れに身体をあずけた。
 彼女にとって、すべてが順調だ。
 やっと、遠慮なくそれを表情に浮かべた。




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