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 久し振りに招かれた茶会で、キルディバランド夫人は落ち着かない気分を味わっていた。

 ――大丈夫かしら?

 気になるのは、世話をしている魔女見習いの娘。
 本日は家に戻ると喜んでいたので黙って見送ったが、あとから聞くところによれば、ルーファス王子が同行しているという。
 おそらく、出掛ける直前のシュリのあの喜びようからして、彼女も知らなかったのではなかったかと思う。
 また、怒鳴られたり、いじめられたりしていないだろうか?
 そう思うと心配だった。
「……そう、思いませんこと、マウリア?」
 唐突に呼ばれた名に、はっ、と我に返った。
「ああ、ごめんなさい、ぼうっとしていて」
「あら、お疲れになったかしら。お務めが忙しくていらっしゃる?」
「いいえ、そうではないの。すこし考え事をしていて。ごめんなさい。それで、なんのお話でしたかしら」
「ルーファス殿下の御婚礼のお話。シャスマールのレディン姫がお越しになるにしても、いくらなんでも急すぎやしませんこと」
 銀髪を一筋の乱れもなく結い上げたクルセイド子爵夫人のことばに、夫人も頷いた。
「ええ、私も聞いて驚きました。お陰で皆、右へ左へと慌ただしく、関係のない私たちまで気が落ち着きませんわ」
「ですわね。本当に迷惑な話だこと。火急の用事もないのにと、王妃さまも苦い顔をなさっておいでだとか。『礼儀を弁えぬ』、とおっしゃったそうよ。でも、やはりなにより、トカゲ族ということがいちばんの問題ですわね」
「このままレディン姫が王妃になられたら、私たちもトカゲ族に傅かねばならぬのですね。いやだわ」
 同席するユスハイム男爵夫人が美しく整えた眉をしかめ、これ見よがしに溜息を吐いた。
「まったくですわ」、とクルセイド夫人も賛意して頷いた。
「ハルレシオン国でしたらまだましでしたのに」
「そうですわね」、と答えたのは、エルディミリオン伯爵夫人。
「鱗や水かきはありますけれど、見た目は人とそう変わらないところで、頭ひとつさげるにしても諦めようがありますし。まあ、少々、生臭くはありますけれど」
「大きな池も必要ですわ。一日の半分は水中にいなければならない、とききますもの」
「あら、それは大変。書類仕事もままなりませんわね」
 ほほ、と含んだような笑い声がたった。
「でも、ちょうどよい姫君がおられなかったのが残念」
 ユスハイム夫人が答えた。
「そういうことでしたら、ティスダーニャからでもよろしくってよ。やはり、姿は人に近くありますし、なによりあの背にある美しい翼が」
「ああ、そうですわね。でも、ティスダーニャはオウガと親交が深い国ですもの。間接的に干渉してくる可能性もありますわ」
「一見、美しくあるあの翼も、すぐに虫が湧くとききますしね」
「ああ、身体がむず痒くなりそう」
「そう考えると、むずかしいですわねえ」
「殿下も独り身が長すぎたのですわ。それでよりにもよってトカゲ族とは……お気の毒に」
 午前中に流れたレディン姫の突然の来訪の報せは、またたくまに王宮中に知れ渡った。
 この場にかぎらず、今やあちこちで話題の中心になっている。
「でも、殿下もそうならぬよう手をお打ちになっている御様子ですわよ」
 キルディバランド夫人は、話題から外れないようことばを選んで情報を提供した。
「あら、そうですの?」
「ルーファス殿下らしいですわ。あの方がただ黙って指をくわえてみておられるわけが御座いませんもの」
「一体どうやって? なにかお聞きになってらっしゃる?」
「いいえ、残念ながら。そこまでは存じ上げませんの。小耳にはさんだだけですから」
「でも、そういえば、例の呪いを解こうとされているとか、主人が申しておりました」
「そういえば、私もそんな話を耳にいたしましたわ」
「あらまあ、それこそ一体どうやって、ですわね。これまで誰も成し遂げられなかったものを」
 口々に言いあいながら、婦人方のおしゃべりは止まらない。
 女が三人寄ればかしましい、とは言うが、四人集まればさらに騒がしくもなる。
「でも、もしそういうことになったら、また、変わるやもしれませんわね」
 伯爵夫人が言った。
「なにが変わりますの?」
 不思議顔をするユスハイム夫人の問いに、伯爵夫人は声をひそめた。
「貴族内の勢力図ですわ。いまは魔力があるなし関係なしにおりますけれど、魔力が復活すれば、当然、それも加味なされますでしょ。これまで閑職にあったものの中にも、その力をつかって覚えめでたき者も出てくるやもしれませんわ。逆に、いま名門とされる方々でも没落する家もあるかも」
 訳知り顔で言う夫人のことばに、その場にいた者の顔つきが変わる。
「そんなことが……いえ、ありえますわね」
「ええ、たとえば、万が一シャスマールと戦になりでもしたら、魔力があるものが手柄をあげることにもなりましょう」
「それでなくとも、ルーファス殿下は家柄に関係なく、実力のある者をお取り立てになられると聞きますもの。武功でなくともなんらかの手柄を立てれば、立身出世する者もいるかも」
「いやだ。そうすると、名家と言われる方々もおちおちしていられませんわね」
「だとすると、たとえば、ポムデワール子爵家のなどは大変ですわね。せっかくお嬢様を玉の輿にのせても、これまで通りというわけにはいかなくなりますわ」
「あら、ヴァンデロウ侯爵は魔力をお持ちではなかったかしら」
「いえ、一応はお持ちだそうですけれど、ほとんどなきに等しいという話ですわ」
「あら、それは大変だこと。ヘンリエッタさまも家格の違う家に嫁がれて大変でしょうに、その上、できるだけ魔力の強い子をなさねばなりませんもの。御自分のせいで没落したと言われないためにも」
 わずかに意地悪さを感じさせる複数の笑い声が立った。
「娘を嫁がせるにしても、これからは、そういったことも考えねばなりませんわね」
「そうですわ。案外、家柄に拘らないほうが宜しいかもしれませんわね。いまの身分は低くとも、将来性を見越して選んだ方がかえってよいかも。家格の差があると家同士のお付合いも大変だとうかがいますし、嫁いでも気詰まりでしょうしね。お相手がそうでなければ、その点、気遣う必要もございませんしね」
「そうね。雑草育ちのほうが逞しいですしね。頼りがいはあるかも」
「ああ、人にもよるでしょうけれど、そうかもしれませんわねえ」
「そういえば、あなたのところのお嬢さんもそろそろではなくて?」
 向けられた子爵夫人の視線にキルディバランド夫人は、ええ、と頷いた。
「どなたかよい方がいらっしゃらないかと思っているのですけれど、うちの娘はさして美しいわけでも、取り柄があるわけでもありませんし、なかなか」
 まあ、まあ、と複数の声があがった。
「御自分のお嬢さんのことをそんなふうにおっしゃってはいけませんわ」
「そうですわよ。よいお嬢さんじゃないですの。気立てがよくて可愛らしい方ですわ。お母様に似て礼儀正しくいらっしゃって」
「そうおっしゃっていただけると」
 キルディバランド夫人は、注意深く眉尻をさげる表情を作った。
「できるだけ良縁を、と思っていましたけれど、でも、いまのお話をうかがっていると、うちの娘には無理な気もいたしますわ」
 おそらく、同じ口で貶めも囁くだろう者たちに言った。
「一概に良縁と言っても、いろいろありますわよ。家柄を求めるのか、身分が低くとも御自分の裁量で伸び伸びできるお相手を選ぶかによってもちがいますわね」
「やはり、望まれて嫁いだ方があとあと楽には違いないでしょうけれど」
「なんだかんだ言って、夫を伸ばすも妻の務めであったりしますしね」
「中には嫁がず、男と同じように務める者もおりますけれど、先々を考えれば無理な話ですわね」
「それはそうでしょう。子を育てながらでは、どちらかが疎かになってしまいますわ。国が乱れては困りますもの。継ぐお家がなければ、それも良いのでしょうけれど」
「若いと、そういうことまで考えられないのかもしれませんわね」
「それこそ、ルーファス殿下のお近くで、よい方がいらっしゃるのではなくて? 将来有望な騎士とか魔法師とかで」
「ええ、そうですわね。でも、どうなのかしら。そんな方いらっしゃるかしら」
 口々にでる意見とも言えない会話に、キルディバランド夫人は曖昧に笑ってみせた。
「大丈夫、心配されなくとも、お嬢様でしたら、きっとよいご縁がございますわよ」
 軽く肩を叩くような励ましが、子爵夫人からあった。
「だとよいのですが」
 キルディバランド夫人は微笑みながら、そっ、と視線を左手首の内側に落した。
「あら、ブリュック、ごきげんよう」
「ごきげんよう、みなさん」
 遅れてやってきたヒュンデル子爵夫人が、急いで来たのだろう扇で顔を煽ぎながら、みなに挨拶をした。
「遅かったですのね。なにかございまして?」
「ええ、ごめんなさい。出掛けにちょうどジュエルステッフ夫人がいらしたものですから」
「あら、ご一緒されたらよろしかったのに」
「いいえ、あの方はただお喋りしたかっただけでしたもの。今頃、ほかの方のところへ行かれているわ」
「なにか面白いお話でも?」
「ええ、そうなんですの。流石にこれは皆さまのお耳に入れておいた方がよいかと思って、急いで参りましたのよ。実は、クラディオンの……」
 キルディバランド夫人の手首にいるちいさなトンボが、わずかに羽根を動かした。




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