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 ――ごめんなさい。本当は、私が貴方になるはずだった。
 私は貴方からたくさんのものを奪ってしまったわ。
 ごめんなさい。ごめんなさい、私を許して。
 私はこれから、人として生きて死んでいく。その間、あなたの代わりにいっぱい幸せになるわ。
 だから、私の人生を貴方の人生と思ってちょうだい。私の幸せを、貴方の幸せに感じて。
 だって、私と貴方は、まだ繋がっているもの。
 ねえ、感じるでしょ、私の気持ち。考えていること。
 感じるでしょう?
 その魂は変わってしまっても。
 貴方は私の半身。私は貴方の半身。
 それは、変わらない。
 だから、私の産む子たちを貴方の子だと思って頂戴。そして、そのこどもたちも、そのまたこどもたちも、ずっと、見守ってあげて。
 永遠にちかい時間をひとりで過すには寂しすぎる。だから……

*


 六百年とひと言ですませても、それは長い時の積み重ねだ。
 人はそれを歴史と呼ぶ。
 そして、六百年前、と言うと、事実は残されている文書やら伝えられている物から判断するしかない。
 『だった』、と断定口調で言ったとしても、実のところは、『そうらしい』、としか言えなかったりする。
 文書にしても、本当のことが書いてあるとは限らないし、たとえ本当のことが書いてあったとしても、それが本当だと裏付けることはむずかしい。
 だれそれが使っていた、という物があったとしても、本当にそれがその人のものか怪しかったりする。
 或いは、確実にその時代のものと証明するのは、やはり、むずかしいことだ。
 誰も見ていないし、知らない。
 でも、もし、それを間近で見て、知っているという者がいたら?
 やはり、『そうらしい』、としか言いようがない。
 記憶違いはよくあることだし、往々にして勘違いは存在する。
 それに、まるっきり出任せを言っている可能性だってあるわけだ。
 状況証拠と物的証拠の両方が存在して、ようやく犯罪を暴くことができるように。
 そして、証人がいてこそ、ようやく確たる犯人を証明できるように。
 疑心暗鬼。猜疑心。
 とどのつまり、完全に証明されることはない。
 それまで語られたことのない話であれば、尚更。
 つまり、信用するかどうかは、聞く者次第というわけだ。

 戻ってきたシュリの住む小屋で、その話は語られた。
 古くちいさくはあるが、四人掛けのテーブルを囲んで語られた。
 とても、長い話だ。
 語り部は、祝福の魔女。
 聞き手は、魔女の弟子とその国の王子。
 語る内容は、新生ロスタ期のはじまりとなる六百年前の出来事。
 叔父に玉座を奪われた王子と、国を引っ繰返そうとした男、そして、バラの花に例えられた美しい王女の話。
 すでに伝説となってしまった人々の話。
 歴史にも残らない、彼等を取り巻いたさまざまな人々の話。
 玉座を奪還した王子の国は、一部だけをのこして滅びた。
 王子に協力した男の子孫は、のこった一部の国の玉座に座る。
 王子の妹である美しい王女は、男の妻となって、のちに王位につくことになる子孫の流れを残した。
「つまり、おまえは、この三人に連なっているというわけだ」
 魔女は目の前に仏頂面をして座るルーファスの顔を見ながら言った。
「そんなことは、いまさら言われなくても知っている」
 喧嘩腰とも言える口調で、ルーファスは答えた。
「ディル・リィ=ロサがおまえといっしょに育った仲で、いちどは死んだディル・リィ=ロサをおまえが生き返らせたのもわかった。が、それでなぜ、あのけったくその悪い呪いを残すことになった」
「ひとつは、ディル・リィを他者から守るため。美しいというだけで己のものにしたがる、馬鹿な男共から守るためだ。もうひとつは、私の負担をすこしでも減らすためだ。個人的感情もあるが、子孫を守らせるために」
「なぜ、魔法を使えなくさせることが、ディル・リィ=ロサを守ることになる? なぜ、おまえの負担を軽くすることになるんだ。なぜ、おまえが子孫を守らねばならん」
 矢継ぎ早のルーファスの問いに、祝福の魔女は、やれやれと溜息を吐いた。
「一度の質問が多いね。でも、順番に答えよう。まずひとつめ。ザムドは強くはあったが、魔力を持たなかった。だから、魔術師相手だと分が悪い。ディル・リィは魔法が使えたが魔女と同じだ。自身の防御や他人を攻撃する類ではない。だから自分の所領内だけでも魔術を使えないように、あれを施すことを思い付いた。力押しで来る相手ならば負けない自信があったのだろう。実際、そうであったしな。そして、ふたつめとみっつめの答えだがこれは、魔女の性質に関することだ」
 と、一旦、ことばを切った。
「人の使う魔術と魔女の使う魔法の違いは知っているか」、との問い返しにルーファスは、
「人が使うものは、己の魔力と精霊から無理矢理奪った力を合わせてなされるものだ、と俺が直接聞いたわけではないが、そう報告は受けている」
 と、答えた。
 魔女はそれに、「正解」、と頷いた。
「つまり、おまえ達の周りには、眼に見えないだろうが、精霊が多数、存在している。魔術を行使するたび、それらから断りもなく力をぶんどっているわけだ。これは、精霊にとって気分の良いものではない。道端でいきなり殴りつけられるようなものだ。灯をつける程度の間接的なものはそれほどではないし、そういうものであると予めわかっているから、力も貸す。精霊も存在理由のひとつのように感じている。が、直接の魔術については、場合によっては、己の身が消滅する可能性もある負担だ。しかも、唐突に、邪なことに使われれば、腹が立つどころの話ではない。そして、精霊の怒りや悲しみは、穢れを生む。精霊自身が穢れの元となる。それが旺じ過ぎれば均衡が崩れる。となれば、私たち魔女は均衡を保つために調整を行う。だから、逆に言えば、魔術が使えないということは、私たちの負担が減るということになる。清すぎても問題だが、通常は、おまえたちが作り出す穢れの発生する量のほうが多いからね。そして、均衡が崩れすぎた時、私たち魔女の身は、『還る』と私たちのことばではいうが、この世から消滅することになる。と、ここまではわかるか?」
 ルーファスは頷いた。
「死ぬということか」
「そう思ってもらっていい。ただし、屍は残らない。身体は分解し、失われ、塵芥とともに消える。そして、その後、程度の個人差はあれ、均衡は元に戻される。まあ、この話は置いておこう。それで、みっつめの質問についてだが」
 魔女は、軽く息を吐いた。
「約束をしたんだよ。私が魔女になったときに、ディル・リィと。子孫になにかあれば、守るって。約束させられたというべきかな。どの道、妖精族の血が濃くでれば魔女の素質があるということだからね。わたしも放っておけないし、しかも、ディル・リィは、人でありながら魔女だった珍しい存在だ。その血が子に受け継がれる可能性はある。美しさも含めて。ディル・リィがそうであったように、危険や不幸がいつ寄ってきてもおかしくない。そのための約束だった」
 ルーファスは、低い唸り声をあげた。
「では、呪いをかけたのは、この国の人間だったというわけか。しかも、祖が率先して。で? その方法は?」
「方法は知らない。見ていたわけではないから。おまえたちの方が見付けることもできるだろう。それさえ解けば、いつでも魔術が使えるようになるはずだ。だが、解くにはこの娘のもつ知識も必要になってくるだろう。術式の構築には、間違いなくディル・リィも関っているだろうからね。魔術には、それまではなかったものだもの。その後のこの国の魔硝石を使った間接魔術にしても、あの娘の知識が基礎にあってこそだろうね」
 やっぱり、とここまで黙って話を聞いていたシュリが呟いた。
「魔法と魔術の両方が雑ざったものだったんですね」
 魔女は首肯した。
「ディル・リィの魔法についての知識は私以上にあった。いっしょに育ったと言っても、あの娘を実質的に育て上げたのは精霊たちだ。可愛い育て子の言うことならば、無条件に聞き入れたよ。人として生きることになってもね。その知識を人に分け与えることになっても、結果ろくでもない魔術を使えなくしたわけだから、精霊たちもその方がよかっただろう」
 シュリは、はて、と首を傾げた。
「ええと、ディル・リィ=ロサ王女は赤ん坊の時に、師匠の師匠である祝福の魔女に、リンディアナ妃から預けられたんですよね。囚われの塔からオオワシに渡すって方法で」
「そうだね。先代の祝福の魔女は、リンディアナの名付け親だった。その縁からだね」
「師匠は? 師匠はなんで、祝福の魔女に育てられることになったんですか?」
「わたしは単なる捨て子。ほぼ同時期に捨てられているところを、師匠に拾われたという話だ」
「じゃあ、先代は、いちどにふたりの赤ん坊を育てていたってことですか? 精霊たちの力も借りて」
 その問いには、魔女は首を横に振った。
「それは違う。私はおまえと同じように師匠のもとで育てられたが、ディル・リィはさっきも言った通り、精霊に育てられた。だからこそ、精霊の使う文字も読めるし、魔女並みに魔法も行使できた。人ではあったが、ほとんど魔女に等しく、精霊に近しい存在だったんだよ。ロスタ大戦のなか、人としての自覚を持つまでは人としての身もなく、私の前ではほとんど鳥の姿をしていたよ。時には、猫やネズミの姿にもなったがね。だから、私もほかの魔女から教えられるまではそうとは知らなかった」
「なぜ、そうなる? 人の子だったのだろうが」
 ルーファスが、眉をしかめ目付きも悪く問う。
「ああ、でも、妖精族の血を引いているから、それが可能だった」
 魔女は頷いた。
「それは、母親であるリンディアナ妃の血か」
「そうだね」
「おまえもそうなのか。妖精族の血を受け継ぐものなのか」
「そうだよ」、と魔女は答えた。
「わたしの耳はそんなに尖っているってわけじゃないけれどね」
 ほら、と帽子を脱いで片側の髪を掻き上げてみせた。
 人のそれよりも細く尖ってみえる耳があった。
 シュリが自分の耳の形を確かめるように、手で触れた。
 その様子を見ながら、さりげなく付け加えた。
「さっきも言ったが、妖精族の血が流れていることが魔女になる第一条件だしね」
「そうなんですか?」
 シュリが驚いて問い返すと、そう、と黒い尖った帽子をかぶりなおして頷く。
「デディル・リィの子孫を守る、という約束はそこにも通じるんだ。精霊に最も近い妖精族だから精霊も見ることができるし、意志のやりとりが出来る。が、長い時の間でその血は薄まり、それをできる者の数は減るばかりだ。それに、種族間の交雑の中で、人間以外の種族の性質が強くでた者に、これまで素質を持った者が出たことはない。だから、妖精族の血を受け継ぐ者でも、魔女になる可能性がある者はほんの一握りもいない。その中で、リンディアナはそれほどではなかったが、素質はあった。そして、ディル・リィは精霊に特に愛された娘だ。その子孫ともなれば、魔女となる可能性がある者もでてくる。そういう流れを受けてしまう子、とでもいうのか。シュリ、おまえがそうだよ」
「わたし?」
「そう。望むと望まないにも関らず、魔女の道に繋がってしまう子」
 溜息が挟まれた。




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