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「先代が私を拾って育てたことで、魔女となった。だが、そうしたのには、ディル・リィを隠すためでもあった。あの娘は、イグレス大公に狙われていたから。大公には母親のリンディアナへの執着もあったし、その娘を娶れば、王としての地位も安定すると考えたんだろう。その辺の事情は私にもよくわからないけれど。兎も角、先代は、ディル・リィを精霊に預けることで見つからないようにし、私を手元で育てた」
「その言い方だと、おまえが育てられたのは、全面的にディル・リィ=ロサの為だったような気がするが? なぜ、そこまでする必要があった」
「それが、リンディアナと先代の約束だったそうだ」、とルーファスの質問に魔女は淡々と答えた。
「約束なぞ、いつ破ってもおかしくはないだろう」
「約束を破るのは、人だからだよ。精霊はいちど結んだ約束は必ず守る」
「融通のきかないことだ」
「そうだね。でも、約束を守ることの方が気持ちの良いものだろう。破ることで得をえても、後味の悪さはいつまでも残るものだ。おまえもそうだろう?」
「そうかもな」
「そうだよ。些細な負の感情が、穢れを生じさせる切っ掛けにもなる。だから、魔女は約束を違えたりはしない。魔女になるということが、どういうことかわかるか」
「知るか」
 ルーファスは、ぶっきらぼうにひと言で答えた。
 しかし、魔女は気を悪くしたようすもなく、赤い唇から笑みを消すこともなかった。
「人としての生をなくすということなのだよ」
 ぴくり、とシュリが頭を動かした。
「それは、どういう意味ですか」
 ゆっくりと、どこか寂しげな笑みが彼女にも向けられた.
「先代が私を見付けたとき、既に虫の息だったそうだよ。ただ、持っている魔力が人より多かった為に、それを削りながら、辛うじて生きている状態だった。魔力の量に関しては、ディル・リィ以上だった。そこで、先代は考えた。健康な赤ん坊であるディル・リィの魂の大部分を私に預け、そして、私の持つ魔力をディル・リィに渡そうと。無垢な赤ん坊は、精霊に最も近しい状態だからね。精霊も受け入れるだろうと考えた。肉体はまだしっかりと、魂の器として形作られていたわけではない。精霊の力で姿などなんとでもなるし、育つ前の無垢な精神も代替がきくから。そうすることで、イグレスが如何に探そうとも、ディル・リィを見つけ出せなくなる。そして、その通りにしたし、そうなった。……先代の魔女も、そろそろ身を保つ限界を感じてもいたのだろう。後継者である魔女を育てる必要もあった。そして、必要があれば、私の魂をディル・リィに返すこともできるし、必要がなければ、私は人のまま生をまっとうし、ディル・リィが魔女になればよい、と。つまり、私たちは、ふたりでひとり。ディル・リィは、私の半身。悪い言い方をすれば、私は、ディル・リィの身を守る為に生かされた存在だったんだ。だが、そうすることで、私も人間として十八年間の生を得たことも、間違いない話だ」
「そんな……」
 絶句するシュリを横に、ルーファスは表情を険しくした。
「つまり、おまえが人間であった頃、お前自身のものとディル・リィ=ロサのもの、魂をふたつ持っていたということか。そして、その結果、おまえはおまえが預かっていた魂をディル・リィ=ロサに返すことで生き返らせた。そして、おまえは魔女になったというわけか」
「そうだね」
「だが、ひとつ返したところで、本来のおまえの魂が残っているだろう?」
「その通りだが、赤ん坊の死にかけの魂だったから、いっしょにしてある内に、ディル・リィの魂と融合してしまったようだ」 「だったら、それを渡せば、普通、死ぬだろう」
「ああ。でも、それこそが、魔女になるために最も必要な条件だ。私は魂を返すとともに、ディル・リィの中にあった元は私の魔力の核となるものを取り戻した。魔力は枯渇はしていたが、それさえあれば、また魔力を養うこともできる。こちらの身にもまだ多少、魔力が残っていたから、儀式を終えるまでのほんの僅かの間、生を全うする分ぐらいはあった。私たちは妖精族の血をひく者だ。精霊さえ了承すれば、体内に棲まわせることで、魂の代わりとすることができる。私の場合は、先代に育てられる過程で、それなりに精霊たちの信頼を得ていたし、ディル・リィの匂いも強くのこっていたからね。それで、可能だった。だが、魔女となる代わりに、時の精霊とは縁を切ることになる。時の精霊はおなじ精霊には働き掛けない性質だから。そして、子を産み育てる機能はなくなる。老いはなくなり死も遥か遠くへ追いやられることになる。生も死も外れた者となる。つまり、魔女とは、精霊が具現化して人格を持ったものと考えてくれればいい。ゆえに、人の娘をやっていた時の私といまの私とは、ごく一部の記憶を共有するのみで別人格だ。もとは人として固定されていたこの肉体も姿こそ映してはいるものの、時の中ですこしずつ精霊のそれへと変化し、いまでは自由に姿を変化できる。たとえば、」
 と、一瞬、破裂するような音と煙が立った。
 そして、それが消えれば、魔女のいた場所に、黒髪の十歳ぐらいの少女が座っていた。
「こんなふうに化けることもできる」
 幼い声が言った。「あるいは」、とまた破裂音がして、今度は銀髪の美女がそれに変わった。
 シュリは、目を丸くしてその姿を見る。
 纏う気品は比べようもなく高くあったが、その顔立ちはどことなく、目の前に座る娘と似通ったところがあった。
「この姿はおまえにも見せたことがなかったね。これが、ディル・リィだ。ヴィランダ・ディル・リィ=ロサ・ド・ロスタ。のちにマジェストリアに変わったがね」
 魔女は言うと、またもとの黒の女へと姿を戻した。
「正直に言って、ザムドも嫌なことを思い付いたもんだよ。表向きは『魔女の呪い』としながら、その実、魔女を助けるものだったりするのだから」
 その憎まれ口は、感心しているようにも聞こえた。

 いつから魔女が存在するのか、誰も知らない。
 誰が最初に魔女になったのか、なにも伝えられてはいない。
 だが、ひとつ確かなことがある。
 それは、精霊に愛された者であったということ。
 精霊がその存在をなくすことを厭うほどに。
 魔女は精霊そのものであり、そして、精霊に守られた存在。
 そして、魔女も仲間――精霊を守ることに力を使う。
 そこに、人としての善悪はない。
 必要あらば、人の道に反する行為を行いもする。
 だから、魔女と呼ばれる。

「人の身を得ることでどうなる」
 ルーファスは、険のある目付きで魔女を見据えたままだ。
 しかし、魔女は表情ひとつ変えようとはしない。
「人としてできることができるようになる。精霊以外の者に姿を見せ、話し、聞こえるように歌も歌える。だから、魔女候補となる人の娘を助けも育てもできる。そして、穢れへの耐性ができる。存外、人の身は丈夫だ。普通の精霊では、ひと溜まりもない穢れのなかにあっても、己を保っていられる。が、それにしても、限界はある。穢れが旺じれば――いうなれば、精霊たちの集団ヒステリーだな、が起きれば、この身にある精霊もすくなからず影響をうけることになる。最悪、身体を保てなくなるということだ。死というよりも無。ああ、シュリ、泣くんじゃないよ」
「だって、」
 と、しゃくりあげながら、次のことばが出てこない。
「気にするな。長い時をひとりでいるのは退屈だが、そう悪いものではない。私はほかの魔女に比べて、人に近くあったぶん要素を強く残してはいるけれど、それでも、人よりも感情の起伏に乏しいのだよ。死すらも厭うものではなくなる。それに、たまにおまえのような娘にも会えるしね」
 慰めというよりは、正直な感想を魔女は口にした。
「……でも、それでも、わたしは師匠にいなくなってほしくないです」
 顔を両手で覆いながら、シュリは言った。
 洟をすする音が続いた。
「ほんとうに仕方のない娘だね。いつかはそういうこともあるものだよ。それに、今すぐいなくなるわけじゃなし。だから、そんなに泣くんじゃないよ。瞳が溶けて流れでてしまうよ」
 弟子を見やる魔女の眼差しに、ほんのわずかだけ和らぎが光る。
「つまり、こいつも」、と逆に厳しいとも言える声で、ルーファスが隣の席に視線を流して口を挟んだ。
「魔女になるとすれば、いちど死なねばならんということだな」
「そう。この子は魔力も知識も充分にある。精霊も懐いている、というよりも、ディル・リィと勘違いしているくらいだ。もし、この子が命を落とすことになれば、おそらく、精霊はすぐにこの子を魔女にするだろう。私はやらないが、昔、わざわざナイフで教え子を突き刺して魔女にした者もいたそうだから」
 ばん、と男の両の掌がテーブルを叩く音が響いた。
「そんな馬鹿な真似をさせてたまるかっ!!」
 室内の空気を切り裂くような怒声があがった。
 驚いたシュリがしゃくりあげるのも忘れるほど激しいものだった。
 声も、たてた音も。
 木製のテーブルは割れはしないものの、大きく軋み声をたてた。
 立ち上がったルーファスは、全身から怒りの炎を立ち昇らせながら、前に座る魔女を射殺さんばかりの目付きで睨み据えた。
 魔女はその視線を受けても、目をそらすことなくわずかに眇めただけだった。
 一触即発。
 ともすると、斬り合いをはじめるのではないかと思わせる緊迫感に、その場が支配される。
 みじろぎひとつなく、ひと言もなく睨み合いが続いたのち、先にそれを緩めたのは魔女の方だった。
 半ば諦めたようすで、やれやれ、と吐息をついた。
「シュリ、喋りすぎて咽喉が乾いた。お茶を淹れておくれ」
「でも、」
「こいつを落ち着かせるのにも必要だろう。おまえにも。美味いやつを頼むよ」
「……はい」
 睨み合ったままのふたりを気にしつつも、シュリは椅子から立ち上がり、部屋を出ていった。
 それを見送り、さて、と魔女も立ち上がるとルーファスに背を向け、暖炉へと近付いた。
「さて、もうひとつ訊きたいことがあるのだろう、坊や?」
「人を小馬鹿にした言い方はやめろ」
 魔女は咽喉で笑った。
 視線を魔女から離さず、ルーファスは真直ぐに立ち上がった。
 そして、おもむろに彼にとって最も重要なことばを口にした。

「おまえの弟子であるあの娘は、シュリは、フェリスティアの遺児なんだな。つまり、クラディオンの生き残りであり、王位継承者となる」

 声にも眼差しにも、否と答えられない強さがあった。

「なぜ、おまえのところにいた」

 質問ではなく、詰問だった。




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