クラディオン壊滅。
その報に、マジェストリアはふたたび蜂の巣を突いたような騒ぎになった。三匹のドラゴンが暴れ、すべてを滅ぼしたのだとルーファスも聞いた。
幸い、ドラゴンたちがマジェストリアを襲うことはなく、一週間ほどですぐに姿を消した。しかし、クラディオンの大地はドラゴンの毒に汚染され、植物いっぽん育たない死の荒野と化した。
だが、不思議なことに、隣接するマジェストリアの土地はこれっぽっちもそれに侵されることはなかった。
マジェストリアの人々はそれに安堵しながらも、嘆きもした。
「きっと、これは、フェリスティアさまに酷いことをしたばちが当たったんですよ」
お喋りな侍女がそう話しているのを耳にして、どきり、とした。
「お可哀想に。いくら政のためとは言え、あんな無体な仕打ちありませんよ。折角、逃げて来られたというのに戻られるなんて、自殺されたようなもんじゃありませんか。せめて、お子だけでも産ませてさしあげたらよかったのに」
「でも、産んだら産んだで、また面倒になっていただろう? どっちの子かわからないんだからさ」
「そんなの、どっちだっていいじゃないですか。どっちにしたって、王族の血をひいているのはあきらかなんですから。兄弟同士で勝手に争って、その罪をフェリスティアさまになすりつけて! まるで、物のような扱い。お可哀想でなりませんよ」
「あたらお綺麗すぎたのがいけなかったんだろうなあ……それにしてもお気の毒なことだよ」
その時は、まだ、はっきりしたことはルーファスにはわからなかった。
なぜ、クラディオンが壊滅したことに、フェリスティアが関係しているのかも。
フェリスティアがどうなったのかも。
それがはっきりするまで、さらに十年近くが必要だった。
その間、ルーファスはフェリスティアとの約束を胸に、だれをも守れる強さを求めた。
我武者羅に。
剣をはじめとする武術の腕を磨き、王となるべく教育も片端から吸収していった。
成人し、国の機密となるものにも触れられる立場となった時、はじめてことの真相を知り得た。
その頃にはすでに、学友として求めて呼んだカミーユが傍らにいた。
フェリスティアの願い通り、彼女を近くに置くことで後ろ盾となることができた。
カミーユ自身も、それを求めた。
叔父と従兄弟の態度は、彼女にとって辛いものであったようだ。女であることも含めて。
十歳になるころには、カミーユも己の立場がはっきりとわかったようだ。
叔父である伯爵と従兄弟たちへの舌鋒は小気味よいほどに鋭く、彼女自身のもつ才の片鱗をみせるようになっていた。
そして、ルーファスとともに学ぶことで、教授陣を喜ばせるほどに、ますますその知性に磨きをかけていった。
カミーユは、レイリアという当代のガレサンドロ伯爵の妹の娘だった。
そして、レイリアは、フェリスティアが姉のように慕い、頼りにした、数少ない味方のひとりだった。
レイリアは、マジェストリアからクラディオン王のもとへ嫁いだフェリスティアに付き従って共を務めたのち、クラディオンの子爵と結婚し、カミーユを産んだ。
フェリスティアの嫁ぐ以前の名は、フェリスティア・カルロッタ・ド・ポウリスタ。
マジェストリアのポウリスタ公爵家の娘であり、ルーファスとは父方のまた従姉妹にあたる関係だった。
血の繋がりがあるにも関らず、ルーファスとあの時まで出会う機会がなかったのは、フェリスティアがその美貌から白羽の矢が立ち、社交界にでる以前にクラディオン王に嫁ぐことが決まったからだ。
その頃には、ルーファスは、まだ産まれてもいなかった。
クラディオン王は政略結婚で得た美しい妻を、とても愛でたそうだ。
他へ見せつける道具として。
美しく飾り立て、装飾品として政治の道具にも扱った。
当然のように愛情など持ちあわせてはいなかったようだ。
だが、美しい王妃を持つというだけで、民は喜んで王を一段、高いものとして見上げるし、政治的な場においても、他国へのアピールになる。
クラディオン王はフェリスティアを利用しながら、強欲と言われるまでの政を行っていたことが窺えた。
長い間、子に恵まれなかったこともあるのだろう。
王は当り前に側室をもち、その間に王子を得ていた。
夫婦の間には愛情はなく、身体だけの義務的な関係がつづいていたという噂だ。
だが、ここまでは、どこの王家でもありがちな話だ。
悲劇が起きたのはいつなのか。
それは、はっきりしない。
クラディオン王には、腹違いの兄がいた。
王より先に生まれてはいたが、母親の身分により臣下として下った王子だ。
表面上は主従の関係を保っていたが、ふたりの仲は悪かった。
それに、フェリスティアは巻き込まれた。
人伝ての話でしかルーファスも確認はできなかったが、王の兄である男に力づくの暴行を受けたそうだ。
そこにどんな感情があったかはわからない。
美しい弟の妻への恋慕であったか、それとも、憎い弟への当てつけであったか。
いずれにせよ、姦通の罪をフェリスティアは負うことになった。
フェリスティア自身に非はなくとも、夫以外の男に貞操を奪われた時点で罪とされた。
相手が悪かったから、よけいに。
不貞であり、王に対する反逆罪として。
抵抗した、できなかった、は関係ない。
クラディオン王は、フェリスティアをその場で斬り殺さんばかりに激怒した。
だが、フェリスティア自身への利用価値も捨てがたく、寸でのところで思いとどまったようだ。
ことが表立つことはなかった。
だが、人の口に戸はたてられず、人々の知るところであったようだ。
そして、フェリスティアは監禁状態におかれた。
庭先にでることも禁じられ、限られた者のみだけが接触を許されるような状態だった。
他者と自由に話す機会さえ奪われた。
一方、加害者の兄である男は、臣下たちとの兼ね合いや外聞もあって、さして罰らしいものは与えられなかった。
ことの原因は、フェリスティアが誘惑をしたことによるものであって、兄である男はその被害者だった、という話もあったらしい。
あの美しい顔と身体で誘惑を受けたなら、男は抗えないだろう、と。もし、本当に嫌がっていたならば、身体が受け入れないだろうし、辱めを受けて尚、生きているのはおかしい。その場で自害すべきだろう、とまで言う者もいたようだ。
実質、被害者であるフェリスティアには反論する場さえ設けられなかったのをいいことに、陰では言いたい放題だったようだ。
もちろん、そんな事実はない。
フェリスティアの人となりを知っていれば、すぐに嘘だとわかる。
が、時として、人は悪意をもってそれに目をつぶる。
他人の不幸は蜜の味、の法則だ。
嫉みもあったのだろう。
己より不幸になっていく者の様をみて喜びもする。
瞬く間に、フェリスティアは淫乱な悪女に仕立て上げられた。
その経緯は、マジェストリアにフェリスティアを逃がす際、共に連れ出されたカミーユに託されたレイリアからの手紙に書かれていた。
秘密文書として残されていたその手紙を、ルーファスも読むことができた。
その文面は淡々としていたが、悲愴なものだった。
新たにわかった事実として、事件後のフェリスティアは当然の如く精神を病みもしたらしい。嘔吐を繰り返し、自傷行為を行い、自害も図りかけたところを寸前で思いとどまらせたこともあったようだ。
意に沿わずして身を穢されたこともあったが、それから暫くして、フェリスティアの妊娠が発覚したことが更なる原因となった。
王との関係はあったし、どちらの子ともつかない状態だった。
既に側室との間の王子はいても、正妃との子の方が身分は上。
次代の王、或いは、女王となる。
だが、もし、兄の子であれば、それは、正当なる後継者とはいかない。
しかし、疑わしいといっても、子を殺すわけにもいかなかった。
兄の子であっても、王族の血筋を引く者であることには違いないわけだから。
これまで子ができなかった状態にしてこれは、とてもタイミングが悪かった。
どうするか、と討議された揚げ句、産ませることになった。
王位継承権についての順位は保留。
間違いなく王の子であると確認されればよし、出来なければ、次に確実に王の子と確認できた者が、前の順位を得ることになる、と決まったようだ。
しかし、その頃、ますます兄弟仲は悪化していった。
フェリスティアの身にも危険が迫っていた。
いっそのこと、フェリスティアが腹の子ともどもいなくなれば揉め事は解決する、と短絡的に考える者もいたようだ。後釜として、自分の娘を王妃に据えたいという邪な考えを持つ貴族だ。そして、王子を生した側室も。
そして、とうとう我慢できなくなったレイリアが夫とともに、フェリスティアをマジェストリアへと逃がす算段をつけ、実行に移した。
ごくわずかだが、フェリスティア自身の人となりを知る者の中には、彼女に味方する者もいた。
心ある人々。
だが、王に逆らう行為であることは間違いない。
当然、家は取り潰しになり、命もない。
それでも、彼女たちは実行した。
ただ、レイリアのひとり娘であったカミーユの命だけは助かるよう、フェリスティアと共に連れ出された。
マジェストリアに逃げてきたフェリスティアは、王宮に匿われることになった。
そして、どういう経緯があってか詳細は不明だが、レイリアは夫と共に命を落としたと、暫くしてクラディオンからの通達があった。
おそらく、レイリアは逃亡の際にフェリスティアの身代わりとなったのだろう。夫は、それを手助けしたに違いない。
それにしても、クラディオン王の知るところとなり、カミーユの両親の死は、その時にもたらされたらしい。
マジェストリアに、恫喝にも似た再三の引き渡し要求がなされた。
フェリスティアはクラディオン王の正妃であり、その腹の子は王族の血をひくものである、と。
引き渡さねば、攻め入ることさえ辞さないとまで言ったようだ。
というのも、クラディオンにとっては、誰の子であれ、人質を取られたのも同然であったからだ。
男であった場合、クラディオンの次期正統後継者として、マジェストリアが立ててくる怖れがある。
マジェストリアに都合の良い教育を施して。
たとえその時、クラディオン側にも後継者がいたとしても、王位をめぐる争いになるのは必至。
それに対し、マジェストリアはフェリスティアの扱いに対するあからさまな抗議はしないものの、実家にて預かる旨を伝え、引き渡しを拒んだ。
マジェストリアにしてみれば、フェリスティアは王族の血筋にも連なる姫だ。
そうする理由はじゅうぶんにあった。
再三にわたるクラディオン王の傲慢な態度に、ビストリアが腹を立てたこともあるらしい。
しかし、国同士の力関係から、その強気にも限界がみえた。
マジェストリアの中でも、『引き渡さざるを得ないだろう』、という意見が大半を占めるまでになった。
ルーファスがフェリスティアに出会ったのは、そんな中でのことだ。
フェリスティアの流す涙は、悔恨であり、鎮魂であり、怖れであり、不安であり、哀しみであり、憐れみであり。
さまざまな感情の入り交じったものであったに違いない。
そして、次第に大きくなる騒ぎの中、フェリスティアはクラディオンに帰ることを決意した。
戦になることを怖れて。
そうならないために。
そして、空白の時を経て、クラディオンは滅んだ。
フェリスティアは、いつしかマジェストリアの人々に『運命のバラ』と呼ばれるようになった。
マジェストリアにとっては、フェリスティアは恩人であり、犠牲者だった。
その美しさと儚さはディル・リィ=ロサが呼ばれた同じ花に例えられ、滅びの道を辿った国と運命を共にした憐れさを悼み、そうさせてしまった罪悪感も含めて。
同時に、クラディオンに振りかかった晴れぬ災禍は、フェリスティアの恨みによるものとも囁かれもした。
故に、だからこそ、その名をだれも口にすることはなくなった。
フェリスティアという名は、禁忌となった。
そして、ポウリスタ公爵夫人は騒動のなか娘を失った悲しみと失意から早世し、公爵も必要のない責任をとって、領地に引き篭もったものの心労晴れることなく亡くなった。
夫妻が亡くなってのち、若年ながらフェリスティアの弟が家督を継いだものの、跡継ぎもないままに三年前に流行り病にて急逝し、家は断絶した。
これがルーファスの知るクラディオンの顛末だ。
以来、黒が彼の色になった。
そして、十八年の時を経て、彼はシュリに出会った。
嘗て、守ることのできなかった女性の面ざしをはっきりと残す娘。
どれだけ探しても見付けることのできなかった約束の娘に、ようやく出会えた。