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 人生は選択の連続だ、と言う者がいる。
 大なり小なりの選択をした結果の先に未来が決定する、という。
 もし、どこかで違う選択をしたら、そこで枝わかれした別の未来を選択したことになるという。
 未来には選択した結果がある。
 ひと区切りというべきか。
 それに満足した場合、人は選択に間違いがなかったと確信する。
 でも、もし、満足する結果でなかった場合は?
 どちらであれ、しばしば使われることばがある。
 運命、だ。
 どの道を選択したとしても、行き着く先はおなじだったろうという。
 それが、運命。
 そして、そうなる運命だった、と言っては、人は喜びや悲しみに暮れる。
 そうして、結果を受け入れる。
 だが、時の流れは止まらない。
 連続する時の中でどこが結果として定めるのかは、やはり、その人の選択であったりするのだ。


 ほ、とした吐息が女の唇から洩れた。
「そうだ」
 短く、ひとことで答える。
「どうして、おまえなんだ」
「そりゃあ、頼まれたからな」
「フェリスティアにか」
「ほかに誰がいる。黒い小鳥と魔女の話を知っているかい?」
「ああ。幼いころにそんな話も聞かされた。ただのお伽噺かと忘れてもいたが、おまえが鳥に姿を変えるのを見て思い出した」
 視線をルーファスに流して、魔女は笑みの色を瞳に掠めた。
「フェリスティアも、最初は本気にしていなかったよ。私を見てひどく驚いていた。私としてはあの子もディル・リィの子孫だし、妖精族の血も濃くでてたしね。見捨ててもおけなかったよ。結果、あんなことになってしまったけれど、シュリだけは助け出せた」
「クラディオンに戻ったあと、フェリスティアになにがあった」
 鋭く睨みつける視線に、ふふん、と鼻先の笑い声が答える。
「そんなこと知って、いまさらどうするんだい」
「どうもしない。ただ、知りたいだけだ」
「ふうん、まあ、いいけれどね。私も全部を知っているわけではないが。フェリスティアには、マジェストリアで頼みを受けた。クラディオンでこどもを産むことにしたから、産んだあと引取って育ててくれって頼まれた。どんなふうに育ててもいいけれど、必ず幸せにしてやってくれって言われたな。自分みたいにお人形さんみたいな生き方をさせないでくれって」
「それで、魔女になりたいと言わせるように育てたか」
「あの娘がそうなりたいと願っただけだ。別に強制はしていない。現に魔法以外のことも色々と仕込んだ」
「荒野で身ひとつで生き延びる方法をか?」
 責める色を含むルーファスの声音に、「それもひとつだね」、としれっと答える。
「別に悪いことではないだろう。どんな環境でも生きる術を知っているということは」
「限度があるだろう! 王族の姫なんだぞ!?」
「なんの関係がある。王族だろうが、庶民だろうが、過酷な環境の中で生き延びなければならないこともあろうよ。ドレスの裾捌きやダンスの仕方を知っているだけでは、フェリスティアと同じ道を辿るだけだ。お綺麗なだけの人形が欲しいというならば、クラディオンの王となにも変わらないよ」
「せめて、親がだれか知らせるべきだろう!? 言うに事欠いて、樹の股とは!」
「それで、会えもしない親恋しさに泣かせるのかい? 或いは、己を捨てたと母を恨むかもしれない。ひとつの些細な恨みを一生かかえこみ、心歪ませる人間も多い。妖精族の血を受け継いだあの娘に、それは酷というものだろう。それに、おまえ達に引き渡したところで、おまえ達も困っただろう? いまでこそ落ち着きはしたが、フェリスティアを一国を滅ぼした呪いの娘と半ば怖れもしていただろう。国同士の政治交渉の人身御供として、言われるがまま渡した後ろめたさをかくすためになら、あの娘を存在なきものともしたろうに」
 ぐ、とことばに詰まるルーファスを前に、魔女は顔から笑みを消した。
「それなりに長く人の営みを眺めていても、人の性というのはそう変わるものではないと思うよ。多くの矛盾を抱え、平穏を望みながら遠ざける。が、それでも、時の流れがことを導くこともある。こんなふうにね。いまならば、いろいろな面でおまえも対処ができよう。幼かった頃とはちがって」
「……たしかに、おまえの言うことにも一理ある」
 渋々、ルーファスは認めた。
 黒の魔女は、赤い唇の端に微かな笑みを戻した。
「フェリスティアの話に戻るが、クラディオンに戻ってからは、良くもなく悪くもなく、だったよ。王のかもしれない子を妊っていたから、周りも大事にしていたしね。監禁は続いたが、かえって余計な声を拾い聞くこともなくすんだようだ。たまに様子を見に行きもしたが、落ち着いた様子に見えた。おまえと出会えたことが、ずいぶんと心を強くさせたらしい。シュリが産まれる時も、すんなりとはいかなかったみたいだが、よくもちこたえた。無事、シュリが産まれた時は、とても幸せそうな顔をしていた。クラディオンの王は、逆に不機嫌そうだったよ。女の子だったということもあるが、見た目では、自分の子か兄の子かわからなかったのが不満だったらしい。目も開いていない赤子に似てるもへったくれもないのだがな。まったく、血筋に胡座をかいた馬鹿な王だよ。シュナイゼルは、もっとましな男だったはずなのだがな。ろくでなしの子孫に、さぞかしあの世で嘆いたことだろう。そして、その三日後に、私はシュリを受け取った」

 ――ごめんなさい、貴方になにもしてあげられないお母さまを許してね。でも、こうするしかないの。愛しているわ。いつも、あなたのことを想っている。元気で、お母さまのぶんまで幸せになってね。

「三日? そんなに早く?」
「長引けば、手放せなくなると言ってな。というよりも、既に覚悟していたのだろう」
「覚悟?」
「王に殺されるだろうことを。戻ると決めた時点でな」

 ――殺しなさいよ! どうせ、そのつもりでいたのでしょう? 貴方にとって、わたしはただのお飾りだもの。潔癖主義の貴方が、他人の手垢がついたものを持っていたいと思うはずがないわ!
 ――娘をどこへやった!? 言えっ! どこにやったっ!? 
 ――言うものですかっ! あなた方に、あの娘は渡さないっ!! 貴方は、あの娘を私以上に不幸にするだけ! 絶対に、おしえないっ! おしえるものですかっ!! 名前だって教えてやらない!!

「シュリとわかれるとき、必死に泣くのを我慢していたよ。二度と泣かないと約束したからと、おまえと」
「……フェリスティアは、クラディオン王の手にかかったのか? ドラゴンに殺されたのではなく?」

 ――王、なんという真似を! マジェストリアが黙っておりませぬぞっ!
 ――最初に裏切ったのはこやつだっ! なにもかも与えてやったというのに、恩を仇でかえしおって! よりにもよって、あの男の手がついた女をこれ以上、傍においておけるかっ! 穢らわしい売女! 私に恥をかかせた上に、逃げ出した女だ! なんと忌忌しい!! マジェストリアには、出産で腹の子ともども死んだとでも言っておけっ!!

「見ていたわけではないが、おそらくな。でなければ、あんなに精霊たちが怒る理由がない」
 女の深い溜息が零れ落ちた。
「クラディオンを滅ぼしたドラゴンは、あれは精霊たちの怒りが呼んだものだ。さきほど説明した集団ヒステリーってやつだ。お気に入りの娘を殺した王への復讐だよ」
 答え終らないうちに、テーブルが鋭い音とともに真っ二つに割れた。
 あぁーあ。
 床に崩れ落ちたテーブルであったものを、魔女は驚いた顔もせずに眺めた。
「そうやって物にあたるのは、よくないぞ」
「やかましいッ!」
 ルーファスは怒鳴り声をあげた。
「どうして助けなかった!? どうして、フェリスティアもいっしょに連れていかなかった!? それくらいできただろうっ!?」
「できなかった。フェリスティアが選んだことだからな」
「なぜだっ!」
 怒りの炎を滾らせる男を、魔女は冷ややかに見つめた。
「すこし考えればわかるだろう。なんのためにフェリスティアが帰ったと思っているんだ? 母子ともども姿を消したとなってみろ、こんどこそクラディオンはマジェストリアに攻め入っていたぞ。あの馬鹿は、魔女も精霊の存在も信じていなかったからな。たとえ、フェリスティアがいないとわかっていても、それを理由に攻め入っていただろう」
 とうとうクラディオン王は、本人には不愉快極まりないだろう代名詞で呼ばれるようになった。
 魔女は床に倒れるテーブルの残骸を見つめた。
「あの馬鹿は、ロスタを復活させたくて仕方なかったのさ。大国の王として君臨したがっていた強欲な野心家だ。もともとフェリスティアが嫁いだのも、それを抑止するための人質だったのだよ。まったく、くだらない話さ……それにしても、あそこまで精霊たちが暴れるとは私も思わなかったよ。おかげで、私も危ないところだった。ほかの魔女たちが手伝ってくれなければ、どうなっていたかわからない」
 扉が開いて、あの、とちいさい声があった。
 見れば、シュリが隙間から怯えた様子で中をうかがっていた。
「ああ、シュリ、この坊やがまた癇癪をおこして、テーブルを壊してしまったよ」
「え? えええええええっ!」
「直しておやり」
「ええええええ! いまからですか!?」
「当り前だろう。でなけりゃ、この先、どこで茶を飲んだりするつもりだい?」
「えーっ……それはそうですけれど、ええええええっ?」
 みっつのカップを載せた盆を手に中に入ってきたシュリは、床を見下して、ちらり、とルーファスを見上げた。
 髪にかくれて表情は見えなかったが、恨みがましい雰囲気をルーファスも感じ取った。
「……すまん」
 きまり悪く謝れば、くすん、と洟を啜る音が答えた。
 渋々ながら、シュリは盆ごとカップを師匠である魔女に手渡すと、テーブルの半分を持ち上げ外に運び出した。
 しっかりとした木で出来たテーブルはそれほど軽いものではないが、持ち上げにくそうな様子はあっても重さは感じさせない足取りだった。
「この娘は、こんなこともできる。貴族の中で育っていたらできなかったことだよ」
 感情のこもらない魔女の言い分を聞きながらルーファスはもう半分を拾い上げると、シュリのもとまで運び出した。
 小屋の脇の平らな拾いスぺースに残骸を置いた。
 すると、「あああ、ありがとうございます」、とシュリは吃りながら礼を言った。
 びくびくとしている様子は、怯える小動物を彷彿とさせる。
 むっ、としながらもルーファスは、力づくでふん捕まえたいところを我慢した。
 握り拳をつくって。
「いや、すまなかった。手伝うか」
 いえいえいえいえいえいえいえいえいえ!
 とんでもないと、首を振る遠心力で銀の髪が左右に振られた。
「だ、だいじょうぶです。このくらいだったら、すぐに直りますっ! 中でお茶飲んでいてください。冷めちゃいますし!」
「しかし、」
「気にしないで下さい! これも、古くなっていましたし! それに、師匠とお話があるのでしょうっ!?」
 話を聞かせたくないがために外に出されたことは、察しているようだ。
 しかし、そんなことはなくとも、早く行ってくれ、と態度が言っている。
 近付くな、と。
 怒るよりも、なお悪い。
 自業自得。
 だが、腹も立つ。
 腹も立つが、これ以上どうすることもできず、ただ、溜息がでた。
 折角、出会えたというのに、この体たらく。
 まったくの予想外に予定外のこと。
「すまん」
 ルーファスはもういちど謝った。
 ない尾を垂らして、小屋の中へと戻った。
 中に入れば、魔女は椅子のひとつに腰かけ、カップの茶をひとりで飲んでいた。
「おまえのぶんは、そこにある」
 と、顎で暖炉の上を指し示した。
 なんの表情もなく、淡々としている。
 こうして見れば間違いなく美しく、人と変わらないように見えるが、人外の者であることが際立って感じた。
 本人は感情が希薄というが、それは、ひとつのことに拘らないという意味であり、執着を持たないという意味なのかもしれない、と思う。
 だとすれば、自分とは正反対だ、とルーファスは置かれたカップのひとつを取り上げた。
 甘い花の匂いが、鼻腔をつく。が、口にすれば、ほろ苦いさっぱりとした味が咽喉を潤した。
「実際ね」、と魔女は言った。
「あの時はひどいものだったよ。リンディアナの時と変わらないはずなのに。血は争えないというが、ディル・リィの血のなしたものなのだろうね。精霊たちの怒りはまるで嵐のようだった。大陸中の魔女に伝わるほどにね。皆、慌てて飛んできたよ。そして、私たちは結界を張ることで、なんとか被害をクラディオンだけで治めることに成功した。できなければ、今頃、大陸中が焦土となっていたことだろう。当然、私たちもこうしていられなかった。だが、そこまでだ。のこる精霊の怒りを鎮めることまではかなわなかった。ああも数に集まられると、宥めることもかなわない。だから、あそこには未だ精霊の怒りがうずまいている。そのせいでドラゴンの瘴気も浄化されないままさ」
「十八年も経つのにか」
「精霊に時など関係ないよ。だからこそ養い子だったディル・リィをいまだ求める。その子孫の血の中に」
 ことばを失い、カップの中に映る自分の顔を、ルーファスはぼんやりと眺めた。
「……クラディオンは、ずっとこのままか」
 その問いには、「さあね」、と投げ遣りな返事がある。
「放っておけばそのうち、すこしずつでも戻っていくかもしれないし、ずっと、このままかもしれないし。精霊たちの怒りが解けないことには、どうしようもないだろうな」
「解く方法はないのか」
「ないことはないが、間違いなく命懸け……消滅覚悟になるね。私だけでなく、ほかの魔女にも影響がでるだろう。失敗する可能性の方が高い。そこまでする価値があるかどうかもわからない」
「……そうか」
 ルーファスは己の姿を飲み干した。
「もうひとつ訊くが、おまえの身となった娘はどうなった。やはり、ディル・リィ=ロサを生き返らせるために死んだのか」
 重要な質問であるが故に、訊くことも躊躇うそれをルーファスは口にした。
 それにしても、やはり、魔女の反応は薄かった。
「そうだな。人の表現としては死んだという状態だろう。だが、身体と記憶は私が受け継ぎ、魂はディル・リィ=ロサが受け継いだ。融合したと言えばよいのかな。それを死と呼ぶかどうかは、人次第だろう」
「シュリは? もし、シュリが魔女になったとしたらどうなる」
「たぶん、おまえが考えている通りだよ」
 明言はされなかったが、ルーファスにはそれで充分だった。
「まあ、この話をシュリに聞かせるかどうかは、おまえに任せるとしよう」
 魔女は言った。
「いいのか?」
「いいさ。魔女にはわからぬ都合とやらが、そっちにもあるだろう。例の件についてもどうするかはおまえたちに任せる」
「おまえにとって、都合の悪い結果を選ぶことになってもか」
「おまえたち人の営みに口を出すほど、魔女は暇でもないのさ。それに、魔女も遅かれ早かれいつかはこの世から姿を消す。それをわかっているからね。私たちのいなくなったあと、大陸がどうなるかは予想もつかないが」
 ルーファスには、魔女がそれを面白がるように聞こえた。
「シュリがどの道を選択するかも、あの娘次第。魔女になるのか、それとも、人として生きて死んでいくのを選ぶのか。それに対して、おまえがどうあの娘に働きかけるのかも、おまえたちと、あと、精霊次第だよ」
「随分と自信があるように聞こえるが」
「端からそんなものはないよ。魔女だって、先が見通せるわけじゃないんだから」
 ただ、と言う。
「シュリが人として生きることを選んだ時、この先、子孫にフェリスティアとおなじことが起きるかもしれない。その時、私ら魔女がいるかどうかもわからない。ま、それ以前にあの娘が納得しないうちに手を出せば、精霊の怒りを買って今度こそ水を被る程度じゃすまなくなるよ。気をつけることだ」
「クラディオンと同じになるか」
「命を奪えばね。精霊があの子の本当の保護者みたいなもんさね。精霊は人の営みに干渉はしないが、結果については反応する。気をつけることだ」
 ことばを失い奥歯を噛みしめる顔を尻目に、「さて、もう行くよ」、と魔女は立ち上がった。
 椅子に、空になったカップが置かれる。と、「あ、そうそう」、と思いだしたようにルーファスを振り返った。
「そこに小箱があるだろう」
「これのことか?」
 男の手が、暖炉の上にある木製のちいさな箱を手に取った。
「その中に、すこし違うが、これと似たものが入っている」
 と、女の腕がかるく振られて、金のメダルのついた腕輪が揺れた。
「それは?」
「ロスタ王家の紋章入り腕輪」
「なっ!」
「身許証明だ。これは、もう役立たずではあるが。そちらには、フェリスティアから預かったものが入っている。場合によっては必要だろ?」
「おまえ、そんな大事なものを、いまになってっ!」
 慌てて小箱を開こうとしたルーファスだが、開かなかった。
「無駄だよ。シュリにしか開けられないようにしてある。しかも、ある条件下でしか無理なように細工もしておいた」
 怒りに顔を赤くした男に、魔女は白々しいばかりの態度で背を向けた。
「ま、せいぜい頑張ることだな、坊や」
「ちっくしょう! この魔女がっ!」
 悠然と小屋をでていく魔女を、ルーファスは怒鳴り声で見送る。
「くそっ!」
 腹立ち紛れに、ダン、と足音もひとつ。

 ばきっ!

 床板が割れ、ブーツを履いた足がめり込んだ。
「ちっくしょうっ!!」
 ルーファスは、もういちど癇癪の声をあげた。




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