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 テーブルを直している最中、茶の礼とまた様子を見に来るとだけ言い残して、魔女は帰っていった。
 シュリはがっかりした。
 王宮でなにがあったか、話したいことはたくさんあったのだが、ろくに話もできなかった。
 訊きたいこともあったのだが、それもお預けだ。
 魔女になるには、いちど死ななければならない。
 それが、いったい、どういうことなのか訊きたかった。どうしても。
 死ぬことでなにがあるのか。なにが起きるのか。

 ――魔女ってなんだろう?

 当り前に目指していたことが、急に恐ろしくもなる。
 悄然としながら、直したテーブルを抱えて家の中に戻ろうとすれば、「ちくしょう!」、とルーファスの怒鳴り声が聞こえて、身を震わせた。

 ――こわいよう……

 ルーファスは怖い。
 そうでもなさそうだ、と思ったのは、ただの気の迷いだったようだ。
 やはり、怖い。
 その彼と、また、ふたりきりだ。
 ただ、怖いと言っても、なにか、以前の怖さとはちがう怖さのようには感じる。
 漠然とした、ことばにはしにくいものではあったが、滝のところでのルーファスの怖さはなにかが違っていた。
 これまでのようにぶつけてくるばかりではなく、まるで、蜘蛛の糸に絡まれるような……
 思い出して背中をぞくぞくさせながらも、シュリは恐る恐る小屋に戻った。
 そして。

 とんとんとんとんとんとんとんとん!

 新しい床板を金槌で打ち付けるルーファスを恐々と見下していた。すっかり冷めてしまった茶を抱えて。
 戻った家の床板が踏み抜かれているのを見た時は、なんと言えばよいかわからなかった。
「すまん」
 硬直したシュリに、ルーファスは謝った。そして、自分から直すと言った。
「いやっ、でもっ、そんな王子さまにそんなっ!」
「ルーファスと呼べ。いいから、道具を貸せ」
 そして、今に至る。
 大丈夫なのか、と心配もしたが、思いのほかルーファスの手つきは慣れたものだった。
 ノコギリを引き、切った新しい板を床板に打ち付けている。
 とん、と最後に金槌の音をさせて、ルーファスは立ち上がった。
「すんだぞ」
「……ありがとうございます」
 黒ずんだ床板のそこだけ新しい部分を見ながら、シュリは礼を言った。
 王子さまなのに、と心の中で思った。
 歪なところもなく、職人の手によるもののような奇麗な修繕痕だ。
「……とても綺麗に直せましたね」
 シュリは言った。
「このくらいは簡単だからな」
 ルーファスは淡々と答えた。
「慣れているんですか?」
 そう訊ねると、「まあな」、と答えた。
「遠征先で、大抵のことは自分でするからな」
「そうなんですか」
「ああ」
 会話をしながらシュリは、なにか変だ、と感じた。
 当り前のように会話をしている。怖くはないが、どこか空々しい。
 なぜか原因を突き止めようと思うのだが、それ以上、会話が続かなかった。
 いたたまれないような沈黙が流れた。
「帰るか」
 ルーファスの穴を埋めるようなひと言に、シュリも一時的に戻ってきただけであったことを思い出した。
 窓から射す陽も斜めになっている。
 日暮れまでには戻らなければならないだろう。
「すぐに荷物をまとめてきます。すこし待っていてください」
「ああ、これも、いっしょに持っていけ」
 と、小箱が投げ渡された。
「これは?」
 見たこともない箱だ。
「魔女からだ」
「師匠から?」
「おまえの身の証となるものが入っているそうだ」

 ――身の証? 魔女見習いの?

 そんなものがあっただろうか、と思う。そもそも、そんなものがどこに必要なのかわからない。
 中を確認しようとしたが、蓋は開かなかった。
 微かに魔法の匂いがした。
「ある条件で開くようになっているそうだ」
「そうですか」
 師匠が、そういう仕掛けをするのが好きなことを思い出した。いたずらのように施して、シュリの困る様子を見て愉しんでいる節がある。
 だが、身の証など必要になることもないからよいだろうと、己がクラディオン王家の血筋を引いているとをまったく知らない娘は思った。
 そのうち、なにかの拍子に開くこともあるだろう、と軽く考えていた。
 ルーファスに礼を言おうと見上げると、そっぽを向いていた。
 それで、ようやくシュリは、さきほどから微妙にルーファスが目を合わさないようにしていることに気付いた。
 むっつりとしているが、怒っている雰囲気は感じられない。
 どちらかというと、気まずそうにしている感じだ。
 ひょっとすると、テーブルを壊したりしてしまったことを気にしているのかもしれない、と思う。
 しかし、また余計なことを言って怒らせてしまうのも怖いので、シュリは気付かないふりをした。
「荷物、まとめてきます」
「ああ」
 溜息を吐くような返事を聞いて、やっぱり怒っているのかもしれない、とシュリは思い直して強ばった。
 ルーファスはちょっと良い人の時もあるが、怖い人だ。

 ――できるだけ近付かない方がいいのかも……

 そう背筋を震わせながら、空になったカップと小箱を持って、別室にまじないの道具を取りにでた。


 シュリが部屋からいなくなって、ルーファスは己の髪をかき乱した。
 暴れて、大声で喚き散らしたいところを我慢できた自分を必死で褒めてやる。
 そうして気を紛らわせないことには、どうしようもないほど怒りが大きい。
 己に対して。
 唾棄したいほどに、過去の己が憎い。
 目の前にいたら、往復ビンタどころではなく、蹴り倒して死ぬほど痛めつけてやりたいほどだ。
 失態だ。なんという失態!
 否、そんな簡単にひとことで片づけられるものではない。
 この十八年間の努力が水泡に帰してしまってもおかしくない状況なのだから。
 ルーファスは必死で、両足を床に踏ん張る。
 でなければ、また、机を蹴り倒しそうだった。
 否、こんどこそ、木端微塵に粉砕するするだろう。
 己の人生の代わりとして。

 ――なぜ、こうなったっ!?

 フェリスティアとの出会いは、彼の人生上におけるエポックメイキング。
 その娘とこうして出会えたことは、まさに奇跡。ミラクルワールドの扉をその目にしたと言っていい。
 ルーファスにしても、この十八年間、なんどもその存在を疑いもしたのだから。
 本当に、既にこの世にはいない相手を探し求めているのではないか。
 そもそも、そんな者は最初から存在しなかったのではないのか。
 何度も自問しては、その度に、否の答えを出してきた。
 きっといる。どこかにいる。
 なぜなら、フェリスティアが産むと言ったから。
 それ以外に理由はいらない。
 名前も知らない、会ったことのない娘。
 だが、彼は彼女のために。彼女は彼のために。
 そう己に言い聞かせて、幾星霜。

 雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ。

 とっとと結婚して跡継ぎを作れ、とやいやい言う母や家臣団の声も右から左へと聞き流し続けた。
 あまりうるさければ、力でねじ伏せた。脅し、ぶちのめした。
 日々鍛練に励み、誰にも負けない力と伎倆を身に着けた。
 退屈な帝王学を始めとする勉学に勤しみ、教授連ともいっぱしの議論をまじえては、論破できるまでに知性に磨きをかけた。
 普段はやりもしないが、礼儀作法も一応は心得ている。
 そして、金で解決することを心得た女たちを相手に、女のツボを心得、喜ばせるための夜のテクニックも忘れず修練した。
 お陰で寝所においても無敵。数いる女性をよがり悶えさせ、快楽による半死状態に至らしめた。
 四十八手もなんのその。免許皆伝、まちがいなし。
 しかし、そんなものはどうだっていい。
 すべては、フェリスティアのため。そして、その娘のためだった。
 いつか会うその日のために。
 王となり、国を守り、民を守るため?
 本音を言えば、そんなものは二の次だ。副産物にすぎない。
 フェリスティアの娘をつけ狙う者どもから守り、ありとあらゆる困難を乗り越え、障害をぶち破り、そして、彼以外の男には目もくれない、否、彼なしでは生きていけないほどまでに虜にするためだ。
 そうして、誰にも負けないほどに幸せにする。フェリスティアの分まで。
 その結果、ルーファスはいっぱしの男として自負するまでになった。
 だが、この現状。
 予定とは、まったく真逆。
 ようやく会えた、という喜びも束の間、全力で拒絶された。
 自分に対して、怯えきっている。
 そんなことはない、と言いたいところだが、生憎、ルーファスもそこまで鈍感ではない。
 気付かない方がどうかしている。
 原因は、わかっている。
 ルーファスは見誤ったのだ。
 魔女である、という思い込みのために。
 魔女!
 なんと忌忌しい存在。
 なのに、彼のものになるはずの娘は言う。
 『魔女になりたい』、と言うのだ!
 青天の霹靂。寝耳に水。
 いや、そうではない。
 彼女がフェリスティアの娘であると気付く以前に、そのことは知っていたのだから。
「くそ……」
 歯噛み、地団駄、全身が不快な音をたてたがる。
 フェリスティアは、なぜ、あの魔女にシュリを預けたのか。もっと、別の場所はなかったのか。
 彼にしても、もっと早くに見つけ出せたはずだ。
 彼は彼女の名前を知らなかった。
 彼女は顔を隠していた。
 色々と不幸が重なった結果だ。
 だが、こうして怯えられるのは、不本意どころではない。
 これまで彼が築き上げたものが、すべて台なしになるほどのショックだった。
 しかし、そんなことをぐちぐちと言い立てている場合ではない。
 早急に対策が必要だった。
 仕切なおすのだ!
 いまさら諦める気など毛頭ない。
 それどころか、より一層、やる気に火がついた。
 ぼうぼう燃え盛る炎のごとく。
 あの滝のある場所で現実に彼女を認識した時、彼の世界は一変した。
 それまでのすべてがぶっ飛んだと言っていい。
 ルーファスのそれまでの価値観は、一番にフェリスティアがいて、娘は二番だった。
 それが、顔を見た瞬間、まちがいだったことに気付いた。
 幼いころの記憶のフェリスティアは、とても美しかった。その後、どんなに美しいと言われる女を見たところで毛ほども心を動かされなかったのは、誰もがフェリスティア以下だったからだ。
 不動のナンバーワン。ルーファス限定世界遺産。殿堂入り。
 兎に角、彼にとってフェリスティアがこの世界で一番。理想の女だった。
 が、それが見事に覆された。
 半泣き状態で濡れる緑の瞳は一対の貴石。赤く染まる眦《まなじり》の艶やかさ。きめ細やかな白磁の肌。柔らかく色づく頬に、滑らかな弧を描くすっきりとした鼻梁。紅をつけずとも花の色をした唇はぷっくりと熟した果実を連想させた。
 花を思わせる儚げなフェリスティアに比較しても遜色のない美貌。
 だが、シュリのそれには、雰囲気に伸びやかさが加味される。
 例えるならば、野生の小鹿。
 頼りなくも、しなやかな強さを内包する。
 腕に抱けば、華奢ながらも、張りのある弾力性と見事な曲線を描く肉体が伺い知れた。
 妖精族の血は、伊達ではなく。
 内から放たれる輝きは、本物だ。
 その果実にひとくち食らいつけば、この上なく甘美な味わいに違いないと思わせた。
 そして、ルーファスも己の内にある野生の声を聞いていた。

 ――この女は俺のものだ!

 フェリスティアのことがなくとも、そう思った。
 だれにも渡さん。渡すものかっ!
 自然の呼び声が、彼の内なる獣の本能を呼び覚ました。
 月に向かって吼えるオオカミの遠吠えのごとく呼ばわった。
 気立てのよい女や性格のよい女、知性ある女ならば、探せばほかにもいるに違いない。
 美しいと言われる女もいないわけではない。
 だが、そんなものもぜんぶ関係なく、野生の声は快哉の声をあげて言った。
 俺のものだ、と。
 なのに、寸でのところで邪魔された。
 魔女に。
 揚げ句に、手にいれるには大きな壁が立ち塞がっていることを知らされた。
 無理矢理に、とも思ったが、そんなことをすれば、クラディオンの二の舞いらしい。
 それを押して行うほど、ルーファスは馬鹿ではない。

 ――ならば、正攻法で手に入れるまで!

 手が握り拳をつくる。
 諦めるという選択肢は、端からなかった。
 これを恋と呼びたければ呼べばいい。愛と呼んでもいいだろう。
 そのどちらであっても、迷惑はつきものだから。外せない要素と言ってもいい。
 当事者は試練と呼ぶけれど。
 試練。
 喧嘩上等という者にとっては、ある意味、こんなに燃えるものはない。
 咽喉が鳴り、ふてぶてしいというよりは凶悪な笑みがその顔に浮かぶ。
 低く流れ出るは、不敵というにはおどろおどろしい笑い声。
 百年前まで呪われそうな。
 否、もう呪われているかもしれない。

 ――やってやる!

 間違っても、『殺る』と変換してはならない。『犯る』、とも。
 たとえ、内容的には近くとも。
 なんであれ、気合いは充分だ。

 どん。
 バキッ!

 握り拳を打ち付けられたテーブルが、再び軋み声をあげて床に崩れ落ちた。

 ふぇええええええええええん!!

 ちょうどそこへ戻ってきた銀髪の娘が泣き声をあげた。

 あー……

 マイナス十点追加。
 総合得点はいま何点だろう。
 おそらく、数字の前にマイナスがついていることは確実だ。
 これがいつかプラスに変わる時はくるのか。
 しかし、この状況を、人は混沌と呼びさえする。
 先行きの見えない不透明感に途方に暮れたりする状況だ。
 ルーファスにとっては関係のない話だけれど。
 たとえ、ゴールが見えずとも。
 たとえ、どんな困難が立ち塞がろうとも。
 人生の壁もぶち破って穴をあける。
 それでこそ、ルーファス・アルネスト・エスタリオ・ド・マジェストリア。
 『漢』と書いて『おとこ』と読む。
 彼はそういう男……なのかもしれない。




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