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 王宮に戻ったルーファスたちをカミーユとマーカスが出迎えた。
 ルーファスは渋々、抱いていたシュリの肩を手放し、彼女をマーカスに託すと、そのままカミーユを連れて執務室に向かった。
 マーカスが怯えの走るなにか言いたげな表情をしていたが、それは無視した。
 執務室の己の席に座って、前に立った側近を見上げる。
 浮かべる微笑みは、いつもの如くなにか含んで見える。
「なにか言いたいことがあるなら言え」
 むっ、としながらのルーファスのことばもいつもの如く。
「いいえ、べつに」
 すました答えも、いつも通りだ。
 カミーユは、まったくもって動じるということを知らないようだった。しかし、年々、何を考えているのかわからなくなっている、とルーファスは思う。
「本日こちらで整理したぶんは、机の上に置いておきました。右に置いた書類がすぐに処理を行わなければならないものが、上から順に並べてあります。取り敢えずいま、一番上の件について、ご承認下さい。左に置いたぶんはそう急ぐものではありませんが、出来るだけ早く処理を行った方が良いものです」
 カミーユの説明に、ルーファスは自分の右側に積まれた山の一番上の書類を取上げた。
「レディン姫の道中、殿下の名代としてお出迎えと護衛を任せる者をリストアップしました」
 無意識のうちに溜息が出た。
 が、国賓扱いである限りは、それなりの対応が要求される。
 そして、護衛という名のシャスマールの者たちを看視する者も必要だ。
「随員は何名だ」
「侍女八名に、護衛騎士十五名。御者も含めた従卒二十名になります」
「多いな。王宮入りは侍女二名と騎士四名に従卒四名に限定させろ。残りの者は、手前のタスラの砦で待機させろ。文句があるなら帰れと言ってやれ。砦側も嗅ぎ回られないよう、充分に看視を徹底するよう伝えろ」
「御意」
「いまどの辺だ」
「先ほど、ファルサット砦から御到着の連絡が入りました。本日はミリターク城にお泊まりになられるよう、女王陛下が手配なされました」
「ファルサット? 早いな。一週間後に到着と聞いたが、一日は早く着くのではないか?」
「トカゲ族は脚が早いのが長所ですから。全速力で進んでいるようですよ。遠くからでも土煙が立ってみえるそうです。それだけ早く、殿下にお会いになりたいということでしょうね」
 ルーファスはわざと大きく舌打ちをした。
「出迎えの護衛に第四騎士隊? オルザックの隊か。あの隊はあまり儀礼などには向いていなかったと思うが」
「さる筋によれば、彼はトカゲ族専門だそうです。隊内でも一時、流行ったこともあったそうですし、騎士たちも抵抗が少ないでしょう。見た目もそう悪くないのがそろっておりますし、美しい侍女がついておられたら、多少なりとも一緒にいる時間を伸ばそうと努力してくれるでしょう。レディン姫が誘惑されれば、なお、重畳。多少の非礼があったとしても好意からのものでしょうから、言い訳にも困らないかと」
「……そうか」
 ルーファスは半ば呆れながら、命令書と転移用魔方陣の使用許可証に手早く署名をすると、カミーユに手渡した。
「では、さっそく通達いたします。明後日には列に合流できるでしょう。以降は、足並みも緩くなろうかと」
「頼む」
「姫の滞在中は、殿下にも接待していただかねばなりませんが、最小限に止めるよう王妃様からお達しを受けております」
「母上が?」
「はい。レディン姫には御自らマジェストリア流礼儀をじっくりご教授なさりたいとのことです。その間、殿下には、ご自分の務めに励まれるがよいと」
「……そう、か」
 少々、ひやり、としたものがルーファスの背に流れた。
 と、それで、とカミーユは表情ひとつ変えず、彼に言った。
「きょう、一日いかがでしたか? やんちゃもなさったようではありますが」
 確かに出掛ける時に比べて、黒いシャツは皺を多くし、髪は乱れ、あちこちが泥で汚れもしている。
「そんなものではない」
 シュリに投げ飛ばされた記憶に不機嫌になりながら、ルーファスは答えた。
「だが、思いのほか色々とあった。ドワーフから興味深い話が聞けたし、あの魔女にも会ったしな」
「それはそれは」、とカミーユは眼をわずかに眇めた。
「おかげで呪いの件でも新たにわかったことがある。あと、クラディオンについても」
 ほう、と相槌をうちながら笑みも溢れる。
「それについて、おまえにも相談しなければならない件が二、三ある」
「そうですか」、とカミーユはにっこりと笑った。
「喜んでうかがいましょう」
「……不気味だな」
 まさに機嫌もなにもかも麗しい顔を見上げて、ルーファスはにべもなく言った。
「なにがですか」
「おまえの機嫌がいい時は、大抵、ろくでもないことを考えている」
「失礼な。主の幸せを素直に喜んでいるだけですのに」
 そう答えつつ、カミーユに気分の害した様子はない。
 すました顔で主に対する。
「俺の幸せ?」
 問えば、はい、と頷き、ひとこと。
「長年、思い続けた姫に出会えたご感想はいかがですか」

 がん!

 途端、ルーファスは頭を殴られたような衝撃を感じた。
「き、」
 側近の問いの意味するところに気付き、その胡散臭さぷんぷんの顔を睨みつけた。
 無意識のうちに、両手が執務机の縁を掴み、そして、

「きっさまぁあああああああああああああっ!」

 立ち上がり様に、重厚な執務机が軽々と跳ね上がった。
 正確には、放り投げられた。
 重さ何十キロとありそうな飴色の机が、カミーユの遥か頭上、高い天井ぎりぎりまでの高さで半回転する様は、思わずワルツを口ずさみたくなるほどに優雅で華麗。
 その周囲で飛び出るインクは優美な曲線を描き、ペンは連続回転のアクロバットを見せつける。
 華を沿えるように、とどめとばかりに書類がふたりの頭上に紙吹雪のように舞った。
 しかし、肝心のフィニッシュがいまひとつ。

「知ってて黙っていやがったなあああああぁぁぁぁぁあっ!!」

 執務机はカミーユの頭上を越えて、怒鳴り声に叩き落とされるように、まっすぐ天板を下にして落下した。
 磨き上げられた石床の上で地響きに似た音を響かせる。
 安くはなかろうそれも、スクラップ同様の扱いに形なしだ。
 勿体ない、と倹約家の主婦ならば、怒りのひとつもみせるかもしれない。
 だが、その原因となった者は驚いた表情ひとつみせず、ひらり、ひらり、とゆっくりと落ちてくる書類を溜息をつきながら眺めただけだった。
 その眼差しは、遥か遠く沖合の船を眺めるに似ている。
『あのふねにのって、どこかとおくのくにへいきたいなあ』
 そんな心の呟きが聞こえてきそうだ。
 しかし、それが余計にルーファスの癇に触る。
 声に一段ととげとげしさが増した。
「あいつがそうであることに、いつから気付いていた!? なぜ、言わなかったっ!?」
 であれば、こんなにこじらせることはなかった。
「……最初からですよ」
 わざとらしくひとつ溜息をしてから、しらけた表情でカミーユは答えた。
「最初からとは、どういうことだっ!?」
「最初は、最初です。彼女の家に行ったとき、顔を見ましたから。幼い頃のことなので記憶には薄いですが、肖像画で見たフェリスティアさまを思い出しました」
「きっさま、」
 一瞬で湯を沸騰させるどころか、やかんまで消し炭にする炎が立ち昇る。が、
「お教えしなかったのは、確証がなかったからです。万が一違っていた場合は、それこそ責任はとれませんし、期待したうえでの落胆ほど残酷な仕打ちはないでしょうから。せめてこれ以上、嫌われないようにと近付かないよう申し上げましたが、結局はなるようになったかと。さきほどの貴方の彼女への態度から推察するに、間違いなかったようですね。貴方は彼の姫以外の肩を抱こうなどと思わないでしょうから」
「だからと言って、黙っていることはないだろうがっ!? 俺がどれだけ探し回っていたか、貴様も知っているだろう!!」
「まあ、確かに。妖精族の娘がいると話に聞くごとに、連れ回されていたわけですしね。こちらも、遠征だ視察だといちいち理由をつけるのに苦労しました」
 それらすべてが紛い物で、ことごとく徒労に終わったけれど。
「そんなことはどうでもいい! なぜひとことでも言わなかった!? そのせいで、状況は最悪だ! どうして貝のように固まって震えるか、死に物狂いで抵抗されねばならんのだ!」
 お言葉ですが、と琥珀色の瞳が冷たく流された。
「私は常日頃より女性には丁寧に接するように注意させていただいておりますが? それを無視して、いきなり怒鳴りつけられたのはどなたですか」
 若干、二十二歳にして敏腕秘書ならぬ、すでに御局さまの域に達しているかのような貫禄が滲みでている。
 会社ではない、本場、大奥の。
 春日の局と呼ばれても違和感のない風情だ。
 そんな彼女を前にして、う、とルーファスは声をつまらせた。
 これを因果応報というのか。
 その身体に突き刺さって見えるのは、以前、自身がマーカスに放った矢と同じものだ。
 しかも、数はその倍。
「その上、怯えて逃げるのを追いかけまわすは、殴る振りをして脅すは」
 ぐさ、ぐさ、と確実に的をとらえる攻撃。手が弛められることはない。
 鉄板を通す強弓が、女の手で容易く引かれる。
 まさに名人級。
「自業自得でしょう」
 とどめとばかりに、特大のもう一矢。
 よろけそうになるところを、辛うじてルーファスは踏ん張って持ち堪えた。
 が、狙い澄ましたかのように、ご丁寧に総仕上げがあった。
「二度も気絶させれば、怖がられて当然です。とうに嫌われてもおかしくないでしょうね」
 純金の金だらいが、もし、当たっていれば、同じぐらいの衝撃はあっただろうか。
 いまとなっては判断しようもなく、また、わざわざ比べようなどとも思わない。
「すべてはご自分の短慮による結果でしょう。八つ当たりしないでいただきたい」
 カミーユはきっぱりと言った。言い切った。
 ルーファスの方は過呼吸を起こしかけて、息も絶え絶え。
 決して色の薄くない顔色ははっきりと蒼ざめ、額に嫌な汗も浮かぶ。
 身体から抜け出ようとする魂を無理矢理に呑み込んで、ルーファスはなんとか気を取り直した。
 確かに身に覚えはある。ありまくる。なければ困る。
 とりあえず、若年性アルツハイマーの危険性はないとみていいかもしれない、などと言っても、なんの慰めにもならない。
 しかし、言い返そうにもことばは出ず、悔しまぎれの舌打ちばかりが大きく響いた。
 まあ、ということばを若干強めて彼の部下は言った。
「これに懲りて、今後はいかなる状況においても、思慮深く行動することを願います。しかし、今回のことは、考えようによっては、可もなく不可もなくというよりはマシかもしれません」
「……どういう意味だそれは」
 聞きたくはなかったが、この状況では聞かずばなるまい。
 ルーファスは、なんとかなけなしの忍耐をみせた。
 すると、えらい、えらい、とこどもを褒めるような笑顔が返された。
「からい塩水を飲んだ後の砂糖は少量でもより甘く感じる、ということです。今後はせいぜい優しくしてさしあげることです」
「言われなくともそうする」
 むっ、としながら答えれば、「でも、あまりやりすぎないように。極端に走れば、余計に怯えますよ」、の忠告がつけ加えられた。
 主従逆転。
 本来、主たるもの、こんなに情けないことはない。しかし、従たるものは一向に意に介した様子もみせず、
「ご不在の間、こちらでも少々、その辺を見越して仕込んでおいたことがあります。まずは、こちらの通達を出してから戻って参りますので、それからそのことも含めてお話いたしましょう。それまでの間、せめて机ぐらいはもとに戻しておいてください。ほかの片づけは誰か呼んでやらせますので、お着替えもしていただきますよう」
 と、冷静に指示を与えた。
「……たまにおまえをこの手で絞め殺してやりたくなるのは、気のせいか?」
 ルーファスはカミーユを睨み据えながら言った。
 必殺、石化の術。
 しかし、それも免疫ができて久しい者には素通りされる。
 それどころか、くすくすとした笑い声がたてられた。
「ご冗談を。貴方がフェリスティアさまとのお約束を違えることなどないでしょう。それに、もっと、信頼していただきたいものですね。貴方を裏切る真似など致しませんよ。私も命が惜しいですから。そんな自殺行為をするほど愚かなつもりもないですし」
 悪気のひとかけらも見せることなく言いおいて、「では、のちほど」、と部屋を後にしかける。
「待て」
 ルーファスの声に、カミーユは足を止めた。
「まだなにか?」
「別件で至急、シュリのための護衛の者を選定しろ。腕の立つ女がいいが、それでなければ、男色の男でもかまわん。守るに確実な者を選べ」
 女の顔に、うっすらとからかうような笑みが浮かんだ。
「御意」
 そして、優雅な一礼をして、部屋を出ていく。
 今度はルーファスも引き留めはしなかった。
 代わりに、忌忌しげなひとこと。
「どいつもこいつもっ!」

 腹の立つ!!

 部屋にひとり取り残されたルーファスの吐き捨てる声は、閉めた扉の向こうにまで届けられた。
 背中でそれを聞いていたカミーユが垣間みせた笑みを、目撃したものはいない。
 それは、幸いなのか。
 狐狸が跳梁跋扈し競い合うこの王宮で、踊るように我が道を行く。
 向かう先はどこなのか。
 その全容はまだだれにも見えてはいない。




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