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 彼女の気持ちに気付いてか気付かぬ振りをしているのか、ルーファスは素知らぬ顔で残ったマーカスに目を向けた。
 勿論、シュリの肩をしっかりと抱いたままで。
「呪いを無効化して、転移だけを使えるよう陣を組み直すことはできないか」
「それは、転移の陣だけ、新たに書き直すということでしょうか」
「そうだ」
 マーカスの問い返しを、ルーファスは肯定した。
「それはむずかしいですね」、とマーカスは首を横に振った。
「陣の術式には、魔女独自の術式が少なからず交じっています。シュリさんに協力してもらったとしても、すぐにとはいかないでしょう。これは推測ですが、すくなくとも物質を転移させ出現させるという条件付け部分を共有していると思われ、それがどの部分にあたるかの特定作業だけでも時間が必要と思われます。よしんば、それができたとしても、ほかを構成する術式において、ふたつの作用のどちらの条件を指すものか、洗い出すのは相当にむずかしい作業になるかと」
「人の転移が可能となった時に、ある程度は解析できているのではないのか。その資料を参考にできるのではないのか」
「それは見てみないことにはわかりませんが、」
 と、マーカスが答えたところで、タトル氏が本というよりは紙の束を閉じたものを抱えて戻ってきた。
 ルーファスはそれをそのままマーカスに渡させた。
 マーカスは、手元でばらつきかけるそれを、慎重に捲って確認した。
 視線を動かしながらも眉の形が険しくなるのは、読みにくいというだけではないだろう。
 どうだ、というルーファスの問いに、溜息に近い頷きがあった。
「ざっ、と見た感じですが、これは解析したわけではなく条件の後付けですね。都合の悪い部分に条件を書き加えることで、調整した感じです。おそらく、その後おこなわれた改良も同様かと思われます」
「具体的にはどうか」
「具体的には、出現する高さの調整のようです」
「高さ?」
「はい。これによると、タトル館長のおっしゃる通り、それまでも物の転移はできてはいましたが、金だらいが出現する高さと同等の高さに現れることから、壊れやすいものは送れなかったようです。よって、人も同様に。ですから、それを着地状態で現れるように書き加えたということです」
「それはおかしくはないか。もし、呪いと構成が被る、ということであれば、その条件を書き加えた時点で、金だらいも地面上に現れるようになるのではないのか」
 やっと、肩から手が離れた。
 どうやら、ルーファスの気がシュリから話の内容に移ったようだ。
 シュリは、ほっ、としながらも、いまの会話を興味深く考えてみた。
 ええ、とマーカスが頷いた。
「考えられるとすれば、この時点で構成の一部に同じ内容の条件が、呪い用と転移用に二重に組まれていたのではないでしょうか。そして、転移用にのみ条件が付加された形になったのではないか、と推測できます」
「なぜ、そんなことになっている」
 ルーファスの疑問がシュリの疑問に重なった。
「それは僕にもわかりません」
 マーカスは途方に暮れたようすで答えた。
「それは元からそうであったのか」
「それもわかりません。この資料によれば、それまでも幾度か、条件の書き加えが行われていた痕跡があったようです。おそらく長い間にいろいろな研究者が改変を行ってきた結果だろうと。その方法に倣った、という感じですね。陣の複雑さはそれによるところもあるのでしょう。ですが、先ほどからの話より、こうなることを見越して、最初から二重に組まれてあったのかもしれません。とは言え、どこからどこまでの条件が二重になっているかも不明ですが」
 はっきりと舌打ちする音が響いた。
 ルーファスの機嫌が、目に見えて悪くなっていた。
「高さの問題ならば、受け取る側の陣で組まれるものではないのか」
「いいえ、国内については、送るのも受け取るのも同じ陣でおこなわれていますから、そうとも言えますが、ここに書かれた術式を見る限りでは、送る側の条件付けで調整を行っています。もちろん双方向ではありますが、受け取る側については、他国との遣取り用に渡したもの同様に、こちらの陣と連動させる内容だけでこと足ります。送る側が働けば、同時に発動するというように」
 低い呻き声が答えた。
「タトル、元々の陣の形がどうであったか書き写した資料はないのか」
「残念ながら」、と長い首を甲羅のぎりぎりまで縮めて書庫館長は答えた。
「マジェストリア建国以降のものならば、探せばあるかもしれませんが」
「探しておけ。すこしは参考になるだろう」
「あのう」、とシュリはおそるおそる口に出した。
「なんだ、なにかわかったのか」
 すかさず向けられたルーファスの視線が痛い。
 シュリは髪の裏側で視線を逸らせた。
「いいえ、そうじゃなくてマーカスさんに質問なんですが」
「僕? なに?」
「あの、わたしたちが使う魔方陣に、魔術の術式は作用しないってことなんでしょうか」
「さあ、どうだろう? やったことがないからわからないけれど。魔女の使う魔方陣は、文字の他にも僕らのものとは違う?」
「ええ、すこし違います。だから、ひょっとしたら、そちらの術式を書き加えたところで、わたしたちが使う魔方陣には作用しないんじゃないかと思って」
「ええと、具体的に言うと、転移する座標を示す部分が二重になっていて、金だらいの高さの方は魔女の魔方陣をつかって組込まれているから、僕たちの使う術式は作用されずに金だらいの出現位置は変わらなかったんじゃないか、ってこと?」
「そうです」
 首を傾げながらの確認に、シュリは頷いた。
「魔法と魔術では、お互いにできることとできないことがあります。物を転移させること自体が、魔術ではできないんですよね?」
「あ、うん。そうだね。魔女の魔法の方は?」
「大まかに言って原料から物を作りだすことです。加工は単純なものならできますが、金だらいのような複雑な工程のものは無理です」
「そうなんだ。転移させることは可能?」
「はい。そちらは、移動させる方法自体は今のところ不明なんですよね? でも、移動位置を特定する方法はそのディム……」
「ディムダムル」
「ええ、そのディムダムルさんが、新しく方法を見付けたからできるようになりました。だから、元々、金だらいの出現させる位置とそこへ移動させる方法には魔法の術式を使っていたとします。でも、金だらい自体を作り出す術式には、人間の使う魔術の術式を使っていたと考えられます。そこに、魔術の術式で新しく、指定された場所の地面に着地するように座標を変更できるよう書き加えられたとすると、金だらいに作用しなかったのもわかります」
「ああ、そうか。つまり、転移の術式に関しては、僕らの術式では書き換え不可能と思われる。呪いの設定も書き換えができない筈なんだけれど、金だらいを作り出す部分が僕らの術式を使ったと考えられるため、偶然かどういう公式かは不明だけれど、多分、そこに作用したらしいディムダムルの術式により転移の術式にリンクできるようなった……ってことでいいのかな?」
 マーカスの確認に、シュリはうなずいた。
「確証はありませんが……方陣の原型が、魔法と魔術の両方を組み込んで作られた術式だったとかんがえると、後から干渉できた事に不思議はないかと思うんです。でも、本来、お互いに作用しあわない筈の術式を組み合わせて使うこと自体、かなり高度で複雑な構築式だったと思います。そこに新たに書き加えたことで、もっと複雑な式になっていると思います」
「うん、その可能性は高いと思うな。ディル・リィ=ロサ王女が端から意図して呪いをかけたって証拠にもなりますね。でも、そうなってくると、最低でも、術式の原型がわからない限り、『呪いの部分だけを消す』というのは無理です。消した時点で間違いなく転移が使えなくなりますし、わからず弄ったことで、下手すれば、呪い自体を変質させて、もっと酷いものに変えてしまう可能性だってあります。シュリさんに魔女になってもらって魔方陣が読めるようになれば、書き換えも安全にできるかもしれませんが」
 魔女にどうやってなるかを知らないマーカスのことばに、
「だめだ。シュリは魔女にさせない」
 ルーファスが、断固たる口調で即答した。
 これにいちばん驚いたのはシュリだ。
「なんで、そんなことあなたが決めるんですかっ!?」
 大声をあげれば、ルーファスの手がまた彼女を強く引き寄せた。

「絶対に魔女にはさせない。絶対に、だ」
『絶対に死なせないし、殺させない。絶対に、だ』

 繰返されたことばには、うむを言わせない力強さがあった。
 まただ、と見下された視線に、シュリは硬直しながら思う。
 どうして、こんなにルーファスの視線に動揺するのか、彼女にはわからなかった。
 落ち着きを失う。
 そして、手を振りほどくことさえできない。
 単純に力の強さもあるが、もっとべつのなにかが働いているような気がする。
 声さえあげることを憚られてしまうなにか。
 ただ、できることと言えば、こうして俯くことだけだ。
「そういうことであれば、この方法については保留にする。だが、いまの話を手掛かりに魔方陣の解析を多少なりとも進めることはできるだろう。その指揮はマーカス、おまえに任せる。追って通達は出すが、それ以前に必要な人員を選出し、名簿を提出しろ。そして、研究者に限っては、それに関する書庫の資料を自由に閲覧することを許可する」
「御意」
 タトル氏とマーカスがそろって頭をさげた。
 そして、「シュリ」、とルーファスが呼んだ。
「おまえには話がある。おまえにとっては聞きたくない話かもしれないが、知らなくてはいけないことだ」
 いつになく不思議と囁くような、気遣うような響きのある声音だった。

 ――聞きたくないこと?

 まだ、なにかあるのだろうか。
 シュリの神経は、こんなにきりきりと締めつけられているというのに。
 いやだ、と口を開きかけるが、声にならなかった。
 肩が押された。
 乱暴さはなく、やさしく。
 わかっている、とシュリは従いながら頭の片隅で思う。
 いまのルーファスが、彼女に乱暴をする気はないということはわかっていた。
 それどころか、傷つけまいとさえしていることも。
 だが、それでも逃げ出したいと思ってしまうのは、なぜだろう。

 ――知らなくてはいけないこと?

 話を聞けば、この怖さの理由もわかるのだろうか。
 だが、なんとなくだが、心のどこかで聞きたくないとも思う。
 やっぱり、うようよのでろんでろんでぬろんぬろんだ。
 それでも、そんな気持ちはおざなりにするしかなく、シュリはルーファスに連れられて、書庫をあとにした。




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