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 シュリの護衛兼侍女を任されたグロリアが空になったベッドを見付けたのは、シュリが部屋から抜けでておよそ一時間後のことだった。
 時間にして、午前六時頃のこと。
 待機していた隣室より、朝一番で様子を見に行っての時だ。
 護衛と言いつつ同じ部屋にいなかったのは、シュリをゆっくり休ませるためだった。
 通常の病ではなく、心労によるものと彼女も説明を受けていた。
 できるだけひとりで静かにしておくべき、と御典医――医師の説明に従った形だ。
 そして、グロリア自身も仮眠の必要があった。
 だから、致し方なかったとも言えるだろう。
 だれも、熱をだした状態で、勝手にいなくなるとは思わないだろうから。
 警戒厳重な宮殿内で、しかも、扉の前にも兵がふたりいる。
 なにかあるとは、思いにくいだろう。
 兎に角、グロリアが、女性にしては少々ごつめのその顔色を蒼白に変えたのは言うまでもない。
 実は、あまり関係のない話だが、彼女はこういった形で護衛を任されたことは初めてだった。
 一時的に、男性の立ち入りが難しい場所において、女性要人の警護に任ぜられるのが常だ。
 あとは、ほかの兵や騎士に混じって、彼女よりも上位にある男性騎士の補佐役を仰せつかうくらい。
 他国でも珍しい女性騎士のひとりであるが、やはり、肉体の強靱度では、どうしても男性に後れを取ってしまう。
 それでなくとも、男性上位が当り前とされる社会形態の中でも、特に務めの内容が男社会の代表格とされる中では、なかなか浮かばれることもない。
 だからと言って、彼女が男性の騎士にくらべて劣っているわけではない。
 剣の腕前ひとつでも、彼女より強い男性もいれば、弱い男性も多数いたりする。
 騎士としては、普通レベル。
 厳密に言えば、中の中の上ぐらいに位置している。
 もうすこし頑張れば、上位に食い込むことも可能だろう。
 女性騎士の中では、一、二を争う腕前。
 因みにグロリアの容貌は、女性としては中の下ぐらいというのが、一般的な男性たちの評価だ。
 そして、針仕事や楽器の演奏などの腕前は、前衛的。
 破壊的、と言い換えても否定する声はあがらないだろう。
 歌声は、音痴ではないものの、『下手な男よりも勇ましい』、と専らの評判だ。
 閑話休題。
 それでも、同じレベルの男性より出世の道が、一歩も二歩も遅れをとる事実がある。
 不公平と叫んだところで、男女雇用均等法なんてものはない。
 望んだところで、得られようもない。
 そんな彼女が、カミーユ直々によりシュリの護衛の役目を任されたのは、昨日のこと。
 シュリが何者かは聞かされてはいなかったが、ルーファスが姿をみせたことで、グロリアのテンションはますますあがった。
 普段、グロリアの身分では、直接の目通りがかなわぬ雲上人。
 その破格とも言うべき強さは、彼女の憧れでもある。
 そして、チラ見した様子からして、どうやらシュリはルーファスにとって大事な女性らしい、と気付かないわけにはいかなかった。
 この機会を上手くすれば覚えめでたく、出世も夢ではない。
 『女が騎士なんて!』、と半分、勘当されたも同然の郷里の両親に、胸を張って会いに帰れもできる。
 張り切らないわけにはいかなかった。
 たかが寝込んだ病人ひとり、守るに容易い。
 容易いはずだった。
 が、いきなりこれ。
 間違いようもなく失態だ。
 出世どころか辺境の地へ左遷、或いは、首を切られる可能性も大。
 その上、これだから女は、と女性騎士全体が無能扱いされかねない。
 グロリアは慌てた。
 慌てて、急いで部屋の扉の外を守っていた衛兵ふたりにシュリがどこへ行ったのか確認した。
 彼等も、グロリアと時変わらずして新しく配置された者たちだ。
 訊ねられて衛兵たちもおどろいた。
 昨晩から今朝まで、グロリア以外だれも出入りはしなかったと答えた。
 国王陛下さえ通すな、と命じられ、彼等はそれを忠実に守っていた。
 一睡もせず。
 ただ立っているだけの退屈な仕事ではあるが、初日から気を弛めたりはしなかった。
 しかし、当然、そこから導き出される答えはある。
 扉からでなかったとすれば、あとは、窓からしかない。
 特別な時をのぞいて、窓側を警備する者はいない。
 そこまで人員を割けないという理由から。
 特定の場所に立って外からの侵入を警戒する兵と、定期的に庭を巡回し、警備する兵がいるだけだ。
 しかし、それにしても、少ないという数ではない。
 グロリアと衛兵の三人は、即座に手分けをしてシュリを探すことに決めた。
 体調の悪い状態で、しかも、女性の足ならば、そんなに遠くまで行くことはないだろう。すぐに見つかるに違いない、という判断だ。
 衛兵の彼等も、それに反対はしなかった。
 彼等も男であるがこそ、一段でもより高い出世を望む者であるから。
 失態を上に知られるのはまずい。
 連れ戻してなにもなかった顔をしていれば、バレることはないだろう。
 幸い、世話役のキルディバランド夫人がくるまで、まだ一時間ほどある。
 それだけ時間があれば、なんとかなるだろう……と、考えた。
 つまり、そろって隠ぺいに走った。
 そして、己の身も走らせた。
 庭中を走り回ってさがした。
 しかし、意気込みは虚しく、どこをどう探そうと、目的の人物をみつけることが出来なかった。
 いったい、どこへ行ってしまったというのか。
 刻々と迫るタイムリミット。
 焦りと心臓が破裂するかというほどに走ったおかげで、グロリアは全身汗だく。
 お世辞にも似合うとは言えない侍女の藍色の制服の色は、群青のまだらに色を変えていた。
 そして、定刻の午前七時。
 キルディバランド夫人が、いつも通りに部屋を訪れた。
 しかし、部屋は当り前にもぬけの殻。
 誰もいない部屋でキルディバランド夫人は、息をのみこそすれ、そこはベテランらしく慌てることはなかった。
 ベッドの上に畳み置かれた寝巻きと、ドレスと靴がなくなっていることを確認した。
 どうやら、シュリは、無理矢理に連れていかれたわけではないらしい、と判断した。
 ひとつ安堵。
 それにしても、病人を動かす理由はなんだろうと考えてみる。
 また、王子が無茶を言ったかもしれない。
 まずは、現状把握が必要。
 椅子に腰かけ、暫く待ってみることにした。
 それでもだれも戻ってこなければ、気は進まないが、カミーユあたりに問えばよいだろうと考えた。
 内容によっては、王妃に注進する必要があるかもしれない、と考えた。
 それから待つこと、十五分。
 息を切らしながら、グロリアが戻ってきた。
 爽やかな朝に似付かわしくない表情と、汗の臭いを立ち昇らせて。
 ひょっとしたら、シュリが戻ってきているのではないか、という儚い望みを抱いて。
 しかし、待っていたのは、キルディバランド夫人だ。
 その顔を見て、グロリアは観念するほかなかった。
 ぜいぜい息を切らしながらグロリアは、シュリが行方不明になったことを話さざるをえなかった。
 人生おわった……
 胸中に言い知れない侘びしさを抱えながら、報告した。
 話す間の彼女の脳裏には、どこかで耳にした哀切あふれるメロディが、繰り返し流れていた。
 が、待ち構えど、キルディバランド夫人から、詰ることばも叱責もでなかった。
 そして、思いがけず、引き続き、内密でシュリをさがす指示が出された。
 グロリアは内心で喜び、皮いちまいで繋がった首をなんども縦にふりながら、再び、部屋を飛びだしていった。
 その時の夫人の頭の中にあったのは、まず、ルーファスに知られるのはよくない、ということだった。
 知られれば、また大騒ぎになることは目に見えている。
 とすれば、あの繊細な妖精族の血をひく娘に、ますますダメージを与えることになるだろう。
 それは、可哀想だ。
 これまでも、ずいぶんと可哀想なめにあってきたのだから。
 それに、或いは、なにが起こるかわからないのが、男女の仲だ。
 可能性は低いが、これが切っ掛けとなって、ふたりの親密さが増してもよろしくはない。
 用心にこしたことはない……
 配慮というよりは、計算。
 これには、前日の女王陛下との接見が影響していることは言うまでもない。
 そして、自らも動き出した。
 向かう進路は、王宮北側にある魔法研究室のある棟。
 マーカスに協力要請をするために。
 脇目もふらず。
 だから、見逃しもした。
 窓の外で始まりかけていた、ほんの少しの異変に。



 その頃、シュリはどうしていたかというと……すやすやお休み中。
 途中みつけた、居心地のよい樫の木の枝の上で。
 緑と精霊たちに囲まれて。
 心的疲労に肉体疲労もくわわって、限界を迎えた結果だ。
 最初は、ほんの少し休むだけのつもりだった。
 つもりだったが、熟睡中。
 そのすぐ下を、彼女を探して駆けずりまわるグロリアたちが通りすぎたことにも気付かずに。
 胸元で精霊たちのおかげで元気をとりもどした白い花が、風に吹かれて頭を揺らしていた。




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