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 ルーファスは庭園を焼き払うことにしたらしい。

 それは、別行動をするカミーユにもすぐに伝わった。
 彼女としても、仕方ないだろうと思う。
 それにしても、一時凌ぎにしかならない可能性はあったが、ほかに策が浮かばないいまは、少なくとも次の手を考える時間稼ぎぐらいにはなるだろう。
 他国の要人からも美しいと評価を受ける庭を失うのは惜しいが、このままジャングルのようになられても困る。
 ことは緊急を要する。
 早期に被害を最小限に食い止めることこそが、急務だ。
 水桶を持って走る侍女たちを避けながら、カミーユは緑を増やし続ける庭を横目に、足早に進む。
 こうして植物の成長を目視できるなど、本当に異常だと思う。
 直接の被害を受けているわけではないが、みな不安に浮き足立っているのが伝わる。
「ガレサンドロ殿、これはいったい、どうしたことですか!?」
「失礼。急ぎますので」
 事情を知りたがる貴族をかわして、先へ進む。
 理由ならば、カミーユの方が知りたい。
 知ったところでなにも出来ない、協力する気もない者は、布団を被って寝ていればよいと思う。
 せめて、邪魔にならないように。
 室内にて待機、と伝えたにも関らず、こうして廊下に出てきては邪魔ばかりをする貴族には、いい加減、うんざりする。
「ガレサンドロ殿!」
 今度は、女からの呼びかけだ。
 無視をきめこむつもりだったが、正面から、前を行く人々を蹴り飛ばさん勢いで血相を変えたキルディバランド夫人が、マーカスを伴ってこちらに向かってくるのが目に入った。
「これは、珍しい取りあわせですね」
 不思議に思いながら、カミーユは、足を止めることなく答えた。
 駆け引きする余裕もないようすで、キルディバランド夫人は感情も露にしたまま、彼女に追いすがって声を荒げた。
「ルーファス殿下が庭を焼き払うというのは、本当ですの!? どうか、それだけはおやめいただくように貴方からもおっしゃってくださいまし!」
「それは無理です。ほかに手立てがあるならば別ですが、殿下はいちど決めたことを翻す方ではありませんから」
 カミーユはにべもなく断った。と、
「シュリさんが庭にいるかもしれないんです!」
 つづくマーカスが、やはり、慌てたきった様子で声を張り上げた。
「部屋を抜け出して、いまどこにいるかわからないんですっ! だからっ!」
 え、とそれには、カミーユも進む足を止めかけた。
「部屋におられない?」
 そういえば、今朝はそれどころでなく、シュリの様子をいちども確認していなかった。
 昨夜、半分、唸りながらルーファスとの仲を取り持つ方法を考えたものの、なにも思い付かなかったせいもある。
 キルディバランド夫人が、ええ、と怒った口調で頷いた。
「今朝、お部屋を訪れましたらもぬけの殻で。護衛の者が探しておりますが、いまだ見つからず」
 いちどはルーファスに知られるのを避けた夫人ではあったが、こうなってしまうと隠してはいられなかった。
 王妃の意向はあるにしても、命を奪うほどのことではない。
 それに、シュリ個人は、夫人の母性をくすぐるにあまりある存在。
 これ以上、被害を与えるなど断じてあってはならないことだ。
 見るからに、断固阻止の意志も明々白々。
「殿下にはこのことは」
 念の為に確認すれば、「いいえ、まだ」、との返答。
「いまから、お知らせに伺おうと」
「どうやら、昨晩から今朝にかけて、ひとりで窓からでていったようなんです。宮殿の外に出たとは考えにくく、まだ庭にいるかもしれないんです!」
 あとを引取って、マーカスが口早に補足した。
 こちらからは憐れさがぷんぷんなのは、やはり、性格からだろう。
「いま門番にも確認しましたが、宮殿の外にでた気配はありません。下手すれば、シュリさんもいっしょに丸焼きにしてしまうかもしれませんよっ! ですから、すぐにやめないと!」


 ――大変だ!!


 刹那の思考停止を経て、カミーユは叫び出しそうになった。
 一旦、緩めかけた足取りを駆け足に変えた。
 断固阻止にも憐れさにも背を向けて。
「ガレサンドロ殿!!」
「護衛の者を、東広間の殿下のもとへ出頭させなさい! 急いで!」
 廊下を全速力で走りはじめたカミーユは、声だけを後ろにおいていく。

 ――まずい、まずい、まずい、まずい、まずいっ!!
 ――このままだと、宮殿どころか、国が滅ぶッ!!

 冗談抜きで。
 大まじめに。
 国家存亡の危機だ!
 鍵を握るのは、たったひとりの娘。
 その命綱を握っているのは、この国の王子。
 愛する女性を知らずして自らの手で殺してしまう悲劇など、どうでもいい。
 それよりも、大事な娘を丸焼きにされた精霊たちがどんな怒りをみせるか。
 そちらの方が、大問題。
 破滅など知りたくはないし、経験したくもない。
 このまま死んでたまるか、の一心で、まずは己のためにひた走る。
 なぜ、今のいままで気がつかなかったのか。
 すこし考えれば、気がつきそうなものだ。
 自然の調和を旨とする魔女の見習いで、精霊に最も愛される娘。
 植物が急速に増えた原因に、彼女が関っていると考えるのは自然なことだ。

 ――早まらないで下さいよっ!!

 焦りの色も露に、カミーユは走った。
 ひとまとめにした長い金髪を、馬の尾のように靡かせて。
 鞭打たれる馬よりも必死に。
 その走りっぷりたるや、金メダル獲得とまではいかないにしても、強化選手なみ。
 愚行を行わんとしている主を止めるために、向かう。
 彼女の勢いに巻込まれ、水を抱えた侍女が転び、周囲に水をぶちまけようとも。
 その水で滑った侍従が、思わず付いていた貴族のカツラに手をかけ、禿げた頭を衆目に曝してしまおうとも。
 また、侍従に押された貴族が、伸ばした手の先にあった豊かな女性の胸を鷲掴みにしてしまっても。
 胸を掴まれた女性が、悲鳴をあげ、手にした扇で、ちょうど横を通りすぎていた台車を運んでいた男の顔面を殴りつけようとも。
 たとえ、殴られた勢いで、水甕が大量に乗った台車から男が手を離してしまい、あまつさえ、台車を弾みをつけて押してしまったとしても。
 そして、勝手に動きだした台車が、スピードをあげ廊下を疾走し、更なる数々の悲鳴をあげさせることになろうとも。
 他人の阿鼻叫喚は、右から左へと聞こえない振り。
 そんな瑣末事なんざ知ったことか、の状態で、着衣も乱してなりふりかまわず長い廊下を走り抜ける。
 ルックスや所作においての優美さで知られる彼女のそんな姿をたまたま目にした貴族の令嬢は、「まあ」、と目を丸くして呟いたものだ。
「幻滅!」
 それはそれで、健全な方向へ嗜好が修正されてよかったかもしれない。
 そんなことよりも。
 気持ちの有り様は兎も角、この刹那、カミーユの手にも一国の命運が握られていた。
 果たして間に合うのだろうか。
 ルーファスがいる東広間まで、あと二百メートル。
 正面には、観音開きの二枚の大きな扉が見える。
 あと少し!
 と、その時。

 ガッシャーーーーーーーン!!

 廊下の窓ガラスを破り、走るカミーユの鼻先をかすめて飛び込んできたものがあった。
 からん、からん、と音をさせて、床に転がる。
 その名は、金だらい。
 どこにでもある。
 この国では、魔法を使えば、もれなく落下してくる代物。
 それが、いま、ここに飛び込んできたということは……
「殿下ッ!!」
 カミーユは息を切らせながら、目の前の扉を両手で押し開けた。




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