火は恐ろしい。
使い方次第ではとても便利で有り難いものだが、ひとたび使い方をまちがえれば、すべてを灰じんとなす。
それを誰よりもルーファスは、身に沁みて知っていた。
幸か不幸か、産まれながらに人並はずれた魔力を持ち、ドラゴンを丸焼きにできるだけの炎を操る男は。
幼いころから血のにじむ特訓と努力は、なにもフェリスティアだけのためのものではなかった。
勿論、単なる体面を保つだけのものでもない。
王家に生まれ出でた者に課せられた義務としがらみ。
悲しいことに、それが現実だった。
直接、魔法を使うことは早々できないにしろ、いつなんどき必要になるかもしれない。
代々魔力を持って王家に産まれた者は、将来、一国を背負う者としての義務から、魔法を使うに長けた教師のもとで特別訓練が必須とされる。
これは、人が治めるどの国の王家においてもおなじ。
常識だ。
それに、マジェストリアも倣っている。
魔法はそれだけ、なにについても有効なものであることには違いないから。
すくなくとも、いざという時に己の身を守るのに役立つ……かもしれない。
しかしながら、現国王であるドレイファスは微力ながら魔力を持っているが、母親の愛情権限でほとんどパス。
座学を一時間ほど受けた程度。
しかし、当然のように、ビストリアは甘くはなかった。
そこには、義母に対しての当てつけやら、対抗意識もあったかもしれないが、己の息子にはみっちりきっちりと魔法を習熟させた。
実技訓練を含めて。
ルーファスが、泣こうが、喚こうが、聞く耳をもたず。
……まあ、そんな可愛い幼少時代があったかどうかは定かではないが。
兎に角、彼には、ほかのこどもが受けることのない試練が与えられた。
おかげで、自分を丸焼きにしかけたことも数えきれず。
ずぶ濡れになっては、溺れ死にかけたことも数度。
火傷に切り傷、水ぶくれは日常茶飯事。
打撲に骨折は、全身、一通りやった。
それ以上に、金だらいの洗礼も受けて、青あざ赤あざも絶えることのなかったこども時代。
『とても、一国の王子には見えなかった』、とは当時を知る者の感想だ。
どこかの悪ガキが間違って紛れ込んだ、と思われ、新米の衛兵に王宮の外へ放りだされそうになった経験すらある。
そんなことあってか、身体はやたらめったら頑丈になり、打たれ強さも人一倍。
金だらいが当たるのを避けるために、反射神経も鍛えられた。
根性だけはもとよりあったが、のたうちまわって捻くれた揚げ句に、なんだかわけのわからない方向に成長した。
余談だが、いま、王宮で使われる金だらいのほとんども、その頃の副産物だ。
金だらいは、素材こそ市販されるそれらとそう変わらないものではあるが、やたらと丈夫で、この先、数十年はもつだろうと言われている。
ルーファスの血と汗と涙の結晶があったればこそ、王宮のシーツやテーブルクロスは白さを保っていられる。
それは別にしても。
本人は思い出しただけで腸煮えくり返る経験を経て、魔法が使えないこの国で、ルーファスはいっぱしに魔法を扱えるようになった。
特に炎を扱うのを得意とする。
それでドラゴンを倒し、人々の生活や命を守れるほどになったのだから、あながち無駄な教育ではなかったと言える。
なんと言っても、純金の金だらいも出たことだし。
そのもの自体は役には立たないが、ひと財産にはちがいない。
だが、それよりもなによりも役に立ったのは、知識。
それぞれの魔法の扱い方を知るとともに、危険性と対処法も学んだ。
たとえば、炎は延焼が怖い。
燃え広がれば、消すことも難しく、手がつけられなくなる。
そんなわけで、今回も、ただ燃やすだけではなく、必要以上に燃やさないためにも、消火の準備から取りかかった。
植物ついでに、王宮まで燃やしてしまっては、元も子もない。
それを防ぐための、水の用意と魔法師たちの招集だった。
「庭をいくつかのブロックにわけて、火をかける。その前に土壁で囲み、必要以上に燃え広がるのを防ぐ。おまえたちは、指定の場所に土壁を作れ」
そうそうに集まってきた魔法師たちに、ルーファスは王宮の絵図面を前に簡単に計画を説明をした。
宮殿の東広間。
王家主催の舞踏会や催し者を行う場所だが、そのため調度品は最低限のみで、いまは豪華なシャンデリアだけが浮いてみえる、だだっぴろいだけの殺風景な場所でしかない。
庭に通じる大階段のついたテラスを眺める窓際の片隅に、ルーファスを中心に数人の騎士と魔法師たちが集まっていた。
「水壁ではいけないのですか? そちらの方が後処理も含めて簡単ですが」
ひとりの魔法師が発した尤もな質問に、ルーファスは否と答えた。
「水では防ぐに弱い。燃え盛る炎に消すに不十分な量の水が混じれば、更に火勢を強くする可能性がある。燃え広がるのを防ぐためには、火だけでなく、風を防ぐ必要がある。それに、植物が水を吸収し、より生長をうながすことになるかもしれん。よって、土壁が効果的だ。根をはる可能性もあるが、焼いてしまえば同じだ。水も必要だが、消火時に一気に使う」
「そうなりますと、いまから掘削機を手配しても、早くて二、三日後になります。魔硝石もそれようのものはすこしならば予備もございますが、王宮全体を囲むとなりますと、新しく方陣を刻んで用意する必要があります。それには、一日はかかるかと」
「必要ない。おまえ達がいるだろう」
ルーファスは言った。
「なんのための魔法師だ。こういうときに使わずして、なんのための魔力だ」
――それはそうかもしれないけれどっ! だからって!!
あっさりとしたひと言が、騒めきを呼ぶ。
「ですが、アレが……」
「金だらいのことか? 大丈夫だ。当たったところで死ぬほどのことはない。むしろ、そこまでやれたら褒めてやる。残された家族にも相応の保障を約束してやる。だから、心置きなくやっていい」
――そりゃあ、あんたはそれでいいかもしれないけれどっ!!
声には出さず、表情や雰囲気でブーイングを発する。
誰だって痛いのは嫌だし、ましてや、命をかけるなんて真似はおいそれとできるわけがない。
それなりの理由が必要だ。
理由があったところで、できる者など限られる。
たかだか植物の繁殖阻止のために、投げ捨てる命はだれも持ちあわせてはいない。
反発が広間に満ちあふれる。
それに気付きながら、ルーファスは完全無視をきめこんだ。
「よい機会だから言っておくが、」、と声を低くして言った。
「貴様らの魔硝石を使った日頃の研究は、俺も評価している。その分野において我が国は、他国よりも優れていることは間違いないだろう。それによって、この王宮のみならず、民の暮らしをじゅうぶん以上に支えていると言ってもいい。それには、俺も感謝している」
珍しいばかりのルーファス褒め言葉。
彼は滅多にこのようなことは口にしない。
これには、毒気の濃度もわずかに薄まりかける。
だが。
「が、しかし、だ」
続くひとことに、緊張が蘇った。
「現実として、知識と理解力さえあれば、魔力がなくても研究はできる。魔力を持っている方が、理屈になっていない部分でわかることもあり、些細な実験をするのに手間がはぶけるというそれだけのことだ。そして、それは、貴様らをこの王宮に抱えている理由足りえない。では、なぜ、魔力があるというだけで魔法師の名称を与え、魔力のない者より優遇されるか。緊急時に、この魔法が使えないといわれるこの国で、身体を張って役立つ、王を守り、民を守り、国を守るためだろう。そんな覚悟もなしに、この王宮の門を潜ったのか。緊急時だという今、その能力を使わずして、いつ使うというのだ」
――正論だ!
――殿下が正論を言ったよ!
意外なところで反響があったのは、日頃の行いがものを言ったか。
しかし、こう言われてしまうと、言い返すことばは目の前にいる彼等にはなかった。
いや、へ理屈ならば、言い返そうと思えばできる。
が、ルーファス相手に、これ以上、逆らう気が起きなかったというだけのことだ。
理由は、ルーファスがこの国の次期支配者となる者であり、直接の雇用主であるということ以外にも、魔法師と呼ばれる彼等が肉体労働には向いていない者が大半を占めていることにある。
魔法を思うがままに心置きなく使える環境にあればまた違ったのかもしれないが、マジェストリアにおいて魔法師は、実質的な魔法の腕よりも頭脳労働者としての性質が強い。
身体を鍛えるよりは、好きな研究に没頭していたい。
動くにしても、すこしでも楽をしたい。
余分な体力と時間は極力つかわず、好きなことに回したい。
だから、日々、便利にできるものを考えつくこともできるというものだ。
いうなれば、研究おたく。
そういう者たちだ。
だから、と言ってよいものか、他部署にくらべてふくよかな体格の者の比率がおおかったりする。
そんな彼等が、基礎体力からちがうルーファス相手に盾つくなど、できよう筈がなかった。
だが、不満は不満。
イヤなものはイヤだ。
だから、わかっていても、誰も素直に、はい、と頷きはしない。
最初の一歩を踏み出そうとはしない。
右みて、左みて、仲間の表情をうかがう。
だれかに回避してもらえないか、と儚い望みをさがす。
赤信号の横断歩道は、みんなと一緒ならば渡れるが、ひとりではとてもじゃないが渡れない。
それを負け犬根性と言うなかれ。
本当のことでも。
一応、彼等も面と言われては、傷つくだけのプライドは有している。
否、高すぎるぐらいだ。
ルーファスも、それだけは口にしなかった。
苛立ちながら、こらえた。
臍を曲げた者ほど扱いに厄介なことは、彼も知っているから。
政務でも、私的なものでも、それなりに経験がある。
壁にあけた穴の数だけ。
だから、短く。
「わかったら、すぐに取りかかれ」
若干の凄みをきかせて、言い放ってすます。
だが、それでも、すこしだけ動かすには勢いが足りなかったようだ。
動きそうで動かない足を睨みつけて、もうひと言。
「行け!」
それでやっと、魔法師たちは弾かれたビー玉のように互いにぶつかりながら庭へとでていった。
逃げるように。
看視兼、連絡係の兵と騎士たちが、すぐにその後を追った。