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 それと入れ替わりに、広間に入ってきた一群がいた。
 それまで庭で、必死に草木を刈っていた者たちだ。
 撤収の命を受けて、戻ってきた。
 その中には、ハリネズミ族の庭師もいた。
 背中の針は半分たった状態だが、髭はよれて垂れ下っていた。
 顔色は種族のせいでよくはわからないが、表情は冴えない。
 いつもは首にかかっているタオルが、震える手元にあって、丸めたり伸ばしたりを繰返されていた。
「ご苦労だった。おまえたちは、別命あるまでここで身体を休めつつ待機していろ」
 さして気に留めることもなく、ルーファスは指示を口にした。
 と、人の間から、「あのう」、と遠慮がちな声があった。
 視線を向ければ、人のあいだからおずおずと、ふたつにわかれた白い口ひげを生やした痩せぎすの老人が前に進みでてきた。
 麦わら帽子を被り、首には手ぬぐい。綿でできたシャツと厚手のズボンを身に着けた、下働きらしい恰好の男だ。
 名をポルコ。
 三人いる王宮専属庭師のうちのひとりで、最古参でもある。
 緑の指を持つと言われる、大ベテラン。
 庭師たちの代表だ。
「畏れながら、ひとつお訊ねしてもよろしいでしょうか」
「なんだ」
 身分違いを咎めるでもなく、ルーファスは答えた。
 だが、ポルコは背をますます丸めるようにして、上目遣いで問いかける。
「はあ、あの、庭に火をかけると聞きましたんですが……」
「そうだ」
 間髪置かずしての肯定に、老人のみならず、他ふたりの庭師の全身がこわばった。
 そんな、ともうひとりの庭師、ケルビンが大きな図体に似合わないちいさな呻き声をあげ、隣りにいたハリネズミ族の立ち上がった針を慌ててよけた。
「やめてください! おねがいしますっ!!」
 間を置かずして、エンゾのきいきいとした叫び声があがった。
 ケルビンは慌てて肩を押さえて止めようとしたが、飛び出た鋭い針が邪魔をしてできなかった。
 だが、たとえ静止されたとしても、きかなかっただろう。
 かつて、たとえ話であっても、シュリの『庭に火をかける』と言った時の反応を思えば。
「焼いてしまったら、もとからあった植物もぜんぶダメになってしまいます! 親父の代から、それ以前のものまで死んでしまいます! どうか、それだけはやめてください! おねがいします!!」
 必死の嘆願。
 だが、悲しいかな、種族の違いで、ハリネズミ族は見た目で可愛さのインパクトはあっても、表情からは一生懸命さはなかなか伝わりにくいところがあった。
 つまり、押しが弱い。
 女こどもが相手ならばまだしも、ルーファスに通用するものではなかった。
 それは、エンゾだから、というわけではなく、ここにいる誰であっても同じ結果だろう。
「もう、決めたことだ」
 やはり、と言うべきか、答える声の調子は変わらなかった。
「それとも、おまえたちにあれを止める手立てがあるとでも?」
「それは……でも、かならずおいら達がなんとかします! 植物をいちど殺してしまったら、もとに戻すには、数十年、数百年とかかります! そうしないためにも、どうか、どうか考え直してください! おいらの一生のおねがいです。どうか、どうか、おねがいしますっ! この通りです!」
 長年かけて丹精込めて育てた庭であり、自分のこどもに対するのと匹敵する思いがある場所だ。
 そして、いくつもの思い出の染み込んだ場所でもある。
 父親や、こどもたちや、仲間との。
 それを失うことは、我が家をなくすのと同義語。
 ハリネズミの庭師は、身体を丸めるようにして深く深く頭をさげた。
 それを見て、他の庭師たちも、揃って頭を垂れた。
 しかし。
「だめだ」
 ルーファスは答えた。
「今すぐなんとかせねばならんことだ。策なきおまえ達をあてにするだけの余裕はない」
 頭を下げ続けながら、背中を震わせる庭師たちから視線を外してきっぱりと。
「これ以上、口を挟むことは許さん」
 立っていたハリネズミの針が、花がしおれるように力なく閉じられた。
「殿下」
 そこへ、庭からひとりの騎士が駆け戻ってきた。
「なんだ」
「それが、いまだ庭から退避をしたがらない者たちがおりまして、もう暫く待っていただけないかと言っております」
「誰だ」
「それが……厨房の者たちでして」
「料理人たちが? なぜだ」
「それが、ここら辺では滅多に手に入らないキノコや山菜が生えてきており、中には高級珍味とされるものが多数まじっているので、それを採り終えるまでは待っていただけないかとのことでありますが、いかがいたしましょう」
 途端、ルーファスのこめかみに青筋が太く浮き上がった。

 なあぁぁあああんだとぉぉぉぉぉう?

 つづけて獣のごとき地を這う唸り声。
 はじめて耳にする者にも、確実に生理的な恐怖を抱かせる。
 知る者には、尚更。
 騎士の彼にしても、こうなることは予想がつかなかったわけではない。
 ただ、怖れを忘れるほどまでに食欲中枢を刺激されたというだけのことだ。
 それらが如何に美味であるか、料理長をはじめとする厨房の者たちの語り口がうまかったこともある。
 語り尽くした。
 しゃきしゃきとした食感ながら、舌の上でとろけるまろやかな味わい。
 鼻腔をくすぐる、芳純な香り。
 仄かな甘味に、刺激ある辛味。
 苦味と酸味の大人の味覚。
 その他にもありとあらゆる語彙を駆使し、使いに走らせる男の食欲を刺激しまくった。
 そして、とどめとして、これだけの量があれば、普段どころか一生口にすることもないかもしれないそれらを彼等の舌の上にのせることも可能、とまで。
 人の根源たる欲のひとつが満たされることを指されて、逆らえる者はすくないだろう。
 そして、その騎士も、大多数のひとりでしかなかった。
 朝食はきちんと腹の中に納めてはいたが、腹の虫を鳴かせた。夢をみた。
 夢をみる権利は、だれにだってある。
 それにいま、ひびが入ったことで漸く我に返った、気付かされた。
 いまさら気付いたところで後の祭りではあったが、ささやかな抵抗を試みる。
「なっ、なかにはっ、いっいまの季節には手に、はっ入ることない、王妃様がお好みの食材もありっ、是非、召し上がっていただきたいとっ!」
 ビストリアも微妙なお年ごろ。
 加齢による体形の変化にも気付かないわけにもいかず、立場的にも健康管理には人一倍気をつかう。
 最近は、ベジタリアンというほどではないが、食べる肉の量も減り、野菜中心の食事がお好みだ。
 そのため料理人たちは、飽きずに食べられるようせっせと味付けに工夫をこらす毎日。
 やはり、口にする者に美味しく食べてもらってこそ。
 それが口の肥えた、身分ある御方ならば、より一層、気をつかう。
 それが、料理をする者としてのプライドでもあり務めだ。
 しかし、たとえどんなに腕の良い料理人であろうと、季節のことだからしかたないとは言え、同じ素材ばかりでは調理方法にも限界がある。
 そんな折に、この新たな恵み。
 飛びつかないわけがない。
 しかも、ただで採り放題。
 これも重要なポイントだ。
 スーパーのタイムセールに飛びつくおばちゃんぐらいの熱意は沸き起る。
 だが、しかし、王子の身分にある者にとっては、知ったこっちゃねえ話だったりもする。
「貴様らは、わけもわからず生えてきたものを母上に食べさせようというのかっ!?」
「めっ滅相も! ただ王妃様に日々の感謝の気持ちをお伝えするためにもっ」
「いきなり勝手に生え出てきたものを食べさせて、額から手が生えてきたりしたらどうする!? 知らなかったではすまんぞ!?」
 そういうことは、まずあり得ないだろう。
 毒があったり、腹をこわすことはあっても。
 だが、突っ込むにしても相手が悪すぎる。
「はっ! 申し訳ありませんっ!」
「すぐに退避させろ! 殴ってもかまわん! つまみ出せっ!!」
「御意っ!」
 騎士はもと来た道を走り戻っていった。
 ところが。
「殿下っ! 大変ですっ!」
「なんだっ!!」
 ルーファスの苛付きのボルテージをあげんとするが如く、更にひとりの伝令が入れ替わって走り寄ってくる。
「南の庭園にて運動中であった国王陛下が行方不明とのことっ! 王妃様よりすぐに捜索隊を派遣せよとの命がくだされましたっ!」
 朝、報告にルーファスが出向いた時、ドレイファスの姿はなくビストリアのみがいた。
 いつものことなので気にすることもなく、逆に、邪魔にならなくていいぐらいの気持ちで、母親にのみ現状を知らせ、処理のすべてを任せられた。
 そして、連絡するまで部屋に待機しているよう言ったはずだった。
 それが、

「あんのクソったれ親父があああああああああああっっ!!」
 広間に凶悪な吼え声が響き渡った。
「どれだけ人の足を引っ張れば、気がすむんだっっ!!」

 そして、上にのせていた図面ごと、机のひとつが形を失った。
 結局、いつものごとく。
 その同じ頃。



 うわあああああああああああん!

 明日への痩身のためのワン・ツー・スリー。
 教育プログラムの一環として、朝のランニングを命じられていた問題となるドレイファスは、息子の罵倒も知らず、庭の片隅でわさわさと生い茂る草に囲まれて、ひとり泣き声をあげていた。
「ここどこだようっ! ビスティぃッ! たすけてえっ!! ルーちゃあああんっ!!」
 呼べど叫べど、だれも駆けつけてくるようすはない。
 傍にいたはずの看視役の姿も、いつの間にかない。
 泣いている間も植物は生い茂り、完全孤立。

 うわああああああん!

 情けなくも、野太い声でこどもの如き泣き声をあげる一国の王。
 その姿はだれにも見られない方が、クーデターの心配が減っていいかもしれない。
 そして、ここにも。
 行く手を阻む緑の壁を前に、剣を抜き放ったのは女騎士。
「女だからと言って、舐めるなっ! このグロリア・セルベテスッ、たかだか草などに屈するものかっ!」

 とりゃあっ!

 掛け声も勇ましく、のたうちまわるように茂る蔦に斬りかかった。
 男らしいまでに。
 そこに八つ当たりが入っていないと言えないこともないが、漲る殺気に嘘はない。
 グロリアはシュリを探して走り回っている内、運悪く植物に取り囲まれた。
 右にも左にも。前にも後ろにも。
 ほかの衛兵ふたりは、北と西にいて無事だったにも関らず。
 そして、どうっ、という地響きの音も聞いた。
 続いて、複数の硬い音を耳にした。

 がん!
 ごん!
 かん!
 こん!
 ごん!
 がごんっ!
 どさっ!

 妙にリズミカルに、なにかがはね返る音に聞こえた。
 くぐもった息づかいのようなものも、微かに聞こえたような気がした。
「なんだ? だれかいるのかっ!?」
 音のした方に視線を向ければ、生長を続ける植物の壁の向こうに、さらなる土の壁らしきものを認めた。
 あんなものが、この辺にあっただろうか?
 高く茂る木々より上回る、高い、高い壁だ。
 幅もどれだけあるものか。草が茂っていることもあるが、端が見えない。
 近付いてみようにも、生い茂る草々が邪魔ですぐにとはいかないようだ。
 ただ、嫌な予感だけはした。
「これは……閉じこめられた?」
 呟く女騎士の足下に、金だらいがひとつ転がっていた。
 べこべこにへこんで。

 これを天災というべきか、人災というべきはわからない。
 しかし、ひとつだけはっきりしていることがある。
 ドレイファスにしろ、グロリアにしろ、たんに巻きぞいをくっただけのことだ。
 しかも、かなりきわどい状態で。
 しかし、肝心の本人たちは、まだ具体的なことをなにひとつ知らないでいた。
 残念……幸運なことに。

 頭上からは、いつもより多い鳥のさえずり声が響き聞こえていた。




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