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 太陽を遮り、空を覆い尽くさんばかりに大きな鳥が、長い尾羽根を靡かせながらルーファスたちの頭上を通りすぎた。
 そして、高度を低くして、王宮の上をぐるりと一周、旋回した。
 頭上にあれば黒い影ばかりであったものが、離れて眺めてようやく、全身が燃え立つような朱色の巨鳥であることに気付く。
 尾羽根をひらめかせ、広げた羽根をほとんど動かすことなく飛ぶその姿は、神々しくも優美だ。
 影が通りすぎる前から、木々の間から飛び立った小鳥たちがあとに従うように群れ飛んだ。
 さながら、鳥たちのパレード。
 実に壮観。
 航空ショーのような虹色の雲はなかったが、自らの羽根の色で、薄い空の色をまだらに染めあげた。
「殿下、あれは、」
 ようやく我に返ったカミーユは声をかけるが、ない反応に声を途切らせた。
 ルーファスは鳥を険しい表情で見つめたまま、身じろぎひとつもない。
 まるで、親の仇を見るかのような目で、予想だにしていなかった突然の珍客を睨みつけている。
 新たな襲撃者か、或いは、通りすがっただけのものか。
 取り敢えず、ルーファスに動転している様子はなく、カミーユはそのまま口をつぐんだ。
 鳥は彼等の上に戻ってくると、大きく羽ばたきをして、空中に停まった。
 叩き付けられんばかりの強風が、地上にいる者を襲った。
 お陰で、さきほど整えたばかりのカミーユの髪と着衣が、また乱れる。
 庭に面する王宮の窓という窓ががたがたと鳴り、茂る草木が一斉に葉擦れの音を響かせた。
 立っているのも難しく、カミーユは身を低くし、騎士の中には地面に這い蹲る者もいた。
 が、その只中にあっても、ルーファスは微動だにしなかった。
「すまないが、ちょっとそこに下ろさせてもらうよ!」
 風に混じって、女の声が降ってきた。
 そこで始めて、ルーファスが怒鳴り声を張りあげた。
「なにしに来たっ!? 貴様なぞ、呼んだおぼえはないっ!」
 そう返事をしたにも関らず、上から黒い塊が落ちてきた。
 ひらり、と身を翻すようにして、音も立てずルーファスたちの前に軽々と着地する。
 猫か、と認識した次には、女の姿に変わった。
 黒い細身のドレスに身を包み、頭には大きな同じ色のとんがり帽子をかぶった。
 もとよりあちこちの方向へ跳ね回る長い黒髪は、上空で風に吹かれたせいで、よりボサボサだ。
 その顔、黒ばかりが際立つ容姿には、カミーユも記憶があった。
 忘れるはずもない。
 周囲にいる男どもの気が、途端にゆるんだのも伝わってくる。
 美女を前に先ほどまでの緊張は欠片もなく、デレデレ状態。
 そのせいで踏ん張っていた足の力が抜け、何人かが風に飛ばされかけた。
「なんの用だ、魔女!」
 強風を切り裂くほど鋭く、ルーファスは言った。
 冷静とは言い難いにしても、己は保っている。
 この状況では、それだけが救いだろう。
「すこし調和に乱れを感じたから、見に来たんだよ」
 帽子を飛ばされないように片手で押さえながら、艶然たる笑みを浮かべ、祝福の魔女は答えた。
 そして、上空に向かって指笛を鳴らすと、赤く巨大な鳥はわかった様子で他の鳥たちを引き連れ、何処へともなく飛び去っていった。
「あの鳥は」
 ようやく治まった風にカミーユが訊ねれば、「ガルーダだ」、と端的に黒の女は答えた。
「ガルーダ?」
「鳥の王だよ」
 それは、カミーユにとっては満足のいく答えではなかったが、女の興味はすでに別のところに向かっていたようだ。
 周囲を見回し、「しかし、まあ」、と呆れとも感嘆ともつかない調子で言った。
「ずいぶんと面白いことになっているね」
「面白い? 貴様の目は節穴か!? これのどこが面白い!?」
 ルーファスが噛みつけば、「面白いじゃないか」、と答える。
「精霊たちが怒りで局所的な破壊をするのは珍しいことではないが、短時間にこれだけの恵みを与えることは滅多にない」
「恵みだと? 迷惑千万、邪魔なだけだ!」
「恵みだよ。おまえ達人間は、その実りの恩恵に預かりながらも、なにも与えずとも草木が勝手に育つと思っている節があるが、違うぞ。水も太陽の光も土に含まれる栄養も必要だ。人と同様に持つ力を最大限に発揮して生長する。精霊たちも時に手伝いもするが、ほんの少しだけだ。これほど力を貸すことはない」
「くだらん理屈だ。『過ぎたるは及ばざるがごとし』、が魔女の格言だろう」
 おや、と赤い唇から意外そうな声がこぼれた。
「腹を立てているばかりかと思えば、存外、わかっているじゃないか。確かに行きすぎではあるね。ところで、シュリの姿が見えないね。どこへいった?」
「知らん!」
「庭のどこかにおられるか、と」
 喧嘩腰の姿勢を崩さない主に代わって、カミーユが答えた。
「昨夜より熱をだされて、そのまま外に出ていかれたと思われます」
「熱? あの娘が?」
「慣れない生活を続けられていた上に、出自をお知りになられたことが原因かと」
 婉曲な言い回しに、ふうん、と黒の女は相槌をうち、「余計なことを」、と黒の王子は苦虫を噛みつぶした。
 と、そこへ、いっぴきのネズミが女の足下へと走り寄ってきた。
 ちぃちぃと魔女を見上げ、高い鳴き声を発した。
 魔女はネズミを拾い上げると肩に移して、また、ふうん、と頷いた。
「なるほどねえ、そんなことが」
「なにを話している」
 以前、シュリが小鳥と話している傍にいたルーファスは、いまさら驚くこともなく問う。
 魔女は帽子を脱ぐと、中からチーズの欠片をネズミに渡して答えた。
「一応、あの娘がどんな様子か知るためにね。こっそりと」
「ネズミをですか?」
 カミーユも訝しげに問う。
 女の肩の上で後ろ立ちになり、両の前脚でチーズを抱えて齧るネズミは、なんの変哲もないどこにでもいる野ネズミに見える。
「これは、ただのネズミじゃないよ。私の使い魔のうちの一匹さ。精霊がネズミの姿を映したものだよ。普通のネズミよりもずっとかしこくてね。あちこち出入りしては、いろいろなことを見聞きして教えてくれる」
 そう答えて、魔女は伸ばした指先でネズミの頭を軽く撫でた。
「どうやら、小鳥たちのおしゃべりも要因のひとつらしいね。先の鳥の王もあまりの騒がしさに同行したものだが、煽りたてていた小鳥たちを引き連れていってくれたぶん、多少は精霊たちも落ち着いて、動きも鈍くなるだろう」
「鳥が?」
「他愛ない噂話とおなじさ。悪気があるわけではないが、時には事をおおげさにもする」
「ガルーダは使い魔ではないのですか」
「言ったろう、あれは鳥の王だ。わたし程度がどうこうできるものではないよ。あれに命じることができるのは、風の精霊王ぐらいのものだろうね。おや、どこへ行く?」
 問いは、ふたたび歩み始めたルーファスの背に向かう。
「くだらんおしゃべりにつきあっている暇はない」
 にべもない返答に、「まあ、お待ちよ」、と祝福の魔女は引き留めた。
「ここまでなってしまうと、人の手にはあまるだろう。もとより魔女の領分だ。任せるがいい」
「貴様の手なぞいらん!」
「ここは任せられた方がよろしいのでは?」
「信用できん!」
 カミーユの進言さえも、ひとことで、ばっさりだ。
 祝福の魔女は小首を傾げた。
「なにを焦っている。シュリは無事だし、おまえから奪って連れ帰る真似はしないよ。すくなくとも、おまえの依頼になんらかの決着をつけるまでは」
 はじめて女の声を聞いたかのように、ふいにルーファスは立ち止まり、振り返った。
「無事なのか」
「ああ、無事だ。この使い魔からの話では、いまは安全な場所で眠っているそうだよ。この異変は、シュリの身になにかあったから起きたものではないよ」
「証拠は」
「さて、いまのところ証明するのはむずかしいが、わたしたち魔女は嘘は言わない。言う必要がないからね。これはクラディオンの時とは違う。詳細まではわからないが、精霊たちが怒るどころか、シュリのためにしたことだ。安心するがいい」
「危険はないのか」
「ないよ。だから、『恵み』なんだ。でなきゃ、わたしもこんな風に悠長にはしていられない」
「……そうか……ならば、よかった」
 ルーファスは静かに肩のラインをなだらかにし、幼子をなだめるような笑みを祝福の魔女は浮かべた。
「おまえも迎えに行くのだろう? その剣だけは塞がれた道を切り開くには無理がある。ともに来た方が早い」
 わずかの間、逡巡する表情が男の顔を過る。
 しかし、すぐに、「無論」、と返事があった。
 と、そこへ、
「殿下っ! たいへんです!」
 遅れてやってきた魔法師ひとり。
 キルディバランド夫人に衛兵もふたり引き連れている。
 みな、ぜいぜいと息を切らしている。
「シュリさんが、まだ庭にっ! ほかにも人が……あれ?」
 テラスに集う人々の顔を見回して首を傾げ、はじめて目にした黒の女の顔を見て、頬を赤らめた。
 暫し呆けた顔を曝しもしたが、キルディバランド夫人の軽い咳払いで、慌てて我に返った。
「マーカスか。ちょうどいい、おまえも同行しろ」
 予想に反して落ち着いたようすのルーファスの命令に、マーカスは首をひねった。
「はい、ええと、どちらへ? えっと、この方は?」
「その女は魔女だ。俺はいまからこいつと共に東の庭にいるシュリを迎えに行く。おまえは、そこにいる者たちを連れて、南の庭にいる親父をさがして保護しろ。キルディバランドは母上のもとへ行き、『間もなく、すべてを片付けられる算段がついた。即刻、陛下の保護に向かわせる。ご安心召されよ』、とだけ伝えろ」
「え?」
「えっ!」
「ええっ!!」
 微妙に調子のちがう、複数の「え」が重なった。
「陛下も庭におられたのですか」
 カミーユは言い、
「その魔女に任せるおつもりですのっ!」
 キルディバランド夫人は叫び、
「魔女なんですかっ!」
 マーカスは興奮の声をあげた。
 ルーファスは不機嫌そうに溜息をつき、祝福の魔女は忍び笑った。
「出る前に用意してもらいたいものがあるのだが。あと、数人、貸してほしい。なに、大したものではないよ」
「……なんだ」
 魔女の申し出だけに、ルーファスは答えた。




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