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 おいおいと、生い茂る草間に男の嘆き声がながれていく。
 滔々と流れる河のごとくというわけではなく、ときどき、ズビズバッ、と洟をすする音を雑えて途切れさせる。
 男は黙って我慢、と当り前にされていたのはいつの頃だったか。
 しかし、それはごく局地的な価値観だ。
 広い世界のどこでも通用するものではない。
 まずは自己主張が当り前とされる世界では、そんな言葉すら生まれない。
 弱肉強食。
 言わねばわからん、言ったところで優先されるは、より強く主張できた者から。
 だって、うるさいし。
 ましてや、言う前からすべてが整えられる蝶よ花よと育てられた男にとっては、それすらもまったくありえない話だ。
 こどもがそのまま、おとなになったような男には。
 我慢や忍耐をもっとも苦手とするこの国の王、ドレイファスは、いまだ飽きずに泣き続けていた。
 小一時間ほども。
 泣くにも体力が必要。
 そう考えると、呆れた体力だ。
 鍛えられた成果か、潜在能力の開花の兆しかもしれない。
 本人にはどうでもよいことだろうが。
 それでも流石に疲れてきたか、最初の頃にくらべて声はちいさくなっていた。
 だが、音楽も人の声もない静かな場所で、警戒をする者の耳に届けるには、充分な大きさだった。
「陛下っ! どうしてこんなところにっ!」
 時刻は、だいたい午前九時半を過ぎた頃。
 ドレイファス王ははからずも、シュリを探していた女騎士に発見された。


 そして、そのおなじ頃。
「んんんんん、」
 軽い伸びと欠伸をひとつ。
 眠れる森のお姫さま、もとい、魔女見習いの娘もやっと目覚めの時間を迎えた。
 王子様のキスなしで。
 そんなものがなくたって、人間、必要なだけ眠りさえすれば、勝手に起きられるものだ。
 おとぎばなしに出てくるお姫さまだって、あれが最初の王子様とは限らないだろう。
 訪れたタイミング悪く目覚めなかったために、噺から省略されてしまった王子様もいたかもしれない。
 夢見がちな少女や乙女には大反対されるだろうけれど、そういうこともありえるという話だ。
 しかし、いまはそんなことよりも、
「あれ、ここ、どこ?」
 周囲を見回して第一声。
 前にも似たようなことがあったが、気にしない。
 ただ、そう口にするのも、無理からぬこと。
 視界に入るのは、緑ばかり。
 背中とお尻の下に太い樹の感触はあるが、見晴らしが悪いなんてものではない。
 蔓と葉ばかりで、ほかにはなにも見えない。
 それもそのはず。
 蔦でできた球の中に、シュリはいた。
 ロンゾとエンゾが目撃したあれの中だ。
 しかも、肩から下の身体にも、いつの間にか蔓が幾重にも巻きついている。
 だが、苦しさはない。
 拘束するものではなく、身じろぎひとつで蔓も塊となって軽く移動する。
「ええと、」
 シュリは狭い空間の中にいるもうひとつの存在、彼女を取り巻く精霊たちを見回した。
 親指サイズのちいさな精霊たちは薄い羽根を羽ばたかせ、彼女の目覚めを喜んだ。
 小さい羽根を動かして、ふよふよと動き回っては、シュリの頭や肩の上にとまった。
「心配かけてごめんなさい。あなたたちがこれを?」
 問い掛けに頷くように、ちいさな精霊たちは飛び跳ねた。
 蔦のドームは、朝露と風をさえぎるため。
 身体に巻き付く蔦は、肩を冷やさないため。
 精霊たちは、言ってみれば、シュリのちいさなお母さんたち。
 お父さんやおじいちゃん、おばあちゃんかもしれないが、精霊に性別は関係のないことだから、どれでもいい。
 兎に角、普段は手をかけてやれないぶん、具合の悪かった愛娘のためにせっせと力をつかって居住空間を整えた。
 気がつけば、シュリの顔色も格段に良く、熱もさがった様子。
 眠ったこともあるが、これも精霊パワーの効力。
 癒しの力。
 森林浴なんてことばもあるぐらいだ。
「随分とお世話になったね。ありがとう。おかげで元気になったみたい」
 シュリは、取り巻く精霊たちに礼を言った。
 と、竹とんぼのように頭の先端部分に二枚の薄い羽根をつけた巻き貝の形をした精霊が、フキに似た大きな葉をいちまいを担いできては、細い手足を伸ばしてシュリに差し出した。
 葉の中央のくぼみには、水が溜まっていた。
 飲め、という声なき贈り物に、シュリは、「ありがとう」ともういちど礼を重ねて、受け取った。
 巻き貝の形は、水の精霊。
 ほんの数滴かという水の量ではあったが、これも力なのだろう。乾いた咽喉を潤すには、じゅうぶんな量となった。
 しっかりと覚醒をうながすにも。

 はふっ!

 水を飲み干して一息ついたシュリは、やっと、自分がどうしてこんなところにいるかを思い出した。
「あ、お花!」
 が、手にしていたはずの花はなかった。
 周囲を見回しても見つからず、身体を覆う蔦をめくって捜した。
 そこで見つけたのは、干からびて枯れた、いっぽんの草。
 辛うじて原形をとどめてはいるものの、からからのミイラ状態。
 それも拾い上げたシュリの手の中で粉々に砕けて、塵となった。
 じわり、と緑の瞳に水の膜がかかった。
 それに慌てたのは、精霊たちだ。

 ちがう! ちがう! ちがう!

 愛娘を悲しませるつもりなどないし、あってはならないことだ。
 蔦のドームの中を右往左往、壁に当たっては撥ね返るゴムボールのように縦横無尽に飛び回って否定した。

 下を見て、下っ!

「下?」
 シュリは精霊たちが蔓をよけて作った穴から、下を見た。
 今いる樫の木の枝から太い幹をつたい根っこのある地面まで、視線を動かした。
 そして、
「わあ……」
 声をあげた。




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