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 とん、と音をさせて、ルーファスたちの足下にどんぐりがひとつ落ちてきた。
 つづいて、ねえ、と呼びかけがある。
「しぃしょお、お師匠さまあ、」
 白い花畑の向こう、蔦のドームの前面を全開にし、樫の木の枝に座って足をぶらぶらとさせるシュリがいた。
 まるで、巣の中の雛鳥のようだ。
 しかし、その呼びかけに親鳥――祝福の魔女は応えるどころか、視線ひとつ寄越すことはない。
「では、私はむこうで採ってきたものを確認するよ。大丈夫だったら、そのまま厨房に運んで調理の仕方を教える。中には、おまえたちの知らないものもまざっているようだからね」
「そうですね、厨房には一流の腕を持つ者たちが集まっておりますが、シュリさまのお好みの味付けもあるでしょうし、お願いします」
「おまえもいっしょに行って、ついでに宮殿の様子を見てこい。待機状態を解除させるかどうか、判断はまかせる。あと、手が空いている者がいたら、こちらを手伝わさせろ」
「畏まりました」
「お師匠さまあ!」
 また、とん、とどんぐりが投げられて、こんどは魔女の背に当たった。
「やかましい!」
 魔女は振り返り様に怒鳴った。
「でも、お師匠さまあ、」
「こうなったのもおまえが原因だろう。それで、みんなおまえのために忙しくしているんだ。我慢して、そこで反省していろ」
 そう叱られて、シュリは、しゅん、と肩を落した。
「うう、おなかすいた……」
 途端、ばらばらとどんぐりがシュリの頭上から雨のように降ってきた。
「ぃたったったた!」
 シュリは両手で頭を押さえて蹲る。
 と、周囲からもいくつもの声が聞こえてきた。

「あ、今度はアンズが生ったぞ」
「スグリがいくら採ってもなくならない! いったい、どうなってるんだ!? そのかぶっている帽子よこせ、それにいれる!」
「いま籠をとってくるわ」
「籠、そっち、まだあるかあ?」

 植物採集、ザル部隊の者たちだ。
 仕事開始直後は高かったテンションも、すでに呆れ気味。
 いや、飽きてきたか。
「……本当にでたらめですね」
 カミーユも、吐息をもらした。
「馬鹿な子たちだよ。どれだけ恵みを与えようと、手が届かなければ意味がないというのに」
 祝福の魔女は、すでに投げ遣りだ。
「精霊たちは運べないんですか?」
「ああ、大して運べないよ。身体もちいさいし、せいぜい風で飛ばせられるていどのものだね。突風とかではなく、普通の風で」
「ああ、それでしたら駄目ですね。それに、生で食べられるものなんてのも限られていますし、木の実ていどであっても難しいでしょうね」
「そうだねえ」
「しーーーしょぉおお、いつまでこうしてればいいんですかあ?」
 魔女は黙って地面に転がっていたどんぐりのひとつを拾い上げ、シュリに投げ返した。
 ナイスシュート!
 どんぐりは、シュリの額辺りに当たった。
「いたいぃぃ」
「すこし黙っていろ!」
「でも、お師匠ぉ」
「うるさい!」
 その遣取りを横目に、ルーファスはむっつりとカミーユに言った。
「軽食を作らせて籠にいれ、縄といっしょに持ってこさせろ。早急に」
「御意」

 現在、王宮の庭半分で、後片付け中。
 その仕事の大半は、精霊たちが育てた植物や果実の採集だ。
 太陽はすでに中天にまで昇っているが、いまだ終る様子はない。
 つまり、それだけの量が、数時間の間に生えてきたことになる。
 そして、現在も一部で増殖中。
 おなかを減らしたシュリのために。
 なんだかんだ言いながら、昨日からシュリは食事と言えるものは丸一日以上、食べられずにいた。
 昨日の朝食以来、夕方、ドレイファスから渡されたチョコレートをひとつぶを口にしただけだ。
 なにかしていたわけではないが、なにもせずとも腹は減る。
 身体もすっかり癒えた状態で、さきほどからぐうぐうと腹の虫がなきっぱなし。
 だが、いまだ彼女は樹の上から降りられないでいる。
 というのも、

「まずは、シュリをあそこから下ろそう。真ん中に張り出ているあそこの枝に縄を渡して飛び移れば、花を踏まずに行き来ができるだろう。あの太さだったら、ふたり支えても大丈夫そうだ」
 男は、森とくれば、まずはターザンごっこ。
 ルーファスがそれをやると言い出した。
 遊びではなく。
 すこしはやりたかったのかもしれないけれど。
 祝福の魔女は答えた。
「それはいいが、今、あの娘があそこから移動すれば、生えてきた植物は、すぐに枯れはじめるよ。森にする必要がなくなるからね。それでもいいかい?」
「地面にはえているものが、そんな簡単に?」
「もともと無理矢理、生やしたものだからね。クレマンティスの場合は、それなりの広さと他に植物もなかったことが大きい。だが、ここは違う。元からある植物を排除するわけにもいかないだろう。場所も限られているせいか、調和が大きく乱れているのを感じる。土も陽のでているうちからこれだけのものを育てるのに、精いっぱい以上ってところだ。片付いた時には、相当、土が痩せているだろうね。だから、これ以上、土の負担を増やさないための採取でもある。精霊たちが力を使うのをやめれば、あっという間さ」
「掘りだすまで待ってもらうのは?」
 カミーユの問いにも首を横に振る。
「樹から降りてもだめですか」
「まずその花から駄目になるだろうな。あの位置で見せるために生やしたものだから」
 魔女はフラシュカの花畑を眺めて答えた。
「待てと言っても、ほんのわずかの間だけだよ。精霊は一時的に力を貸すことはしても、長く慈しむことはできない。度合いを調整することもできない。あの子たちは、その点、動物といっしょさ。喉元過ぎればなんとやら、だ。だから、枯らすな、と言うにしても、何度も同じことを言って聞かせなければならない。にしても、素直にきくものばかりではないしな。持ち上げたり宥めたり……そういう役割だから仕方ないのだけれどね」
「……魔女も、案外、難儀なものだな」
 ルーファスは言った。
「わかってくれたかい」
「ああ」
 同病相憐れむ。
 立場は違えど数を束ねる者どうし、溜息がかさなった。
「では、その前に、せめて、このフラシュカの花だけは移植させたいところですね。これだけあれば、太后陛下のおやすみ用の薬として使っても、当分の間はもつでしょうから」
 ひとり聞かなかった振りをするカミーユのことばに、ルーファスは、「たしかに」、と唸った。
 眠っている間は、ひとりでの徘徊もない。また、起きていても、大人しい。
 そのための薬としても、フラシュカは効果的。
 世話をする方としては、できればあって欲しい薬だ。
 看られる当人は、ただの『香りだけは良い花』として気に入っている。
「シュリも、ほかは兎も角、この花を枯らすつもりはないだろう」
 王宮の事情をよく知らない祝福の魔女もうなずいた。

 そういう理由から、フラシュカの花をぜんぶ根っこから掘りだす間、シュリは樫の木の上に置かれることになった。
 そしてその下で、エンゾたち庭師らがその作業にあたっている。
 今のところ、やっと、外周三分の一ほどが掘り出せたところだ。
 根っこのひげさえも切らぬよう丁寧に扱い、そのいっぽんいっぽんを、苗用のポットに植え替える。
「エンゾさあん、まだかかりそうですかあ?」
 祝福の魔女がカミーユといっしょに行ってしまったため、手持無沙汰のシュリは下で作業するハリネズミの庭師に声をかけた。
「すみません、まだしばらくはかかりそうです。根っこを痛めないようにしなきゃなりませんから」
 望んだわけではないが、ルーファスたちに同行したことでシュリがどういう立場であるか見当がついたエンゾは、ことば使いも丁寧に答えた。
 『当分』を『しばらく』に言い換えて。
 くすん、とシュリは泣き声で応えた。
「シュリ、もうすこし待っていろ。いま、食事をつくらせているところだ」
 ルーファスは情けなくうなだれる娘に向かって、声を大きくして言った。
「ほんとですか!?」
 ぱっ、と顔があげられた。
「ああ、できたらすぐに持ってくるよう言ってある。だから、もうすこしの間だけ、辛抱していろ」

 ――いいひとだ! この人、良い人だ!

 そう思ったシュリを単純と言うなかれ。
 人間、腹を空かせたときほど、精神が不安定になるものだ。
 それに、食欲に勝てる者などそうはいないだろう。
 だからこそ、断食修業なんてものもある。
「ありがとうございますう!」
 このときはじめて、シュリはルーファスに対して心の底から礼を言った。
 満面の笑みで。
 うん、とルーファスもうなずいた。
 普通に。
 シュリの顔は髪に隠されていて、表情まではわからなかった。
 ルーファスにもシュリが喜んでいることはわかったが、生粋の王宮育ちで人のことばをスルーする癖が染みついていた。
 話半分。
 それ以下かもしれない。
 いちいち気にしていたら、動けなくなるから。
 だから、せっかくのそれも、普通の礼としてルーファスは受け取って流した。
 はじめて好意が伝わった瞬間でもあったのに、見逃した。
 とても些細なこと。
 でも、重要なこと。
 他人に気持ちを伝えるのは難しいものだ。


 それでも。
 ルーファスの『早急に』は、なににおいても最優先事項だ。
 王宮に務める者ならば、だれでも知っている。
 ほどなく、軽食が駆け足で運ばれてきた。
 注文通りに手提げの籠入りで、長縄もついて。
 縄の先には、対象物にひっかけやすいように鉤爪もついている。
 しかし、長さが足りないようだ、と一通り点検したルーファスは判断した。
 彼の考えでは、籠だけシュリに渡すためには、最低でも一往復するだけの長さが必要だ。
 だが、見たかぎりでは、五メートルあるかないか。
 これは、単にそれだけ長いものが調達できなかったとみるべきか、それとも、意図したものなのか。
 カミーユの性格を考えると、そのどちらとも言えなかった。
 しかし、どちらであったとしても、叱責する理由にはならない
 逆に、『気が利く』とすべきか。
 ルーファスは、樫の木との中央に張り出た太い枝に向かって鉤爪のついた縄の先を放り投げた。
 見事、いっぱつで縄は枝に固定される。
 二、三度引っ張って強度を確認したルーファスは、シュリに向かって言った。
「いま、持っていく!」
 片手に食事の入った籠、もう片方の手には縄をしっかりと握る。
 そして、すこし距離をとって弾みをつけると、樫の木のシュリのいる枝に向かって跳んだ。

 アアーーーーアアァーーーーーー!

 そんな声はなかったけれど。
 鮮やかさは、ちょっと劣るぐらい。
 しゃがむ庭師の帽子の先に、足先をかすったぶんだけの減点。
「待たせたな」
 数秒後には、ルーファスはシュリに籠を差し出していた。
 同じ枝に座って。




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