漲るビストリアの前を辞してカミーユは、深々と溜息をついた。
やはり、女王陛下は苦手だ、と改めて思った。
少々、しおらしい疲れた様子をだしてみたが、当り前に通用しなかった。
それどころか、逆に、先行きについて、思いきり釘を刺されてしまった。
困った、と思う。
現状としてなんともならないわけではないが、かなり危ない橋を渡らなければならない状態だ。
心もとない、と言うべきか。
問題は、一点。今後、魔硝石をいかに確保するか、に尽きる。
現在は、備蓄分に加え、婚約式までの間にシャスマールよりひとつでも多くの魔硝石を輸入するよう指示はだしている。
ただ、あからさまに買い漁れば、『なにかある』とシャスマールに勘付かれるおそれがあるし、価格の高騰を招きかねないので、友好国のひとつであるレンカルト国を間において買い付けたりなどしている。
レンカルト国は東西の大陸を結ぶ中央にあって、物品に限らず東と西の橋渡し役を担っている国だ。
魔硝石の消費量がいちばんであるマジェストリアは、良い得意先でもある。
だから、多少の融通はきく。それなりの手数料と引き換えに。
しかし、あとに残らないちまちました支払いは、永続的なものとなると、懐を痛める結果となる。
税収の多い大国ならまだしも、マジェストリアは小国だ。
年間予算も限られる。
効率の良い財政縮小は、必至。
国債を乱発して補填しようなんて発想は、銀行どころか紙幣すらないこの世界では、端からない。
それにしても、削ろうにも削れない部分も多いのが悩みどころだ。
『仕分けしちゃうぞ』、とニッコリ微笑んで言えるほどの事業部門もない。
トップのすげ替えのきかない王制は、ある意味、民主主義政治よりもシビアだ。
でなければ、民衆の反乱や革命が起きて、一巻の終わり。
歴史的に、ロスタ大乱を経てきたマジェストリア王族は、その辺のことについては他国よりも敏感に反応する。
常に民の顔色を窺っているなどと揶揄もされるが、国の成り立ちを見れば、そこが王族としてのプライドの肝でもあったりする。
ロスタ大乱で反乱軍を率いたザムディアック公の名が、英雄としてまだ民衆の中に生きているが故に。
過去には、心得違いをした王族もいたことにはいたが、その度に他のそれなりに真当な王族が間違いを諭すなり、小突きまわして放りだすなりしてきた。
その度に、キレかかっていた民も納得してきたし、より自浄作用を高めていったともいえるだろう。
そういうこともあって、マジェストリアでは増税ひとつ、軽々しく行いはしない。
それがこの国の流儀。
慣習といってもいい。
実質、『よきにはからえ』、なんてことばはマジェストリア王室には存在しない。
だからこそ、あれだけ、他国の王族にくらべても破格にアクティブであるし、個性的だ。
そして、なんだかんだ言っても、いちばん良い方策は自給自足にきまっている。
だが、残念ながらマジェストリアには、魔硝石の埋蔵量はほとんどない状態。
ならば、とシュリが見つかった時点で、カミーユが密かにあてにしたのは、クラディオンにある埋蔵分だ。
壊滅以前、クラディオンでも魔硝石は採掘されていた。
ドラゴンの残した瘴気も、魔女の登場により、なんとかできるのではないか、と甘い考えを抱いた。
ルーファスがシュリを妻に迎えいれさえすれば、クラディオンの地にマジェストリアが関与する権利が、自動的に発生する。
しかし、それとは別に、レディン姫との婚姻の話がでるよりもずっと以前、ルーファスとカミーユが目をつけた研究があった。
ひとりの魔法師でもない、異端とされる研究者が提言したひとつの研究だ。
使い捨てである魔硝石に魔力を注入しなおしてふたたび使える物にするという、所謂、リサイクルを目的としたもの。
実に画期的!
単純な発想ではあるのだが、その単純さを人びとは考えてこなかった。
使えなくなったら捨てる、が当り前だった。
消費こそ美徳。
金は天下の回り物。回らなければ、自分の懐にも入ってこない。
『ものには限りがある』という考えが、まったく浮かばなかった。
不思議なくらいに。
おそらく、研究内容自体が地味である、ということもあったのだろう。
そのせいで、その研究は長らく陽の目をみることがなかった。
成人して間もない頃、国政をよりよく変えることができないかと試行錯誤するルーファスに注目されるまでは。
ルーファスは、すぐに個人的にこの研究に出資することに決めた。
研究者の息子をカミーユ従者にして、表向きの出資者をカミーユの名にすることで、いかにも情に流されたかのようなパトロンを装わせて、密かに。
国庫からではなく、個人の出資にした理由は大きくふたつある。
ひとつは、研究自体の価値が、国庫を使ってまでまだ公に認められるものではなかったこと。
失敗した場合に、ルーファスの次期国王としての評価を下げることになりかねないからだ。無駄遣いをしたと、ずっと先まで言われかねない。
ふたつめは、研究内容の他者への流出を防ぐため。
成功した場合、魔硝石の市場に大きな変動が起きることは免れない。
それを見越して利用しようとする者、或いは、研究自体を妨害、研究者自身を亡きものにしようとする者の手から守るためだ。
なにせ、金がからむところには、必ずといっていいほど貴族が関与するものだから、油断は出来ないということだ。
国の利益よりも己の懐を太らせることを優先させる方が、常識と認識されていたりもするのだから。
そういう輩を、ルーファスの名が関心を向けさせる。
その点、カミーユの名は安全だ。
ルーファスの側近と知りつつも、『たかが、女。たかが、小娘』と侮る者は少なくない。
気になったとしても、プライドのために無視をする。内容を探ることすらしない。
そこが、かえって好都合だった。
お陰で、妨害もなにもなく、ここまでは順調に事をすすめられた。
そうして資金を得た研究も、着々と実用化にむけてすすめられている。
これらがルーファスとカミーユの手持ちのカードだ。
つまり、買い集めている分に加え不足分を補う方法として、使おうとしていたものだ。
だが、とカミーユは焦りそうになる気持ちを抑え込みながら、考える。
研究がいつ実用化できるかは、まだ未確定。
故に、その間、どれだけの魔硝石を確保すればよいかも不明。
瘴気に汚染されたクラディオンの荒地をもとに戻すのは、魔女の力をもってしても絶望的。
魔硝石をできるだけ安く仕入れられる新たなルートを見付けなければならない。
しかも、期限はあと半月。
どう考えても、絶望的ともいえる状況だ。
だからといって、諦めるわけにはいかない。
ここで投げ出せば、より深く不快な絶望が待っている。
ルーファスにとっても、カミーユにとっても。この国諸々の者たちさえも。
税の値上げに、魔硝石の枯渇。
それは、即ち、生活そのものに打撃を与える。
いまさら間接魔法がない生活など、ここマジェストリアの者には想像もつかないことだ。
しかし、本来、シャスマールのレディン姫がとち狂うことさえなければ、もっと余裕をもって対処できたはずだった。
国の将来を見据える目的として、もっと確実な方法で。
そのカードを、いま切らなければならないことが、悔しい。
いまさら言っても仕方ないことだが。
幸いは、女王陛下公認で、婚約式までの間、レディン姫との接触する必要がなくなったということだろう。
王宮をでるということは、その間の政務もパスしてかまわない、ということだ。
シュリも同行を許したということは、次期王妃として迎え入れることに賛成しているわけではないが、昨夕のキルディバランド夫人の態度から察するほどには反対もしているわけではないらしい。
なにか、含むものは感じられたが。
ともあれ、その間、カミーユたちは計画の再考と準備に専念できる。
有り難くある。
その辺の気の回し様は、流石に女王陛下だけある、というところだろう。
とはいえ。
張りのあるビストリアの後ろ姿を思い出して、カミーユはまた溜息を吐いた。
あれは、どうみたってやる気だ。
レディン姫を完膚なきまでに叩き潰すつもりだろう。
精神的に。
レディン姫を可哀想とは思わないが、後々、外交問題に発展するまでにならない程度にして欲しいと思う。
後始末が大変じゃない程度に。
しかし、いまは、そんなことよりも。
まず、王宮を離れてどこに滞在するか、随行者を誰にするかも決めなければならない。
優先順位をきめて、ひとつずつ片づけられるところから順番にこなしていく時だ。
カミーユは俯き加減だった頭をあげ、重くなりがちな脚に力をこめて歩きはじめた。
ぽつり、と水滴が、通りすぎたばかりの窓ガラスに当たって流れた。
夕立の降り始め。
シュリの天気予報は、当たったようだ。