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 ――あらあ?

 ひと休み中のキルディバランド夫人は、サロンでティーカップ片手にひとり首を傾げていた。

 シュリと陛下の捜索隊とわかれ、夫人はひとり、ビストリアへ現状報告に向かった。
 かくかくしかじかと、知ることのみを伝えたところ、返事は、たったひとこと。
「ごくろう」
 気が抜けるほどにあっさりとしたものだった。
 夫人としては、内心、ルーファスがシュリに近づく切っ掛けを阻止できなかったことに叱責を受けるとばかり思っていたからだ。
 彼女に責任がないにしても。
 理性ではわかっていても、感情的になることだってある。
 ここ数日間のビストリアの反応からして、ことルーファスに関してはそうであろうと思っていた。
「あの……よろしいのですか」
 思わず、訊ねていた。
「なにがだ」
 不機嫌になった様子もない返事に、おそるおそる夫人は具体的な問いを舌の上に乗せた。
「ルーファスさまとシュリさまがお近づきになられることを、反対なされないのですか」
「何故、そう思う」
「それは、その……」
 キルディバランド夫人の頭の中を、色々な要因が飛びまわりはするが、決め手らしいものはなにもみつからなかった。
 ただ、息子を思いすぎる母の感情的なものによるもの、というのが元よりの反対する原因と思いこんでいたから当り前だ。
 しかし、それを口にするには、不敬罪と取られかねない。
 口をもごもごとさせて、言い淀む。と、なかなか答えなかったことに焦れたのか、「そんなことよりも」、と強制的に話題を変えられた。
「レディン姫の到着が明日の夕刻になる、と先ほど報せがあった」
「それは……ずいぶんとお早い……予定ではあと三日はかかるとうかがってておりましたが」
 早すぎる、と叫びそうになるところを、キルディバランド夫人はなんとか堪えた。
 ビストリアは皮肉げに一笑した。
「出迎えに寄越した騎士すらも後に置いて行く勢いだそうな。こちらの都合も弁えず、トカゲ族の礼儀のなさには呆れるを通り越して感心もする。流石、面の皮が厚いだけある。こちらも大して準備もないが、いたらぬことがあろうとも、気にする必要はないということであろう」
 他種族とはいえ、出迎えるにはそれなりの体裁を整える必要もあるし、出迎えられる側にも礼儀が必要。
 政治がかかわる王族ならば、ことさらに。
 しかし、その必要はなかったし、する必要もなくなったということだ。
 つまり、無礼も承知の遠慮なし。
 無礼講とは、ちょっと違うが。
 あくまで表向きは上品に、体裁をつくろって。
 ベテラン女官は、明言しない部分までも察して頷いた。
「ルーファスには、明日から式までの間、王宮を離れるよう申し伝えるつもりである」
「然様にございますか」
 それでレディン姫が怒ろうが、嘆こうが知ったことではない。
 ビストリアの姿勢は、一片の曇りもなく明確に夫人に伝わった。
「それには、カミーユ・ガレサンドロほか、シュリという娘も伴わさせることにする。よって、そなたも引き続き、娘の世話係として同行してもらうことになる」
 随分と急な話だ。
 どこへ、と指定していないところから、まだ行き先は定まっていないのだろう。
 とっさに家のことや、家族のことが夫人の頭をよぎるが、女王陛下の直命とあれば、断ることもできない。
「畏まりました」
 キルディバランド夫人は、反射的に頭を下げた。
 と、なんの拍子でか、ふ、と頭上に浮かんだ豆電球に明かりが灯った。
「それにつき、ひとつお願いがございますが、よろしゅうございましょうか」
 明りが消えぬ間に、それを口にした。
「なんであるか」
「はい、わたくしの娘の同行をお願いしたく」
「娘を何ゆえに」
「はい、娘は女官付きの見習いとして、すでに王宮に仕える身でございますが、いまだひとりの主にお仕えする機会もなく参ってきた次第。これが、直に教えるよい機になろうかと存じます。また、シュリさまと年が近いこともあり、よき話し相手にもなろうかと」
 それだけではなかったが。
 深く考えてのものではなかったが、ことばにしてしまったところで、とても良い案だったと思えた。
 さして間を置かず許しがでたところで、夫人は深い笑みを溢し、改めて深く腰を折った。

 その後、ビストリアの前を辞して、さっそく王宮の備品管理を主な務めとする娘にそのことを伝えに向かった。
 滅多に仕事場に顔をだすことのない母親の姿に娘はおどろき、急な話に戸惑いを見せたが、断れないと知って、気が進まない様子を見せながらもうなずいた。
 取りあえず、自分の計画のお膳立てができたことに、夫人は満足した。
 そして、外の様子からシュリがまだしばらくの間、部屋にもどってこれないと知ると、王宮内に出入りする者たちの為のサロンに寄って、ひと休みすることにした。
 彼女もなんだかんだと言って、普段にはなく走り回ったおかげで疲れていた。
 ひとつのテーブル席に腰を落ち着けて、やっと人心地ついたような気になった。
 運ばれてきた茶をひとくち啜ると、じっくりと考える余裕がうまれた。
 まず、考えたのは、娘のことだ。
 本人はどう考えているかわからないが、結婚相手が定まらないままに、先月、十八の誕生日を迎えた。
 嫁き遅れと言われるまでにはまだ余裕はあるが、だからといってのんびりしていては、すぐに時は経ってしまう。
 それでなくとも、優良物件は減る一方だ。
 早いに越したことはない。
 親としては、せめて、婚約はさせておきたいところだ。
 そこに出てきたこの話。
 ルーファスの供に混じり、王宮からも家からも離れて過す半月。
 渡りに船とは、このことだ。

『案外、家柄に拘らないほうが宜しいかもしれませんわね。いまの身分は低くとも、将来性を見越して選んだ方がかえってよいかも』
 
 そう言ったのは、だれだったか。
 しかし、次期国王となるルーファスの供に選ばれる者たちであれば、期待大だ。
 しかも、女性の数は限られるだろう。
 つまり、こちらから見れば、よりどりみどり。
 独身者の中で、ひとりぐらいは娘をそこそこ気に入る者もいるに違いない。
 その逆も。
 現時点での身分が低かろうと、さして気にはしない。
 名よりも実だ。
 ものになるまで、キルディバランド男爵家が後ろ盾となってもいいだろう。
 彼女も伊達に三十年近くも王宮に務めてきたわけではない。
 夫とは別に、自身の伝手も人脈もある
 それでよりルーファスの覚えもめでたく、幕僚の席のひとつにつけることがあらば、万歳三唱。
 おまけにファンファーレだろうが、三本締めだろうが、両手に扇をもってチャチャチャだろうが、なんでもつけよう。
 そこまでならなくとも、領地をもらって安定した収入を得られる身分になれれば、文句はない。
 娘の幸せをもちろん願っているが、現実問題として、彼女自身の老後も関ってくる話でもある。
 可愛い息子たちもいるが、困った時に真に頼りになるのは、息子の嫁よりも実の娘。
 夫人は、密かにほくそ笑んだ。
 ちょうどよいことに、布石があつらえたかのようにすでに置かれている。
 魔法師のマーカスだ。
 あの青年自身も悪くはない。
 頼りなくはあるし、容姿もいまひとつだが、性格は良い。
 扱いやすそうだ。
 いま決まった相手がいないことも、いっしょに走り回りながら、本人からそれとなく聞きだした。
 おかげで息切れをおこしてしまったが、それなりに収穫はあった。
 下流貴族の出であるらしいが、魔法師ならば、この先も無難に務めてさえいれば、ある程度のところまでは行けるだろう。
 一応、キープとして位置づけておく。
 何用であれ、このマジェストリアであっても、王族の随行者の中に魔法師を加えるのは慣例だ。
 ほかの魔法師たちの多くは騒ぎで満身創痍となったようだから、今回、マーカスが選ばれることは間違いないだろう。
 それで、ほかに良さげな若者がいたら、マーカスを仲介にうまく言って、娘との間を取り持ってもらえばいい。
 考えれば考えるほど、夫人の行く先に明るい展望がひらけてくるようだ。
 あと、問題があるとすれば、シュリだ。
 世話をする娘の先行きが、心配でもある。

 ――あらあ?

 そう言えば、とビストリアがルーファスとの仲を反対しているわけではないらしいことを思い出した。
 ひょっとして、昨夕のアレは自分の勘違いだったのか、と漸く今頃になって、キルディバランド夫人も気がついた。
 と、なると。
 もし、シュリがルーファスの妃となれば、世話係である夫人にとっても、なにかと都合の良い話であるにちがいない。
 幸い、シュリは懐いてくれたようではある。
 それで、うまく娘に世話係をバトンタッチできれば、こちらの方も将来、安泰。
 よしんば、未来の夫側がコケたとしても、なにかとフォローが可能となる。
 なにせ、未来の王妃の傍仕えとなれるのだ。
 こんな名誉、おいしい話は滅多にあるものではない。
 カミーユ・ガレサンドロの動向が気になりはするものの、あの小娘も主の意志に逆らう真似はすまい。
 つまり、身近なところで邪魔者はいない、ということだ。
 レディン姫がいるが、こちらは女王陛下に任せておけば、間違いないだろう。

 ――あらまあ!

 キルディバランド夫人は、思わず両の掌を打ちあわせたくなった。
 手に持ったカップさえなければ。
 これをして、我が世の春がやってきたと言うのだろうか。
 青い鳥の囀る声が聞こえてくるようだ。
 そんな感慨に似た感じを夫人はいだいた。
 方針の決まった者が、ここにもひとり。
 満面に溢れ出る笑みは、深くなる一方。
 これを上機嫌と言わずして、なんというのか。
 周囲の視線も気にしない。気付かない幸せ。
 しかし、童話の青い鳥には、求めつづけている間は手に入らないという教訓もあった筈だ。
 が、間違いなく、同じ場所に他の動物は存在している。
 曰く、とらぬ狸の皮算用。
 王宮では、馴染深い動物だ。
 に、しても、夢を突き抜けて妄想に突入している人間では、なかなか存在に気付かないことは同じ。
 瓢箪から転げ出てきた駒に目が眩んで、周囲でタヌキが祭り状態で踊っていたとしても、まったく目に入っていなかったりする。
 夫人の頭上に乗るのは、青い鳥か、はたまたタヌキか。
 空いた席は、たったひとつ。
 その蓋が開くまでには、もうすこし。


 ハ、は、は、ハァアックションッ!

 テヤンデエ、コンチクショウメ。
「……風邪、ひいたかな。それとも、花粉のせいかな」
 ちょうどその時、王宮の庭でドレイファスの救出に向かっていたマーカスが、なにも知らず洟を啜っていたのは、お約束だ。





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