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 おしゃべりと蘊蓄を語るのは別らしい。
 普段、無口な強面でも、一旦、あることを語りはじめると火がついたように止まらなくなったりする。
 この傾向は特に男性に顕著であるようだ。
 しかし、相手は選ぶべき。
「うざい」
 と、聞き役がひとつ思えば、人間関係を悪くするどころでなく、
「チョーうざッ!」
 ともなれば、どんな絆であろうと粉砕だ。
 それがあるから、世の父親と言われる者たちは、年頃の実の娘の前でかける言葉を失いもする。
 その点、今回、この男はまずまず恵まれていたと言えるだろう。

「料理ってえのは、手間をかけりゃあいいってもんじゃねえ。勿論、そうした方がいいもんもあるが、極力、手間を省いた料理の方が、それよりも何倍も美味いってえこともある。やたらとスパイスを使って誤魔化すんじゃなくな。それと、同じことが食材にも言える。肥えた土で、水と肥料をたっぷり受けて育った野菜が美味いとは限らねえ。案外、えぐみが強すぎて、食えたもんじゃねえ代物だったり、水っぽかったりするもんさ。逆に、枯れた痩せ土で育ったもんの方が匂いもよくて、素材本来の味が生きていたりする。特に、甘味がまったく違う。全部がそうとは限らねえが、肉にも魚にも似たようなことが言える。厳しい環境に置かれて育ったものは、それだけ生命力があるってことなんだろう。俺たちはその生命を食らって生きているってこったな。そう考えると、残酷にも聞こえる話だが、だからこそうまく料理して美味く食べてやらにゃあ食べ物に申し訳が立たねえってことだ。その点、きょう庭で採れたもんは、上出来なもんばかりだった。山菜類にいたっては、最高と言ってもいい。季節外れのもんの中には、多少、味が落ちるもんもあったが、それを補ってこその料理人の腕ってもんさ。おかげで、今日は料理のし甲斐あって、つい、張り気っちまったけれど、こんなこたあ滅多にあるもんじゃねえ。おう、嬢ちゃん、どうだ、美味いだろう」
「はい、すごくおいしいです! 同じものを使って料理しているはずなのに、こんなに違うなんて吃驚です! すごく幸せ、あち、あち、あちっ!」
「そうだろう、そうだろう。俺様は天才だからな。ほら、もっと食いな。慌てなくても、まだ、たんとあるからな。ルーファス、カミーユの嬢ちゃんも、しっかり食うんだぞ。ひとかけらも残すんじゃねえぞ」

 厨房の片隅に置かれた、古い円形のテーブル。
 その上には、乗りきらないほどの料理が並ぶ。
 意図せず集った者たちのそれを囲んでの食事中。
 その中心にいるのは、厨房の主、エンリオ・アバルジャーニー。
 自分の仕事は殆ど終ったと、あとを弟子たち――厨房で働く者たちに任せて、当り前のように席のひとつにおさまった。
 両隣に祝福の魔女とシュリを置き、酒を片手にご満悦なようすで舌も長々と語っては、がははと笑う。
 左隣が、カミーユに長い銀髪をひとつの三つ編みに編んでもらい、赤と白の格子柄の三角巾をかぶったシュリ。
 すっきりとした笑顔も露にナイフとフォークとスプーンを持替えては、せっせと料理を口に運んでいる。
 右隣の祝福の魔女は、時折、味見程度に料理に手をつけるが、殆どワイングラスを手放さない。
「精霊たちがおまえを喜ばせるために生じさせたものだ。ゆっくり味わって食べなさい」
「はい!」
 笑顔で咀嚼し続ける弟子に視線を向けながら、エンリオの話に耳を傾ける。
 普通の人の目には見えないが、周囲には部屋からここまでシュリを案内してきた風の精霊やほかの精霊たちもいて、ふよふよと飛び回ったり、人の頭や肩にとまったりして寛いでいる。
 とても、和やかだ。
 だが、そうはいかない者もいる。

「シチューが通るぞ! どけ、どけっ!」
「サラダあがり! もってけ!」
「馬鹿野郎! これにはタルタルソースで、オーロラソースじゃねえっ! なに聞いてんだっ!? すぐにやり直せっ! 急げっ!」
「食堂で腹をすかせた連中が待ってるぞ! 出来上がったもんから、順次はこんでいけ! 冷めたもん食わせてやるなよ!」
「おおい、皿の数が足りないぞ! どこやった!?」
 もうすぐ夕食時とあって、厨房内はさながら戦場を思わせる状態。
 活気どころか、殺気に満ちている。
 料理人たちが右へ左へ、前へ後ろへと忙しなく動き回っては声を張り上げ、喧騒を撒き散らしている。
 そして、その洗い場にどこかで見た顔。
 抜きん出て、がたいのよい女。
 ほかの厨房の者たちとは、ひとり違う恰好。
 肘の上まで袖をまくり上げているが、身に着けているのは騎士服か。
 必死とも言える形相で、がしがしと力をこめて鍋を洗っている。
 その周囲にも山と積み上げられた、汚れた鍋やら器具やら。
 脇に立て掛けられているのは、場にそぐわない一振りの剣。
 鞘には千切れた草の葉がくっついている。
 それもそのはず。
 女騎士、グロリアだ。
 途中あった障害のせいですこし遅れはしたが、根性でシュリを見失うことなくここまで追いかけてきた。
 そして、護衛を続けようとしたのだが、
「邪魔だ」
 と、厨房の主に一蹴。
 しかし、グロリアとしては、『はい、そうですか』とはいかない。
 彼女もエンリオ・アバルジャーニーの唯我独尊、発言力の強さは知っていたが、ルーファスやカミーユがいる前で、あっさりと退くことなどあってはならなかった。
 己の今後のためにも、失態はゆるされない。
 押し問答すること数回。
 腰は遥か東の海まで退けてはいたが、そんなことはおくびも見せず、顔だけはしっかりと自分よりも上背のある男にまっすぐ向けて。
 すると、エンリオ・アバルジャーニーに唐突に問われた。
「おまえさん、女にしちゃあ腕っぷしが強そうだが、見かけなりの力はあるか」
「え、ああ、まあ、それなりに」
「だったら、手伝え」
「は?」
「この通り、ここは人の手がいくらあっても足りねえ。ずんどう鍋ひとつ洗うにもでかいし重いしで、数もある。洗い場ひとつにしたって、並みのやつにゃあ務まらねえ。だから、手伝え。それだったら、ここにいさせてやる。そうすれば、万が一、その嬢ちゃんになにかあってもすぐに気付けるし、動けるだろう」
 それが、唯一の妥協点らしい。
 本格的な厨房仕事はグロリアには縁がないものではあったが、多少、野営地で手伝った経験はある。
 背に腹はかえられない。
 彼女はうなずいた。
 そして、こうして現在、汚れた鍋と格闘中。
 彼女の戦いは、はじまったばかりだ。
 
 それとは別に、不本意な者はほかにもいる。
 おもに魔女の右隣に。
 敗因は主に、いちばん最初に席についてしまったことだろう。
 最初に席につくものは、好きな場所を選べるが、その後の配置に関与できない法則だ。
 合コンなどで慣れていれば、席につく段階で気を回すこともできたろうが、生憎、そんな経験は彼にはなかったし、合コンなど名称すら存在しない世界だ。
 それでなくとも、彼の座る場所は、大抵、あらかじめ決められたものであり、そうでなければ、いちばん奥の壁を背にする位置。
 背後から狙われることのない。
 だから、彼、ルーファスがその席を選んだのは、自然の成り行きで必然だった
 隣りの片方の席にカミーユが来たことも、取り立てて何かを言うものでもなかった。
 が、そこからが問題。
 彼が法則に気付いたのは、その直後だ。
 隣りに気にくわない者が来ても文句は言えないし、好きな者がいちばん遠い席になってもどうしようも出来なかったりする。
 それを身をもって知った。
 当然のように、保護者とは名ばかりの魔女が弟子を彼の手が届かない席に誘導し、更に、いちばん最後に加わった男が、またも当り前のように引き寄せた椅子を彼女の隣に割り込ませて落ち着くのを、指をくわえて見ているだけしかできなかった。
 不幸中の幸いは、テーブルが円形で、ちょうど正面、シュリの表情が見える対面に位置できたことか。
 しかし、それはそれで、拷問に近いものがあるが。
 美味しい、嬉しい、幸せ、と笑顔で食べるシュリは可愛い。
 特に、その食べ物を咀嚼し動く口元。
 薄く油の膜がかかった、つやつやピンクの唇が艶めかしい。
 いちどは味わった、その柔らかい唇。
 今のルーファスは、見ていることだけしかできない。
 なのに、隣りに陣取るエンリオ・アバルジャーニーは、まるで彼に見せつけるかのようにその頭を撫で、さりげなく肩を抱く。
 いや、事実、見せつけているのだろう。
 おそらく、彼の気持ちを見越して。
 向けられるにやにや笑いが、物語っている。
「嬢ちゃんは可愛いなあ! 嬢ちゃんみたいな別嬪さんにそこまで褒められちゃあ、おじさん、ますます張り切っちまわあ!」
 図体に似合わぬ甘い声で言う。
 けっ!
 ルーファスは心の中で吐き捨て、げしげしとナイフとフォークを使って気を紛らわせる。
 むかつく。
 だが、怒鳴りつけるのだけは、必死でこらえる。
 ここでエンリオ・アバルジャーニーのつまらないからかいにのって、喜んでいるシュリを怯えさせて、これ以上、嫌われるわけにはいかない。
 いや、それよりも前に、彼は祝福の魔女をぶっ飛ばすためにここへ来た筈だった。
 絶対に忘れてはならない必須項目だ。
 しかし、それも師匠と慕っているシュリの前でやるわけにはいかない。
 我慢、我まん、が慢、がまん……
 たらり、たらりと油を流す蝦蟇のごとく、汗を滲ませてルーファスは耐えた。
 とりあえず、ただひたすらに怨念をこめた目力で、無言のままに意志を伝える。

 ――オレノシュリニキヤスクサワルンジャネェ! アトデオボエテイロ!!

 以心伝心か、それとも深い念の賜物か。
 怒りの矛先を向ける男が、シュリの肩から手をはなして言った。
「おい、ルーファス、別嬪さんをそんなに睨みつけるもんじゃねえ。怖がらせてどうすんだ」
 右隣りから、カミーユのつく溜め息が聞こえた。




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