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 それで、と男ふたりの水面下の遣取りを横目に、祝福の魔女は隣席の男に話を振った。
「大将は、どうしてこの王宮に務めているんだ? 他にももっと良い条件で雇いたいというところもあるだろう。そうでなくとも、ひとりで店をやるとかの方法もあるだろう」
 それには、ああ、と鼻先で笑う声が答えた。
「たしかに俺みたいな性分は、雇われるのには向いてねえ。それは自覚があるさ。けれど、それ以上に金計算に向いてねえんだよ。自分で店をやるとなりゃあ、始終、金計算をしてなきゃならねえしな。それのせいで、使いたい機材も、食材も満足に使えねえってこともある。商売ってのは、難しいもんさ。その点、城勤めってのは、それだけでいい素材が取り寄せできるし、こうして大勢使うことで、俺の知ることを伝授できもする。安い食材を使ってうまい飯を作るってのもありだが、そりゃあ俺の遣り方じゃねえ。俺は、最高の素材を使って、最高にうまい飯をつくって、それで喜ぶ人の顔がみてえ。そんでもって、身分だなんだって踏ん反り返っているやつらを、俺の料理の前にひれ伏せたいのさ」
「そういうものか。けれど、それでは、もっと大国の王宮に勤めるものではないのか」
「ああ、それもそれで、色々と不都合があってね。オウガの王宮に行きもしたが、五日でやめた」
「へえ、」
「まず、我儘だな。あれは食べられねえ、嫌いだから使うな、とかよ。今日はアレが食いてえ、と言った先から、気が変わったから別のもんにしろ、とかなあ。揚げ句に、せっかく作った料理を、なんかの都合で一口も食べずに捨てる羽目になっちまったり。それが当り前に通用すると思いやがる。食べたら食べたで、あの味はどうのこうのと、澄ました顔で知ったかぶりで講釈垂れるか、最悪は自分の舌がいかれてんのを誤魔化して、料理にケチつけやがった」
「ありそうな話だ」
 ふふん、と黙って聞いていたルーファスが鼻先で笑った。
「オウガに限らず、どこも似たり寄ったりさ」
 エンリオ・アバルジャーニーも、うんざり顔でうなずいた。
「ここは違うのか」
 つづく魔女の問いには、ああ、と男は笑った。
「ここの王様は、単純に『うまい、うまい』って笑って言って、作ったもん、全部、残さず食うからな。好き嫌いもねえし、その辺が他とはちがう。当り前のことだと言われそうだが、こんな素直な王様は、ほかにはいねえよ。見た目はともかく、妖精族の血をひいているってのは、それだけで納得だ。今は、ちったあ痩せなきゃならねえってんで、すこし量を減らしちゃいるが、注文するにしたってそれだけだ。王妃さんも肉類は控えるように言われるようになったが、年齢とともに食べるもんも変わるもんだから、当り前だろう。そのくらいのことは、俺等が配慮しなきゃならんところだ。だから、どこの国の王族よりも、ここの王様たちは健康だぜ。こいつも含めてな」
 と、顎の先でルーファスを指した。
「そのくらい当り前だ」、とそれにむっつりとした表情が返された。
「雇うにあたって、作る料理と遣り方に口出ししないなんて条件を呑むなんぞ馬鹿げている。おまけにこの厨房もわざわざこいつのために用意させたと聞いている。元は、兵士の訓練場だったのを改装してまでな。それで、無駄な飽食の揚げ句に寿命を縮められたら、なんのために雇ったかわからん」
 叩かれた憎まれ口を料理人は、かか、と笑い飛ばした。
「お前さんは知らねえだろうが、条件呑むかはともかく、そんな馬鹿なことが他の所じゃあ当たり前にまかり通ってんのさ。本当に美味いもんかどうかもわからねえ連中が、最高の腕とか抜かす料理人に必要以上にスパイスのきいた脂ぎった料理をこさえさせて、毎日、たらふく食ってんだよ。寿命を縮めてんのにも気付かずにな。よかったなあ、ここの料理人が俺様で。でなけりゃおまえも今頃、歩くにも難儀するみっともねえデブになってっかもしれねえぞ」
「冗談抜かせ、だれがみっともなく肥え太るか。だいたい、そんな暇なぞあるか。それに、おまえも最高の料理人を自称しているひとりだろうが」
「ああん? 俺様は最強で天才の料理人で、最高なんてひとことも言った覚えはねえぞ」
「一緒だろうが。でなけりゃ、なんでオヤジがあれだけ節操なしに肥え太っている」
「ありゃあ、俺が来る前からだろ。前の料理長がろくでなしで、ガキの頃から必要以上に食わせたい放題だったからだろうが。そんなことまで、責任はもてねえなあ」
 と、嘯く横から魔女が質問をはさんだ。
「いつからここにいるんだ?」
「そうさな、もう、十年ほどになるかな」
 エンリオ・アバルジャーニーは答えた。
「来たばっかりの頃のこいつは、まだ小憎らしいばかりのガキで、そこのカミーユの嬢ちゃんも痩せっぽっちのがりがりでな。いつも腹すかせてはここに来て、このテーブルで飯をくわせてやったもんさ」
「余計な話をするな」
 重く鈍い刃のような声で、ルーファスが制した。
 が、エンリオ・アバルジャーニーの口は止まらない。
「変だろ。王子様と貴族のお姫さまがさ。こんなところまで来て、がつがつ飯くってんなんてさ」
「やめろ」
「よくよく聞いてみりゃあ、その頃、悪い奴がいたらしくてなあ、飯に毒が盛られていたらしいんだ。ちょうど立太子する頃で、こいつが次の王様になられちゃ都合が悪いってんでな。カミーユの嬢ちゃんは、もらわれた家でろくすっぽ飯も食わせてもらえない状態がつづいていてな」
「黙れ!」
 上に乗った料理を揺らす勢いで、ルーファスは立ち上がった。
 剣呑な表情で、エンリオ・アバルジャーニーがそれを見やった。
 ルーファスの袖を、カミーユの手が皺になるほどに掴んでいた。
 その表情はほとんどないに等しいものだったが、わずかに寄せられた眉根が心情を垣間見せていた。
 だが、それ以上に、シュリの明るい筈の緑色の瞳が煙り、うっすらと水の膜がおりてきていた。
 男たちが睨み合うばかりの沈黙が、暫しつづいた。
「まあ、落ち着け」
 最初に口を開いたのは、祝福の魔女だった。
 ワインのボトルを傾け、殆ど空いていたルーファスのグラスを満たした。
 つぎにカミーユのグラスも。
「食事は愉しくするものなのだろう、大将?」
「……ああ、そうだな」
 その返事を聞いて、ルーファスも椅子に座り直した。
「シュリ、まだ皿に残っているよ。食べなさい」
 静かに命ずるように魔女は弟子に言った。
 はい、とちいさな声で答えて、シュリはのろのろと手に持ったフォークを動かしはじめた。
 その俯き加減の頭を、エンリオ・アバルジャーニーが撫でた。
「ありがとな、嬢ちゃん。でも、こいつらは大丈夫さ。憎たらしいほど丈夫で、ちっとやそっとじゃ折れねえほどしぶとく出来ているんだ。現にその悪い連中だって、ほとんどこいつらふたりで片付けちまったんだぜ。まだ、成人前のこどもふたりが大の大人を相手にして、ぐうの音もでないほどにこてんぱんに叩きのめしたんだ。ちょいと遣り方が乱暴で、けっこうな騒ぎにもなったが、それ以来、この国でこいつらに手を出そうって命知らずのやつはいねえよ。まあ、俺様も喧嘩のしかたを教えてやったりもしたが」
 因みに、怪我の重軽はあっても、幸い死人はださなかった。
 あとで、正当な公の裁きをもっておさらばした者は何人かいたが。
「へえ」、とまた祝福の魔女は興味深げに相槌をうった。
「では、大将がこのふたりの師匠というわけか」
「ちがう」
 ルーファスが真っ先に反応して否定した。
「ちがいますね」
 と、カミーユもつづけて同意した。
「どこが違うってんだ? 教えてやっただろう、殴る時の急所とか機先の制し方とか」
 エンリオ・アバルジャーニーが不満もあらわに答えた。
「確かにな、だが、ほとんど役には立たなかった。すこしは参考にはなったが」
 と、ルーファスが言えば、
「剣をもった人間を相手にするのと、素手で熊を相手にするのとはわけが違いますから」
 カミーユも溜め息まじりに答えた。
 素手で熊との対決。
 それは、エンリオ・アバルジャーニー自身が嘗て語った伝説。
 北の山脈に住む、凶暴な暴れ熊相手に素手で一騎打ちを挑み、勝利したというもの。
 格闘漫画の修業場面ではお馴染の話。
 しかし、現実にそんな真似ができるならば、猟友会はいらない。
 よいこはぜったいまねをしちゃいけない。
 たとえ本当だったとしても、語るは本人のみだから。
 エンリオ・アバルジャーニーの話にしても、熊の肉はとうの昔に腹の中を通過して、今頃、どこぞの肥料となっているらしいし、毛皮も業者にたたき売って、どこぞの家の敷物だかにされているという話だ。
 証拠もないまま、大抵がそうであるように、真実は薮の中。
 それは兎も角、カミーユの話にもどれば、
「野豚をとらえる罠の作り方を使わせてもらったていどですね」
「野豚! どうやるんですか、それ!」
 意外なところで反応したのは、シュリだった。
「知りてえのか、嬢ちゃん」
 エンリオ・アバルジャーニーが訝しげに問えば、
「はい!」
 と、またもよい返事だ。
「この先、役に立ちそうですから。兎を捕まえる罠の作り方なら知っているんですが、野豚ほどになると力も強いですから、捕まえても罠を壊して逃げちゃうんです」
「兎? 兎を捕まえるのか? なぜ」
 意外そうにルーファスが問えば、
「食べるためですよ。冬に毛皮は必要だし。決まっているじゃないですか」
 と、事もなげにシュリは答えた。
 ええと、とカミーユが珍しく口ごもった。
「食べるってことは、ご自分で捌いたりも、」
「もちろん、しますよ。他にする人もいませんから。あ、でも、たまにこびと族の人たちにそのまま渡して、お野菜と交換してもらったりもします。冬は薬草もなかなかとれないので」
 自給自足の森の暮らし。
 シュリは、まったく変なことを言ったつもりはなかった。
 だが、二対の色の違う瞳が、呆気にとられたように彼女をみた。
 ルーファスもカミーユも、間接的にシュリの暮らしの端々を聞いてはいたが、本人の口から聞けば、またインパクトがちがう。
 一見、虫も殺さないような草食系にしか見えない美少女が、可愛らしい兎を捕獲してためらいなく捌く姿は、想像しにくいものがある。
 いや、いまその手にあるのは、骨付きの鶏肉だったか。
「えっと、兎だけじゃなくて、鳥も絞めますよ、羽根毟ったり……魚とか」
 漂う妙な空気に気づいたシュリは、鶏肉を手にしたまま重ねて言った。
 本人はフォローのつもりで。
 だが、当然のように答えは沈黙だった。
「えっと……」
 なにがいけなかったのか。
 視線を泳がせ、シュリは助けをさがす。
 藁いっぽんでも。
 すると、ひとり間を挟んだ向こうから祝福の魔女が言った。
「初めて教えた時は、『かわいそうだ』と泣いて仕方がなかったがな。ほんとうに餓えてどうしようもなくなるまで泣き続けて、どうしたものかと思ったものだよ。このまま死ぬつもりかとね。ぎりぎりで、やっと観念したみたいだが。それでも、手を血まみれにして泣き続けていた」
 それは、ようやく十歳を過ぎたころの話。
「だって!」、とシュリが声をあげた。
「だって、仕方ないじゃないですか。別に悪さをするわけでもないのに殺さなきゃならないのは、やっぱり可哀想だと今でも思います。でも、私も他の動物に追いかけられることだってあるし、いつか食べられるかもしれないし。だから、捌く時にはいつもごめんなさいするし、ありがとうって言っています。けれど、本当は、動物とも仲良くしたいんです。食べるだけじゃなくて、優しくしてあげたいです。だから、最初はそれで魔女になれたらなあって……」
 食べずにすむから。
 殺さずにすむから。
 思わぬところで明かされたちいさな本音が、沈黙を通り越して静寂を呼んだ。
 周囲は相変わらずうるさかったが、古い丸テーブルの空間だけ切り取ったかのように静まり返っていた。
 そこにいた者たちの視線はすべて、シュリに向けられていた。
 それぞれに違う表情をみせながら。
 そして、シュリはきまり悪げに身を竦めながら、手にした鶏肉にかぶりついた。
 と、突然、爆笑が轟いた。
 厨房全体を揺るがさんばかりの。
「いいねえっ、嬢ちゃん!!」
 エンリオ・アバルジャーニーは言うと、シュリの頭を撫でた。
 ぐりぐりと。
 摩擦で煙が立ち上がらんばかりに。
「いたい、いたい、いたい、いたいぃぃい!」
「やめろ! シュリに触るなっ!!」
 あがった悲鳴に、ルーファスがテーブルを飛び越す勢いで止めにはいった。
「大将、あまりその娘を手荒く扱うな。馬鹿力で骨でも折れたらどうする」
 見兼ねて魔女も、横から口を出した。
 すると、またも料理人は大きな体を揺らして笑った。
 そして、手をひっこめると、首を竦めたままのシュリに向かって問うた。
「嬢ちゃん、おじさんとふたりで旅に出てみねえか?」




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