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 結論を言えば。
 魔女に叱られてしょげているシュリも可愛かった。
 と、そんなことではなく。
 彼らにつきあっているうち、仮寝してしまったシュリの寝顔も可愛かった。
 と、そんなことでもなく。
 ルーファスと祝福の魔女とカミーユの三人の話し合いは、真夜中過ぎまで続いた。
 途中、エンリオ・アバルジャーニーに厨房を追いだされ、シュリの使っている部屋に移っても、続けられた。
 ひとり寝台に入った――入れたシュリを横目で見ながら。
 蛇の生殺し状態で。
 そのまま添寝したいとか、それ以上のことをしたいと狂おしくも悶えまくる欲望には、なんとか蓋をして。
 あれだけ酒を飲んだにも関らず、眠る必要がないという魔女の疲労感の欠片も浮かばない様子が忌忌しく、眠るシュリがその手をなかなか放そうとしないのにもむかついたが、それもぎりぎり捩じ伏せもって。 極力、小声で。
 身体的主張――椅子の肘掛けをへし折ったり、調度品を蹴飛ばしたり、投げたりも、もちろん厳禁。当然、剣を抜くは論外。怒りの表現は、青筋たてるまで。
 その条件下で話し合いは続けられた。
 お陰で、ルーファスは、普段の倍以上のストレスと精神的疲労を感じた。
『タララ・ラッタ・ラー!! るーふぁすのにんたいりょくがあがった』
 そんな幻聴をなんども聞いた気がしたものだ。
 だが、そうするだけの価値はあった。
 レベルアップしただけではなく。
 彼に限らずカミーユにも、そして、マジェストリアの国にとって、重要かつ有意義な内容が得られた。
 解散するころには、疲労感以外にも充実感と解放感の両方を感じるほどに。
 その後、魔女とシュリを部屋に置いて、休むことなくルーファスはカミーユと共に彼女の執務室へと向かった。
 彼の執務室は使い物にならなくなってしまっていたので。
 それからふたりで急いで必要な書類を調え、今後の計画の準備に取りかかった。
 可能なかぎりのことを行ってのち、ルーファスは自室へ戻った。
 眠ることなく、そのまま移動のための荷造りをする。
 そして、時間を見計らってビストリアのもとへ。
 睡眠不足を感じさせない足取りで。
 いつも以上に、目付きは悪……鋭く。
 午前八時半のことだ。
 息子とは違い、美容と健康のためにしっかりと八時間の睡眠をとったビストリアは顔色もよく、朝食が運ばれるのを待ちながら寛いでいたところだった。
「おはようございます、母上。早急に報告とお願いしたい議あり、朝早くから申し訳ありませんが、今すこしお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
 その挨拶に頷きを得ると、ルーファスは召使いたちをその場から下げさせた。
 ふたりきりになったところで、口火をきった。
「既にお聞き及びかと存じますが、現在、私の独断により、王宮内にクラディオン王妃フェリスティアの遺児、シュリを保護しております。私は時機を見て、マジェストリア王家が後ろ盾となり、シュリをクラディオン王家の正式な跡継ぎとして公にすべきと考えております。しかしながら、これ以上、独断で事を進めるには重大事であり、各方面へ波及する影響も考えられることから、母上にはそのためのご支援をお願いしたく参りました」
 ざっくり単刀直入。
 しかし、聞く者に驚いた表情はなく、気を悪くした様子も、逆に気を良くした様子もなかった。
 彼と似た瞳がわずかに細められただけだった。
 例えるなら、真剣白刃取りで躱したというところか。
「それは、朝からずいぶんと重い話ですね」
「申し訳ありません。なにぶん時間がありませぬゆえ」
「シュリとは、銀髪で顔を隠した、魔女の弟子と言っていたあの娘のことで間違いないですか」
「はい」
「身の証となるものはあるのですか」
「はい、私はまだ目にしてはおりませんが、あるとのこと。そして、シュリを育てた魔女によれば、間違いなくシュリはフェリスティア妃の実子であり、本人より託されたものであると証言しております。また、普段は髪で隠しておりますが、私がみたところ、妖精族の血が濃く表れたシュリの容姿には、フェリスティア妃、また今は亡きポウリスタ公爵家の者なる面影があるものと存知ます」
 ふむ、とビストリアは思慮深くひとつ頷いた。
「して、彼の者をクラディオンの王女として、いかがしますか。治める地はすでになく、臣下はひとりしておらぬ。わずかに逃げ延びた民も。すでに別の安住の地をみつけておりましょう。今更、名ばかりの王女に従う意味もない。また、血筋だけの者にとっても、その肩書きは煩わしいだけ。下手をすれば、破滅。このまま身分なき者として自由に暮らさせてやる方が、誰のためにもなりましょうな」
 声音は淡々。
 だが、ことばは隠し持った切れ味のよさを匂わせる。
 そして、威厳も。
 ナイトドレスにガウンを羽織る姿が、ローブを身に着けた正装とも見紛う。
 ルーファスは、思わず感嘆の息を吐きそうになった。
 今のことばを解すれば、
『王族としての生活も誇りも義務も知らずに育った娘が王女と呼ばれるようになっても、所詮は形だけの張りぼて。大した味方はおらず、利用しようとする者たちに翻弄されて心身症になるか、或いは、不心得者に操られるだけ操られて、自身どころか他人を巻込んで国を破滅に導かねない。だったら、なにも知らないまま解放してやったほうが、本人も自由に生きられるし、周りも面倒がなくてよい』
 合理的な意見だ。
 女性にありがちな個人的な感情は、いっさい抜き。
 これだから、彼の母親は『王妃』とだけでなく、『女王陛下』とも呼ばれる。
 あたかも、王家直系の血筋であるかのごとく。
 尊敬と幾分かの皮肉をこめて。
「母上のおっしゃられることも、もっともだと存じます」
 しかし、ルーファスも次期王位を継ぐ者。
 この程度のやりとりは日常の範囲内。
「しかし、フェリスティア妃に勝るともしれぬシュリの外貌は、クラディオンの二の舞い、或いはそれ以上の被害をこのマジェストリアに引き起こす可能性があります。魔女によれば、妖精族の血が濃く表れた者とは、生来、精霊とのつながりを濃くする者だそうです。精霊とは私たちの目には見えませぬが、光であり、大地であり、水であり、火であり、風であり、また闇をも司るもの。精霊の意志は、それらそのものの意志と言ってもよい存在だそうです。個人差はありますが、妖精族の血は、精霊の声を聞き、姿を見ること、意志の交換が可能にするものだそうです。中でもシュリは、精霊に特に愛されているとのこと。シュリが望めば、精霊たちはなんであろうとかなえようとし、シュリが害されることがあれば、精霊たちは怒り狂う。シュリは魔女に育てられることで、その制御の仕方を覚えたようではありますが、それでも完全とは言えないようです。実はクラディオンの壊滅も、怒りにかられたクラディオン王が、シュリほどではなかったそうですが、同じ性質をもつフェリスティア妃を手にかけたことが切っ掛けとなって起きた事だそうです。もし、シュリをこのまま放置し、その美しさに目のくらんだ不逞の者たちに傷つけられ命を奪われるようなことがあれば、このマジェストリアも大陸より姿を消すことになるでしょう」
 そこではじめて、ビストリアの表情に驚きがあらわれた。
「フェリスティア妃が? クラディオン王の手にかけられたと?」
「はい」
「国とともに、暴れるドラゴンの巻き添えになったのではないのですか?」
「ドラゴンとは、怒りに膨れ上がった精霊が集まり、癒着して形作ったひとつの形態だそうです。つまり、原因あっての結果と言えるでしょう。のちにクラディオンを荒廃させ、現在も地を覆う毒素も、鎮まらぬ精霊たちが吐き出す怒りの淀のようなものなのだと魔女から説明を受けました。当時、私たちは知り得ませんでしたが、大陸中の魔女たちがクラディオンに集まり、淀……瘴気と言われる毒素がクラディオンの外に漏れぬよう、結界を施して封じ込めたそうです。でなければ、今頃、大陸中がクラディオンと同じ状態になっていただろうと」
「それは……真の話ですか。魔女の作り話ではないのですか」
 信じられないとその口調は語りつつ、虚偽を見分けようとする眼差しを、ルーファスはしかと受け止めた。
「信じるに足る話かと。昨日、この王宮におきた騒ぎもシュリを原因とするものでした。精霊たちがシュリを慰めるために、庭に森を作ろうとしたことによるものだったそうです。本人よりも証言を得ております」
「そうでしたか……」
 目を逸らしたのは、ビストリアからだった。
 珍しくも、狼狽が見て取れる。
 迷う表情で、沈黙する。
 指先がなにかを求めるように、何度も握っては開く動作を繰返した。
 無理もないことだが、こんな母親を見るのは初めてかもしれない。
 ルーファスはそんなことを思いながら、おくびにも出さず話を続けた。
「ですから、シュリを保護し守ることはマジェストリア、ひいては大陸全土を守ることに繋がります。しかし、シュリの存在自体に、この王宮にあっても、また、他国でも、私利私欲やあらぬ誘惑に駆られる者がおりましょう。嘗てのクラディオンの者たちがそうであったように。王女の身分を与えることは、その牽制となり、マジェストリアでの保護と護衛を行う大義名分になると存じます。そして、もうひとつ」
「まだ、なにか」
 顔をあげたビストリアをまっすぐに見返す。
「いずれは、シュリを我が妃に迎えたく存じます」
 ぴたり。
 そんな音が相応しい様子で、ビストリアを包んでいた動揺がおさまった。
 一瞬の間に、『女王陛下』が戻ってきていた。
「それが一番の理由と聞こえましたが」
「畏れいります」
「私の一存で許しはだせませぬな」
「いずれは、です。いまはまだ、公にするには時期尚早。シュリの存在を含め、内密に願います。ただ、私にその意志ありと、母上の心の片隅にのみお留め置きいただければ」
「で、ありましょうな」
「はい」
「して、レディン姫はいかがするのです。そなたが呼べば、すぐにも飛んできましょう」
「それについて、母上にもうひとつお願いしたきことがございます」
「ほう」
 興味深げな光がビストリアの目の中に閃く。
 それを見ながら、ルーファスは頼みを口にした。
 即ち。
 レディン姫を前にして婚約破棄を匂わせる態度はつつしみ、できるだけ穏便に丁寧に接して欲しい。
「シュリの噂がレディン姫の耳に入ったとしても、知らぬ存ぜぬを貫いていただきたい。王家としては、あくまでも姫を迎える方針に変更のないこと、疑われることのなきようお願いしたく」
「フェリスティアの娘を守るためですか」
「それだけでなく、国を守るために」
「如何様にして。レディン姫を形ばかり娶りますか」
「いいえ、それはありません」
 きっぱりと返事をした。
「では、どうするのです。期待ばかりもたせた上で覆すとなれば、よりごねもしましょう。退けるにも難儀どころかトカゲ族の姫のとさかが、怒りにこの上なく立ち上がるさまを目にすることになりましょうな。となれば、シャスマール王も黙ってはいまい。国益を損なうだけではすまぬやもしれぬ。そうなった時、どう責任をとるつもりです。私も、陛下であっても庇いきれるものではありませぬぞ」
「いいえ、誓ってそうはなりません。そうはさせません」
「シャスマールとの関係を悪くすることなく、退けられると? いかなる手立てをもって」
「策はまだ明かせませんが、母上より頂いたこれよりの期間、有意義に使わせていただきます。そして、次に王宮に戻って来た暁には、必ずや、いまある憂いをすべて取り除いてみせましょう」
 ルーファスは母親に向かって、恭しいまでに深く頭をさげた。
 芝居がかっても見えるその前で、ビストリアは眉を、ぴくり、とも動かなかった。
「首尾よくいかなんだ場合は」
「その時には、私をお見捨ていただいてかまいません。もとより、すべては私ひとりが負う責です。国を統べる者のひとりとして、この身ひとつで治まることであれば、いかなるお裁きをくだされようとも、潔く負いましょう」
「次期王となる地位を捨てると? それどころか、命まで取らずとも、生涯幽閉。下手すれば、シャスマールに引き渡すことにもなってもよいと申さるれか。四肢を引き裂かれても、奴隷以下の扱いを受けることになっても甘んじて受けると申すか。なんとも業腹なことよの。王族の身は己の意志ひとつで決められるものではないというに、ずいぶんと勝手を申される」
「申し訳ありません」
「……まあ、そなたの勝手は、いまにはじまったことではないですが」
 聞こえよがしな溜め息があった。
 だが、同時に仄かな笑みが黒い瞳にあることにルーファスは気付いた。
「しかし、そなたにもそれだけの覚悟があるということ。甚だ不本意ではありますが、それに免じて聞きましょう。レディン姫は丁重にもてなしましょうぞ」
 どうやら、説得は成功。
 口では渋りながらも、表情から見て、全面的な協力を得られるらしい。
「有難うございます。ついては、提案ですが、レディン姫の接待役にはキルディバランド夫人が適当かと。彼の者であれば、一連の事情に通じているぶん、慎むべき口はわかっておりましょうし、不足なく仕えることができましょう」
 ついでに、さりげなく、邪魔者の排除ために申し入れる。
 今後の計画に夫人は不必要というだけでなく、いらない節介をやいて、失敗に導く可能性がある。
 それでなくとも、旅慣れない身は足手まといだ。
 慎重に慎重を重ねて、悪いわけがない。
「ですが、そちらも世話役がおらぬでは、娘が困りもしましょう」
「ご心配なく、シュリも森での暮らしにて、自らの身の回りのことは当り前にできますゆえ。それに、母上にも、手足となって仕える者がひとりでも多い方がよろしいでしょう」
「確かにこちらも手が足りぬこともありますが」
 すこし考えてのち、ビストリアは頷いた。
「では、すべてそなたの申す通りに。こちらのことは、安心して任せられよ」
「はい。お願いいたします。母上の御ためにも、必ずやシャスマールを退け、すべてを無事に収めてみましょう」
「そのことば、信じましょう。ゆめゆめ違うことなかれ。もし、そのようなことあれば、ほかの誰が赦そうとも、この母が赦しませぬぞ」
「はっ」
 当初の目的を達成できたルーファスは、部屋を下がった。
 しかし、これからだ、とより一層、気を引き締め直す。
 部屋へ戻る道すがらも、頭の中はこれからの行動のことで占められる。
 集中し、どこかに穴はないか、繰り返し見直す。
 失敗は許されない。
 そう己の骨の髄まで叩き込むように。
 周囲の様子には、目もくれず。
 だから、なにも気付かなかった。
 たったいますれ違った、下働きの侍女たちの様子にも。
 いまの彼には、心にかけるほどではない者たち。
 手にはモップとバケツ。モップの代わりに、箒を持つ者もいる。熊手なんかもいる。高枝ばさみも。
 はたき、雑巾、掃除道具だけでなく腰と言わず、背中にまで携えた彼女たちは、まるで戦に向かう武者のようにもみえる。
 否、心はそのものだろう。
 ここはすでに戦場。女達が取り仕切る戦場だ。
 鬼気迫る表情からしても、間違いはない。
 彼女たちは、なんとしてでも本日の夕方までに王宮中を磨き上げ、綺麗に片付けるという重大任務を負っている。
 昨日のあんなことや、こんなことでいつも以上に散らかっていても、国の威信のためという命令ひとつで。それが、彼女たちの務めだから。
 こなくそ状態で、せっせと早朝から働いていた。いや、昨日の昼間から。
 やさぐれた目をしながら、文句を言う間も惜しんで、汗を流している。
 しかし、ルーファスはなにも気付かなかった。
 睡眠不足の影響とは、こんなところに表れるのかもしれない。
 それはそれで、問題ない。
 しかし、彼にはまったく関係のない戦いなのだから。
 男がそうであるように、女の戦いに男が口を挟める余地などない。
 なにより、ルーファスには、ルーファスの戦場が待っている。
 そこに至るまでには、まだ暫くの猶予があるけれど。
 だが、一歩すすむごとに、着実にそこに近付いているのは、確かだ。




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