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 結果よりも過程が大事。
 結果を得るために努力した事が個人の経験として培われ、気持ちの充実度が違う。長い目でみれば良い結果を得る、というのがこの言葉の言い分だ。
 個人としてみれば、それも真実。
 だが、現実としては、主に慰めや言い訳のことばとして使われる。
 努力が無駄になった時とかに。
 しかし、やはり、全体からしてみれば、時間も手間もかからず良い結果を導き出せれば、それに越したことはない。
 主に自由競争下においての経済活動にとっては、それが当り前。
 一分一秒が億単位もの利益に直結する社会にあっては。
 無駄は無駄。時間の浪費とも言う。
 皆、できるだけ楽して、たくさん儲けたいだろ?
 それが、特に時間が限られている者、或いは、時間に追い立てられていると感じている者の言い分だ。
 そして、言う。
 結果こそすべて、と。
 勝てば官軍。敗ければ賊軍。
 それも、真実。
 だが、そのどちらであっても、着地点はどこ?
 意外とそれも、個人によって違っていたりする。


 ダイアナは苛立っていた。
 なにもかも上手くいかないことに。
 彼女の望む結果がなにひとつ手に入らないどころか、逆に遠のいていると感じられることに。
 そして、それがあたかも彼女のせいだと言わんばかりに、家族には責められる。
 ぐちぐちと。
 やはり、と言うべきか、急遽決まった出張で荷造りに家に戻れば、彼女の家族は良い顔をしなかった。
 特に母親が。
 嫁入り前の娘が遠出なんて。
 だから、穴倉みたいなところに務めるのは、いい加減やめなさいと言ったんだ。
 勝手ばかりして。
 おまえは昔から、人のいうことを聞こうとはしなかった。
 可愛げのない。
 せめて、もうすこし器量が良ければ。
 ただでさえ嫁き遅れだというのに、変な噂が立ったら行くあても完全になくなる。
 私たちがいくら話を進めても、難癖ばかり。
 それで、家の者がどれだけ肩身の狭い思いをしていると思っている?
 すこしでも良い家に嫁いで、親孝行しようという気はないのか。

 ぐちぐちぐちぐち……ねちねちねち……

 延々と文句を言い続けた。
 繰り返し、繰り返し、脈絡もなく。
 似たり寄ったりの言い回しで同じ内容を飽きることなく、それでダイアナが傷つくとは露ほどにも思っていないようだ。
 そのくせ、自分が酷く傷つけられたとばかりに訴える。
 その内、過去の関係のないことまで言及し、ダイアナのコンプレックスをも刺激した。
 ダイアナが母親の考え違いを正そうにも、聞く耳持たず。
 言い訳するな、と更に怒りだす。
 これが厭にならない人間がいたら、お目にかかりたい。
 揚げ句に、とどめとばかりの一言があった。
「これ以上は待てないわ! 戻ってきたら、すぐにお父様の決められた方と婚約させますからね!」

 ――冗談じゃない! フランツがいるのに!

 好きな相手がいない内ならば仕方なしの話も、今は到底、受け入れられるものではない。
 しかし、現状で公言するわけにもいかず、やはり、ここでもダイアナは逃げ出すように出てくるしかなかった。
「いい! わかった!? これ以上は勝手にさせませんからねっ!!」
 ヒステリックな母親の捨てぜりふを背中で聞きながら。
 そんなこともあって、だから、
「あれえ、殿下たちは? ダイアナひとり?」
 ひとり遅れてやってきたマーカスのすっとぼけた声に、
「なにいってんの、先に行かれたわよ。一時間もあんただけを待ってるわけないじゃないの。なにやってたのよ。お陰で、わたしだけ待つ羽目になったのよ」
 つい、嫌みを口にしていた。半分以上、八つ当たりだ。
 そうわかっていてもしてしまう自分が、ダイアナ自身も嫌になる。
 なんと、母や妹と口調まで似てしまっていることか。
 マーカスの眉が八の字を描いた。口はヘの字に曲がっている。
「仕方ないだろ。すぐに戻ったんだけれどさ、急ぎのものとか、他の荷の受け取りやらで陣が塞がっていたんだ。僕が行く頃には、陣の間中、牛とか豚とかの肉の塊ばっかりで埋め尽くされていた。鶏とかは生きたやつそのまんまだしさ。臭いもそうだし、鳴き声とか。一瞬、ここは何処かと疑ったよ」
「なによ、それ」
「食料だよ。滞在するレディン姫一行のための」
 ダイアナは、一瞬、ことばを失った。
 彼女もトカゲ族の食欲がどれほどのものか知らなかったが。
「そうかもしれないけれど! 出る前に荷物の確認ぐらいちゃんとしなさいよねっ。こうして、人の迷惑にもなるんだから」
「うん、ごめん」
 マーカスは後ろ頭を掻きながら、彼女に謝ると持っていた鞄をさぐった。
「あのさ、キャンディ食べる? これ、おいしいんだ」
 お詫び、と差し出されたちいさな赤い玉をダイアナは受け取って、口の中に放り込んだ。
 これ以上、余計な嫌みを言わないようにするために。
 転移用の陣のある北東の砦は、山越えする街道の頂き近くにある。
 フラベスの街に最も近くあっても、馬でおよそ三十分はかかる距離だ。
 まだ、到着まで時間はたっぷりある。
 がたごとと坂道を下る二頭立ての馬車の中は狭く、ふたりとも大柄でもないのに荷物もあって、きゅうきゅうだ。
 隣りあう身体がぴったりと密着して、居心地が悪い。
 つんけんしていると、空気の悪さも倍増。
 暫し、互いに黙って轍の回る音だけを聞く。
 ダイアナは、からころと口の中で飴玉を転がして、気まずさを遣り過ごし、間を持たせた。
 すると、丸い甘味がちいさくなっていくごとに、胸に溜まっていた悪い空気をも溶かしてくれているような気がした。
 それも、彼女がとても単純な性格をしているようで、悔しくも思うけれど。
 舌の上に感じる形がほとんどなくなって、ダイアナは息と共に残っていた腹立ちの欠片を吐き出した。
 彼女の機嫌がましになったと見越してだろうか、マーカスから質問があった。
「それで、殿下たちは? どうやって行ったの?」
 ダイアナも普段と変わらない口調で答えた。
「殿下とカミーユ様はご自分の馬で。あと、護衛の女騎士も。馬は先に送ってあったみたい。シュリさんは、殿下の馬に乗せられて、ジュリアスもカミーユ様の馬の後ろに乗っていったわ」
 シュリは、半ば強制的にだったが。
 最初はシュリも、ダイアナといっしょにマーカスを待つと言ったのだが、ルーファスが許さなかった。
 抱きかかえられるようにして乗った青鹿毛の上で、居心地悪そうにしていた。
 そうなんだ、とマーカスからも同情するような相槌があった。
「だから、これも二頭立てなのか。変だと思った。魔法師の移動用の四頭とか六頭だての馬車も、何台かある筈なのにさ」
 理由をつけて、抱きかかえたかったのだろうという事は、明白。
「ルーファス様って、そういうところがわかりやすいわよね」
「そうだね。元々、裏表の少ない人ではあるけれどさ。他の人は? 魔女とエンリオさん。後ろにくくりつけてある荷物って、エンリオさんのだろ?」
「そう。エンリオさんは、ひとりで山の中を歩いて行くって。ついでに、食材になりそうなものも探してくるって言っていたわ。だから、到着は私たちの方が先だと思うわ」
「へえ、流石だなあ! そういうところは外さないよね、あの人は」
 マーカスが笑った。
 そうね、とダイアナも少しだけ笑った。
「あと、魔女さんは鳥になって殿下たちと一緒に行ったわ。っていうか、なんで先に教えておいてくれなかったのよ。突然、姿を変えたものだから、何が起きたかと思ったわよ!」
「あ、そうか。ダイアナははじめて会ったんだ。びっくりした?」
「そりゃあ、びっくりしたわよ。誰だろうな、と思ってはいたけれど、まさか、魔女だなんて思いもしなかった! 傍にいた砦の騎士たちも、こおんなに目を丸くして!」
 あの時は、ほんとうに驚いたのだ。
 マーカスを待っている間にだいぶ落ち着きはしたものの、その時は声も出ないほどに驚いた。
 辛うじて表面上の冷静さを保てたのは、落ち着き払ったカミーユからの説明があったからだ。
 淡々とした表情の前で、ひとり慌てるなんてみっともない真似はできない。
 それにしても、顔は引き攣っていただろうけれども。
 彼女の目の前に両指で輪をつくったジェスチャーに、マーカスはさも面白そうに笑った。
「そうだろうね、シュリさんの師匠だよ。『祝福の魔女』って呼び名なんだ。昨日から来ていて、あの騒ぎを収められたのも、あの人のお陰さ」
「そうなの。とは言っても、私は昨日なにがあったか、殆ど知らないんだけれど。ずっと、書庫にいたから」
「ああ、そうなんだ。でも、その方がよかったかもな。凄かったよ、昨日は。宮殿中が大騒ぎでさ。陛下はいなくなるし、シュリさんが庭といっしょに焼かれそうになってて。僕もさんざん走り回らされて……」
 マーカスは堰を切ったように、昨日の出来事を話しはじめた。
 誰かに話したくて、しょうがなかったらしい。
 具体的なことは知らなかったダイアナは、その話に耳を傾けた。
 そして、ひと通り話が終る頃には、声をあげて笑っていた。
「そんなに笑うなよ」
 マーカスの情けない表情と声に、また笑った。
「ごめん、でも、だって、キルディバランド夫人が、まさかそんなこと!」
「知っているの?」
「直接は知らないけれど、お母様がね。よくサロンでお茶をする方々のひとりよ。だから、噂だけは聞いているわ。お母様の話だと、控えめな方で如何にも良妻賢母の見本って感じだけれど、いまの話を聞くと、そればっかりでもないみたいね」
「そうなんだ。僕は顔は知っていたけれど、まともに会話したのは昨日がはじめてだから。でも、参ったよ。急いでいるのに、関係ないことまで色々訊かれて。女の人っておしゃべりな人が多いけれど、走りながらだぜ? 息をきらしながらでも喋るのをやめないって、ある意味、感心した」
「そんなに?」
 年齢、家柄、普段どんな仕事をしているかなど、個人的なことでいろいろと質問を受けたそうだ。
 夫人にも年頃の娘がいるそうだから、おそらく婿に相応しいか品定めの一環だったのだろうと、ダイアナにも察しがつく。
 当の本人は、気付いてもいないようだが。
 大事の最中にも、そんなことをしているなんて!
 そうまでしなければ、見つからないものなのか?
 夫人の根性には敬服もするが、浅ましくもあり、眉も顰む。
 ダイアナは、ちらりと隣りに座る彼を横目でみた。
 このマーカスのどこに気を引かれる要素があるというのか。
 確かに真面目だし、良い人ではある。
 ばか正直なほどに善良。
 ダイアナにとっては数少ない、気楽に話せる異性のひとりだ。
 だが、結婚相手としてどうかと問われれば、『いまひとつ』。
 不細工なわけではないが、ぱっとしない。
 佇まいには、どことなく頼りなさが纏わりついている。
 王宮勤めにしては、いつまでたっても垢抜けない。
 押しが弱く、強気に出られたらすぐに譲ってしまう。
 なんでも無難に纏めようとしてしまう。
 女の子たちが、彼のアプローチに対して適当に流してしまう原因はそこにあるだろう。
 キルディバランド夫人がマーカスにどんな評価を下したかは、ダイアナにはわからない。
 しかし、だからと言って、ゲームの駒かなにかのようにみられる謂れはないに違いない。
 たとえ、貴族の婚姻とはそういうものなのだとわかっていても。
 赤の他人からならば、尚更だ。

 ――気に入らない!

 鳴らす鼻の音は、まわる轍の音に隠される。
「あ、海が見えてきた。もうすぐだね」
 マーカスの声に眺めれば、茂る樹木の間に青い水平線と、陽に照らされて輝く街並みが見えた。




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