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 同じ頃。
「うーーみーーーっ……」
 同じ風景を眺めながら、シュリは呟いていた。
 一足先に到着した城の展望台から、ダイアナたちよりも、もうちょっと近くの位置で。
 初めて見る風景に一頻り興奮して疲れたということもあったが、少し不貞腐れてもいた。
 ひとり、おいてけぼりにされて。
 とても退屈だ。
 シュリは欄干に上半身を預け、ぼんやりと眼下の風景を眺めた。
 人工物の何もない凪いだ海は果てしなく広く、べったりと青い。
 空と区切る水平線がまっすぐ伸びて、入江の両縁にある半島で途切れている。
 その半島から続く環状港が、海と陸の境界線。
 港には、ちいさな船らしき長細い点が、たくさん並んで見えた。
 そこから、ずうっと急斜面を伝って、みっしりと小さな家がひしめき合うように建っている。
 よくもずり落ちないものだ、と感心するほどに。
 モルタル、石、煉瓦、木、草葺きの屋根。
 まるで、モザイク模様のように連なって、きらきらと眩しい光を反射している。
 影は色濃く。
 合間に覗く植物の葉や花が風に揺れて、涼しさと色のアクセントになっていた。
 森とはまったく違う風景。
 ここには、光も闇も、水も風も土もある。そして、家々の竃では、火も使われていることだろう。
 まるで、精霊が調和する姿をそのまま形にしたかのような街だ。
 綺麗な場所だ。
 とても綺麗な風景だが、ずっと、ひとりで眺めているだけではつまらない。
 変化に乏しいぶんだけ、飽きる。
 護衛のグロリアがいるが、シュリから離れたところで、じっと立っているだけだ。  もっと傍に来て一緒に風景を眺めないかと誘ってみたが、断られた。
 話しかけてみても、最低限の返事しかしてくれない。
 ただ立っているだけで、さぞかしつまらないだろうと思うのだが、護衛とはそういうものなのだそうだ。
 いつなんどき、だれが襲ってくるかわからないので、いつでも剣を抜けるようにしておかなければならないらしい。
 こんなところで、だれが襲ってくるというのか?
 だが、つまり、シュリが話しかけることで、グロリアの仕事の邪魔をしている、ということだろう。
 グロリアと仲良くするのを、シュリは断念した。
 しかし、それ以外にはすることもない。
 シュリはお客様だから。
 なにもさせては貰えない。
 そして、どこにも行かせて貰えない。
 師は、ルーファスたちといっしょに行った。
 あの王子さまなジュリアスもいっしょだ。
 ルーファスたちは、街のジュリアスの家に用事があると言って、ひと息つくこともなく、そろって出掛けた。
 シュリはいっしょに行っても邪魔だし、面白くないだろうと言われて、置いていかれた。
 だったら、街までいっしょに行って、色んな物や海を間近で見たいと言えば、すぐにルーファスに却下された。
 ひとりでは危険だから、と。
 グロリアさんがいっしょでも駄目だと言われた。
 知らない土地で迷子になるかもしれないから、だそうだ。
「昨日のことを忘れたか」
 そう言われては、シュリも引き下がるしかなかった。
「おとなしく留守番をしていなさい」
 師にも釘をさされた。
 だから、良い子で待っているしかない。

 はぁーーーーーあ。

 吐く溜め息だけは、威勢がいい。
「つまんない。だれか来ないかなあ……」
 傍に寄ってきた巻き貝の形の精霊を、シュリは指先で軽く突いてやった。
 水の精はくすぐったそうな仕草をみせると、ほとんどない風の流れに乗って離れていった。
 海に向かって。


 そして、シュリのいる城の影も見えない山中。
 エンリオ・アバルジャーニーが、今まさに、真正面から現れた猪に挑まんとしているところだった。


 カミーユの従者兼秘書、ジュリアスの実家は斜面の下の方にあって、港にほど近い場所にある。
 フラベスはマジェストリア内では風光明媚な地として知られ、王家の避暑のための城があることからも、主立った貴族たちの別荘が点在する。
 そして、眺めの良い場所から身分の高い者の所有地となっている。
 斜面の中ほどになってくると金持ちや商人の邸が集まり、その下に中産階級の者たちが住まう地区が続く。そして、港に近づくにしたがって、労働者や職人、庶民の家が固まる。
 文字通り、下々の者たちが集って暮らす区域だ。
 ジュリアスの実家は、絶えず海鳥の鳴き声が聞こえてくるその一角にあった。
 近隣の家とそう変わらず、石造りの外観からこぢんまりとして、つつましい生活ぶりが窺える。
 家の中に入れば、そこかしこに、二代前まで漁師であった名残を見ることができる。
 たとえば、日除け屋根のついたちいさな玄関脇にかけられた、網の一部に浮や釣り竿。
 部屋の飾り棚には、色鮮やかな絵皿に貝殻。
 いかにも、漁師町の家らしい。
 しかし、いちばん奥まった狭い部屋だけは、別次元のようにそれらの気配はいっさいなかった。
 明るい陽射しをこばむ薄暗さが支配している。
 空間の大半を占めているものは書物であり、フラスコやビーカーほか、擂鉢やガラス管が伸びる怪しげな研究道具類。
 たくさんの物がごちゃごちゃとしていて、足の踏み場もない。
 そんなところに三人が押しかけているのだから、身動きすらままならない。
 粗相をせずとも、机の上の物からなにから倒しそうだ。
 しかし、そんな場所でも気にした様子もなく、祝福の魔女は本棚に並ぶ背表紙を眺めた。
 目に留まった一冊をだれに断るでもなく手に取ると、開いて目を通す。
 と、窓の方から、からん、からん、とちいさな乾いた音がした。
 目をやれば、軒下に木と貝殻を組みあわせた、ちいさな風鈴が下げられていた。
 そして、その脇でこそこそと家の中を覗く複数の人影。
 どうやら、見るからにここら辺の者とは違う客人を見咎めての物見高い近所の者たちのようだ。
 彼らに向かって魔女が無表情に手を振ると、慌てた様子で隠れる。
 しかし、やはりそんなことにも頓着せず、部屋にいる残りの三人――ルーファスとカミーユ、そして、家の主であるジュリアスの父親テレンスは、立ったままで話をつづけていた。
 つまり、とルーファスが確認した。
「同じ手順で、同じ製法であるにもかかわらず、一部だけ魔力を帯びたものができたというわけか」
「はい。形成過程自体は単純で、空になった魔硝石を粉末にし、粘土のように捏ねて型にいれて成形し、それを陶器と同じように焼くという方法です」
 顎と鼻の下にもっさりとした髭を蓄え、研究者らしい智を湛えた瞳をもつ、肩近くまで伸ばした灰色の髪をうねらせた痩せぎすの男は答えた。
「元は、表面に描いた方陣で魔力を復活させる方向で研究をすすめていたわけですが、同じ方陣を描いたものでも、復活する魔力量にばらつきがが生じます。中にはまったく変化のないものもあり、いまその条件となるところを調べているところです」
「成功したもので、どれだけの魔力を蓄積できている」
「今のところ、いちばん多いもので、一般的な灯を三日間つけ続けてていられるぐらいです。短いですが、使い切った魔硝石は、そのまま一週間以上放置しておくと、また使えるようになります」
「話にならんな」
 不服そうに呟くルーファスに、テレンスは慌てて、
「ですが、共通する条件を省けば、変化を引き起こした要因はそう多くはありません! それさえわかれば、使用期間を長くする方法も必ず見つかるはずです!」
 焦りの色も濃く、訴えた。
「方陣自体はこれで完成ですか?」
 テレンスの試作品を片手で玩びながら、カミーユが質問した。
 平らな六角形の形に再加工された魔硝石は、一般的に流通しているそれと形も大きさも変わらない。
 ただ、ほんのすこしだけ色が黄色みを帯びているぐらいの違いだけだ。
 わずかな明りに透かせば、魔硝石本来のキラキラとした結晶が見えた。
「もう少し改良の余地はあるかもしれませんが、基本形はそれでよいかと。ただ、」
 そのあたりは自信があるのか、猫背がわずかに伸びた。
「ただ、なんだ」
 期待していたほどではなかった出来に、ルーファスはご不満だったようだ。
 軽く問い返したつもりでも、凄みが洩れた。
「ええと、それが……耐久性の問題がありまして……」
 伸びた背が、また縮んだ。
「耐久性?」
「はい、あの、繰り返し同じものを使えるようにするには、耐久性も考えなければなりません。いまですと、蓄積される魔力量に関係なく、およそ三ヶ月でひびが入ったり、割れたりするものがほとんどです」
「三ヶ月? たったそれだけか!?」
 ぎん、と空気をも切り裂く視線が研究者の男に向けられた。
 慣れたものならともかく、免疫のないものにはより厳しい。
 しかし、今日のルーファスは、いつもとはひと味ちがっていた。
 昨晩の過酷な修業に耐えてレベルアップした賜物か、はたまた、睡眠不足の影響か。
 普段から考えられない穏やかさ――つまり、人並みの凄みをきかせた。
 結果、テレンスは石化も、言語障害も免れた。
 萎縮して、身体をますます縮めただけだ。

 ――やればできる子だったんだねえ……

 側近の生あたたかい視線に気付かなかったのは、幸いだろう。
 ふむ、とカミーユはうなずいた。
「使用済みになった魔硝石自体は無料で手に入るにしても、粉末にする手間や加工が必要なわけですから、一個あたりの値段が従来のものより、それほど安くなるわけではないでしょう。なのに、頻繁に買い替えが必要となると、かえって高いものにつくかもしれない」
「はい、ですから、魔硝石以外のものを混ぜることによって多少は使用期間を延ばせないかと、考えています」
「なにか候補はあるんですか」
 その問いに、テレンスの表情は一層、情なさそうなものになった。
「はい……ええと、それが、」
「おい、あれを見ろっ!?」
 外で男の叫ぶ声とあがる複数の悲鳴が、彼らの耳にもはっきりと届けられた。


 シュリは、ふ、と張り付いていた欄干から顔をあげた。
 目を細めて、じっ、と一箇所を見つめた。
 かなり遠いところ。
 だが、野生児のその視力、マサイ族に勝るとも劣らない。
 眺めるのは、草原ではなく大海原。
 風が吹いたわけでもないのに、青い海の沖合いで、突然、白い波が立ち上がるのが見えた。
 波は大きなうねりとなって、陸に向かってくる。
 ひとつだけでなく、ふたつ、みっつと重なり、波は更に高さを増した。
 じいぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ。
 そして、
「なに、あれ?」
 疑問が口からついて出た。


「ねえ、マーカス、あれなんだろ」
 ポーチからオペラグラスを取り出して、ダイアナは言った。
「え、どれ?」
「あれ。海の真ん中の右の方」
「んん? どこ?」
「ほら、あそこ。半島にちょっと寄ったところ。なにか丸くて大きな、黒っぽいものが浮いて見えるんだけれど……ちょっと、押さないでよ」
 そう言って、眼鏡に当たらないように片手でオペラグラスを支え、空いた方の手で指をさす。
「ああ、ごめん。ええーっ、たしかに、なにかあるね。鳥も集まってきているし、なんだろう。かなり大きいものみたいだけれど」
 海を正面に方向転換した狭い馬車の中、やはり気付いたマーカスも両手を庇にして同じ方向を眺めた。
「あ、沈んだ。また、出てきた」
 ぷかり、ぷかり、と近付いてくる。
「ただ浮いているだけでなくて、海の下にもあるみたいだね。だとすると、相当におおきいな」
 ぷかり、ぷかり。
「押さないでってば!」
「ごめん。ああ、こっちに向かってきているみたいだ。ちょっと、それ貸してくれる?」
「壊さないでよ」
 ふたりがぎゅうぎゅう押し合う馬車は、慌てることもなく街へと向かっていた。


 ぴぎぃぃぃぃぃぃっ!!

 高い声をあげて、猪が悲鳴をあげた。
 エンリオ・アバルジャーニーは、取り付いた背中側から首に太い腕をまわし、頚を力一杯に締め上げた。

 ふぬぉぉぉぉぉぉおおっ!!

 森の中の決着が着くまで、もう少しかかるようだ。




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