『バレンタイン?』


 いつものアストラーダ殿下とのお茶会の席で、出されたチョコレートケーキを突きながら私は訊ねてみた。
「チョコレートの原料って、ここでは手に入りにくいものなんですか」
「チョコレートの原料というと、ケラトの豆のことかい?」
「ケラトって言うんですね。私のところでは、カカオって言いましたけれど」
「へえ、やはり、言葉が違うのだね」
「ええ、同じものだとは思うんですが。言語の違いによるものでしょうね」
 アストラーダ殿下は、チョコレートに負けない程の甘い笑顔を私に向けた。
「そうだね。ケラトの実は、主にダルバイヤを経由して入ってくるかな。元は、ニフカイヤという国の原産だったと思うけれど。それがどうかしたの」
「いえ、私の国ではそろそろ『バレンタイン』の時期だったなあ、と思いまして」
 この世界と私の生まれ育った世界では、かなりの日時のずれがある。それを差し引いて考えると、今頃の日本は二月を迎えた頃だ。
「バレンタイン? それは何? それとチョコレートとどういう関係があるんだい」
「ハロウィーンと同じで、元々は外国の風習が入ってきたものなんですけれど、一年のその日だけは、女の子が男の子にチョコレートを渡して愛の告白ができる日だったんです」
「へえ、女性から?」
「ええ。外国では愛情の印に男性からプレゼントするのも当り前なんですが、私の国では、女性からの告白ははしたないとされると言うか、避ける意識が残っていたりするので、バレンタインが取り入れられた時に、『女性から告白出来る日』って事にしたみたいです」
 確かそうだった、と思い出しながら、私は答えた。
「有名なお菓子店が宣伝目的で始めたんですが、あっという間に定着して、この時期になると、お菓子屋さんの前に、女の子達がそれ用のチョコレート菓子を買いに行列を作ったりしました」
「へえ、面白いねえ。君も並んだのかい?」
 微妙な突っ込みに、苦笑いが浮かぶ。
「まあ、偶には。毎年ではないですけれど」
 義理チョコもかなりの出費になるから、本命がいない時は、殆どパス。ホワイトデー目当てに頑張る手合もいるが、そこまでする根性は私にはなかった。
「ふうん。そういうのも面白いねえ。経済効果を生みそうだ」
「ええ、チョコレートを扱うお菓子屋さんでは、一年の売上のかなりの割合を占めていたようです」
 ふむ、とアストラーダ殿下は、少し考える素振りをみせた。
「チョコレートでなくても良いよね。例えば、ナッツ類でも良いんじゃないかい」
「まあ、そうですね。でも、恋人達のイベントですから、甘いお菓子の方がらしいと思いますよ。甘さが愛情の象徴であったりしますから。ただ、甘い物が嫌いな男性もいますから、チョコレートに別のプレゼント……男性の好むものをつけて渡したりしました」
 ナッツ類だと、節分とダブるしな。恋人に豆をぶつけるわけにもいくまい。
「なるほど。確かに甘い方が良いよね」
 ついでにした節分の説明に、アストラーダ殿下はとても興味深そうだった。

 そして、それから半月ほどしてのお茶会の席。
「あのう、つかぬ事をお伺いしますが」
「なんだい」
 浮かべる微笑みは、いつもと変わらず。
「実は、昨日、侍女の娘達から妙な話を聞いたんですが」
「妙な話?」
「はい。パートナーの男性の浮気の虫を払うには、ケラトの豆をぶつけるのが良いって。それって、殿下がお広めになったんですか」
 そう訊ねれば、悪戯めいた笑みに変わった。
「さあ、どうだろうね」
「ケラトが手に入らなければ、別の豆でも良いそうですが。で、ぶつけられた男性は仲直りの印に、彼女にチョコレートのお菓子を渡すんだって聞きました」
 へえ、と恍ける顔が、ますます怪しい。
 返答を待っていると、
「ある貴族のご夫人にね」、とアストラーダ殿下は、何気ない口調を装い話し始めた。
「夫君の浮気を疑っては、神殿に通って祈るのを習慣にしていた方がいてね。可哀想にすっかり思い詰めてしまって、たった数ヶ月の間にふくよかだった頬もすっかり落ちて、実に憐れな様でね。でも、そうなっても、夫君を問い質す事が出来ずにいたんだ。はしたないとか、貞淑な妻ならば我慢すべきだと思っていたんだね」
「それでその方に、夫に豆をぶつけろ、と?」
「本当に愛しているならば、ケラトを甘い菓子に変えてくれるだろう、と助言しただけだよ。窶れてしまった夫人を心配していた夫君の方にも、それとなく」
 なるほど、妙案。
「で、どうなったんですか、そのご夫人は」
「さあね、それっきり、神殿には顔を見せなくなったから。ただ、離縁したとか、刃物を振り回したって話は聞かないから、仲直りできたんじゃないのかな」
「へえ、うまくいって良かったですね」
「そうだね。よくある話だけれど、こじれて大事になったりもするしね。余計な言葉も必要なく、簡単に解決できて良かったんじゃないかな。おかげでケラトが品薄状態らしいけれどね」
 と、殿下は今日のお菓子のシナモンロールを、優雅な手つきでひとくち口に運んだ。

 浮気の虫は外!
 仲直りの印は、甘いお菓子。
 ランデルバイアの新しい愛のおまじない。

 ハッピー・バレンタイン……アンド、節分。






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