『異文化交流 1』
「日本食で言える事は、まず、ヘルシーですからね。味付けも、極力おさえたものを好むという印象があります。彼女がここの料理に馴染めないというのは頷けます」
訳も分からず、この異世界に飛ばされてきて二十年。
私自身、紆余曲折も悩みもあったが、医療に携わるものとして、それなりに充実した人生を送れてきたと思っている。文明未発達のこの世界では、毎日がとても刺激的で冒険心が満たされたと言うべきか。
そして、ここに来て初めて、同じ世界から来たという日本人女性にも会うことが出来た。
……のっけから自殺を図って危篤状態だったことには、驚きだったが。それでも、手を尽くした甲斐あって持ち直し、すっかり回復した事は満足すべき結果だろう。
しかし、意識を取り戻した彼女――ミズ・タカハラに自殺は間違いだと諭しはしたが、事情を聞くに、そうしたことも無理からぬと内心、同情を禁じえなかった。
周囲の様子からして、彼女にとって悪い事ばかりではないと思うのだが、いかんせん、取り巻く環境が悪すぎる。宗教絡みの問題は、私もこれまでに幾つか経験したものだが、彼女の存在自体がまさにその中心に関るもので、過酷としか言い様のないものだ。
産まれた国は違えど同じ世界から来た者同士であり、チャーミングで礼儀正しく、また広告代理店に勤めていたというだけあって聡明な印象を受ける彼女に対し、私は少しでも力になりたいと思った。そして、そろそろ落ち着き場所を探すべきだろうとも考えていた事、医療に関する研究及び後進育成に於ても王家がスポンサーとなってもらえる条件などを鑑みて、ランデルバイア国に同行する申し入れを受けることにしたのである。
さて、問題のミズ・タカハラに関して、私は同じ世界の人間という事もあって、彼女を保護する者達からいくつか質問を受けた。主に食に関して。
彼女は戦争によるPTSDを患っているらしく、肉類を口にする事ができなくなってしまったそうだ。
実に可哀想だ!
肉に関しては、これは私見によるものだが、アメリカのものよりも美味く感じる。ぶ厚いサーロインステーキなど、絶品ものだ。
まあ、私の感想は兎も角、本人に訊ねもしたらしいのだが、彼女はこの世界に来て日が浅いこともあり、該当する食事がどういうものか、彼等にも具体的に掴めないらしい。
私には元の世界でも日系の友人はおらず、日本人については大まかな印象でしか知らないのだが、この世界で旅を続けたこともあり、多少の見識があるということもあって、共通項が見出せるのではないか、と彼等なりに考えたようだ。それに及ばずながら協力することになったのである。
「ここの料理は油っぽく、味が濃いと言っていたが」
エスクラシオ殿下は、ハリウッドスターばりの実に魅力的な外貌を少しも歪めることなく言った。
まだすべての事情を知ったわけではないが、王子というだけでなくカリスマ性を有するこの男性は、声や表情には出さないものの、ミズ・タカハラのことを大変気にかけているように私には感じられる。
「ああ、日本食で油を使う料理は少ないように感じます。私の知る限りはテンプラでしょうか」
「それは、どのようなものだ」
「小麦粉の衣をつけて揚げたものですね。具は野菜や魚介類です。日本は島国であったので、海産物を多く食するようです」
「ランデルバイアでも海沿いの地域は魚介類を多く口にするが」
「スシやサシミなど生のまま食します。サシミは生魚を薄くスライスしたそのまま、スシは薄くスライスした生魚を一口大のライスの上に乗っけたものです」
「生なのか?」
「ええ、ソイソースとワサビというものをつけて食べます。私も食べた事がありますが、美味いものでしたよ」
「そうなのか? しかし、生とは……やはり、猫のようだな。ソイソースとワサビとはどんなものだ」
「ソイソースは、よくは知りませんが、ソイ……こちらでは、トルタですね、を元にした液体状のソースだと思います。ワサビはよくは分かりませんが、植物をすり下ろしたものかと。緑色でとても辛いです」
「……よく分からんな」
「言葉では説明しづらいものですね。ええと、どこだったかな。何処かの国が似たような感じだったと思いますよ。ライスが主食で、あと、ソイソース以外にもトルタを使った料理を多くする。モル、モリ、モルス、」
「モルスタークではないですか」
横から殿下の側近であろう、ガルバイシア氏が口を挟んだ。
「モルスターク、そうです」
「東南にある辺境だな。国交もない」
殿下が呟いた。
「小国ですからね。我が国とは国境を接することもなく離れていますから、脅威にもなり得ないことから重要視するものではなかった国です」
ガルバイシア氏も頷いた。
しかし、と殿下が言った。
「あれの言葉の響きは、あちらのものと共通項を感じる。私も数度しか聞いた事はないが、どうだ?」
青い瞳が私を見た。
さて、どうだったか。かなり前の記憶なので、はっきりとは思い出せない。
「日本語は我々の世界でも独特な印象がありますが、言われてみればそうかもしれません」
ふむ、とすこし考えるような頷きがある。
「何も知らぬと言っても良い国ではあるが……戻ってから、少し調べてみるか。案外、面白いかもしれん。あれに関するだけで、思わぬ拾い物は多いからな。内容によっては、国交を開くよう陛下に申し上げてみるのも良かろう」
「御意」
どうやら、思わぬところで外交の切っ掛けを作ったようだ、と私は感じた。
だが、しかし、そうやって国同士が理解しあい繋がりができるという事は悪いものでもないだろう。
そう思い、私は僅かばかり、自意識を充たしもしたのだった。
それもあって、後日、ミズ・タカハラに日本のことを話題に振ってみた。食べ物以外でも、映画や、それに付随してサムライやニンジャなど、クールなところについて。
「ケリーさん、それ、ちょっと違います」
私の話に、ミズ・タカハラは苦笑を浮かべた。
「日本人でも誤解が多いんですが、日本刀は斬り結ぶものではないんですよ。映画やドラマではその方が見栄えがするのでそういう場面を多くしていますが、本来、躱して一撃で仕留める、もしくは、相手に抜く間を与えず斬るのが基本です。それに、人を斬れても、せいぜい三人が限界ですよ。脂分が多いですから」
そう答えて、一頻り、日本刀の講義を受けることになった。それは、実に興味深い内容だった。
そして、それから暫く経ってからのことだ。
ミズ・タカハラより、見るだけで胸焼けしそうなドロドロのカラメルソースの海に泳ぐポップコーンをプレゼントと称して贈られたのである。
食事に関して、いろいろと世話になったと言って。
それで私は、異世界に来て初めて、人に異文化を説明することの難しさに気付かされ、猛省したのである。