『異文化交流 2』


 緑色の豆乳の中に、丸ごと唐揚げした魚が浮いていた。
 恐る恐るソースだけを舐めてみたら、辛かった。ハラペーニョ?
 エスニック料理っぽいが、見た目だけ。
 不味いと言うには、とても微妙な、なんとも言えない味だった。
 ゲルダさんに、これはこの国の料理か、と聞いてみたら、違うという。多分、料理人の創作だろうと。
 ……君ら、味覚どうなってんだ? どないせいっちゅうねん、こんな料理。なんかの罰ゲームか?
 でも、勿体ないので、一応、ぜんぶ食べた。
 アバンギャルドな味だった。アナーキーな味と言ってもいいかもしれない。
 食べ終ってから、出来るなら二度と食べたくない旨のメッセージを料理人に伝えてくれるよう頼んだ。
 あとから、どうやらその料理は、ケリーさんの入れ知恵を殿下達が解釈して、更に、料理人がアレンジを加えたものだという事が分かった。
 ひどい伝言ゲームだ。
 好意が嫌がらせ同然になるというのも困りものだ。
 ケリーさんには、ひとつ懲りてもらう為に、キャラメルをかけたポップコーンを作らせて持っていってもらう事にした。まあ、うまく出来ても、問題はないってことで。
 ポップコーンは、やはりこの世界の料理人たちには未知の食べ物だったらしく、作り方を教えたのだが、一時、厨房がパニックになったそうだ。
 それでもなんとかそれらしいものが出来て、ケリーさんに渡されたらしい。
 出来上がったものがどんなものか、私は見なかったけれど。
 そんな事があって、後日、ケリーさんからは、直接、謝罪の言葉を受け取った。

 お茶の席で、その経緯をアストラーダ殿下に話したら、とてもウケてくれた。
「でも、君も律義だね。ぜんぶ食べるだなんて。嫌なら食べなければ良いのに。その方が料理人も、口に合わなかったんだと分かるよ」
 くすくすとした笑い声をたてながら、殿下は言った。
「勿体なかったし、一応、手間ひまかけて創意工夫の上で作ってもらったものですから。卓袱台に出されたものでしたら、引っ繰返すくらいのことはしたかもしれませんが」
 居候の身で贅沢は言えまい。
「チャブ、ダイ?」
「ああ、私の国の昔からある食卓机です。足が折り畳めるものとか、木で出来たものとかあるんですが、背が低くて小さくて軽いテーブルです」
「それを引っ繰返すの?」
「ええ、まあ、伝統技とでも言いますか……出された食事が不味かったりすると。主に、その家の家長がやるんですが、『こんな不味い飯が食えるかあっ!』って言いながら、思いきり上にのっている料理ごとテーブル――卓袱台ですね、を引っ繰返すという抗議の仕方があります。昔の風習なので、今は滅多にやる人もいないですが。その技を『卓袱台返し』と言います」
 面白いので、本当にあった事のように話してみた。どうせ確かめる術はないんだ。このくらいの冗談は許されるだろう。
「……すごいね。料理ごと引っ繰り返すなんて。その時の言葉、もう一度、言ってみてくれないかい?」
 アストラーダ殿下は、私の話を本気にした様だった。
 内心、私はほくそ笑み、思わず調子づいた。
「『こんな不味い飯が食えるかあっ!』です。こちらの言葉に訳すと、『こんなに不味い料理は食べられない』という意味の荒っぽい言い方をしたものです。他にも料理の単体を指して言う場合もあります」
「コン、マズ、メシ……やはり、君の国の言葉は独特のイントネーションをしているね」
 殿下は、感心したように言った。
 まあな。みんな、未だ私の名前すら言えないし。というか、諦めたか?
「しかし、これまで君のところの色んな風習を聞いたけれど、この話が一番、強烈だね」
「そうですか? でも、卓袱台返しは、家庭内における食事に対する最大の抗議の仕方です。引っ繰返すにもコツがあって、豪快すぎてもいけません。部屋が狭いですから。卓袱台が半回転するぐらいが理想的ですね。これをされた料理を作った者……家では奥さんですね、は、泣きながら部屋を片づけるというのが、約束になっています」
「片付けもさせられるんだ」
「はい。床に飛び散った料理とかを拭いて」
 私は素知らぬ顔で、もっともらしく出任せを論じた。
 じゃあさ、とアストラーダ殿下は、にっこりと笑みを浮かべて私に言った。
「ちょっと、ここでやってみせてよ」
 は?
「このテーブルだと軽いから、君でも持ち上がるでしょう」
「いや、でも、このケーキとか美味しいから、する理由がないです」
「うーん、でも、実際に見てみたいな」
 ……まじかよ。
 確かに、猫足の円形のテーブルは華奢で上品なデザインで、あまり重そうには見えない。
「片付けとか大変ですよ。テーブルが傷つきますし、ティーカップが割れちゃいますよ。それにケーキですと、クリームがあちこちに飛び散ります。侍女さん達に悪いです」
 見世物にしては被害が大きいぞ、とやんわりと断る。
 それでも、殿下は、うーん、と考えている。余程、見たいらしい。……いや、テーブルぐらい誰でもひっくり返せるだろうよ。
 黙ってみていたら、じゃあ、と答えがあった。
「ちょっと、待っていてくれる?」
 そう言うと、何事かをメイドさんたちに伝えた。
 そして、暫くして、私は殿下と共に中庭に立っていた。
 目の前には、可愛らしくお茶の用意がされている小さなテーブルが置かれている。でも、よく見れば、陶器の茶碗や皿は不揃いで、みな、どこかしら欠けていた。テーブルも古いものらしく塗料が剥げていた。お茶も入っていたし、ケーキも少し置いてあったが、焦げ目からして失敗作らしい。 ……おおい。
「これなら良いだろう。やってごらん」
「……ここで、ですか?」
 うん、と殿下の、珍しいほどに素直な、期待に満ちた麗しい微笑みが向けられた。
 通り掛かりの兵士たちが、何をやっているのか、とこちらを見ていた。周囲を、殿下の護衛に集まってきた騎士たちが取り囲んでいる。騎士たちは、何をするのかと不思議そうな表情を浮かべていたが、ウェンゼルさんひとりだけが、微妙な笑みを浮かべていた。
 なんだか、大袈裟な事になっている。今更、冗談でした、ではすまないらしい。
 うう……こういうのを、身から出た錆っていうのか? っていうか、やっぱり、どんな罰ゲームだよ。なんで、こんなところでコントの真似事をしなきゃならんのだ? しかも、こんなドレス着て、野郎に囲まれて! 恥さらしなんてもんじゃない!
「ほら、遠慮することないよ。君も不満が溜っているだろうしね」
 これは、好意によるものなのか?
「……では、その……失礼して……」
 観念した私は、必殺卓袱台返しを衆目の前で実演した。
 卓袱台返しは初めてとは思えないほど見事に決まり、その場で見ていた者たちをドン引きさせ、アストラーダ殿下を満足させた。
 こんなに成功して嬉しくない経験をしたのは初めてだった。
 そして。
「おまえの国では、食事が不味いとテーブルごと引っ繰返す風習があるそうだな。料理人たちがそれで、少し怯えている」
「うう゛、ごめんなさい。ほんの冗談だったんですう……」
 後日、エスクラシオ殿下に言われて、半泣きで謝ったのである。






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