『冬の色』


 冬のラシエマンシィは、普段は、とても退屈な場所だ。
 することがないわけではないが、行動が限られるぶん、出来ることが他の季節よりもすくない。
 薄暗い城の中で、一日中、籠って暮らす生活は、気晴らしをするにも難しい。
 外を眺めても、白と黒ばかりがめだつ無彩色の風景は、嫌いではないにしろ見飽きる。
 そして、時々、ひどく疲れる。
 肉体的な疲れはほとんどないにも関らず、疲れたと感じる。
 退屈な冬の、否、退屈だからこそか、そう感じる時が多い。
 退屈を我慢しきれなかった者たちによって気を紛らわすためにか騒ぎが起き、そして、さらに退屈をしている者達が聞きつけては、その騒ぎをよけいに大きくさせる。
 黙って寝ていればよいものを、と思うが、そうはいかないらしい。
 今日もそんな日だった。
 発端は、ひとりの令嬢をめぐる珍しくもない痴話喧嘩の類だったのだが、かたや下流貴族出身の騎士であり、こなた兄上を支持する上流貴族だったことが災いした。
 戦で勝利して以来、持て囃される騎士の様子に面白くなかったのだろう。けっこうな騒ぎになった。
 本来、私のところまで来ない話ではあるのだが、軽傷ですんだものの暴力沙汰にもなり、実質、加害者となった騎士の処分決定やら、騎士全体の権限について云々いいだした貴族連中のせいで、話に引っ張り出された。
 お陰で、不毛な論議が繰り広げられる会議に半日つぶされる結果となった。
 下手をすれば、二日、三日とかかりもするところが、取り敢えずは、本日中に決着がついたのは不幸中の幸いといえるだろう。
 しかし、残る嫌な気分は拭えない。
 譲歩する形で、件の騎士の処分を必要以上に重くせざるを得なかったことも含めて。
 そんな状態で務めを終えて部屋に戻ると、カスミがいた。
 長椅子の上で周囲に集めたクッションに身体を斜めに預けて、本を読んでいた。
「おかえりなさい」
 私を見て、当り前のように言う。
 公にはしないものの伴侶としてからは、カスミはこうしてしょっちゅう私の部屋を訪れている。
 通常、伴侶と言えど、女性側から男性の部屋にみだりに立ち入らないのが常識とされる。しかも、不在の時ならば尚更。
 だが、カスミはそんなことは頓着する様子もなく、平気で立ち入っている。
 自分の部屋のストーブよりも暖炉の方が温かく、長椅子の座り心地が良いから、だそうだ。
 元は異世界に生まれ育ったという彼女にとっては、ここの常識は逆に不思議なことが多いと言う。
 理にかなっていれば守りもするが、そうでないことに関しては、無視をすることに決めたらしい。
 最初の頃は、部屋付きの女官であるゲルダ夫人も注意をしていた様だが、言い包められたか、それとも言っても無駄だと悟ったのか、うるさく言わなくなったようだ。
「その方が経済的でしょ」、とカスミは笑い、私の帰りに合わせて暖炉に火が入れられる頃を見計らって訪れているようだ。
 私も来ても別段、部屋を荒らすわけでもなく何をするわけでもないので、好きにさせている。
 別室で身に着けていた騎士服を脱いで、私服に着替えて部屋に戻っても、カスミは特に気にする様子もなく、本を読んでいる。
 ドレスの皺を気にすることなく、読み耽っている。
 その様子は、行儀が悪いと叱られても仕方のない姿ではあるのだが、不思議と彼女がそうしていることに違和感はなく、腹も立たない。
 カスミらしい、と思う。
 多分、そういうところも猫に似ているのだろうと思う。
 斜向かいの椅子に腰かけると、ちらり、と顔をあげて私を見た。
「きょうはお疲れ?」
 と、訊ねてきた。
「ああ、そうだな。だが、大したことはない」
「ふうん、なにか大変なことでもあった?」
「大変というほどのことはないが、面倒事があった」
「片付いたの?」
「一応はな」
「そう、良かったね」
 答えてカスミは、手にした本を閉じた。そして、「ねえ」、と私に呼びかけた。
「わたし、いない方がいい? ひとりが良かったら行くけれど」
 いや、と私は答えた。
「かまうな。いてくれていい」
「そう。じゃあ、そっち行っていい?」
 珍しい。
「ああ」
 頷けば、立ち上がって私のところまで来た。そして、椅子に腰かける私の膝上に身体を横にして座ると、肘掛けに投げ出していた私の左腕を自分の肩を抱かせるようにかけ、私の体に凭れかかった。
 膝の上で丸くなる猫のように。
 猫ほどには軽くはない重みを、私は全身で受け止める。
 私は、自らすすんで私の腕の中に収まった彼女を見た。
 私を見ることもなく、なにも言わず、カスミはただ、じっとしている。
 彼女が何を考えているかはよくわからない。
 わからないが、密着した部分に感じる温もりに、強ばっていたなにかが溶けるようにも感じた。
 やはり、妙な女だ、と思った。
 しなだれかかってくる女はいても、こんな擦り寄り方をしてくる女は他に知らない。
「大丈夫?」
 ふいにそう問われて、カスミなりに慰めてくれているのだろうことがわかった。
 言葉にせずとも、気持ちが伝わってしまったらしい。
 カスミはそういうことを自然に感じ取れるらしい、と言ったのは、ランディだったか、スレイヴだったか。
 そのふたりの求婚者を断って、カスミはここにいる。
「ああ、大丈夫だ」
 私は答えた。
「おまえがいてくれてよかった」
「そう?」
「ああ」
「よかった」
 軽い笑い声に、私は微笑む。
 おそらく、こんな風に私を扱える女はカスミだけなのだろうと思う。
 その彼女に出会えたことは、とても幸運だったのだろう。
「おまえは今日どうだったんだ」
 問えば、ううん、と迷う声が答えた。
「いつもの通り。特にはなにもなかった。王子さまたちにお話を聞かせて、すこし一緒に遊んで、クラウス殿下とお茶して、お話書いて、本を読んでいたらちょっと疲れて不機嫌そうな顔をした家主が帰ってきたから、こうしてる」
 そう言って、また笑った。
「退屈ではないか」
「そうだね、退屈と言えば退屈。そうでもないと言えば、そうでもない」
「どっちだ」
「今は退屈じゃないかな。ディオがいるから」
「……そうか」
「そう。あ、そういえばね、きょう、退屈しのぎにひとつ思い付いたんだけれど……」
 彼女の話を聞きながら、おそらく、私はとても幸運なのだろうと気付く。
 望んでも手に入れられるとは限らないものを手にできる幸運。
 そして、これを人は幸福と呼びもするのだろう。
 退屈な、無彩色の冬。
 だが、これまでとは違う彩りをいま、私は腕の中に抱えている。






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