『猫十夜』


 才ある人には、役に立つ以外にも、どうでもいい才能というものも備わっているようだ。
 『で』、というたったひと言に、これだけ殺気に近い威圧感を籠められる人というのは、そういないと思う。
「やはり、おまえが原因か」
 淡々としながらも青い瞳は冷たく、怒りの色を含んでいる。
 その人を目の前にして、椅子の上で背筋を伸ばしていた私は身を竦ませた。……マジ、怖えぇ。
 ディオクレシアス・ユリウス・イオ・エスクラシオ。
 実質、私の旦那であり、保護管理責任者だ。
「そんな怒られても知らないってば」
「怒る以前の問題だ。どうしてこうなった。それを訊いている」
 鬼上司復活だよ。
「先日、ローディリアが猫を追いかけ回したこととなにか関係あるのか」
「ううん……関係なくもない」
「どういう意味だ。最初から説明しろ」
「はあ」
 一瞬、適当に誤魔化そうとも思ったが、やめた。こんな顔をしている時のディオには通用するものではないだろう。観念するしかなさそうだ。正直に洗いざらい話すことにした。

 十日ほど前に、ここランデルバイア国第二王子であるローディリア王子が、猫を追いかけて城中を走り回ったことがあった。そのせいで多少の物理的破壊活動も行われて、ちょっとした騒ぎにもなった。
 五歳のやんちゃ盛りであるローディリア王子は、他の子よりも感受性が鋭いというのか騙されやすいというのか、私がする物語を本当にあった出来事として受け取る傾向にある。このとき、彼の頭の中にあったのは、『長靴を履いた猫』だった。

「最近、長いお噺ばっかりだったし、短いところで選んだ噺だったのだれど、気に入ったみたい。その猫がいるかどうか、捕まえて確かめようとしたんだって。いたら、靴を作ってあげるつもりで」
「で?」
「それで、あんなことになっちゃったから、猫を苛めちゃいけないってことを教えるために、今度はちょっと怖い噺をしたの」
「どんな噺だ」
「ええと、鍋島家の化け猫……恨みをもつ猫に取り憑かれたお姫さまが、夜な夜な灯の油を舐めるって話で」
 ジャパニーズホラーの古典だ。案外、これも、風評被害にあったりしたのかもな。
 深い溜息があった。
「最近、ローディリアの寝つきが悪く、眠っていても夜中に泣き出すと耳にしていたが、それが理由か」
「ああ、ええ、まあ、そうかもしれない」
 そう思いたくはないけれど、そうなんだろうなあ。薬が効きすぎたみたいだ。可哀想だけれど、まさかそんなにまで怯えるとは、私も予想がつかなかった。あれから、お噺会にもでてこないし。
 失敗した……こどもは難しい。
「で? どうして衛兵や騎士までが猫の鳴き声ひとつに怯えることになった。それが原因か」
 いやあ。

 ここで問題にされているのは、警備のために城を巡回する衛兵たちが、最近、異様に猫に怯える様子をみせるようになった理由だ。
 大のおとなの男が猫の姿を見てはたじろぎ、一声、鳴き声をきいて逃げ出す。
 本来ならば、猫嫌いだから、の理由ですむ話なのだが、急に複数がそうなったことと、たまたま不審な物音を聞きつけた巡回中の衛兵達が、現れた子猫一匹にへっぴり腰になって怯えた揚げ句に逃げ出したことが、ディオにも伝わったらしい。
 そして、大して調べることもなく私のところへやってきた。
 おそらく、だけで。
 ……ひでぇ。でも、完全に潔白とは言いきれないところが悲しい、ううっ。

「違うの。それは別」
「では、なにをした」
「なにをしたっていうか、ちょっと訊かれて」
「誰になにを訊かれたんだ」
「いや、ローディリア王子が夜、怖がっていることがフランリスカ妃の耳に入ったみたいで。たぶん、侍女あたりからだと思うんだけれど、その辺のことはよく分からない」
「フランリスカ妃に? いつの間に、懇意になった」
「そうじゃなくて。だから、フランリスカ妃がそれをネタに女王陛下に嫌みを言ったそうなの。『怯えて夜もひとりで眠れないなんて、先行きが思いやられる』って。女王陛下もそれには頭にきたみたいで……」
 フランリスカ妃は、陛下の四人いる側室のうちのおひとりだ。
 側室の中で最も側室らしい女性だ。ルックスも性格も、知らない人が側室と聞いて頭に思い描くような女性。陛下の寵愛を得るために日夜努力し、女王陛下とは女の戦いみたいなことも、ちょっとやっているらしい。

「……たしかに、フランリスカ妃はなにかにつけ、女王陛下に絡む態度をとられもするが」
 流石にディオも、すこし考える顔つきになった。
「そういう方法で意志交換っていうのか、お互いにわかってやっている部分もあるそうなんだけれどね」
 とは言え、こう言っちゃあなんだが、進んで女の戦いをやりたがる気が、私にはわからない。そういうところが、女としての根本のつくりが違うんだろうなあ。
「それでも、こどもの話となると話は別みたいで。それで、女王陛下からフランリスカ妃でも怖がるような噺はないかって訊かれたの。猫が出てくる噺で」

 意趣返しをするつもりなのは、すぐに分かった。気は進まなかったが、なんたって、相手は女王陛下だ。問われて答えないわけにはいかない。普段からお世話にもなっているし。でも、ネタは限られる。そこで私がしたのが、エドガー・アラン・ポーの『黒猫』だった。
 いつもみたいに、ちょっとだけ独自のアレンジを加えた。……妻ではなく恋人を、という風にして。陛下の妻君としての立場もある女王陛下に悪いから。
 そうしたら、更に話の設定を三角関係の愛情の縺れ話に変えたと、あとから女王陛下本人より聞いた。
 こうまで変えられると、原作などあってないようなものだ。
 被害者を夫に変え、殺人を犯す浮気相手の女を、よりフランリスカ妃を思い起こさせるような造形にしたらしい。私の話では、被害者はたいそう我慢強いよい女性であるから、フランリスカ妃を想起させるにしても、同情されるようであっては癪に障るから、という理由からだそうだ。
 女王陛下は愉快そうにしていたが、なんともえぐい。てか、陛下、殺されてるし。いいのか?

「そういえば、陛下がここ二、三日、フランリスカ妃の様子がおかしいとおっしゃられていたが、それでか。それが、衛兵や騎士達の耳にも入ったというわけか」
 呆れたような溜息が答えた。
「たぶん」
 私も肩を落して答えた。
 そんな馬鹿な、と言いたいところだが、その馬鹿な話が平気で通用してしまうのだ、この世界では。
 こうなるまですっかり忘れていたが、アイリーンの騒ぎのことを思いだせば、男どもがびびるのは当然の成り行きのような気もする。
「まったく」、とディオは赤い前髪を掻き上げて言った。
「仕方ないこととは言え、いちいち本気にして騒ぎにする者がいるのには困ったものだな」
 そして、椅子の背凭れにゆったりと身を預けた。苛ついたところもなく、もう怒る気も失せたらしい雰囲気。……よかった。単に呆れ果てているだけかもしれないけれど。それとも、多少は免疫がついたか?
「放っておいてもよい話だが、それで、いつまでも猫に怯えられていても困る。酷くなれば、その内、猫を一匹のこらず城から放りだせと言われかねない。フランリスカ妃のことはよいとしても、ローディリアのこともある。どうしたものか」
「そんな。猫はいてもらわなきゃ困るよ」
 鼠が増えて保存食を荒らされるし、ペスト流行の危険性も高まる。勿論、愛猫家としても癪にもさわる話に違いない。
「……そういう話でもないのだがな」
 軍の沽券にも関るし?
 とにかく、とディオは言い改めた。
「この件に関して、おまえはこれ以上、関るな」
「でも、」
「目立てば、また、どんな災いを呼ぶことになるかわからん」
 相変わらずの偉そうな言い方。でも、それは、起るかもしれない更なる災禍を危惧して以上に、
「他人のことよりも、まず、己が身を案じろ」
 ……私のためだ。私の身の安全のため。
「任せろ」
 だから、黙って頷き、青い瞳を掠めるような微笑を見つけて言う。ほんの僅かなやりきれなさを隠して。
「あのね、猫が主人公の良い噺もあるんだよ」
「ほう?」

 そして、私は、とっておきの猫の噺をディオに話して聞かせた。



 それから暫くして、むやみに猫を怖がる人の数は減ったようだ。
 いまやラシエマンシィで、百万回生きて死んでいった猫の噺を知らない人の方が珍しい。
 『君に出会うために百万回、生まれ変わってきた』、が一時、口説き文句として流行したぐらいだ。
 ローディリア王子も夜中に泣くことはなくなって、フランリスカ妃の様子もいつも通りにもどったと聞いた。元気に、女王陛下と女の戦いを愉しんでいるみたいだ。
 ディオと陛下、多分、クラウス殿下も加わって、なんとか丸く収めたらしい。
 城の猫たちも、今まで通りに穀物庫の鼠を捕って、平和に暮らしている。
 それはそれとして、それからたまに、ディオから寝物語に、白猫に恋して最後の生を終えた猫の噺を乞われるようになった。その度に、私も同じ噺を繰り返し語っている。
 話を聞くディオの寝顔は、とても優しい表情をしているから。
 そういうこともあって、私はディオの誕生日に、陶器でうずくまる猫の置物を作らせて贈った。
 首もとに、首輪のような黒斑のある白猫の。

 いつしか白い猫の置物は、物語と共に愛情を呼ぶお守りと言われるようになり、幸運を呼ぶものに変化して伝えられるようになったのは、そのもっとずっと先のことだ。






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