『冬の贅沢』


「では、君が許容できる贅沢とはどんなものだい?」

 いつものお茶の時間、クラウス殿下にそう問われて、私には暫し考える時間が必要だった。
 だって、そうだろう。目の前にある、たいそう出来のよい造形の整った顔は、それをかなえる気満々なのだから。下手なことを口走れば、それがどんなとんでもない内容でも実現させてしまうに違いない。……自意識過剰からとかではなく、経験からしても。
 そうなった場合、有り難いよりも先に申し訳なく思ってしまう。現状においても、この人に甘えっぱなしだ。廊下で初めて会った時から、ずっと。だが、表向きの立場では、私はしがない一女官の身で、王族であるこの人に仕えていることになる。通常、こうして一緒にお茶を啜っているなどもっての他、直に対話することすら畏れ多く、下手すりゃ厳罰対象もんらしい。ましてや、なにかお願いするなど!
 側室とかであれば別なんだろうが、一生独身でなければならない神職の長たるこの人には、端からあってはならない話だ。というか、裏事情で、そう噂されるだけでも機嫌が悪くなりそうな人が、他に約一名いる。そっちの方が怖い。
 でも、こういうのも今更。なんだかこういうことも私に関してのみ、うやむやにされてしまっている。そうしている、と言うべきか。
 例外中の例外として、私は女官でありながら、女王陛下のほかは、だれも私に命令はできない空気が出来上がっている。というのも、文句をつけようものなら、そっちの方が厳罰処分というか放逐されてしまう可能性があるからだ。……いや、まじで。一度あったらしいよ。又聞き程度でしか知らないけれど。
 ひとりの女官が、常々、私の存在に気がついていて鬱陶しがっていたらしい。そして、なんとかして放り出そうと公の問題にしそうになったそうだ。どうやらクラウス殿下の信奉者だったらしく、彼女にしてみれば、『あの子だけ贔屓にされてズルイ!』程度の気持ちだったんだろうけれど。それなりに良い家の出身だったみたいだし、プライドなんてのもあったんだろう。
 でも、彼女は知らなかった。ランデルバイア王家が密かに、私を第一級の保護管理対象者に指定していることを。
 保護管理されているのは、単に、目の色が黒いって理由だけなんだが、この世界の特殊な宗教事情により、それだけで戦争を引き起こす切っ掛けにもなりかねない存在であるから。故に、そのことを知っているのは、王城でも王族を含む、数名の人々だけだ。
 斯くして彼女は、騒ぎになる以前に、私ではなく、茶会そのものに文句をつけてクラウス殿下の気分を害させたという、半ばいちゃもん的な理由によって、ラシエマンシィへの出入りを、一生、禁じられることとなった。
 彼女にしてみれば、理不尽だし、横暴とも言える措置だ。しかし、それによって、体よく見せしめにされたこともあるのだろう。お陰で、その後、だれも何も言わなくなった。私に関しては、見て見ぬ振り。
 事情を知らない者たちにとっては、完全無視の存在。空気のような扱いをうけている。そのせいで新しく親しくできる友人を作れないが、仕方がない。それ以上に、今、私の周囲にいる人たちの方が大事だし。野郎率が高いのが難点ではあるが、人間関係としてはすごく恵まれていると思う。
 そして、その後、放逐された彼女は未婚であったのだが、『偶然にも』身分としては商人と格下ではあるが、裕福な家の息子に見初められて、今はそれなりに幸せに暮らしているらしい。……くわばら、くわばら。いや、権力って怖いね。てなわけで、私も発言ひとつするにも、いちいち真剣に考えねばならないわけだ。余計な波風を立てないためにも。
 だが、ここで、「これ以上の贅沢なんて必要ないです」とか言ったとしても、それはそれで問題。というのも、クラウス殿下はなにかと私をかまいたがる。それが、いい気晴らしというか、暇潰しにもなっているようだ。断ったら断ったで、勝手に何をされるかわからない怖さがある。悪気はなくとも。
 それもあって、暫し考えてから私は答えた。
「許容範囲というか、細やかではありますが、ひとつ『贅沢なんだろうなあ』と思うことはあります」
「へえ、それはなに」
 興味津々の笑顔が向けられた。
「ええと、例えば、今この寒い冬の季節に、冷たい美味しい食べ物を食べられたら、最高に贅沢だろうなあ、と」
 暖房設備も冷蔵庫もあった、日本の居住空間とはちがって。
 笑顔が不思議そうな表情に変わった。それから、すこし考える表情を浮かべてから、うん、と頷いた。
「ああ、確かにそれは贅沢だね。冬に冷たい食べ物を食べたいと思う者は、滅多にいないだろう。『美味しく食べられる』環境があって出来ることだしね。やはり、君のそういうところが意外で面白い」
 そう答えて、軽く笑い声をたてた。
「けれど、部屋を暖くする方法はかなうとして、『冷たくて美味しい食べ物』が逆に難しいね。氷に糖蜜をかけて食べる者もいるそうだけれど、あまり美味しそうでもないしね。君のいた世界では、そういうものがあったの?」
「ありましたよ」
「どんなもの?」
「代表的なものとしては、アイスクリームですね」
 昔話の王子さまでもとても食べられないもの。かき氷とかシャーベットもあったけれど、やっぱり、アイスクリームでしょう。
「へえ、どんな食べ物? 美味しいの?」
「おいしいですよ。冷たくて、甘くて。基本は甘くしたミルクと生クリームを冷やして固めたものですけれど」
「ふうん、だったら、簡単に作れそうだけれど」
「ううん、どうでしょうか。ただ冷やすだけじゃなくて、空気をいれるために、冷やしている最中も掻き混ぜなければならないんです。それで、きめ細かく、ふんわりと柔らかく凍らせるんです。その辺が難しいと思いますよ」
「柔らかいの? 凍っているのに?」
「はい。口の中にいれるととろりと溶けて、甘さも舌に優しいんです。ミルクの他にもチョコレートを混ぜたものとか、果汁を混ぜたものとか、色々と味に工夫をこらしたものがありました」
「へえ、どんなものだろう。想像ができないけれど、美味しそうだね。私も食べてみたいな」
 うん、ごめんね。話だけで。
 クラウス殿下は、ううん、とひとつ唸ると、よし、と力強く頷いた。
「出来るかどうか、試しに作ってみよう。どんな材料が必要か、わかる? 厨房の者に用意させよう」
 ……えーっ? 大丈夫かよ。
 危惧する私に、クラウス殿下はにっこりと笑んで言った。
「要は、冷やして固めている最中、誰かが掻き混ぜていればいいってことだよね」
「まあ、そうですけれど」
「ウェンゼル、悪いけれど、ギルを呼んで来てくれるかな。多分、今頃、塔の上でひとりで聖歌の練習をしているはずだから」
 聖騎士? ひょっとしなくても、奴にやらせるつもりかっ!?
「でも、固めるには、相当、寒い場所でないと、」
 冷凍庫並みの。
「うん、でも、もう陽も落ちるし、気温ももっと下がるだろう。幸い、今は雪もやんでいるし。しばらく外に置いておけば、自然と固まると思うよ。いつもの修業で外に出るついでにって、君の名前で頼めばやってくれると思うし」
 ……鬼だ。しかも、めちゃくちゃ愉しそうだし。
「うまく出来たら、夕食のデザートにでも出させて、みんなにも食べさせてあげよう。珍しいから、きっと驚くよ。グラディスとかローディは喜ぶだろうな」
「……ああ、まあ、そうでしょうね」
 うまく出来ればな。しかし、固まるまでどのくらいの時間が必要なんだろうな……凍傷にならないといいな。
 聖騎士がこれから受ける仕打ちを想像して、私の頭の中で、ちーん、と鈴の音が鳴った。
「ええと、やるのはいいですけれど、せめて、足下ぐらいは暖い靴を履かせるべきだと思います。できれば、ぶ厚い外套も。嫌がるかもしれませんけれど。あと、ケリーさんも呼んでおいた方が……」
 私が口出し出来ることと言えば、せいぜいこのくらいだ。

 そして、昔話の王子でも、とても食べられないものの筈だったアイスクリームは、見事に完成した。聖騎士の努力と根性のおかげで。
 いつもの修業よりも長い時間、真っ暗になった氷点下の雪の中で、聖典だかなんだかを唱えながら、休むことなく渡されたボウルの中身を掻き混ぜ続けてくれた結果だ。私が想像していたよりもずっと、ボウルが大きかったにも関らず。
 ウェンゼルさんに頼んで、途中、様子を見にいってもらったが、どこか物悲しそうな微笑みを浮かべて、「だいじょうぶみたいですよ、多分ですが」、とひと言だけ報告をもらった。
 でも、マジ、死ななくてよかった。ちょっと変色したみたいだけれど、凍傷手前の、手や足の指が強ばった程度ですんでよかった。ケリーさんとふたりで、厚着をするように説得した甲斐があったってもんだ。
 しかし、こんな目にあっても怒るどころか、逆に喜んでいる節がみうけられたのは、聖騎士も人間としてだいぶ終っているみたいだ。聖職者としては、大層、立派なことなんだろうけれど。次に会った時には、すこしだけ優しくしてあげようと思う。

 完成したアイスクリームには、みんな、とても喜んでくれたそうだ。クラウス殿下がいつも以上に大満足したほか、特にグラディスナータ王子とローディリア王子のふたりが、もっと食べたい、また食べたいと口を揃えてねだったらしい。以来、冬の間、聖騎士以外にも、たびたび真っ暗な雪のなかに誰かが立っている姿が見られるようになったと聞いた。いや、気の毒に……てか、ほんと、ごめん。
 そして、私は、久し振りのアイスクリームも美味しかったが、夕食を共にしたディオの、初めて口にした時の一瞬のその表情に、この人を独占できている贅沢を味わった。まるで、溶けたアイスクリームの気分で。

「ひとりでなにをへらへらと笑っている。どうかしたのか」
「イエ、ナンデモナイデス」

 ……私こそ、いよいよもって、人としてだいぶ終りかけているらしい。
 ランデルバイアの冬の贅沢は、暖い部屋でふたりで食べる、口の中で甘く蕩けるアイスクリーム。






inserted by FC2 system