『裏話』



「それで、うまくいったの?」
 悪戯めいた笑みが、私に問うた。
 私が最も直に接することの多い主は、表立っては見せることのないこういった表情がよく似合われる。
「そのようです。終られてすぐに、ケリー医師のところへ向かわれましたから」
「ふうん、儀式の方は欠席したからそうではないかと思ったけれど、会議の方には間に合ったみたいだしね、どうなのかな。仲直りする時間には短い気もするけれど」
 そう言われると、首も傾ぐ。
「さて、そういうことは人それぞれだと思いますが。直接、ご本人に訊ねられたら如何ですか」
「訊いても答えなさそうだけれどね。キャスも顔を出さないし」
 ちいさな吐息が漏れた。
 ここ数日間、猊下の大切な茶話相手は不在だ。
 喧嘩中の夫君と顔を合わせたくないが為に、日課を変えてまで見つからないよう逃げ回っている。
 当然、猊下はそれがご不満だった。
「ああ、でも、ここに顔を出したら、解決できたってことか」
「そうですね」
「来るとしたら、もうそろそろだね。今日にでも来てくれるとよいのだけれど。そうしたら、詳しい話も聞けるだろうな」
 それはそれで、少し可哀想な気もする。だが、彼女も誤魔化し方には慣れたものだろう。……もし、訪れがあったならば、の話だが。
「あの子がもう少しその辺が器用であったら、キャスの気苦労も減るだろうに。まあ、こればかりは、仕方ないことだけれどね。身近にいるだけで安心してしまって、おざなりになってしまう部分もあるから。人と新しい関係を築くとは難しいものだよ」
 経験者は語る? ガルバイシア卿も似たようなことを口にされていたが。まあ、伴侶を得る事はそれなりに苦労がある、ということなのだろう。
「見て見ぬ振りで誤魔化すのも常道ではあるのだろうけれど、あの子達の場合は難しい問題を抱えているから。先を考えると、下手に逃げ道を作らない方が良いと思うよ」
「そういうものですか」
 計画が出た時、猊下は、『問題があるならば、早い内に明らかにした方が良い。これで壊れてしまう仲ならば、その方がいい』、と言われた。そして、『後々、亀裂が大きくなってからでは、傷が深くなるだけでなく、すべての取り返しがつかなくなる。こどもが出来ていない内ならば、まだやり直しがきくから』、と。
 言ってしまえば、たかが夫婦喧嘩で、他人が口出すことではないのかもしれないが、実際、国の将来にも関ることであるから、些細な事でも見過ごせなくあるだろう。
「うん。私としては、キャスには笑っていて欲しいのだけれどね」
 おそらく、そう思っている者は多いだろう。私を含めて。
「来て頂けると良いですね」
 泣き顔ではなく、笑顔で。
「そうだね。それで、立ち合いの方はどうだったの? 一本、取れたの?」
 その質問には、苦笑いだ。
「私如きの腕では、相手にもなりませんでした。最後にベルシオン卿が取った形にはなりましたが、疲れが出たところでの不意をついてのものでしたから、本当の意味での取った形にはならなかったかと」
「そうなんだ」
「ええ、七人を相手に実に見事な戦い振りで、改めて、殿下のお強さには感服いたしました。ガーネリアの者たちには、少々、苦戦なされていたようではありましたが、結局は、一太刀も受けることがなかったわけですから」
 意外そうな表情に、笑んで答える。やはり、こういう形で、仕える方がどれだけ優れているか示されるのは、良い気分だ。誇らしい。
「へえ、」
「何も知らず観戦していた者たちも、あれには驚いたようでした」
「ふうん、それは見てみたかったね。私が行くわけにはいかないけれど、あの子が剣を使っているところなど、こどもの頃以来、見たことないしね。ところで、順番はあれで良かった?」
「勝つことは出来ませんでしたが、結果的には良かったのではないでしょうか。ベルシオン卿も一番手で力を尽くせたようですし、最後に溜飲を下げることもできたようです。ガーネリアの者たちも、兼ねてより希望していた、殿下と直接、相対することがかなって喜んでおりましたし。自国の者でも、決まった者意外は、殿下の剣のお相手をする栄誉はなかなか得られるものではない空気が出来上がっていますから。ガルバイシア卿が加わって頂けたことでそれを容認、他の兵や騎士たちに、殿下が望んで複数相手の立ち合いを行っていると思わせることが出来たようで、良かったかと思います」
「ふうん、他の誰にも気付かれた様子はなかった?」
「おそらく。殿下ご自身は、途中で気付かれたようなので、お言いつけ通り、猊下のお名前を伝えさせて頂きました」
 そして、ふ、と湧いた疑問に質問する。
「よろしかったので?」
「なにが」
「お名前を出されたことを、です。後々、殿下との間に影響いたしませんか」
 それには、軽い笑い声が返された。
「ああ、大丈夫だよ。まあ、少しは気を悪くはしただろうけれど、あの子は基本的に根に持つことはしない性質だから。多少の嫌みぐらいはあるかもしれないけれど、それも言うかどうかってところだね」
「そうですか」
「おや、なんだい、疑っているのかい」
「いえ、そうではないですが……」
 もし、この切っ掛けで、殿下がキャスを手放されることになれば、それどころではないだろう。
 まあ、と猊下も呟かれた。
「隠したせいで、誰が仕組んだと探し回られて、君たちの信頼関係が崩れては元も子もないからね。そういった責任を引き受けるのも、策を講じた者の務めだよ。今更、私たちの仲が悪くなったところで、政にはさほど影響するものではないし」
 しかし、猊下はそれで傷つきもし、悲しい思いをされるだろう。猊下が実の弟君をどれだけ愛されているか知っている者としては、それも辛い。
「どうしたの?」
「いえ」
 本当に、上手くいって欲しいと思う。なにも壊れることなく、誰も傷つくことなく。
 と、その時、軽く部屋の扉を叩く音がした。
「おや、」
「ああ、」
 私たちは同時に声をあげていた。
「来たみたいだね」
 猊下が破顔なされた。
「出迎えは私がするから、君は侍女に言って、お茶の用意をさせてくれるかい。勿論、お茶菓子も沢山、用意させてね」
「畏まりました」
 侍女達の控えに通じるカーテン越しに、猊下の弾む声が聞こえた。
「やあ、キャス、待っていたよ。おや、今日は随分と機嫌が良さそうだけれど、何か良いことでもあったかい?」
 自然と、私の口元も弧を描いていた。






inserted by FC2 system