『ウサギ』


 彼女を見ていると、ウサギを思い出す。
 髪が雪のように白い事もあるのだが、それよりも彼女の持つ雰囲気がそれと重なる。
 我々に抵抗するだけの腕力を持たない、という事がそう思わせるのかもしれない。
 観察していると、爪も牙も持たぬ小さな生物が後ろ足で立ち、長い耳を立てて周囲を警戒している様子が、時々、感じられる。そうでない時は、野を跳ね回るような奔放さや、非常に無防備で弱々しく感じる事。
 女性として魅力的か、と問われれば首を傾げもするが、小動物めいた可愛らしさはあると思う。
 そして、思いもかけない行動や言動は、私の予想を上回るもので刺激的ですらある。
 キャスは、とても意外性のある女性だ。

 その彼女が、今、私の隣で紫煙を燻らせている。つぎつぎと降り落ちてくる雨垂れを眺めながら。
 その様子は、途方に暮れているように見える。いや、実際、そうなのだろう。
 自由に跳ね回っていた野が、実は檻の向こうにあった事をはっきり認識してしまったのだから。そして、その命が既に我々の手の中に握られていることも。
 だが、そういう状態であっても、怯えている様子は見られない。諦めきった様子で、無防備さをさらけ出している。もし、今、私が剣を抜いて切りかかったとしても、よける事もしないだろうと思わせた。
 柔らかい喉笛を牙の前に差し出し観念しきっているような、なんとも弱々しい姿。ぶるり、と一回おおきく震えたのは、寒さばかりのせいではないだろう。
 辛いのではないか、と訊ねると、分からない、と彼女は答えた。
「ああ、でも、やっぱり辛いかも」
 吐き出す白い煙が細い筋となって闇に流れる。
「いっそ、政治の道具として割り切れれば、少しは楽になるんでしょうが」
 その時になって、その手首の細さがやけに目に付いた。そして、女性としては有り得ない短さの髪の下、すんなりとした項の頼りなさ。
 ふ、と夜よりも濃い黒い瞳が、私に向けられた。
「結局、どっちつかずなんですよねぇ。ほんと、中途半端」
 そう言って、自嘲した。
 私はそれに答えられなかった。
 いっそ泣いてくれれば良いのに、と思った。みっともない泣き顔を曝して、縋り付いて、命乞いをしてくれれば、適当にあしらってすまそうものを。
 だが、彼女はそうしなかった。どこにも味方はいないというのに、誰の助けも期待できないというのに、それを分かって、尚もひとりで立っていた。
 まるで、初めて戦場に立つ少年兵のように震えながら、薄く微笑む。
 浮かぶ寂しそうな笑顔を前に、私はどう答えてよいか分からなかった。

「どう思う」
 だから、殿下に意見を求められた時、正直に彼女、キャスを殺す事に抵抗を感じる旨をお伝えした。
 こんな風に殿下に意見を求められる事は珍しい。それだけ、殿下も迷いを感じておられるという事なのだろう。
「迷っている」、と殿下が口にされるのも、初めて耳にしたのではないだろうか。常に雄々しく、確たる結論を素早く導き出される方らしからぬご様子だ。
 自然と隣のベッドに視線が移る。
 暗闇に仄かに白く浮かぶ小さな塊。毛布で身を固く縛るように蹲って、彼女が眠っている。
 端の方から覗く白い髪の毛の束が、ウサギの尾のようにも見える。
 月明りもない、雨音ばかりが大きく聞こえる暗闇の中、目の前に座られる殿下の表情ははっきりとしない。
 その御心中で、一体、何を考えておられるのか。残念ながら、私には慮る事もできない。
 ただ、なんとなく、彼女を眺める雰囲気の柔らかさに違和感を感じた。
 それは、我が国にあっては軍神と崇められ、他国にあっては死神と怖れられる殿下にしては、あまりにも普通の、年相応に、普通に困り果てている青年の顔に見えた。

 一羽のウサギ。
 それからもなんやかやと色々とあって、彼女は意外な面を私達に見せてくれた。
 美術品などが大好きで、私の邸やトルケス卿の邸でのはしゃぎっぷりは大したものだった。
 ええと、カエルが好きなのか? ウサギではなくて?
 そして、ドレス姿にも、正直、驚かされた。まるっきり、どこからみても女性だったから。
 しかも、魅力的とも言える程の。
 やはり、彼女は意外性で出来ている。
 ただ、殿下が彼女に、私とは少し違う印象を抱いていたと知るのは、それから、ずっと先の事だった。






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